第63話 【財界の王】ですが、推しが「HDDのデフラグ画面」を肴に晩酌し始め、虚無の時間に耐えられず寝落ちした
「……ふん。今日の会食は退屈であったわ」
午後21時。 御子柴 厳蔵は、都内の自宅(豪邸)のリビングで、高級スーツのネクタイを緩めた。 先ほどまで、政財界の重鎮たちとの会合に出席していたが、中身のない腹の探り合いばかりで、彼の闘争心を満たすものは何もなかった。
「やはり、ワシの魂を震わせるのはルルの配信だけじゃ」
彼は最高級の安楽椅子に深く腰掛け、晩酌用の大吟醸を用意した。 今日の配信タイトルは『まったり晩酌枠』。 孫と画面越しに乾杯し、一日の疲れを癒やす。 厳蔵にとって、これ以上の贅沢はない。
『こんこん! こんばんは、ルルだよー! みんな、お酒やお茶の準備はいいかな?』
「うむ。準備万端じゃ。さあ、今日は何を語り合うのかな?」
厳蔵は酒を一口含み、期待に胸を膨らませた。 しかし。
『今日はね、僕の大好きな「とある映像」を見ながら、ダラダラ飲もうと思います! ……スイッチ・オン!』
画面が切り替わる。 そこに映し出されたのは、ゲーム画面でも、映画でもなかった。
無数の「四角いマス目」が並ぶ、灰色背景のウィンドウ。 時折、黄色や赤のブロックがチカチカと点滅し、青いブロックに置き換わっていく。
「……なんじゃこれは? テトリスか? いや、ブロックが落ちてこんぞ。故障か?」
厳蔵は老眼鏡の位置を直した。 画面の下には、懐かしいフォントでこう書かれていた。 『ドライブ C: のデフラグ(最適化)を実行中…… 3% 完了』
◇
『懐かしいでしょー! 昔のPCのデフラグ画面だよ!』
ルルは嬉しそうにビール缶を開けた。
『この、バラバラだった赤いブロックがさ、整然とした青いブロックに整理されていく様子……。 見てるだけで、脳みそのシワが伸びる気がしない? さあ、この「読み込み中」の黄色い点滅に……乾杯!』
「……は?」
厳蔵の手が止まった。 デフラグ。HDDの整理整頓。 それは、かつてパソコンが遅かった時代、寝る前にセットして放置するものであり、「酒の肴」として観賞するものではない。
『あ! 見て見て! あそこの頑固な赤ブロック、やっと移動したよ! えらいねぇ~、頑張ったねぇ~』
ルルは、ただ四角い色がカチカチと変わるだけの映像に、拍手を送っている。 BGMはない。 聞こえるのは、ルルの咀嚼音と、時折入る「おっ、動いた」という呟きだけ。
(……動かん)
厳蔵は画面を睨みつけた。 進捗バーはまだ『4%』。 現代の爆速SSDに慣れた身には、この牛の歩みのような進捗は、拷問に近い「虚無」だった。
『ミケ: ……ルルよ。これはいつ終わるのじゃ? 派手なアクションはないのか?』
コメントを打つが、ルルは恍惚とした声で答える。
『うーん、この容量だと……あと3時間くらいかな? 何も起きない時間を楽しむのが、大人の贅沢だよぉ~』
「3時間……だと……?」
厳蔵は絶句した。 彼は「財界の王」だ。 分刻みのスケジュールで生き、常に結果とスピードを求めてきた男だ。 そんな彼に、「ただ色が代わるだけの四角形を3時間見つめろ」というのは、もっとも苦手とする苦行だった。
(……いかん。ワシとしたことが、集中力が……)
画面の中では、黄色いブロックがチカチカと点滅を繰り返している。 チカ、チカ、チカ……。 一定のリズム。 変化のない画面。 ルルの優しい、眠りを誘うようなウィスパーボイス。
『……ふふ。次はどこのブロックが青くなるかなぁ……』
その声は、まるで極上の子守唄のように、厳蔵の脳に染み渡っていく。
(……この……ゆったりとした……時間……。 これが……ルルの言う……贅沢……なの、か……)
厳蔵のまぶたが、鉛のように重くなる。 数兆円の商談でも、銃を突きつけられた時でも、決して目を閉じなかった男が。 今、HDDの断片化解消プロセスの前で、抗えない睡魔に襲われていた。
(……ルル……じいじは……もう……)
カクン。
◇
「……はっ!?」
厳蔵が飛び起きた時、外は白み始めていた。 朝だ。 テレビ画面には、配信終了の黒い画面と、チャットのリプレイが流れている。
「し、しまった……! 寝落ちしたか!?」
彼は慌ててログを確認した。
『ルル: あれ? ミケさん静かになっちゃった。寝ちゃったかな? ふふ、ゆっくり休んでね。おやすみ』
「不覚……! 生涯初の寝落ちを……!」
厳蔵は頭を抱えた。 だが、不思議と体は軽かった。 昨日の会食のストレスも、長年の不眠気味だった疲れも、嘘のように消えている。
「……そうか。あやつは、知っていたのか」
厳蔵は勝手に解釈し、ニヤリと笑った。
「ワシが疲れているのを察して、あえて退屈な映像で脳を休ませてくれたというわけか。 ……やるではないか、ルルよ。最高のヒーリングであったわ」
彼はスッキリとした顔で立ち上がり、朝の体操を始めた。 ただのデフラグ画面で熟睡しただけなのだが、孫への愛が強すぎる彼は、それを「高度な気遣い」として受け取り、今日も元気に日本経済を回しに行くのだった。
毎日0時に1更新を目指して頑張っています。
もしお気に召しましたら、作者のやる気アップのために
ブックマークや評価やスタンプで応援していただけると嬉しいです。




