第62話 【天才科学者】ですが、推しが「LANケーブルの結束バンド」を1ミリの狂いなく並べるだけの配信に、狂気を感じて敗北した
「……今日の配信タイトルは『配線整理』か」
国立大学、第3研究室。 如月 恭介は、スーパーコンピュータの排熱音が響く部屋で、タブレットをセットした。 時刻は20時。 今日は実験を早めに切り上げ(部下に丸投げし)、万全の態勢だ。
「配線整理……。ふむ、悪くない。 ケーブルの乱れは信号ノイズの原因となり、冷却効率も下げる。 エンジニアである彼が、効率的な配線を追求するのは論理的に正しい行動だ」
恭介は頷いた。 彼自身、研究室の配線にはうるさい。 きっと、機能美に溢れた効率的な作業が見られるだろうと期待していた。
『こんこん! こんばんは、ルルだよー!』
画面に小狐ルルの姿はなく、高解像度のカメラが捉えた「サーバーラックの裏側」が映し出された。 そこには、赤、青、黄色のLANケーブルが、スパゲッティのように絡み合っている。
『今日はね、このゴチャゴチャしたケーブルを、結束バンド(インシュロック)で縛っていくよ! 目指せ、「世界一美しい裏側」!』
「ほう。やはり冷却効率の改善か。見せてもらおう」
恭介はコーヒーを一口飲み、モニターを凝視した。
◇
『まずは、この青いケーブル10本を束ねます。 ……ここ! このカーブのRを見て!』
ルルが、ケーブルを優しく曲げる。 そこまでは普通だった。 しかし、ここからが異常だった。
『結束バンドを締める位置なんだけど……。 ここから「25ミリ間隔」! 絶対にズレちゃダメなの!』
ルルは手持ちの精密測定器を取り出し、ミリ単位で位置を測り始めた。
『はい、ここ! カチッ(締める音)。 次は……ここ! カチッ。 ……あーん、ダメだ! 0.5ミリずれた! やり直し!』
パチン。 ルルは躊躇なく、締めたばかりのバンドをニッパーで切断した。
「……は?」
恭介の眉が動いた。 「0.5ミリのズレだと? ……バカな。結束バンドの位置が多少ズレようと、ケーブルの保持力にも、信号伝達速度にも、熱干渉にも、1ミリの影響もないはずだ。 なぜ切る? なぜそこまで厳密さを求める?」
彼の科学的思考回路に「非効率」の警告灯が点滅する。 しかし、ルルの狂気は止まらない。
『次は、結束バンドの「頭の向き」ね! この四角い留め具の部分が、全部一直線に並んでないと気持ち悪いでしょ? ……よし、レーザーポインターで直線を引いて……完璧!』
画面の中には、幾何学的なまでに整列した結束バンドの列が出来上がっていく。 それはもはや配線ではない。 現代アートか、あるいは何かの儀式のようだった。
「……待て。そのこだわりは、物理法則を超越している」
恭介は冷や汗を流し始めた。 彼は知っている。 ここまで厳密に揃えるには、ケーブル一本一本のねじれ(ツイスト)まで計算し、テンションを均一に保たねばならないことを。 それは、気の遠くなるような労力と集中力を要する作業だ。
『ふふっ……見て、この断面。 ケーブルが六角形に収まってる……美しい……』
ルルがうっとりとした声を上げる。 その時、恭介は気づいてしまった。
(……彼は、効率のためにやっているのではない。 ただ「美しく縛りたい」という、純粋な……そして狂気的な欲求のためだけに、膨大な時間をドブに捨てているのか!?)
科学とは、最小の労力で最大の結果を得るための学問だ。 だが、ルルの行いはその対極にある。 「無駄」を極限まで愛し、慈しむ行為。
「……負けた」
恭介は、ガクリと椅子に沈み込んだ。
「私は科学者として、常に合理性を求めてきた。 だが……この『無意味な整列』にかける情熱の総量において、私は彼に遠く及ばない……!」
画面の中の、無駄に洗練された配線美。 それは、彼の理解を超えた「聖域」の輝きを放っていた。
◇
配信終了後。 研究室に、深夜まで残業させられていた助手が戻ってきた。
「せ、先生……? 実験データの整理終わりましたけど……」
助手は、部屋の異様な光景に絶句した。 天才科学者・如月恭介が、スーパーコンピュータの裏側で、這いつくばっていたのだ。 手にはノギスと結束バンドを持って。
「……先生? 何を?」
「静かにしろ。……ズレた」
パチン。 恭介は、バンドを切断した。 その目は血走り、完全に「向こう側」に行ってしまっていた。
「排熱効率などどうでもいい……。 ここを25ミリ間隔で揃えねば……ルルに……ルルに笑われてしまう……!」
「ひぃっ!? 先生が壊れたー!!」
翌日、大学のメインサーバー室の配線が、狂気的なまでに美しく整理されているのが発見され、「誰の仕業だ」「芸術的だが怖い」と学内で伝説になるのだが、それはまた別の話である。
毎日0時に1更新を目指して頑張っています。
もしお気に召しましたら、作者のやる気アップのために
ブックマークや評価やスタンプで応援していただけると嬉しいです。




