第61話 【冷徹な政治家】ですが、推しが「ソフトウェア利用規約」を感情込めて朗読し始め、条文の解釈で頭を抱えた
「……ふぅ。今週の国会も乗り切ったわ」
都内の高級マンション。 現職大臣であり、政界の鉄の女と呼ばれる 剣崎 塔子 は、バスローブ姿で最高級の赤ワインをグラスに注いでいた。 時刻は土曜の夜。 これからの時間は、政治家としての彼女ではなく、ただの「文学少女(?)」に戻る至福のひとときだ。
「今夜のルル様の配信は『朗読枠』……。 前回は宮沢賢治だったけれど、今日は何かしら。太宰? それとも海外の詩集?」
彼女は期待に胸を膨らませ、タブレットの前に正座した。 ルルの澄んだ声で紡がれる物語は、汚職と妥協にまみれた永田町の空気を浄化してくれる唯一の聖水なのだ。
『こんこん! みんな、こんばんは~! 小狐ルルだよ!』
画面にルルが現れる。 背景には、落ち着いた書斎風のセット。
『今日はね、みんなが普段読み飛ばしちゃうけど、実はとってもドラマチックな**「ある文章」**を朗読するよ』
「あら、意外な選書。……もしかして、隠れた名作?」
塔子はグラスを傾けた。 そして、ルルはおもむろにタイトルを読み上げた。
『――某有名画像編集ソフト、エンドユーザー使用許諾契約書(EULA)。第1章』
「……ぶっっ!!」
塔子はワインを吹き出しそうになった。 契約書? 利用規約? それは彼女が普段、法案作成で死ぬほど見ている「無味乾燥な法的文書」そのものではないか。
◇
『第1条……定義……』
ルルが読み始めた。 しかし、その声色は、まるで壮大なファンタジー映画の冒頭のナレーションのように、深みと哀愁を帯びていた。
『「本ソフトウェア」とは……(溜め)……プログラム、およびそれに関連する媒体、印刷物、電子文書を含むものを指す……』
BGMには、なぜか切ないピアノの旋律が流れている。
(……待って。なぜ「定義条項」をそんなに情緒たっぷりに? それは単なる用語の範囲規定よ。そこに感情が入る余地などないはず……)
塔子は政治家としての「論理的思考」が邪魔をして、困惑した。 しかし、ルルは止まらない。
『第3条……禁止事項……(震え声)』
ルルの声が、悲痛な響きを帯びる。
『ユーザーは……本ソフトウェアを……リバースエンジニアリング、逆コンパイル、または逆アセンブルしてはならない……ッ!!』
ルルは「ならない」の部分を、まるで悲恋の別れ言葉のように叫んだ。
『うぅ……切ないよねぇ。 中身を知りたい、仕組みを理解したいっていう純粋な探究心が、法律によって引き裂かれるんだよ? これって、現代のロミオとジュリエットだよね……』
「……は?」
塔子は真顔になった。 「いいえ、それは知的財産権の保護規定よ。 開発者の権利を守るための当然の措置であって、悲恋の物語ではないわ」
彼女は思わず画面に向かってツッコミを入れた。 しかし、コメント欄のリョウタだけは『あー、エンジニアとしては中身見れないの辛いよな。分かる』と共感している。 塔子は頭を抱えた。
(……私の法的解釈が間違っているの? いいえ、法的には私が正しい。でも、情緒的には彼が正しいの……?)
◇
そして、朗読はクライマックス(?)へ。
『第7条……免責事項……』
ルルは、悟りを開いたような、静かで優しい声になった。
『本ソフトウェアは……「現状有姿(AS IS)」で提供されるものであり……(涙声)……開発者は、いかなる明示的、または黙示的な保証も行わないものとする……』
『ああ……なんて孤独で、潔い言葉なんだろう。「現状有姿」。 「僕はありのままだよ。不完全かもしれないけど、これを受け入れてくれ」っていう、開発者からのラブレターだよね……!』
ルルは感極まってハンカチで目元を拭っている。
塔子は、こめかみを揉んだ。 「……それは瑕疵担保責任の放棄よ。 バグがあっても責任取らないから勝手に使えっていう、企業側のリスクヘッジ!! どこがラブレターなのよ! 一方的な責任転嫁よ!」
彼女の「立法府の番人」としての理性が悲鳴を上げている。 しかし、画面の中の推しは、その冷徹な契約条項に「人間ドラマ」を見出し、涙しているのだ。
『フクロウ: ……ルル様。その解釈は、あまりに……斬新すぎますわ』
塔子は震える指でコメントした。 これ以上、法的にツッコむのは野暮だ。 これは「朗読」ではない。 現代社会の冷徹な契約社会に対する、彼なりの「文学的レジスタンス(抵抗)」なのだ――そう無理やり解釈することにした。
◇
配信終了後。
『ふぅ……いい文章だったね! 心が洗われたよ』
ルルは満足げに笑い、配信を切った。 塔子は、すっかりぬるくなったワインを見つめ、深いため息をついた。
「……負けたわ」
彼女は、机の上に置かれた自分の「政治資金規正法改正案」の草案を手に取った。 そこには、無機質な条文が並んでいる。
「私には、この条文から『愛』や『哀愁』を読み取ることはできない。 ……やはり彼は、天才ね」
塔子は、推しの感性の豊かさに完敗を認め、そっと草案を閉じた。 翌日の国会で、彼女がやけに情緒的な答弁をして野党を困惑させることになるのは、また別の話である。
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