第58話 【何者でもない父】ですが、炎上確実のプロジェクトトラブルを「土下座」と「調整力」だけで解決し、億単位の損失を回避した
「お、終わりだ……。下手したらもう、会社が飛ぶぞ……」
平日、午後3時。 田中 良太の勤める中堅メーカーのオフィスは、阿鼻叫喚の地獄と化していた。 進行中の大型プロジェクトで、下請けのミスにより致命的な欠陥が発覚。 納品先は、業界でも「瞬間湯沸かし器」と恐れられる超大手の剛田部長だ。 損害賠償額は億単位。会社の存亡に関わる危機だった。
「誰か! 誰か剛田部長に説明に行ける奴はいないか!?」
「無理ですよ! 殺されます!」
「部長も課長も逃げたぞ!」
社員たちがパニックに陥る中、良太は静かに立ち上がった。 彼はジャケットを羽織り、ネクタイを締め直した。
「……俺が行きます」
「た、田中課長!? 正気ですか!? 怒鳴られるだけじゃ済みませんよ!」
部下が止めるが、良太は穏やかな目で腕時計を見た。 現在15時10分。 今から行って、話をまとめれば、19時の定時退社(ルルの配信待機)に間に合う。
「大丈夫だ。……俺は普段、もっと『話の通じない怪物たち』の相手をしてるからな」
彼は胃薬を飲み込み、戦場へと向かった。
◇
「ふざけるな!! どう落とし前をつけるつもりだ!!」
取引先の応接室。怒号が響き渡る。 剛田部長は顔を真っ赤にして激昂していた。横には弁護士も控えている。完全な臨戦態勢だ。
「……この度は、多大なるご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません」
良太は、一切の言い訳をせず、見事な角度で頭を下げた。 それは卑屈な土下座ではない。 相手の怒りを正面から受け止め、誠意を示すための「戦略的謝罪」だ。
「謝って済む問題か! 損害賠償だ! 契約解除だ!」
罵倒が飛んでくる。 しかし、良太の心は凪のように静かだった。
(……ああ。この程度の怒りか)
彼の脳裏には、裏サミットでの修羅場がよぎる。 「世界を滅ぼす」と息巻くマッドサイエンティスト。 「国家権力でねじ伏せる」と言い出す政治家。 「物理的に排除(暗殺)する」と微笑む令嬢。
彼らの暴走を止める時の、胃に穴が空くようなプレッシャーに比べれば、目の前の人間が怒鳴っているだけの状況など、幼児のぐずりのようなものだ。
「……剛田様。お怒りはごもっともです」
良太は、相手が息継ぎをする一瞬の隙を見逃さず、静かに、しかし力強く言葉を挟んだ。
「ですが、今ここで契約を解除すれば、御社のプロジェクトも半年遅れます。 それは剛田様にとっても、本意ではないはずです」
「な、なんだと……?」
「我々は逃げません。 ……ここに、最短でのリカバリープランを用意しました」
良太は資料を差し出した。 そこには、他部署のリソースを強引に借り受け、休日返上で対応する(ように見せかけた)現実的かつ最速の修正案が記されていた。 それは、社内の各部署に頭を下げ、貸し借りを調整し続けてきた彼だからこそ作れる「奇跡の工程表」だった。
「私に、一週間だけ時間をください。 必ず、当初の予定以上のクオリティで納品してみせます。 ……私の首を賭けて」
良太の目は、真剣そのものだった。 その目には、恐怖も動揺もない。あるのは「必ず守る」という覚悟だけ。 (ルルちゃんの配信時間を守るためなら、俺は悪魔とだって契約できる)
その気迫に、剛田部長がたじろいだ。
「……き、貴様、名前は?」
「田中でございます」
「……いい度胸だ。 分かった。一週間だけ待ってやる。……その代わり、失敗したら分かっているな?」
「はい。ありがとうございます」
良太は再び深々と頭を下げた。 億単位の賠償請求が回避され、プロジェクトの首の皮が一枚繋がった瞬間だった。
◇
「た、田中課長……! 信じられません……!」
「あの剛田部長が、最後は握手してましたよ!?」
「課長、魔法でも使ったんですか!?」
帰社した良太を、同僚たちが英雄を見る目で迎えた。 社長までもが飛んできて、「君は我が社の救世主だ!」と涙を流している。
「いやぁ、運が良かっただけですよ」
良太は苦笑いしながら、時計を見た。 18時30分。 完璧だ。これなら余裕で家に帰れる。
「じゃあ社長、俺はこれで。……大事な用事(推し活)がありますので」
「お、おう! もちろんだ! ゆっくり休んでくれ!」
彼は颯爽と退社した。 金も権力もない。 けれど、泥臭い「調整力」と「誠意」だけで世界(会社)を救ったその背中は、誰よりも輝いていた。
◇
その夜の配信。
「みんなー! 今日も一日お疲れ様!」
小狐ルルの癒やしの声が響く。 良太は、缶ビール片手に「ぷはーっ!」と息を吐いた。
「(……ああ、この一杯のために生きてるんだよなぁ)」
コメント欄には、それぞれの「世界」を動かしてきた怪物たちが集っていた。
『ミケ: この声で疲れが飛ぶわ』
『admin: サーバー負荷率正常。心拍数安定。……至高の時間だ』
『フクロウ: (国会のあとの朗読、沁みますわ……)』
そして、何者でもない一般人・リョウタもまた、彼らと対等な立場でコメントを打つ。
『リョウタ: 今日もお疲れ。ルルちゃんの声聞くと、明日も会社行くかって気になれるよ』
「あ、リョウタさん! 毎日お仕事大変だよね。 いつも頑張ってるリョウタさんは、パパの鏡だよ!」
ルルの言葉に、良太は目頭を熱くした。 億単位のプロジェクトを救ったことよりも、この一言の方が、彼にとっては価値のある勲章だった。
『リョウタ: (……ありがとな。お前のおかげで、今日も俺は最強のサラリーマンでいられたよ)』
日本の経済を底辺で支えているのは、案外、こういう「普通の推し活おじさん」なのかもしれない。
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