第53話 【トップアイドル】ですが、高熱をおしてドーム公演を完璧にやり遂げ、楽屋に戻った瞬間に「推しのアーカイブ」で全回復した
「……体温、39度2分。……エリカ、これ以上は無理だ」
東京ドーム、関係者専用エリアの控室。 所属事務所の社長とチーフマネージャーが、体温計を見て青ざめていた。 今日は、国民的アイドルVTuber『天塚シエル』のライブツアー、その最終日。 5万人の観客が既に会場を埋め尽くしている。
しかし、中の人である 橘 エリカは、過労と風邪で高熱を出し、ソファにぐったりと横たわっていた。 顔は赤く、呼吸も荒い。
「公演中止のアナウンスを出そう。ファンの安全のためにも……」
「……だめ」
エリカが、熱に浮かされた瞳で、しかし鋭く社長を睨んだ。
「中止なんてありえない。……今日のために、みんな何ヶ月も待っててくれたのよ」
「しかし、立っているのもやっとだろう!?」
「立てるわよ。……私は『天塚シエル』だもの」
エリカはふらつきながら立ち上がり、震える手でスポーツドリンクを一気飲みした。 そして、鏡の前で自分の頬をパァン! と両手で叩いた。
その瞬間。 彼女の瞳から「病人の弱さ」が消え、「絶対的センター」の光が宿った。
「……行くわよ。伝説、作るんだから」
◇
『――それでは登場していただきましょう! 天塚シエルちゃんです!!』
地鳴りのような歓声と共に、ステージ中央に天塚シエルが飛び出した。
「みんなー! 待たせたねー! 今日は最後まで燃え尽きようっ!!」
完璧だった。 39度の高熱があるとは微塵も感じさせない、力強い歌声。 複雑なステップを寸分狂わず踏むダンス。 曲間のMCでは、観客一人一人に語りかけるような神対応。
(……足が、鉛みたいに重い。喉が焼けるように熱い)
意識は朦朧としている。視界の端が白く霞む。 それでも、彼女は笑顔を絶やさない。 彼女にとって、アイドルとは「夢を見せる仕事」。 自分の辛さで客の夢を覚ますことなど、死んでも許されない。
(まだ……まだ動ける。私の身体、あと2時間持ちこたえなさい!)
アンコールを含めた全25曲。 彼女はアドレナリンとプロ根性だけで、地獄のような3時間を駆け抜けた。
「みんな、愛してるよー!! バイバーイ!!」
最後の投げキッスをして、舞台袖に下がった瞬間。
「……っ」
糸が切れた操り人形のように、彼女はその場に崩れ落ちた。
「エリカ!!」
「スタッフ! 担架だ! 救護班急げ!!」
裏方はパニックになった。 エリカは意識が飛びかけながら、マネージャーの背中に背負われて楽屋へ運ばれた。 ソファに寝かされると、浅い呼吸を繰り返すだけで、呼びかけにも反応しない。
「まずいぞ……救急車を呼べ!」
「点滴の準備を! 氷嚢持ってこい!」
怒号が飛び交う中、エリカの口が微かに動いた。
「……る……」
「え? なんだエリカ? 水か?」
マネージャーが耳を近づける。
「……る……る、ちゃ……」
「るるちゃ……?」
マネージャーはハッとして、彼女の鞄からスマホを取り出した。 そして、YouTubeのアプリを開き、履歴の一番上にあった『小狐ルル』の動画を再生し、彼女の目の前にかざした。
『こんこん、ルルだよー! 今日はね、マシュマロ読みながらのんびり雑談するよ~』
スマホのスピーカーから、気の抜けた優しい声が流れる。 その瞬間。
「…………はぁ~」
エリカの荒い呼吸が、嘘のように整った。 苦悶に歪んでいた表情筋が緩み、頬に赤みが(熱とは違う意味で)差していく。 濁っていた瞳に、生気が戻ってくる。
「……あぁ、ルルちゃんの声……。 ……うん、そこが可愛いのよね……。 ……へぇ、今日はプリン食べたんだ……尊い……」
彼女はスマホを両手で握りしめ、恍惚の表情で画面に見入っている。 さっきまでの死にそうな状態が嘘のようだ。
「……おい、体温計」
「は、はい!」
スタッフが恐る恐る体温を測る。 「……37度5分。下がってきてます。顔色も良くなってる……」
「……バケモノか」
社長が呟いた。 最新医療よりも、点滴よりも、「推しの雑談配信」の方が即効性があるとは。
30分後。 動画を一本見終わったエリカは、むくりと起き上がった。
「ふぅ……全回復したわ」
「嘘つけ! まだ安静にしてろ!」
「お腹空いた。マネージャー、プリン買ってきて。ルルちゃんが食べてたやつと同じの」
「……はいはい。行ってきますよ」
マネージャーは呆れながらも、安堵のため息をついた。 トップアイドルの原動力。 それは、名声でも金でもなく、一人の地味な配信者への愛だったのだ。
エリカはプリンを待ちながら、スマホに向かって小さく呟いた。 「ありがとう、先輩。……先輩のおかげで、今日も私は最強でいられたよ」
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