第52話 【財界の王】ですが、国家予算規模の合併交渉を「3分」でまとめ、孫の配信待機に間に合わせた
「……従いまして、貴社の提示する条件では、合意に至るまで数週間は必要かと……」
ニューヨーク、マンハッタン。 世界的な複合企業との合併交渉の場。 御子柴重工の新社長と役員たちは、相手側の強硬な態度に押され、冷や汗を流しながら防戦一方となっていた。 動く金は数兆円。国のエネルギー政策すら左右する、巨大プロジェクトだ。
その会議室の隅、オブザーバー席に、御子柴 厳蔵は座っていた。 彼は既に代表権を返上し、現在は「相談役」という名誉職と、自身の新ベンチャー『ミコシバ・フロンティア』の社長を務めている。
(……チッ。手ぬるい。あまりに手ぬるい)
厳蔵は、般若のような形相で腕時計を睨みつけていた。 現在時刻は、現地時間の朝6時55分。 日本時間は、夜の19時55分。 あと5分で、愛する孫・小狐ルルの定時配信が始まってしまう。
今日の枠は『レトロゲーム実況』。 厳蔵が最も楽しみにしている枠であり、冒頭の「わこつ」コメントを逃すことは、万死に値する。
(ええい、何をモタモタしておる! ワシは隠居した身。口出しはせぬと決めていたが……このままでは配信に間に合わん!)
相手側のCEOが、嘲笑うかのように資料を叩いた。 「御子柴重工さん、決断できないならこの話は白紙だ。我々は他にも候補がいるんでね」
新社長が蒼白になる。「ま、待ってください! 持ち帰って検討を……」
「待つのは貴様らだ!!」
轟音のような一喝が、会議室を揺らした。 厳蔵が席を蹴って立ち上がっていた。
「そ、相談役!? 口出しはしない約束では……」
「黙れ! 貴様らのご機嫌取りのダンスを見ておれるか! こちとら一分一秒が惜しいんじゃ!」
厳蔵はドカドカとテーブルの中央に進み出ると、相手側のCEOを見下ろした。
「おい、若造。ワシを知っておるか?」
「……もちろんです、ミスター・ミコシバ。ですが貴方は引退したはずでは?」
「いかにも。今のワシは、ただの『ミコシバ・フロンティア』という新興企業の社長に過ぎん」
厳蔵はニヤリと笑い、懐から一枚のメモリチップを取り出し、テーブルに放り投げた。
「だがな、貴様らが欲しがっている次世代エンジンの特許技術……権利を持っているのは、御子柴重工ではなく、ワシの新会社だ」
「なっ……!?」
「この合併は、ワシの技術供与があって初めて成立する。 それを『白紙にする』と言ったな? 上等だ。ならばワシはこの技術を、貴様のライバル企業に売り込みに行くとしよう。 ……向こうは『3倍』の値を付けると言っておったがのう?」
それは、完全なるハッタリであり、同時に真実でもあった。 厳蔵は退任時に、めぼしい特許をごっそり新会社に移していたのだ。
相手側CEOの顔色が、一瞬で土気色に変わった。 この合併が破談になれば、彼らは次世代競争から脱落する。 引退したはずの「怪物」が、より身軽で危険な「ジョーカー」として首元に刃を突きつけてきたのだ。
「……ま、待ってくれ! 話し合おう!」
「話すことなどない! 『御子柴重工の条件を全て飲み、今すぐサインする』か、『ワシを敵に回して破滅する』か! 選べ! 30秒以内にな!」
厳蔵の覇気が、マンハッタンの摩天楼を圧迫する。 相手側は震え上がり、御子柴重工の新社長たちはポカンと口を開けていた。
「……イエス・サー。サインします」
決着まで、わずか3分。 数ヶ月かかると言われた泥沼の交渉が、一人の老人の「早く帰りたい」という執念によって、瞬殺された瞬間だった。
「す、凄い……!」
「さすが相談役! 引退されてなお、この影響力……!」
新社長たちが涙ぐんで駆け寄ろうとするが、厳蔵はそれを手で制した。
「勘違いするな。ワシは自社の利益を守っただけだ。 ……あとの手続きは貴様らでやれ! ワシは『極秘の定例会議』がある!」
彼はSPを押しのけ、脱兎のごとく会議室を飛び出した。
◇
「はぁ、はぁ……間に合ったか……!」
隣の個室に飛び込み、鍵をかけ、震える手でタブレットを起動する。 画面には『配信開始まで あと 00:10』のカウントダウン。
ギリギリセーフだ。 厳蔵は、ネクタイを緩め、数兆円規模の交渉をねじ伏せた剛腕で、優しくコメントを打ち込んだ。
『ミケ: 待機じゃ。今日はドット絵のロマンに浸るとしよう』
直後、配信がスタートした。
「こんばんは、みんな!」
ルルの元気な声が響く。 その瞬間、先ほどまで世界経済を震撼させていた「財界の王」の顔は消え去り、ただの「孫を愛するお爺ちゃん」のデレデレ顔へと変わった。
「うむうむ、今日もルルは可愛いのお。 ……ふん、合併交渉など、この笑顔を見るための『前座』にもならんわ」
彼は祝い酒を開け、ルルのプレイを見守りながら高笑いした。 扉の外では、新社長たちが「相談役の『極秘会議』とは何だ!? まさか大統領と直接会談か!?」と戦々恐々としていることも知らずに。
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