第41話 【何者でもない父】ですが、推しに「いてくれてよかった」と言われたくて、凡人としての最強の誇りを持てた
「……はぁ。俺、場違いだよなぁ」
金曜日の夜。 田中 良太は、家族が寝静まったリビングで、少し奮発したプレミアムビールを開けながら溜息をついた。 年齢はそこそこ。中堅メーカーで課長職を務め、年収はそこそこ。 世間的に見れば、決して悪いステータスではない。住宅ローンを払いながら家族を養い、多少の贅沢もできる「勝ち組」の部類に入るはずだ。
だが、彼が愛してやまない小狐ルルの配信コメント欄において、その常識は通用しない。|財界の王、ITの帝王、マッドサイエンティスト。 彼らは皆、桁外れの「怪物」だ。
「俺の年収、あいつらの秒給にもならないかよな……。 俺みたいな平凡なサラリーマンが、あの円卓会議に混ざっていていいのだろうか」
最近、ルルと怪物たちの会話は高度な技術論や経営論になることも多く、ついていくのがやっとだ。 「そろそろ潮時かな……。俺のコメントなんて、ルルちゃんにはノイズかもな」
自虐的な思考が頭をよぎる中、いつもの配信が始まった。
◇
「こんばんは、みんな……。あのね、ちょっと困ってて」
今日のルルは、眉間に深い皺を寄せ、PC画面と手元の精密機器を交互に睨みつけていた。 どうやら、配信環境を向上させるために、業務用の「防音シールドパネル」を自室に設置しようとしているらしい。
「おかしいんだ。レーザー計測器で完璧に水平・垂直を出して設置したのに、どうしてもパネルの扉が閉まらないの」 「計算上、クリアランス(隙間)は2ミリ確保してあるはずなのに、上部が干渉する。 ヒンジのトルク調整もしたし、フレームの剛性も計算通りなのに……なぜ?」
ルルはエンジニアらしく、徹底的に数値を疑っていた。 「もしかして熱膨張? うーん、室温は一定だ。なら部材の加工精度かな? ノギスで測っても誤差範囲内だし……」
論理の迷宮に入り込み、完全に手が止まってしまっている。 それを見た瞬間、怪物たちが一斉に動いた。
『admin: ……状況解析。パネル自体の歪み係数を再計算する必要がある。……ルル、部屋全体を3Dスキャンしてデータを送れ。シミュレーターで干渉原因を特定する』
『ドクター: 物理的な干渉か? ならば私が開発した「位相すり抜けフィールド発生装置」を送ろう。扉が枠を通過して閉まるようになる』
『ミケ: ええい、狭い部屋でちまちまと! 防音室ごと事前に作って、クレーンで庭に設置してやる!』
『カゲ: 隣の部屋、いえ、上の階と下の階も買い取りましょう。そうすれば防音など不要ですわ』
コメント欄が、オーバースペックかつ力技な提案で埋め尽くされる。 しかし、ルルは困ったように首を振った。
「みんなありがとう。でも、大ごとにはしたくないんだ。 それに、計算上は合ってるはずなんだよ。原因が分からないまま新しいものを使うのは、エンジニアとして悔しいし……」
ルルは「正解の道具」が欲しいわけではない。 「なぜ理論通りにいかないのか」というバグを解明し、納得したいのだ。 しかし、天才たちは「環境に合わせて微調整する」という泥臭い発想がない。「環境ごと作り変える」ことしか知らないからだ。
良太は画面をじっと見た。 ルルの部屋は、築年数の古い木造アパートだ。 そしてルルは、パネルを「完璧な水平」で設置したと言った。
「……あ、そうか」
良太は気づいた。 今、この場でルルを助けられるのは、AIでも財力でもない。 「歪んだ社会や、理不尽な現場で揉まれてきた」、中年サラリーマンの経験則だけだ。
彼は震える指で、キーボードを叩いた。
『リョウタ: ルルちゃん、一旦計算はやめよう。 その部屋、結構古いアパートだよね? もしかして、「床」が傾いてないか?』
そのコメントが、高速で流れるログの中で、ふとルルの目に止まった。
「あ、リョウタさん! ……床?」
『リョウタ: そう。古い建物は、経年劣化で微妙に床や壁が歪んでるもんだ。 ルルちゃんはパネルを「地球に対して水平」に設置したかもしれないけど、 肝心の「部屋」自体が歪に傾いてたら、相対的にズレるよ』
「あっ……!!」
ルルはハッとした顔をした。 完璧な理論値を信じるあまり、前提条件である「足場(アナログな現実)」の不完全さを見落としていたのだ。
『リョウタ: 試しに、パネルの左足の下に、ダンボールか雑誌を挟んでみて。 あえて「水平を崩す」んだ。部屋の歪みに合わせてやる感じで』
「……やってみる。 あえてズラすなんて、気持ち悪いけど……」
ルルは半信半疑で、厚紙を折りたたんでパネルの脚に噛ませた。 レーザー計測器の数値は「水平」から外れ、警告音を出している。 しかし。
カチャッ。
「……閉まった!!」
扉は吸い込まれるように、綺麗に枠に収まった。 ルルは目を見開いて、感動の声を上げた。
「すごい! 完璧に閉まったよ! そっか……『正しい数値』が正解とは限らないんだ。 環境との『遊び』が必要だったんだね……!」
そして、ルルは画面に近づき、真剣な眼差しで言った。
「みんな、色々教えてくれてありがとう。 特に、今日はリョウタさんに救われたよ」
「僕、数字ばかり見て、現実を見てなかったみたい。 リョウタさんの『歪みに合わせる』ってアドバイス、なんだか人生訓みたいで深かったなぁ」
「リョウタさんがいてくれてよかった。ありがとう!」
「……ッ」
リビングで、良太はビールを握りしめたまま、男泣きした。 怪物たちに囲まれて、自分は何者でもないと思っていた。 けれど、「清濁併せ呑む現場の知恵」こそが、この異常な世界における、唯一無二の武器だったのだ。 ルルが求めていたのは、完全無欠な正論ではなく、「歪んだままでも上手くやる方法」という、大人の知恵だったのだ。
コメント欄の怪物たちも、静まり返った後、ポツリポツリと反応した。
『admin: ……環境変数の見落としか。完璧な計算も、入力値が誤っていれば無意味……痛恨の極みだ』
『ミケ: ふん、建て付けの悪い家での対処法か。ワシには一生縁のない悩みだが……見事な機転だ、リョウタ』
『名無し: やっぱりリョウタさんがパパ枠だね! 頼りになる~!』
『リョウタ: (……お前らが浮世離れしすぎなんだよ。でもまあ、今回は俺の勝ちってことで)』
良太は涙を拭い、誇らしげに鼻をすすった。 自分には数兆円の資産も、天才的な頭脳もない。 だが、「現実社会の歪みと付き合いながら、ルルの背中を押す」ことだけは、誰にも負けない。
「……よし、月曜日からも仕事頑張るか」
彼は飲み干した空き缶を、分別用のゴミ箱に入れた。 その背中は、どんなスーパーヒーローよりも大きく、頼もしく見えた。
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