第40話 【支配する令嬢】ですが、推しの「自由」を尊重したくて、鳥籠の鍵を(少しだけ)開けることができた
「……許せませんわ」
影山財閥の令嬢、影山 栞の私室。 壁一面を埋め尽くすモニターには、小狐ルルの過去の配信アーカイブが同時再生されている。 薄暗い部屋で、彼女は紅茶のカップを強く握りしめ、震えていた。
事の発端は、今夜の配信でのルルの一言だった。
『僕ね、今度一人旅に行こうと思うんだ! 温泉に入って、美味しいご飯を食べて、のんびりしたいなぁ』
その言葉を聞いた瞬間、栞の脳内で警報が鳴り響いた。
「下界は危険に満ちています。 交通事故、食中毒、強盗、そしてルル様の清らかな空気を汚す有象無象の人間たち……。 そんな汚泥の中に、私の天使を一人で放り出すなんて!」
彼女の愛は「保護」であり「支配」だ。 ルルは、彼女が作り上げた完璧に安全な鳥籠の中で、ただ笑っていればいい。 外の世界など、彼には必要ない。
「……全力で阻止します。 当日の交通機関を全て麻痺させるか、あるいはアパートのドアを外から溶接してしまえば……」
彼女が受話器を取り、私設部隊に極端な指示を出そうとした、その時だった。
◇
画面の中のルルが、少し遠い目をして語り続けた。
『実はね、最近ちょっと息が詰まっちゃって。 ずっと部屋にいると、季節の匂いとか、風の冷たさを忘れちゃう気がするんだ』
ルルは窓の外を見つめるような仕草をした。
『僕、もっと色んな世界を見てみたい。 自分の足で歩いて、自分の目で確かめて……そうすれば、もっと楽しいお話ができると思うんだ』
『だから、心配しないでね。 鳥さんは、空を飛んでこそ「鳥さん」なんでしょ?』
「……ッ」
栞の手が止まった。 『空を飛んでこそ』。 その言葉が、彼女の胸に鋭く突き刺さった。
彼女は気づいてしまった。 自分が愛しているのは、籠の中で剥製のように動かないルルではない。 世界に感動し、目を輝かせ、生き生きと笑うルルなのだと。
「……私が閉じ込めれば閉じ込めるほど、ルル様の翼は弱ってしまう……?」
それは、彼女の愛の美学に反する。 彼女は支配者だ。支配する対象は、美しく輝いていなければならない。 曇った宝石を愛でる趣味はない。
「……分かりましたわ。 貴方がそこまで『空』を飛びたいとおっしゃるなら、私がその『空』になりましょう」
彼女は受話器を持ち直し、冷徹な声で部隊長に告げた。
「……計画変更です。 ルル様の外出を許可します。ドアの溶接は中止なさい」
「はっ。では、警護はいかがいたしますか?」
「『完全なる自由』を提供します。 ただし――ルル様が行く予定の温泉旅館、およびその道中の交通機関、観光スポット……すべて影山家で買い占めなさい」
「……は?」
「旅館の客は全員、我が家の訓練された劇団員に入れ替えなさい。『善良で無害な一般客』を演じさせるのです。 食事は専属シェフが作り、温泉の成分は事前に私の研究所で分析・浄化しなさい。 虫一匹、細菌一つ、不快な人間一人たりとも、ルル様の半径1キロ以内に入れてはなりません」
彼女は妖艶に微笑んだ。
「鳥籠から出すのではありません。 鳥籠のサイズを、世界規模に広げるだけのことですわ」
◇
数日後。
「みんなー! 温泉旅行に来たよー!」
スマホからの野外配信。 ルルは、美しい日本庭園をバックに、浴衣姿でニコニコしていた。
「すごい偶然なんだけどね、予約サイトを見たら、超高級旅館の『訳ありプラン』が数百円で空いてたの! しかも行ってみたら、お客さんがみんな親切で静かな人ばっかりで、すっごく快適だよ!」
ルルは知らなかった。 その「親切なお客さん」が全員、影山家のSPや劇団員であることも。 「訳ありプラン」が、栞が裏で差額の数十万円を負担している特注プランであることも。 道中の電車が、彼のためにダイヤ調整されていたことも。
「外の空気って、やっぱり美味しいね! 来てよかった! 生きてるって感じがする!」
ルルは深呼吸をして、心からの笑顔を見せた。 その輝きは、部屋に引きこもっていた時よりも数倍美しかった。
◇
栞は、その配信を見ながら、満足げに紅茶を啜った。
『カゲ: ……良い笑顔ですわ。貴方が楽しそうで何よりです』
『カゲ: たまには「外」も悪くありませんわね。……管理下にある限りは』
彼女は少しだけ、鍵を開けた。 それは「完全な自由」とは程遠いかもしれないが、彼女なりの精一杯の「尊重」であり、歪だが確かな「成長」だった。
『ミケ: ほう、手回しが早いのう』
『admin: ……対象エリアの治安レベルが異常値を示している。……カゲ、やりすぎだ』
『リョウタ: (ルルちゃんの周りだけ「トゥルーマン・ショー」みたいになってる……。 まあ、本人が「自由だ」って喜んでるなら、今回は黙っておくか……)』
ルルは、自分の「一人旅」が、数百人のエキストラと莫大な資金によって演出された「巨大な舞台」であることなど露知らず。
「あー、極楽極楽! また明日も、色んなところに行ってみよう!」
そう言って、湯上がりの牛乳を腰に手を当てて飲み干した。 その無防備な喉元も、カゲの作り上げた「世界一安全な空」の下で、完璧に守られているのだった。
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