286.真祖から魔女へ、百十一度目のプロポーズ(炎上)
火事により、まだ騒がしい中央付近の市街地を抜けて、私たちは比較的静かな裏路地に入る
アンデッドの脅威も、火事とも一番離れた場所はいたって静かであり。
街の人々は家事も襲撃も知る由もなく、幸福な夢の中で明日への英気を養っている。
「……何もなければ……いい街なのにね」
観光名所というだけあり、街並みは月明かりに照らされ、独特な白と黒の配色が、妖しくもどこか神々しい風景を作り上げ……私はそんな街を嫌いながらも、その光景には素直に感嘆のため息を漏らす。
「ただ何も彼らは知らないだけ……本当は優しい人たちなのよ?」
「なんでジャンヌは、この街で僧侶をやろうと思ったの?」
夜風は私をそっとなで、心を落ち着かせる。
「なんでかしらね……きっとロバート様にあったせいだわ」
「ロバートって、あのリルガルムの?」
意外な名前の登場に、私はきょとんとして問い返すと、ジャンヌは口元を緩めて続ける。
「そう、部族戦争を平定させて……平等な国を作った……そんな彼に一度だけあったことがあるのよ。 まだ若い時で、英雄王になる前の……ただの英雄だった時」
「何があったの?」
「彼は言ったわ……俺には希望があるって。 いつか五部族だけではなく、全ての部族がみんなで笑いあいながら酒場で酒を酌み交わし……舞踏会でダンスを踊る国をつくるんだって……私はその時、その愚かな英雄を馬鹿にした……そんなことできるわけないって。 見た目も、生まれも大きさも寿命も違うのに、分かり合えるはずがない……何もわからない人間が、妄言を振りまいていると憤りさえ感じた……だけど」
「その希望をロバートは現実にした」
「そのとおりね……王都リルガルム。 ドワーフが街をつくり、エルフが町に光をともし……ハーフリングが町を彩っては、ノームが作った楽器を操り人々が歌を歌い舞踊る……それだけじゃない。 人狼族が町一番の商店の看板娘をして……レオニンが騎士団長を務めてる」
そんな国は……恐らくこの世界に二つとは存在しない。
「そういうと……すごいよ。 みんなとっても幸せそうに笑ってるんだ……」
「ええ、ただの人間……あんなに寿命の短い英雄さんが……たった十数年で成し遂げた理想郷。 なら……彼らの数倍の寿命がある私は……一体どれだけのことが成し遂げられるのかしら」
「ジャンヌ……もしかして」
「ええ……私には希望があるの……この街もきっと……王都リルガルムのように平等でみんなが笑いあえる時が来ると……だけどロバートと私は違うわ……彼は力で平和を勝ち取ったけど……私はこうやって、みんなを笑顔にしながら……ロバートをも超える理想郷を作りたいの」
ジャンヌは少し恥ずかしそうに自らの理想を語る。
その姿は月夜に照らされて……本物の聖女様のように見えた。
「すごい……すごいよジャンヌ……」
その意思の力に……その彼女が抱く理想の大きさと、成し遂げようとしていることの大きさに……私はただただ彼女への畏敬の念を膨らませる。
「え、えへへ……ごめんなさい、なんか語っちゃって……偉そうにしてごめんなさい」
「ううん! すごい……すごいよジャンヌ!」
はにかむ彼女に対して私はそんな陳腐な感想しか漏らすことができない。
それほど彼女は素晴らしく……心の底から彼女の理想を私は応援したいと思っていた。
だが。
「ほう……なれば貴様の願いとは……この街の破壊……ということだな」
そんな水を差す、血なまぐさい声が響き……私はふと背筋に悪寒を感じる。
忘れることのない、何もかもをあざけるような傲慢で不遜なその声に、私は吐き気と怒りを覚えながら振り返ると。
そこには、当然のように吸血鬼が立っていた。
「……ブラド……さん?」
ジャンヌは驚いたような声を漏らし……きょとんとしたような顔をする。
「一日ぶりだな……聖女よ」
「あ、ええ」
警戒心を抱かないジャンヌに対し、男は気軽に片手を上げると……一歩前に踏み出そうとし。
「近寄らないで!!」
私はその足元に火柱を打ち上げる。
「シオン!? 一体何を?」
突然のことに、ジャンヌは戸惑うような声を上げるが、私はそれを無視してその怨敵を凝視する。
「……ふー……ふー……」
見つめているだけで、頭がいたく……傍にいるというだけで息が苦しい。
「……久方ぶりの再会だというのに……随分と手荒い歓迎だな……我が妻よ」
「つ、つま!?」
「うるさい! ジャンヌを……私の親友をどうするつもりなの!?」
「おいおい落ち着け……私はただの客人だ……神に祈りをささげる吸血鬼がいたとしても……不思議ではあるまい」
「あんまりふざけるようだと……舌の根と眼球交互に焼き尽くすよー!」
奥歯を噛みしめて私は全力で魔力を練り上げる。
「まったく、あいも変わらずお前は我に対して手厳しいなシオン……」
ぽりぽりと頭をかき、吸血鬼は大げさにため息をつくモーションを取る。
「私の命を何度も狙って……私の人生をめちゃくちゃにしたあんたが……」
「ちょ、ちょっと……ブラドさん? シオン……どういうことなの?」
状況がうまく呑み込めないのか、ジャンヌはきょとんとした表情でそう私たちに問いかけると……私の怒りなどお構いなしといった様子で目前の男は手を打ってジャンヌの質問に答える。
「おぉ、そうだったな……まずは事情があったとはいえ素性を偽っていたことを謝罪させてもらおう聖女殿……私は敬虔なクレイドル信者でもなければ人間でもない……我は真祖の吸血鬼。名をブラドD アルカード・ドラキュエルという、ただいま巷を騒がせているアンデッドの襲撃を指揮している者の一人だ」
「貴方が!? え、でもどうしてシオンを?」
「この男に……ずっと付きまとわれてるんだよ……」
「ざっと百年程な」
「な、なんで!?」
「ふふっ……それは我がこの深紅の花嫁を愛しているからだ!」
「誰が花嫁か! 気を付けてジャンヌ……この男は、気に入った女の血を吸って……自分の傀儡にして傍に侍らせるのが趣味のド変態野郎なんだから―!」
「そ、そうなんですか!?」
そんな私の忠告に、ジャンヌはようやくこの男の危険性に気が付いたのか、慌てるように身構える。
「なぜ貴様はそうも私を毛嫌うのだ……十年前も……うまくリルガルムに逃げられた時はもはや諦めかけていたが、だがこうして二人はまた再会をした……どうにも我とお前はやはり数奇な運命にあるようだなシオン」
「そんな運命反吐が出るし……アンタの場合粘着してストーカーしてるだけでしょー!暇人!」
「なんだばれていたのか。 だが仕方あるまい。 この熱情はもはやおさまることはない……貴様という宝玉を前にして……真祖であるこの我がなぜ渇きに耐うることができようか」
笑みを零し……吸血鬼はそう不快で耳障りな声を並べたのち。
「っではまたさっそく!」
男は一つ咳ばらいをすると、私に向かって手を差し出し。
「いーよもうそれ! やんなくて!」
「いいや! やるね! 百十一度目のプロポーズだ! 我が妻となれ……シオン。 我は決して貴様を孤独にはせん……お前の全てを受け入れてやろう!!」
そう、何度と聞いたプロポーズを言い放つ。
「お断りだよー!! 消え失せろー!」
もはや私の怒りは限界であり、ふざけた様子のその男に対し、練り上げた魔力全てを用いて……火柱を真祖の吸血鬼へと打ち込むのであった。




