173.手術室と神物語
カルラの誘導に従いながら、僕は迷宮三階層を歩く。
辺りには機械人形の残骸と罠解除の跡がしっかりと残っており、僕は安心しながら――命令に忠実に従い、ホッピングしながらついてくるシンプソンを後ろに連れて――その手術室と言われる場所を目指す。
「よく、手術室っていうものを知っていたね」
鉄の時代に存在したと言われる、人を原始的な方法で治療をする場所、手術室。
魔法も奇跡もなく、死んだ人間は生き返らなかった過去……人は切られた部分は縫い合わせたり、無くなった臓器はほかの人間のものを切り取って代用していたと歴史の本には記されていた。
迷宮冒険者の中には、迷宮にて魔法が使えない状況に陥ったときの為にその療法を習得しているものもいるということだが、まず日常生活でお世話になることはないものだ。
だから僕は手術室というものを知らないし、手術室を見つけてもその場所が手術室だと気づくことはないだろうと思っていたため、最悪三階層の罠をすべて解除してからシンプソンに部屋を探させるつもりであったのだが、カルラが手術室というものを知っていたらしく、まだ半分も罠を解除していない段階で手術室を発見してくれた。
「い、いえ……わ、私も手術室っていうのは……その、よくわからないです」
しかし、カルラは僕の言葉に慌てて首を横に振った。
「あれ? 知らないの? じゃあどうして手術室を見つけられたの?」
「そ、それは……書いてあったから」
「書いてあった?」
「は、はい……これです」
疑問符を浮かべる僕に、カルラは少し力弱く、迷宮の部屋の扉の上を指さす。
僕はそんな少し弱り始めているカルラの体調を案じつつも、指示された指の先を見ると、鉄でできた扉の上に、ネームプレートの様なものが掲げられており、そこには確かにリルガルムの文字で。
【しゅじゅつしつ】
と書かれていた。
「なるほどね……これは確かにまごうことなき手術室だ」
「は、はい……なな、中には……罠は仕掛けられて居ません……か、確認しました……。
医薬品や、どど、道具なども……そ、その、ぶぶ、無事見たいです……だけど……い、いえ、やっぱり何でもないです」
カルラはそういうと手術室の扉を開け、僕たちはホッピング神父を連れて手術室へと侵入する。
中は消毒液の様な香りが充満しており、同時にあちらこちらに何か黒く変色したもともとは液体であったであろう者が床や壁にこびりついている。
「な、汚っ」
僕でもわかる。
こんなところで傷口を縫い合わせたら、確実にカルラは感染症にかかって死ぬ。
というか手術道具も何から何までさび付いているし、寝かせるためのベッドもボロボロである。
「そんな」
考えてみれば当然だ……何年も使用されていなかった迷宮の一室。
そんな場所が清潔な状態を保てるわけがない……。
今から手術ができるように清潔にしようとしても……ただの部屋の掃除とはわけが違う。
簡単にできるわけもない……。
それに、さび付いた道具はどうしようもない。
僕はそんな状況に一瞬絶望をしながらも。
「カルラ、シンプソンの呪いを解いてあげて」
シンプソンの言葉を信じてみることにする。
いくらシンプソンがダメな奴だとしても、この状況を予想していなかったとは考えにくい。
絶望的な状況であるが、もしかしたら彼が打開策を持っているのかもしれない。
「わ、分かりました」
カルラはそういうと、シンプソンの呪いを解除し。
「ぷっはーーーーー!? しんどかった――――!? 足パンパンですよ! どうしてくれるんですか! 足パンパンですよ! お金かからないからいいですけど! 明日筋肉痛ですよ! ってありゃ? ここは………」
解かれた瞬間にまた騒がしい声を上げて神父シンプソンが復活を遂げる。
「シンプソン、君の言った通り手術室に連れてきたよ……」
「おぉ! 私がホッピングをしている間に、手術室を発見するとは、時間もいい感じです! さすがはマスターウイルといったところですね! お任せください、少女の命、私が必ずやつなぎとめて見せましょう! ええ! やると決めたら絶対にやり遂げる、それが私の美学ですからね」
シンプソンは一度手術室を見回すと嬉々として器具やベッドなどのセッティングを始める。
まるでさびや汚れなど一切気にしていないといった様子だ。
「え、えと……そ、そ、それは」
カルラは鼻歌交じりに取り出した一本の刃物を指さし、恐る恐る問いかけると。
「おやおや? 知らないのですか? これはメスと呼ばれるものでしてね……」
「い、いえ、用途はだいたいその……わかるのですが……それ、すごい錆びて」
年季が入っているのか、そのメスはさび付いており、ここんなもので人の体を切り裂いたら間違いなく死んでしまう。
しかし。
「あぁ、汚れですか? 大丈夫ですよ。 私にとってそんなものは……ただの幻想にしか過ぎないのですから」
シンプソンは相変わらずの胡散臭い笑顔を振りまき。
奇跡を発動する。
【古き革袋に新しき葡萄酒を淹れるべからず……古さとは即ち損を得る大罪である。新しき葡萄酒には新しき袋を……古き革袋は奇跡をもってその大罪を祓わん。我は大罪を赦す神の使途、クレイドルの名をもって古きを新しきに替える神の役目をここに果たさん】
【神物語】
そう一言つぶやく……。
瞬間。
「なっ!?」
「えっえっ? ええぇ!?」
その場にあった部屋、そして古くさび付いたメスや手術道具と思しきもの全てが一瞬にして銀色に光り輝き、薄暗く赤茶けた部屋が、まるで異世界に来てしまったかのように真っ白い部屋へと変貌してしまう。
僕はテレポートでもシンプソンが使用したのかと思い、外に出てみると、そこには先ほどと同じ迷宮三階層がそこにはあり、けたたましい駆動音が続いている。
「い、一体何をしたんだい? シンプソン」
「第十三階位奇跡魔法……【神物語】です……クレイドルが起こした奇跡と教えを唱えると、その部分が現実になる。要は聖書の再現が可能になる奇跡です……相当の魔力、そしてマスタークラスの僧侶にしか扱えない奇跡なはずなのですが、どうにも私は生まれながらにして扱えるみたいです。 なんでもクレイドル教会のお偉方によれば、神への最大限の信心と教えを忠実に守り続けてきた人間にしか舞い降りない魔法であるとのことですが……私が現時点で使えている時点で、老人の妄言でしかありません……本当、胡散臭い宗教ですよクレイドル教っていうのは」
恐らくあんたにだけは言われたくない言葉だろうなと僕は一瞬口をついて出てしまいそうになるが、僕はそれを飲み込む。
「ほ、本当に……シンプソンさんは、クレイドル神に愛されて……いるんですね」
「これほど世界が理不尽だと感じたことはないよ」
そう僕は小声でカルラと言葉を交わすが、神父は聞こえていないのか気にしていないのか。
「マスターウイル……カルラをこちらに」
先ほどまで白目をむいてホッピングをしていたくせに、神父は格好をつけてカルラを手術台に乗せるように僕に指示を出す。
「はいはい」
機械の照明が台の上には輝いており、カルラは一瞬まぶしそうに眼を細めた。
「不安かい?」
「す、少し……でも、頑張ります……」
「うん……大丈夫、きっと大丈夫だから」
「はい……ウイル君、ありがとう」
別れ際、少し僕の服の袖を握ったカルラに僕は語りかけると、カルラは弱弱しくも、しかししっかりとそう僕の言葉に返事をする。
「では、これから患者に行う手順を説明しますので……マスターウイルは出来ればお外でお待ちください」
「隣で見ているわけにはいかないのかな?」
出来れば、カルラのそばを離れずに元気づけてあげたいと思ったのだが、それにシンプソンは首を横に振るう。
「自らの切り刻まれる姿をみられるのを、レディが望むとは思えません」
シンプソンがきざったらしくその言葉を発するのは少しイラっと来たが、奥にいるカルラが恥ずかし気にうなずいている姿とその言葉に僕は、確かにねとつぶやいて……外に出ることにする。
「任せたよ、シンプソン」
「お任せください……私は必ず、やると決めたことは達成する……そういう男です」
何も心配することはないだろう。
なぜなら、いつもは金に目がくらんで曇っているシンプソンの瞳が、僕に語りかけたあの時だけ本当に神に愛された人間という言葉がぴったりに思えてしまうほどに、透き通り輝いていたのだから。
「手術を始めます」
シンプソンのそんな言葉と同時に僕は、迷宮三階層手術室の扉を閉め、手術の終了を待つことにするのであった。




