第二十七章 本当の、胸の内
――最期くらい、言ってもいいかなあ……俺の……本当の、胸の内――。
蒼ざめる幹部の面々と、迅速に懐へ手をしのばせる用心棒達。多人数のSITが一斉に狭いホールへなだれ込む。迅速な動きを見せた用心棒の一人がテーブルをスライドさせて侵入路を封じ、SITの侵入を一時的に阻んだ。同時に幹部達はボディーガードに守られた状態を維持しつつ、個々にテーブルを盾代わりにSITからの銃撃に備えた。上座に近い席にいた海藤親子は、扉から一番遠くに位置していた。海藤組のボディーガードは扉付近を固めていた為、その場でSITに取り押さえられていた。辰巳が海藤を背にテーブルを立て、これから降り注ぐであろう銃弾を防ぐ。高木が一旦制止の合図をSITに送ると、しばしの間でしかないであろうが、場内が膠着状態に陥った。
「どういうことだ」
海藤のその声とともに、硬質の異物がテーブルを支える辰巳の背中へ静かにあてがわれた。
「……守ってくれるんじゃなかったんっすか?」
「お前はこの私を何度たばかれば気が済むのだ」
「まさか。高木があんなにたくさんお友達を連れて来るとは思わなかったんですよ」
背後にいる海藤からは、辰巳の手許がその身体で遮られて死角になっている。テーブルを支える手が多少動いたところで、海藤の視界にそれが映ることはないだろう。
(……潮時だな)
辰巳は長年固く封じて来たものを解き放ち、リミッターを自ら切った。
遠い遠い、古い記憶。遡るほど増幅していく唯一つの激情。それが徐々に辰巳の脳や心を支配していく。そっと右手を懐にしのばせ、脇腹から背後に射撃した。
――パ――……ンッ!
「まずは母さんの分。母さんは貴様の愛人にその道筋で刺されたんだよ」
その銃声が、SIT襲撃の合図となった。会場に銃声と怒声が入り混じる。豪奢なカーペットのベージュ色が、銃創から溢れる鮮血で紅に染められていく。悲鳴とともにどさりと倒れる鈍い音や、SITの防具がせわしなく立てる金属のこすれる音が耳障りだった。多数が放つサイレンサーの装備されていない銃声は、ホテル内の人間を建物外へと追いやっただろう。
混乱する場内で、海藤父子の静かな戦いが幕を開けた。
生温かい感触が不規則に背中を覆っていく。至近距離で放った辰巳の銃弾が、海藤の身体を捉えたと辰巳の背中に伝えるその感触を得ても、何一つ達成感など感じなかった。
テーブルを背にして流れ弾を防御しつつ、俊敏に海藤へ向き直る。現実を受け容れられずに目を剥く海藤の脇腹からは、鮮血が噴き出していた。
続けざまに発射した二発目は、彼の右手を撃ち砕いた。
「き、さま」
「ニ発目は、赤木の分。年は取りたくないねえ。全然、動きが鈍いじゃん」
三発目は、みぞおちに。
「これが加乃の分。加乃への最初の一発はそこを撃った。あいつの痛みを思い知るがいい」
膝を折った海藤が、ごぼっ、と血を吐き出した。辰巳の脚も同じ色に染まり、肌に不快なぬるさを伝えて来た。
「四発目。市原と幼馴染のよっちゃんの恨み」
右肩に至近距離で撃ち込んだ弾は、仇をその痛みでのけぞらせた。
「待……て……」
仰向けて崩れていく海藤に時間を与える気など更々ない。
「五発目。高木の奥さんの分。一般人を巻き込んだ報いを受けろ。それが仁義ってものだろう」
左胸、わずかに心臓をずらして銃口をこじ当て、直接弾丸を撃ち込んだ。
海藤の声はほかの銃声で聞こえないほどか細かった。辰巳は既に主が握ることのなくなったトカレフを気だるそうに左手で拾い上げた。
「ラスト」
意図せず声のトーンが下がる。
「克美を俺の鈴なんかにしようとした罰」
おかしくもないのに口角が引き攣り、上向く。それは辰巳にとって最も赦せなかった罪だ。
あんなに小さかった彼女に心の傷を負わせたこと。その上、まだこれから先も彼女を傷つけ続ける気でいたその邪念。
「貴様の罪は、本当ならその命なんかですら購えないほど、重いよ。先に地獄へ逝ってな、クソ親父」
「た、つ……はな、しを」
今さら話すことなどなかった。辰巳は両手に構えた二挺の拳銃に掛けた指先に力を込めた。
二発の弾丸が、同時に海藤の脳天目掛けて飛んでゆく。ほんの刹那のはずなのに、辰巳のグリーン・アイズにはその映像がストップモーションのような緩慢な動きに映っていた。
邪心でゆがんだ光を発していた海藤の眼の色が、これまでの半分にも満たないほどに澱んでいく。それが恐怖の色へと変わり、次第に瞳孔が広がっていった。海藤のトカレフに仕込まれていた残り四発も打ち込んで止めを刺した。硝煙が鼻をつくツンとした感覚にわずかばかりの不快を覚えるだけだった。黒い虚空を思わせる円が海藤の眉間と額にめり込んでいく。脳天目掛けて放った残りの三発が、彼の脳髄と鮮血を爆ぜ散らかした。それらが最期の足掻きと言わんばかりに辰巳を襲い、その全身を鮮やかな紅に染め上げた。
「……あっけないな。これだけのことだったのか」
そう呟く辰巳の声は、あまりにも乾いていた。
「辰兄っ!」
その声が、夢うつつに近い不可思議な状態にあった辰巳を現実へ無理やり引き戻した。
(総司!? あのバカ)
一瞬無表情の仮面が剥がれる。実戦経験のない彼に見せたくなかったこの光景。恐怖から既に血色をなくした顔で見つめる彼を、どうこの場から逃がすべきなのか。
「そこまでだ、市原」
背後から届いた馴染みのあるその声が、辰巳の思考をストップさせた。彼の方へゆるりと視線だけを上げていく。
「手を、挙げろ」
自分に狙いを定めて拳銃を構えたまま命じる高木の耳許に気づく。インカムの存在が、SITや対策本部へこの会話を筒抜けにしていることを知らせていた。
血の海の中、二人向き合い至近距離で銃口を向け合う。扉のすぐ向こうにはSITが寸分の隙を狙って遠巻きに待ち構えていた。高木の構えた拳銃に対し、辰巳は二挺拳銃を構えていた。
「現場の指示を優先しろ!」
高木がインカムから流れて来る本部からの狙撃指令を制し、SITへ叫んだ。辰巳はそれを銃先で跳ね除けて踏み砕くと、高木が彼らに届かないほどの声で辰巳だけに語り掛けた。
「……終わったな」
そう語る高木の口許は、SITからは腕に隠され読唇の心配もない。辰巳はグリーンの瞳に偽りの敵意を浮かべたまま、彼に小声で確認を取った。
「あなたが現場で指揮を執っているということは、やっぱり本庁に俺らの計画がばれちゃったんですね」
高木は「ご明察」と言う代わりに、辰巳を睨んだまま片方の眉を吊り上げた。
「辰巳。私の十六年前の気持ちは今も変わらん。目的を果たせた今、妻も子も奪われたこの世に未練はない。だがお前には克美君がいる。やはりお前は……生きろ」
自分を人質になんとしても逃げ切れ、部下をSITに紛れ込ませていると高木は言う。言外でまだ自分を説得する彼へ答える辰巳の面に、隠し切れない感情を滲ませた苦笑が浮かんだ。
「部下と連絡取れるのかな。そこの柱の影に隠れてる子。俺じゃなくてあの子を助けてやってくれないかな。赤木の息子なんだ、あれ」
高木が苦悶の皺を眉間に寄せる。その小さな所作が、一人分しか彼の手札がないことを辰巳に覚らせた。
「撃ってやるよ、高木さん」
宣言する。左右非対称の、狂人の如き醜い笑みを浮かべながら。
「お互い、復讐の為に手を穢し過ぎちゃったよね。俺以上にあなたの方が、そんな穢い手で生きながらえるのが辛いでしょう」
そう言う辰巳の方が、乾いた返り血で純白のスーツをどす黒い赤に変えていた。
高木は警察上層部の黒い陰謀に嵌められることになるだろう。警察の面目の為、敵対関係にある自分と通じた罪で、国そのものから闇へ葬られるに違いない。この場で混乱に乗じて、という形で。本部がSITの長へ密かに命じると予測が出来た。それであればいっそのこと――。
「あと一発しかないんだ」
沈痛だった高木の表情が、ほんのわずかだけ明るいものになった。彼が瞬時に何を企んだのか、辰巳は容易に想像がついた。
「あなたが一度は所属した警察の面目とやらを保ってやる為にも、あなたは殉職ちっくに逝こうよ。十六年前の計画どおり、ちゃんとあなたも俺を撃ってね」
浮かべた微笑は、結局巧く狂人を装えなかった。長年連れ添って来た友を失う事実と、逃れようのないもう一つの事実。それが辰巳に、言葉では語り尽くせないほどの想いを宿す表情しか浮かべさせなかった。
「拒否する、と言ったら?」
「あいつのところへ帰るには、俺、あんまりにも自分を血で穢し過ぎちゃったんだ。だからもう、俺があいつのところへ帰ることはない」
「辰巳――巻き込んで、済まなかった」
パ――……ンっ!!
“一発”の銃声がフロアに轟いた。戦友のくずおれていく姿がグリーン・アイズに刻まれる。それは次第に靄の掛かった、水槽の中から覗くような映像へと変わっていった。
「やっぱ撃たないと思った。今度は地獄でコンビ組もうぜ、高木さん」
SITが一斉に辰巳の許へ押し寄せる。視界の片隅に映る総司にほんの刹那視線を向けて、彼に別れの微笑を返した。
(総司、見届けてくれてありがとさん。今の内に逃げな)
唇でそうかたどった。
ほんの数秒の出来事が、辰巳にはとても長く感じられた。周囲と自分の時空がゆがんだように、時の流れがゆっくりに感じられた。
総司と自分の間に立ちはだかった一人のSIT隊員がこちらを振り向いた。ヘルメットのゴーグルを上げて見つめるその隊員のつぶらな瞳が、今にも溢れそうなほど潤んでいた。
(ああ、あの子が高木の)
彼が高木の部下だと判り、潤んだ瞳の彼に小さく首を縦に振って総司を託した。
これで辰巳の想定外に降り掛かった懸念が完全に消え去った。
笑みを湛えたまま、ゆるりとトカレフの銃口を自身のこめかみへあてがう。辰巳の頬に一筋の未練が伝った。その生ぬるい感触が、しめつける想いをより一層募らせていく。
「ホントは弾、残ってたんだ」
引き金を引くその刹那、最期に辰巳が思ったこと。走馬灯のように駈け巡る、甘く儚い温かな思い出。
――最期くらい、言ってもいいかなあ……俺の……本当の、胸の内……。
めくるめく長い時間、それでいてほんの束の間の十七年。
彼女がたくさん掌に綴った、指文字のくすぐったい感触。
幾度となく繰り返された、「だいすき」と囁く甘い声。
何度も交わした、小鳥が啄ばむような優しく淡い“家族”の証。
二人を常に包んだコーヒーの芳香。
屈託なく高らかに響く、無邪気で明るい笑い声。
砂糖がたっぷりの生クリームがとろけるような、甘く優しく穏やかな時間――そのすべてが……。
「克美……」
迫り来るSITに捕らわれるより一瞬早く、辰巳は“本当の胸の内”を言葉にすることのないまま、その引き金を一思いに引いた。
キッチンの最上部に置いてあった辰巳専用のマグカップが、がしゃんと派手な音を立てて落ち、割れた。克美はその音に気付いたものの、まだ立ち上がれないでいた。もう吐き出すものなど何もないのに、やむことなくこみ上げる嘔吐の苦しみ。それともう一つの悲報の所為で、涙を止めることが出来ないでいた。
不意に店のドアベルが鈍い音色で部屋まで響いて来る。どうにか動いて店まで出ると、そこには貴美子が立っていた。
「克美……よかった、いてくれて」
「貴美子さん……。高木さんが……。辰巳は……」
克美はそれ以上言葉に出せず、彼女の胸に倒れ込んだ。
目覚めると既に朝を迎えていた。取り急ぎソファに寝かせてくれたらしい。貴美子は向かいのソファに腰掛け、昨日起きた銃乱射事件の続報を寝不足気味のぼんやりとした目で眺めていた。
「いてくれたんだ」
そう呼び掛けて身体を起こしたが、再び吐き気に襲われた。
「寝ておきなさい」
気付いた貴美子が素早く克美の隣へ移動し、背をさすって動きを制した。彼女の視線がテーブルの下に置きっぱなした検温表に釘付けになる。それを目にした瞬間、克美は思わず肩をすくめて彼女の顔色を窺った。
(どうしよう……見られた)
「高木さんが望んだことよ、この結末は。彼の奥さんのことは、話したことがあるから知ってるでしょう?」
貴美子は検温表については一切触れずに視線をそれから逸らし、克美が言葉を発する間もないほど手早く辰巳に託されたというメッセージを克美に伝えた。
「それと、辰巳の方は大丈夫。報道を見ていたんでしょう? アタシが来たのは、辰巳から預かってるものを渡す為」
そう言って書類の入った会社の封筒を手渡した。中には、初めて見る自分の戸籍謄本の写しと店の登記の写し。そして、懐かしい文字で『克美へ』と記された封書が一通入っていた。
同封されていた辰巳からの手紙を読んでいる内に、穏やかで安堵に満ちた感覚に包まれていく。それが顔に出ていたのだろうか。貴美子が
「なんて書いてあったの?」
と訊いて来た。問い掛けた貴美子の表情を見た途端、克美のわずかに上がった口の端が、意図せず引き締まってしまった。
「……」
すぐに言葉が出なかった。彼女の笑みを湛えた口許とはちぐはぐな瞳の潤みを見てしまったら。無意識に考えることから逃げていた。彼女の恋がまだ終わっていない可能性について。自分と加乃の存在の所為で、彼女にその恋を断ち切らせたかも知れないという罪悪感が、克美の口をつぐませた。
貴美子がはたと気づいたような、目を見張る仕草を見せた。それから小さく鼻で笑い、克美の頭をそっと撫でた。
「あいつが帰って来るまでは、何かあればアタシかくぅに連絡しなさい。……おめでと。もうあんた一人の体じゃないんだから、やせ我慢するんじゃないわよ」
ふわりと優しく抱きしめられる。甘い薔薇の香りが克美を包んだ。頭上から、辰巳に対する苦情の言葉が矢継ぎ早に降って来る。肝心な時にいないなんて、とか、いつ帰って来る気なんだ、とか、子育ての大変さを解ってなくて無責任だ、とか。
「……でも、ちゃんと克美と向き合ってから行ったなら、しょうがないからあいつを赦してやることにするわ」
そのあとに続いた克美の髪を揺らす「よかった」という一言が、克美の懸念をほんの少しだけ軽くさせた。
(ごめん、貴美子さん。もしそうだとしても……辰巳との約束を、守りたいんだ)
それでも拭い切れない罪の意識を、作り笑いで濁して顔を上げる。
「事件を起こす前に、高木さんが辰巳を逃がしてくれた、って書いてあった。帰るまでに調理師の免許を取っておけ、だってさ」
「あいつ、バカ? 身重にさせた挙句店に勉強にって、無茶を言い過ぎでしょっ」
貴美子の憤慨振りを見て、逆に笑えてしまう。その軽さが辰巳の存在を信じさせてくれる。
「あいつ、また雲隠れだよ。また二十年近く帰って来ないつもりじゃないだろうな」
でも、生きてさえいてくれたら、待てる。そんな期待が克美の口角をゆるりと上へ向かせていった。
「よかった……」
呟くと同時に、涙が零れた。
「別の名で生きているから戸籍の死亡を見て泣くな、ですって。随分前に戸籍の売買をしてあったみたいね。十年以上も前から、あいつったら死人扱いになってるじゃない」
貴美子が笑って毒を吐いた。
自分も唇は笑んでいるのに、零れ出したら止まらない。
「でも、高木さん……っく……」
幼い頃から見守ってくれた大切な人が逝ってしまった。
「泣くんじゃないの。高木さんは……やっと奥さんと一緒になれるのよ。時には生きる道の方が地獄、ってことも、ある」
悲しむのは高木の本意ではない、と彼女は言う。自分より間近にいて同じ大人としての視点で彼と関わって来た彼女だからこそ、そう考えられるのだろうか。克美には、どう気持ちの整理をつけていいのか解らなかった。
「貴美子さん……ごめんなさい……」
何について謝っているのか解らないまま、何度もそう詫びながら彼女の胸を借りて、思い切り泣いた。
貴美子は克美に、これまでで最も真に迫った微笑を見せ、喫茶『Canon』をあとにした。
早朝の裏路地にヒールの音が力なく響く。『Canon』の窓が見えなくなると、その音がぴたりとやんだ。
「……っ……」
膝を折って路面に両手をつく。貴美子はその場に崩れ落ちた。
ほどなくバッグの中から携帯の着信音が鳴り響く。携帯電話と一緒にハンカチを取り出し、確認しがてら目頭を拭った。ディスプレイには「安西穂高」の文字。もう一人の心配の種にも一大事が起こったのかと思うと腹の底が一気に冷え、急いで通話ボタンを押して応答した。
「はい、久我」
『朝早うにすみません。穂高です。翠がニュースを見ていきなり久我さんに会わなあかん、言うて、微熱があるのに利かへんのです。申し訳ないんですけど、来てもろうて構いませんか』
「今、克美のところから帰る途中なの。直接行くから寝ておきなさいと伝えてちょうだい」
穂高にそう伝言をして通話を切ると、貴美子は頬を思い切りパンと叩いた。挑む視線で空を仰ぎ、勢いよく立ち上がる。カツン、とヒールが路面を強く叩き、貴美子に再始動のゴングを打ち鳴らした。
「ったく、あんたってば、最期までアタシに弱音を吐かせない気ね。むかつく」
天に向かって毒を吐く。最後の一雫が目尻から零れ、途絶えた。
仰いだ視線を駅方面に戻し、口許をきゅっと引き締める。カツ、カツ、カツ、という靴音が人気の少ない駅前大通で軽快に響き、その音は次第に駅の方へと消えていった。
穂高は慣れない手つきでコーヒーを淹れると、機転を利かせて出ていった。貴美子は苦笑しながら
「あの心配性、その内あんたの所為ではげるわよ」
と翠を優しく叱咤した。
「殉職した刑事の写真を見ました。あれはアタシの知っている高木さん、ですよね。昨日の内から克美ちゃんのところへ行っていたっていうことは……貴美子さん、何を知っているんですか?」
翠は嗚咽を殺し、途切れながらも貴美子に核心を突いて来た。
貴美子の手にしたカップが、かちんと嫌な音を響かせた。
翠には隠し切れない。また、彼女には知る権利とともに知る義務もある。何をどこまで話し、どう伝えるべきか。理性と感情を切り分けようと、煙草に思わず手が伸びた。だが、どうも吸う気にさえなれず、手にしたライターを無駄にカチカチと鳴らして弄ぶ。
(迷っていても仕方がない。いずれは解ることだわ)
克美と違い、翠は高木本人だけではなく、彼の部下ともこれまでにやり取りがある。東京にいるので克美より情報の伝わり方が早い環境だ。他人から漏れ聞くよりは自分から伝えておくべきだと結論づけた。
「くぅ、アタシ達は、泣いてる場合じゃ、ないの」
一度言葉につかえてしまう。大きく息を吸い、そして、吐いた。貴美子は彼女の心の傷を憂慮しながらも、彼女の中にある穂高の存在の大きさを信じることにした。
「辰巳が、死んだ」
貴美子は辰巳の十六年越しの計画を翠に語った。翠自身が知らない内に、少なからず関わっていたということも。それほど翠の存在が克美にとって大きいということを伝えたくて。翠にも、自分と一緒に彼女を支えていって欲しい、それが辰巳の遺言だと翠に伝えた。
「あんたには穂高がいるけれど、あの子にはもうあんたしかいないの。……あの子には、時間が流れるまでは、知られないように……アタシ達が……」
それ以上言葉を紡げない。限界に達していた。唯一辰巳の死を分かち合える翠に、すべてを話して気が緩んでしまったのかと思うほど。
「ごめ……ん、くぅ。……っ」
――辰巳を止めることが出来なかった。
初めて翠に弱音を吐いた。自分の非力さを罵った。貴美子は溢れてやまない涙を流し、ようやく本当の胸の内を他者に吐き出せた。




