青い花の咲く頃に
ある日の散歩にて
朝食を終えた後、部屋に戻ろうとするリンドにキリアンが声をかけた。
「リンド、庭を歩いてみないか? 今日は天気もいいし、少し外に出るのも悪くない」
「……はい、行ってみたいです」
「日傘はもうなくても大丈夫かな、そのまま行こう」
窓の外を見て日差しの強さを確認したコンラッドがリンドを促した。
廊下の途中、リンドの診察のために来たイアンと出会したため、そのままイアンを庭に誘った。
四人でゆっくりと歩調を合わせて庭を歩く。
風が冷たくなり始めていたが、陽ざしはまだ柔らかく、リンドの頬を優しく撫でていた。
「この庭、叔母上が好きだった教会の庭に似てるんだ」
キリアンがぽつりと呟くと、リンドは立ち止まった。
「……教会、ですか?」
「リンドも行ったあの教会さ。
叔母上は青い花が好きで、教会の庭には青い花が沢山あった。
だから子爵家の庭にも青い花が多いんだ。
見頃はまだ先だが、行く日を決めておくか」
「……私も、見に行っていいのでしょうか」
ジャスミンの縁の地に訪問を許されていなかったリンドの小さな呟き。
小さく口にするだけの細やかな台詞に、多少の戸惑いがあることが切なかった。
「私もご一緒してもよろしいでしょうか。
それは美しい景色なのですよ」
イアンが同行を求め、キリアンとコンラッドは既に花の見頃に行く計画を立て始めていた。
リンドの瞳が、少し潤んだように見えた。
暫く歩いていると、終わりかけのジャスミンの花が揺れていた。
「この花は……」
「叔母上の名前と同じ、ジャスミンだな。
白い花びらが可憐で、祖母がその名前をつけたそうだ」
キリアンが説明するとリンドが懐かしむように笑った。
「あの日、成人の儀の時に香ったのは、この花だったみたいです」
「ジャスミン様の魔術が展開したときの、ですか?」
イアンの問いかけにリンドは頷いた。
「はい、初めて会った母はとても優しい目で私を見てくれました。
もっとお話したかったです」
ジャスミンの花びらに触れ、リンドは寂し気に笑った。
イアンはそっとリンドの肩に手を置いた。
言葉はなくてもその仕草だけで、リンドが抱える胸の痛みに寄り添っているようだった。
「もっと、ジャスミン様の思い出を皆さんから聞きましょう。
きっと、どんなにジャスミン様がリンド嬢を愛していたか、生まれる日を待ち望んでいたか、感じることができると思います」
イアンが言うと、キリアンが笑った。
「叔母上に、女の子でも剣術を一緒にやるから弟子にするって言って、コンラッドとどっちの弟子にするか喧嘩して拳骨もらったんだよな」
「叔母上の拳骨は痛かったよな」
キリアンとコンラッドは思い出すように自分自身の頭を撫でた。
ルシアンと喧嘩した時も三人揃って拳骨された。
その後、三人纏めてぎゅうぎゅう抱き締められ、拳骨されなかったロベリアもルシアンに抱き着き皆で大笑いしたことを思い出す。
だが、それはリンドには黙っていた。
今はまだ、侯爵家の家族のことは言えなかった。
リンドはそっとジャスミンの花に視線を戻した。
その白い花びらは、風に揺れながら濃密な香りをリンドに届けていた。
「母は、明るい人だったんですね」
ぽつりとこぼしたその言葉に、キリアンが頷いた。
「明るくて、とても強かった。
そして、皆に対してとても愛情深い人だったな」
「そうだね。お腹にいたリンドに早く会いたがっていたよ」
コンラッドが続けると、リンドは泣きそうな顔で笑った。
「私はちゃんと望まれていたって、あの日やっと分かったんです。
思い出すと嬉しくて……」
キリアンがリンドの頭を軽く撫でた。
「小さな靴も、レースの靴下も、嬉しそうに見せてくれたよ」
コンラッドが当時を懐かしむようにリンドに言う。
赤ん坊の靴はこんなに小さいのか、と驚いていたらジャスミンが軽快に笑っていたことを思い出す。
周りを明るくする笑い声に、ジャスミンの周りは人が途切れなかった。
遠出ができなくなる前に、とジャスミンは子爵家に数日滞在していた。
その時、子爵家の家族や友人であるイアンの母親に、それは嬉しそうに名前の候補を挙げていた。
「二人で考えたのよ」と笑うジャスミンは、その後のリンドの十六年を想像もしなかっただろう。
「確かプリムラが咲くのは来月からだな。本格的に寒くなる前に見に行こう」
キリアンは、寒さに健気に耐えるあの花をリンドに見せてやりたいと思った。
ジャスミンが愛した庭園で、ジャスミンがどんなにリンドを待ち望んでいたか、語り合うのは良い考えのように思えた。
「寒いだろうから帰りにホットショコラを飲んでさ、また皆にお土産を選んで帰ろう」
コンラッドの提案は、リンドにとっても魅力的な提案だった。
「では、当日は寒くないように軽くて暖かいケープを贈ります。
気に入っていただけると嬉しいです」
イアンはリンドによく似合うケープを贈ろうと決めた。
「ありがとう、ございます。楽しみです」
積み重ねる約束を胸の奥にそっと受け止め、リンドはジャスミンの香りをゆっくりと吸い込んだ。
終
御覧いただきありがとうございました!
プリムラも可愛らしいお花ですよね。




