9回も同じ夢を見た結果、初恋が実りました
あの夢を見たのは、これで9回目だった。
「最悪だわ……」
起きて、ついそんな言葉が口を突く。何が最悪かと言えば、9回も連続で見た夢の内容よ。
どこかのホールで行われているらしき、夜会。その会場で、私は衆人環視の中、婚約者から婚約破棄を突きつけられているのだもの。
理由は、私が彼の最愛の人を傷つけたから。そんな心の汚い女性は、自分の妻にふさわしくない。そう高らかに宣言し、私に婚約破棄を突きつけるのよ。
でも、待って。婚約破棄を突きつけるくらいだから、「彼」は私の婚約者なのよね? なのに、「彼の最愛の人」? それって、不貞をしてるって事じゃないの?
この夢を見始めて、今朝で9回目。全ての夢で、必ず「彼」は私に婚約破棄を突きつけるのよ。しかも傷つけたって言うけれど、私、彼の愛人には見覚えがないの。つまり、冤罪。
どうして夢の中で冤罪により婚約破棄されなきゃいけないのよ!
そもそも、一番の問題はそこじゃないわ。
私、まだ婚約者がいないんですけど?
ルーラー伯爵家の長女として、十六歳になるこの年になっても婚約相手が決まらないのはゆゆしき事だとわかっているわ。
でも、私の結婚はお父様が決めるものだし。私の自由意志でどうこうなんて出来ないのよ。残念だけれど。本当に、とても残念な事にね。
そういえば、夢の中の「婚約者」は、毎回「僕は真実の愛を見つけたんだ!」ってほざいてたわ。真実の愛って、何よ? 愛に本物も偽物もないと思うわ。
強いて言うのなら、騙しているか騙していないかじゃないかしら? ああ、後嘘を言っているか言っていないかもあるわね。
もっとも、あれらは全部夢だけれど。ただ、9回も同じ夢を見るのは、ちょっと変よねえ。
王都の大通りに面した、最新のカフェ。ここは今社交界でも人気のスポットで、少し周囲を見回すと見知った顔を見つける事が出来る。
そんな場所で、私は奇妙な夢の話をした。
「という事なんだけど、どう思う?」
「いや、いきなりどう思うと聞かれても……」
私の目の前で困惑しているのは、昔馴染みのエヴァンス。ホルター伯爵家の次男で、我がルーラー伯爵家と領地が隣同士という事から、家族ぐるみで付き合いがあるの。
いつも眠そうな目をしている彼は、実はとても優秀な人なのよ。大学で研究していた何とかって植物が、土壌改良にうんたらかんたらで、確か大学でも表彰されたはず。……詳しい事は、何度聞いても難しくてわからないのよ。
エヴァンスは、パッと見優秀そうには見えないのが困りものね。でも、昔から優しくて、話しやすい人だわ。
実は、彼は私の初恋の人なの。ずっと、私はエヴァンスのお嫁さんになるんだと思ってたのに。
今日だって、あの妙な夢の話を相談するという口実で、彼をカフェに呼び出したんだから。
お父様は、どうして彼との結婚を決めてくださらないのかしら? 彼が次男で、継ぐ家がないから? でも、彼なら自力で男爵に叙爵されるのに。
あら、いけないわ。こんな事を淑女が考えていると知られたら、醜聞になってしまう。
それに、今はそんな事を考えている場合じゃないのよ。
「夢の中だというのに、会場の様子や参加者のドレスや服の細かい部分まで覚えているのよ? 妙じゃない?」
「まあ、変か変でないかと聞かれたら、変だね」
「変じゃなくて、妙って言ってるのよ」
「ごめん」
まあ、確かに。彼が言うとおり、私が見ている夢は変なのだけれど。
「こんな明るいカフェの、人気のテラス席でする話ではなかったわね。私こそ、ごめんなさい」
「いや、いいよ。聞きたいと言ったのは僕なんだし。それにしても、その夢の婚約者の顔は、覚えていないんだよね?」
「ええ」
これも妙な話なのだけれど、肝心の婚約者と彼の愛人の顔は、思い出そうとしても思い出せないの。
まるで顔の部分だけに靄がかかったようになっていて、認識出来ないみたいな感じ。
「顔はわからなくても、髪の色や髪型、着ている服なんかは?」
「それはわかるのよ。婚約者は金髪、愛人は赤毛。婚約者の方は、貴族男性の礼服よ。ただ、大分センスは悪いわね。一昔前のフリルを多用したものだわ」
「へえ」
「愛人の方は、簡素な髪型ね。こう、両脇の高い位置で結っただけ。髪を巻いたりはしていないの。ただ、元から癖があるせいで、もじゃもじゃとした髪よ」
「ブフっ!」
「愛人のドレスも、一昔前のものね。ただ、胸元を大きく開けているから、夜会にしてもちょっと下品だわ」
「それも、昔流行った型かもよ?」
言われてみれば、そうかもしれないわ。そういえば、細部まで覚えている周囲の人達の衣装も、かなり古い型ではなかったかしら。
じゃあ、あれは過去の夢?
「……余計わからなくなってきたわ」
「まあまあ。ただの夢なんだし、気にしても仕方ないよ」
「そう……よね」
何となく釈然としないけれど、エヴァンスが言うのならそうなんだわ。
「何にしても、話してくれてよかった」
「そうかしら?」
「うん。クリスも、少しは気が軽くなったんじゃない?」
「そう……ね。言われてみれば」
「変な夢なんて、人に話して一緒に笑い飛ばしてしまえばいいんだよ。そうすれば、もう二度と見ないさ」
「ふふふ、エヴァンスがそう言うと、本当にそう思えるから不思議だわ」
「でしょ?」
そうね。こんな夢なんて、笑い飛ばしてしまいましょう。
◆◆◆◆
自宅に戻り、上着のポケットに入れておいた水晶を取り出す。クリスにはああ言ったけれど、彼女が同じ夢を見続けたのには、理由がある。
「まったく、しつこい奴だ」
水晶は、曇っていて所々にヒビが入っている。呪いに当たった証拠だ。
クリス……ルーラー伯爵家のクリスティンが見ている夢は、彼女の過去に本当にあった出来事だ。そしてそれを見せているのは、彼女の婚約者という立場にありながら、衆人環視の中で辱めた男。
今生では、しがない騎士爵家の四男だったか。それが、この呪いをクリスに仕掛けた犯人だ。あの男の魂の色は、死んでも忘れない。
奴を見つけたのは、本当に偶然だった。街歩きをしていたクリスの背後をずっと付けていたのだ。あの時、適正に対処していればクリスを煩わせる事もなかったのに。そこだけは、後悔している。
それにしてもあの男、愛人を取って婚約者であった彼女を切り捨てた結果、家も地位も金も何もかもをなくしたくせに、今の時代でも呪いで彼女を苦しめようだなんて。
絶対に、許さない。
過去、僕は身分が足りず、彼女を助けられなかった。ずっと側で見守っていたのに。ただの護衛騎士程度では、公爵家の令嬢を嫁にもらう事は無理だった。
今とは違い、結婚は家同士の結びつきという側面が強かったあの頃、一度縁組みが壊れると女性が不利になる時代だった。
彼女も、親子程年の違う男の後妻に入ったはず。それを黙って見ているしかなかった身が、どれだけ悔しかったか。
でも、今生は違う。僕は次男とはいえ伯爵家の生まれだし、彼女もそうだ。僕は自分の功績だけで、近々叙爵される。
最初は男爵からだが、すぐに陞爵して見せるさ。僕の研究は国の根幹である食料に関わっており、王宮もその事は理解してくれているのだから。
クリスを妻に迎えるのに、何の支障もない。
「……ああ、一応あったな」
僕は机の上の曇った水晶を見て笑う。奴も前世の事を覚えているようだが、前と今との立場の違いに歯がゆい思いをしている事だろう。
だから、こんな杜撰な呪いに手を染めた。
それにしても、クリスにとって一番忘れたいだろう記憶を呪いで思い出させて苦しめて、どうするつもりだったのか。あの男の考える事は、さっぱりわからん。
まあいい。この呪いはこれから奴に返す。その結果どうなるかは、これもわからない。
そこまで強い呪いではないようだが、何せ返すと数倍に威力が上がると聞いたからなあ。
「……どうでもいいか」
卑怯な手を使ってクリスを苦しめた奴だ。己の放った呪いをしっかり受け取るがいい。
そんな事より、やらなければならない事がある。まずは実家、そしてルーラー家に、クリスとの結婚を認めてもらうのだ。
家格的には問題ないし、僕が叙爵されれば身分の問題も消える。新興の男爵家に娘を嫁に出すのはルーラー伯爵が嫌がるかもしれないが、そこは付き合いの長さが手助けしてくれるだろう。
そうと決まれば、早速実家宛に手紙を書かなくては。忙しくなるな。
◆◆◆◆
後日、王都近郊を流れる川に水死体が上がった。某騎士爵家の四男だったという。
新聞の端に小さく載った訃報に、婚約者となったクリスをカフェで待つエヴァンスはくすりと笑った。




