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△第四十一話 彼女と妹

 いかん、緊張して胸が潰れそうだ。


 朝六時、緊張とドキドキで遠足前の小学生のごとく早起きをしてしまった。

 何せ彼女を家に招くという一大イベントが今日これから起きるのだ。

 それも仕方ないというものだろう。


 本当なら慧と薫も同じ時間にやってくる──という話だったのだが、気を利かせたのか反応を楽しんでいるのか……二人は二人で午前中にデートをしてから午後に合流するという流れになった──勉強しろ。


 そういうわけだから午前中は俺と涼音の二人きり……ということになるわけだ。

 何があってもいいように部屋はキチンと片づけてあるし、都合の悪そうなものは押入れの奥底にぶち込んだし、準備は万端……そう分かってはいても緊張は収まらない。


「とりあえず……走るか」


 ここで変に普段と違うことをするのも良くないよな、と思い直した俺はいつも通り朝のランニングに出かけることにした。


 ランニングの方は続けると慣れたもので、最初の方は家の周りをぐるっと一周するだけでも疲れて倒れ込んでいたのに、今は町内を軽く一周しつつ景色にも目を配れるようにまで成長した。


 おかげで体力も筋肉もだいぶついてきて、以前のようにぶよぶよたぷたぷな俺ではない。

 それどころか最近は毎日続けているバーピージャンプとの相乗効果もあってか横にしか線の通っていなかった腹筋に縦の線が通り始めている。

 このまま続けていれば夢のシックスパックを獲得できるかもしれない。


 続けることの大事さを身を以て実感しながらランニングを続けていく。

 七月の蒸し暑さが体の火照りと同化して、汗となって流れ始めた。

さっきまで感じていた緊張まで流れていくようだ。


 三十分近くかけていつものコースを走り終えた頃には、すっかりさっぱり平常心を取り戻すことができていた。


 家に帰った俺は日帰り旅行に行く両親を見送ってシャワーを浴びた。

 家の両親は生粋のアウトドア派のため、休日には家を空けることが多い。

 今日だって、友達が来るから──と理由付けをして両親を追い出すことに成功した。

 唯一妹の沙羅だけは追い出せなかったが……。


 だから完全に二人きり──というわけにはいかないのだ。

 もしかしたらそっちの方が涼音も安心するかもしれないな。


 なんて考えながら、部屋の隅から隅までチリ一つ落ちていないくらいまで掃除をしているとあっという間に涼音が家にやってくる時間になった。

 元々中学校の校区が一緒ということもあって、俺と涼音の家は徒歩で通える距離にある。

 迎えにいくよ、とは言ったが近いから大丈夫だよ、と断られてしまった。


 俺は何故か正座をして、涼音がくるのを待ちわびていると、


ピンポーン。


 来客を告げる音。

 俺は急いで立ち上がって……っっつ!

 しまった、正座をしていたせいで足が……っ!

 

「お兄、出ないの~?」

「ちょっと待って、足……痺れた」

「何してんの……」


 沙羅の顔にはバカじゃないのか、と蔑みの色が鮮明に浮かんでいる。

 これに関しては本当に申し開きもない。


「もういいよ、私出るから」

「いや、大丈夫」


 痺れる足を引きずって、沙羅の後を追って玄関へと向かう。

 結局追いつくことができずにドアを開けたのは沙羅だったのだが……。

「な……な……」


 開けた瞬間に視界に入ってきた人物──涼音を見て十五年間一緒にいて一度も聞いたことのないようなマヌケな声を漏らした。


「えと……あれ?」


 ドア越しに戸惑う涼音の声が聞こえる。

 家を間違えたとでも思ってるのかもしれない。


 ここでやっと沙羅に追いついてドアをゆっくりと全開にすると、サマーワンピースを清楚に揺らす涼音が困惑の表情を浮かべて立っていた。


「ごめん涼音。ちょっと出るの遅れた」

「ううん、大丈夫。てっきり家を間違えたんじゃないかって思っちゃった」

「暑かったでしょ? 冷房つけてるから……とりあえず入って」

「えと、うん。お邪魔します……」


 遠慮がちにおずおずと涼音が我が家に足を踏み入れた。

 やばい、やっぱちょっと緊張する。


 靴を脱いだ涼音を一旦リビングに案内しようとしたのだが……。

 そうだった、沙羅が固まったままだった。

 こいつを何とかしないと。


「おい沙羅、邪魔だからそろそろ動けって」

「あ、あ、うん」


 生返事が返ってくるばかり。

 完全に涼音に見惚れてしまっていた。


「えと……沙羅ちゃん? そんなに見られるとちょっと恥ずかしいかも……」

「あ、そうですよね、ごめんなさい!」

「そうだ、自己紹介が遅れちゃったね。樋本涼音って言います。よろしくね、沙羅ちゃん」

「はひ……相羽沙羅です。こちらこそよろしくお願いしま……」


 ダメだこいつ使い物にならない。

 涼音に見惚れるのは分かるが、さすがに限度ってものがあるだろう。


「おい、沙羅……いい加減に」


 肩でも叩いて正気に戻そうと思ったところで沙羅がまくし立てるように口を開いた。


「あの……樋本さん、お兄と付き合ってるって本当ですか?」

「え、あ、うん。お兄さんとお付き合いさせてもらってます」


 不躾な沙羅の問いかけに涼音は少し恥ずかしそうに答えた。

 その言葉を聞いて沙羅はあんぐりと口を開いて、目をパチクリパチクリ。

 そしてその表情のまま俺の方に視線を寄せてきた。


「嘘でしょ……お兄……どんな弱み握ったの?」

「人聞き悪い言い方すな! ちゃんと告白してちゃんと付き合ってるわ!」

「ふふ……」


 しまった、涼音を立たせっぱなしにしていた。

 沙羅なんてほっといてさっさと冷たいお茶でもお出ししないと。


「なんかごめんな、うるさい妹で」

「ううん、いいの。カワイイね、沙羅ちゃん」


 俺の不安は杞憂だったようで涼音はこの状況を楽しんでいるようだった。

 ひとまずリビングに案内してお茶を勧めたのだが……沙羅の興味は尽きないようで遠目からジーっと涼音に視線を送っている。


「あの……樋本さん」

「どうしたの?」

「その服……どこで買ったんですか?」


 オシャレに目ざとい沙羅が目をつけたのは涼音が着ていたワンピースだった。


「これ? これはね……恥ずかしいけどお姉ちゃんのお下がりなの」

「めちゃくちゃ似合ってます! それとそのカバンとかも超センスいいなって!」

「こっちはね、その……将也くんがくれた誕生日プレゼントなの」

「え、マジ……お兄が?」


 あり得ないものを見るような視線をこっちに向けるな。

 失礼にもほどがあるだろ。


 それにしても誤算だった。

 沙羅がここまで涼音に興味を持つなんて……。

 これじゃせっかくの甘い時間が台無しだ。


 だから俺は──邪魔の入らない場所、俺の部屋に勇気を出して涼音を誘うことにした。


「なあ涼音、ここじゃうるさいから俺の部屋に……来ないか?」


 平常心、なるべきさらっとさりげなく。


「えと……うん、いいよ」


 涼音も沙羅の手前何でもないことのように答えたつもりだったのだろうが、耳だけは真っ赤になっていた。


「てわけだから沙羅。俺たちこれから勉強するからあんまり邪魔しないでくれよ……」

「なな、なんの勉強するつもり!?」

「テスト勉強だよ!」


 沙羅のせいでペースが乱されてしまったが、当初の予定通り涼音を俺の部屋へと誘うことができたのだった。


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