36 帝都観光は初めてで
それからは、セレーナの馬車であっという間に帝都まで下りて来た。
いや、帝宮の前庭も広いし、ちょっとした高台になっている場所なので、そこから帝都の広がる場所へ坂を下りるまで、少し時間がかかったので、馬車で来て良かった。
でも馬車はそのまま進み、やがて広場のようなところでセレーナと一緒に下りた。
「見てくださいなリリ様! これが私の劇場ですわ」
セレーナが指さす方向を見ると、人混みの向うに円形の屋根をもつ煉瓦色の建物がある。
普段なら宵闇に紛れて輪郭がわからないだろうが、帝都はいたるところに灯りが掲げられており、その光に浮かび上がるように劇場が見えた。
劇場の前では、「次の公演の予定だよ!」と叫びながら紙を配っている人がいる。
それを見ている間も、セレーナは私を引っ張って歩く。
(考えてみたら、帝都を歩き回るのは初めて……)
ついつい周囲を見ていたら、大通に所狭しと並んだ屋台の柱にぶつかってしまう。
「あ、ごめんなさい!」
揺らしてしまった屋台の店主に詫びると、店主は笑ってくれた。
「いいってことよ。代わりにこれ、買ってくんな!」
焼き物の暑さで袖無しの上着を着た年のいった男が、肉の串を差しだしてくる。
するとセレーナがお代を払ってくれた。
せっかくなので、着たままだったドレスを汚さないように口に入れた。
じわりと口の中に広がる肉と甘辛いタレの味。
帝宮で食べている上品な料理に比べると粗野な味つけだが、それが一層郷愁を誘った。
この世界で生まれた家で、両親と食べる食事はこんな感じだった。
騎士の家とはいえ、この世界は日本よりもずっと物が簡単には手に入らないから、夕食時にしかお肉は出ない。
その夕食には、母や、時には父は肉を出すようにしてくれていた。
(私、ほんとにこの世界に馴染んだんだなぁ)
しんみりしていると、店主が心配そうに声をかけてくる。
「どうしたんだお嬢さん」
「あ、懐かしくてつい……」
「そんな綺麗な服着たお嬢さんでも、屋台の味がお気に召したのかい?」
言われて私は苦笑いする。
「よく食べましたよ。好きでした。そのことを思い出して懐かしくなって……」
「それにしても、今日は随分高級そうなお客が来るなぁ。今年は幸先が良さそうだ」
そういえば貴族は王都のお祭り騒ぎなどには来ないのだ。
着飾っている少女達も多いものの、さすがに王宮でも着て歩けるドレスとは違う。そのことに気付いて、簡素とはいえ目立つドレスを着てきたことに恥ずかしくなった。
そんな私とは逆に、セレーナは堂々としている。
「もちろんよ! 私達幸運の女神ですもの!」
セレーナはそう言って店主に手を振り、私を連れて屋台を離れた。
光と人とが混じり合っている大通を闊歩していると、時折「セレーナだ!」と声が掛けられる。
女優としての彼女を見知っている人だろう。
彼女は「また舞台を見に来てね!」と気さくに返事をしていた。
もちろんだという答えが返ってくるのを見ながら、私は彼女が祭りを楽しみつつも、こうして目立つように歩くことで女優としての自分を宣伝して歩いているらしいと気付いた。
セレーナが言った。
「劇場での鑑賞は少々値が張る娯楽ですわ。貴族も見に行くだけの格式もある。けれど観客には庶民もいます。私が女優として這い上がるまで、お客として盛り立ててくれたのも商人や庶民のお客さんですのよ」
そんなセレーナは、私をさらに連れ回した。
粉砂糖で星空のように飾り付けがされたお菓子を、食べたりもした。
他にも揚げたての芋を買って、でも食べきれなくて道行く子供にあげたり。
そう思ったら近くのお店に行って、装飾品を見たり。
忙しくしていると、鬱々としていた気分が吹き飛ぶようだった。
ここ数日の緊張で疲労した心が癒されていく感覚に、やっと肩の力が抜ける気がした。
そうして気づいた。
セレーナは、私を元気づけるために連れ出してくれたんだろうと。
やがて、空は暗くなる。
神殿の鐘の音に、大通や家々の明りが少なくなっていき、人々が静かに星空を仰ぎはじめる頃。
大通の脇に造られた広い公園の噴水側で、ようやくセレーナと一緒に座る。
「そういえばリリ様は、お好きな方はいませんの?」
ふいに聞かれて、私は素直に言った。
「あまり恋愛については考えたことがなくて……。それにまぁ、私みたいに剣を振り回す乱暴者では、誰かに恋されることもないだろうなと。だからいっそ、もうこのまま剣で身を立てるしかないかなと思っています」
「貴族の方の恋愛は、難しいですものね。平民の女性なら、剛毅な方が良いという方も多いのですけれど」
セレーナは気の毒そうに言う。
「セレーナさんは……そういう方は?」
話を振ると、彼女は肩をすくめてみせる。
「だめね。なまじ女優なんてしてると、その役を演じてる私が好きだったり、そんな人が多くて。火遊びみたいな恋はしても、その先を考えてしまうとつい離れてしまうんですの」
「でも、ずっと仕事をしていくんですか?」
「それもいいかもしれないと、思っていますわ。最後には意地悪な婆さんの役をやって、それから月の園へ旅立つっていう道も考えてはいるのよ」
ずっと若くはいられないもの、とセレーナは寂しそうに笑う。
月の園は、この世界で広く信仰されている神が、死者を迎える場所だ。
「でも、頼れる人がいないのは、時々苦しいわ。だから一時の寵愛でも皇帝の庇護を受けたら、そんな不安も薄れるかなって思ったりしたのよ。……気の迷いだったわ」
思い切るようにセレーナが立ち上がる。
「ではもう、陛下の側にはいかないんですか?」
私の尋ねに、セレーナは艶やかに唇をほころばせた。
「まだしばらくはいるかもしれませんわね。いいパトロンですもの。でもそのうちにあちらが飽きると思うわ。そうしたらもう帝宮には出入りできなくなるでしょう。けれど、その後も良かったら私に会いに来て、リリ様。辛いときに辛いと言える相手に、私がなれたら幸せですわ」
セレーナが手を差し出してくる。
私は彼女の手を握った。
「ありが――」
言葉は途切れた。




