30 罠
メイドは城の中へと私を案内した。
髪に白いものが混じる老練そうな彼女は、黙々と歩き続ける。
何度か角を曲がるうち、廊下から差す陽が陰る。
距離と頭の中に入っている王宮内の地図から位置を想定し、私は思わずメイドを引き留めた。
「あのっ、このままだと東の棟に入ってしまうのでは?」
東側には、ウルスラ妃が居住している。
うっかり敵地に踏み込むかとひやひやした私だったが、
「いいえそちらではございません。ご案内する場所は中央棟の中でございますよ」
皇帝の執務室や文官の執務室等が固まっている場所だ。
それを聞いて私はほっと胸をなで下ろした。きっと次の相手が、皇帝に遭遇しやすそうな場所を確保したのだろう。
それからは大人しくメイドに従い、私は階段を二度上った。
やがて到着したのは、皇帝への謁見者を待たせておく控えの間が並んだ場所だった。
メイドは扉を軽く叩き、少し扉を開けて中の人間に呼びかける。
「お待ちかねの者が参上致しました」
その言葉遣いに、私は眉を寄せる。
参上?
騎士相手に、メイドとはいえ参上なんて言葉はまず使わない。
嫌な予感がした私はそろりと後退しようとしたが、その前にメイドに手首を捕まえられた。
「あ、あの私用事が……」
「陛下の思し召しです」
最も聞きたくない台詞に私は目の前が真っ暗になる。
なんてことだろう。彼女は皇帝のメイドだったようだ。
そして引きずられるように入った部屋の中には、ソファに座る皇帝アドリアンの姿があった。
メイドはすぐに立ち去り、部屋の中には私と皇帝の二人だけとなる。
まずい……。
私は助け手を探して視線をさまよわせた。
しかし都合よくそんな人がいるはずもない。
貴族用の控えの間は広いが、ソファセットとテーブルが置かれ、絵画や彫刻が飾られているだけだ。誰かが隠れることすら難しい。
その間にも皇帝は立ち上がって私に近づいてくる。
「ようやく捕まえたぞ、我が恋敵よ」
一歩踏み出した皇帝は、嫌そうな表情で天井を仰ぐ。
「それにしても嘆かわしい。男のくせにそのような形をしおって。皇帝の恋人を奪う相手が女装趣味とは前代未聞だ」
男と勘違いされて、皇帝に嫉妬される侍女というのも前代未聞だと思うのですが。
思わず脳内でツッコミをいれてから、いやそんな場合じゃないと私はここから逃れる方法を探す。
相手は皇帝だ。
いくら不埒な真似をしたからといって、殴り飛ばせば極刑になる相手。
なるべく自然にこの部屋から出る方法を見つけなければ。
一つ思いつき、私はじりじりと近づいてくる皇帝に申し出る。
「あのっ、お話しはゆっくり伺わせて頂きます。けれどお茶もないのは陛下に申し訳ないので、私が用意してまた戻ってまいりますので……」
話終わる前に皇帝に手首を掴まれる。
「逃がさんぞ恋敵」
「ひぃっ」
国一番の権力者に睨まれ、私は思わず息を飲んだ。
ちらりと見れば、皇帝は珍しく帯剣している。まさかここで恋敵を一気に始末してしまうつもりでは……と想像し、私は背筋に冷や汗をかく。
抵抗するのは簡単。
でもそんなことをしたら、まず確実に故郷の親族にまで類が及ぶ。
どうしようと悩む私の前で、皇帝が急に首を傾げた。
そのまま掴んだ手首をしげしげと見つめ始める。
「男にしては細すぎる……」
「そ、そそそうですよね! 私っ女なのでっ!」
やった疑問をもってくれたと喜んだ私だったが、
「しかし手は女子にしては大きい」
と言われてがっくりうなだれる。
「手の皮も厚い。私にはわかるぞ、これは剣の訓練を積んだ手だな。やはり女子ではないな! 服装などで誤魔化そうとしても無駄だ、正体を明かせ!」
そして皇帝が私の胸元に手を伸ばしてくる。胸ぐらを掴もうとしているのだろうと思う。
私は心を決めた。
もうこうなったらあきらめよう。いくらなんでも胸ぐらを掴めば、私が女性だということぐらいわかるはずだ。
襟ぐりのあたりに皇帝の指先がふれそうになる。
私がぐっと歯を食いしばったその時だった。
「陛下。こちらにいらっしゃると聞いて……」
前触れもなく開いた扉から顔を覗かせたのは、さらりと揺れる黒髪の少年だった。
にこやかに笑みを浮かべる顔は、まだ幼さが残って可愛らしいという表現が似合う。
一度会ったことがある。
ウルスラ妃の弟――カールだ。
少年と目があった皇帝は、けれど引かなかった。
「カールか。今少しだけ待っておれ。この男に言い聞かせておくことがあるのだ」
「陛下、その方は女性ですよ?」
カールと呼ばれた少年はにこやかに近寄ってくると、なぜか私に抱きついた。
「えっ?」
あまりに自然な動きだったので、私はカールを避けることができなかった。
しかも年下の子に、母親を慕うようにくっつかれて、嫌な感じをうけなかったせいだろう。
でも、皇帝が納得するだろうか?
皇帝の表情を伺っていると、不意に耳慣れない音が聞こえた。
錆びた蝶番がきしむ音に似た、金属を叩いたような音。
そして皇帝に変化が訪れた。
私をにらみつけていた視線が力を失い、拍子抜けしたような表情でふっと息をつく。
「本当に……女なのか?」
その単語を聞いて私は目を見開いた。
……まさか。
「そうですよ陛下。さすがに女性を男と疑っては可哀相ですよ。それに、直接確認したいなどとおっしゃるなら、さすがに姉に告げ口しますが。よろしいので?」
カールに言われたとたん、皇帝はあわてて逃げ出す。
「私はちょっと用ができた!」
脱兎のごとく部屋から飛び出して行った皇帝を見送り、私は呆然としていた。
この音。
少し違うけど、こんな聞こえ方をする音は心当たりが一つしかない。
それに急に気を変えた皇帝の態度。
身動きすることすら忘れてしまっていた私の耳に、再び金属音が聞こえた。
脳の裏をざらりと舐められたような妙な感覚に、私は思わず背筋を振るわせる。
思わずカールを突き飛ばして離れてから、私は自分が言い訳のきかない行動をとったことを悟った。
「ふうん? 君、特異体質?」
少女めいた顔が形作るのは、純真さとはほど遠い笑みだ。
探るようなまなざしとカールの台詞から、私は自分の想像が裏付けられたことを悟る。
――カールは、聖者の力を持っている。




