弓曳き童子 壱
翌朝、妙な騒がしさで私は目を覚ました。
部屋の外にある廊下や、廊下部にある階段を激しく上り下りする音が聞こえてくる。私は身に着けていた時計を見てみた。時間は七時頃だった。
部屋の端の方へ視線を送ると、中岡編集が寝癖頭を掻きながら怪訝そうな顔でこちらを見ている。半分寝ているような感じだった。
「ず、随分騒がしいですね」
私は声を掛けた。
「……うるさくて起きてしまったぞ……」
そう云いながら中岡編集はゆっくり立ち上がる。
「ちょっと様子を見に行ってくる」
「あっ、じゃあ、私も行きますよ」
中岡編集は襖戸を開け廊下部へと出た。私も後に続く。
女中達は隣の天守閣部分に移動しているようで、そちら側から話し声が聞こえてきた。
すると御殿の入口方向から、御用聞きの源次郎が険しい顔をしながら向ってくる。
「どうかしたのですか?」
中岡編集は目を擦りながら声を掛けてみた。
「いえ、女中頭がいつも通り、六時にご主人様を起こしに向った所、いつもなら返事があるのに、今日に限って返事か全くないという事なのです。というか全くお部屋に人がいる気配がないと……」
源次郎は少し慌てながら答えた。
「お部屋内から反応がないのですか…… それならば、失礼かもしれませんが、お部屋に入ってみてはいかがですか?」
中岡編集が聞いた。
「いえ、許可無く入るのは拙いのもありますが、ご主人様は寝るときはいつもお部屋に鍵を掛けられてしまうのです。なので普段は、お部屋の外でお声掛けをして、ご主人様が戸を開けられたら、お布団等を片付けるといった次第なのですが……」
「ああ、そう云う事ですか、なるほど……」
「とにかく私はお部屋に伺います」
源次郎はそのまま天守閣の方へ進んでいった。
「……僕らも行ってみようか」
頭を掻きながら中岡編集が呟いた。
「えっ、行ったらマズくないですか?」
「困っているみたいじゃないか、人手がいるかもしれないし……」
そう云いながら中岡編集はすたすたと源次郎の後に付いて行ってしまう。
「あっ、ちょっと待ってくださいよ」
私は仕方がなしに後を追いかけた。
中岡編集は躊躇うことなくどんどん進んでいく。私は中岡編集に付き従い、天守部の三層目にある道場のような部屋を横目に、階段を村上氏の部屋があるという二層目まで登って行った。
そこにはお酌をしてくれた女中頭と、布団を敷いてくれたちょっと失礼な女中、そしてもう一人女中の計三名と、妹の呉羽が集まっていた。襖戸は一枚だけの物で、周囲は土塀になっていて他に入り口はなさそうであった。
「源次郎さん、ご主人様の反応がないのですが、どうしましょうか?」
年配の女中頭が困った様子で声を掛けてくる。源次郎は厳しい顔のまま襖戸の前まで近づくと、部屋内に向って声を掛けた。
「ご主人様、ご主人様、源次郎でございます。お返事を頂きますようお願い申し上げます」
しかし返事を待つも、部屋の中からは沈黙のみが返ってくるだけであった。
源次郎は襖戸の引き手に手を掛け引き開けようと試みる。しかし開かない。かなり力が篭っていることが見て取れるが開く気配はない。
源次郎は引き手に手を掛け力を込めた状態で、僅か二ミリメートル程の隙間から中を覗き込んだ。
「ひっ!」
源次郎が小さく叫び声を上げた。そして振り返ったその顔は、まるで恐ろしい妖怪でも見たように強張っている。
「あっ、あああっ、大変だ。ご主人様が、ご主人様が! 倒れている!」
源次郎が引き手を引きながら、隙間を指差し、中を見てくれという動きを見せる。女中達は代わる代わる隙間に顔を近づける。すると皆一様に強張った表情で振り返った。
村上氏の妹である呉羽は何度も躊躇う様子をみせた後、その隙間に顔を近づけた。
「ひいいっ! お、お兄様が……」
呉羽は腰を抜かしたかのように尻を床に落としたまま後ずさる。
私もその隙間に顔を近づけてみた。するとその隙間の僅かに見える視界からは、布団の上に倒れている村上氏の姿が入ってきた。
なんと、その仰向けに倒れた村上氏の胸には矢が数本突き刺さっていたのだ。私の心には得も云えない戦慄と恐怖が湧き上がってくる。
私に続き中岡編集も覗き見た。
「な、なんだこれは! こ、これは一刻も早く開けないと!」
興奮した様子で中岡編集が叫んだ。
「ええ、ええ」
源次郎は何度も頷いた。
そうして源次郎は少し距離を取ってから、肩で戸に体当たりをした。がん、という音が鳴り響くが扉はびくともしない、源次郎は背の丸まった小男である。体が軽いのか効果が薄い、また戸の方も欅かなにかの硬い木で作られた物らしくかなり丈夫に作られているようだった。
「僕が代わりますよ」
中岡編集は五メートル程助走を取って肩から戸にぶち当たった。
戸の一部が溝から外れてくれたが、まだ開かない。中岡編集は更に助走を取ってもう一度体当たりする。がごっという音と共に戸は溝から外れ戸が奥側に倒れていく。中岡編集は勢い余って戸ごと部屋の内側に倒れ伏した。
私は倒れた戸の隙間から部屋の中へ視線を送る。すると隙間から見えた光景が嘘偽りないものとして飛び込んできた。
「ああっ! お、お兄様!」
横から悲痛な呉羽の声が聞こえてきた。
女中達も源次郎も恐怖に慄いた顔をしていた。
「ご、ご、ご主人様……」
源次郎は両手で頭を抱え込むような姿勢のまま崩れるように膝を付いた。
中岡編集も板戸の上で身を起こし、唖然とした顔で呟いた。
「これは大変だぞ……」
そんな中、私は改めて村上氏に視線を送ってみた。
村上氏は目をひん剥いて、まるで恐ろしい何かを見たような顔をしていた。仰向けに倒れ、その胸には三本の矢が突き刺さっている。
その恐ろしい光景を目の当たりにしていた私は、ふと、村上氏の倒れている延長線上の壁には矢が一本突き刺さっているのを見付けた。その矢には奇妙なことに、鏃のすぐ後ろに紙が結ばれていた。そして、その紙は結んだ余りの部分が十五センチメートル程もあり、それが二俣に別れ八の字に広がっていた。
私はそのまま、突き刺さった矢と、村上氏を結ぶラインの反対側を見た。その場所は床の間になっており、そこには黒い葛篭の上に乗った紺糸威具足が飾られていた。しかし、おかしな事に、その胴から上は真横を向いていて、その手には弓が握られていた。
それを見た瞬間、その面具の落ち窪んだ眼窩の奥に、得もいえぬ恐怖が湧き上がり、私の背中に冷たい汗が流れ落ちる。
「あ、あの、こ、この具足は前から此処に飾られていたのでしょうか?」
私は緊張しながら質問した。
「えっ、具足ですか……」
今まで遺体しか目に入らなかったであろう女中や源次郎、呉羽、中岡編集は、床の間方向に視線を送る。
「ひっ!」
小さな叫び声の後、女中や源次郎、呉羽は凍りついたように固まった。
「そ、そんな…… あっ、あの、鎧兜はずっと正面を向いていました。て、手は両腰に添えられ、その手には何も持っていませんでしたけど……」
年配の女中が強張った顔ながら、震える声で説明してくる。
私は恐る恐る、飾られている具足に近づいていった。具足の左右斜め前方には刀と弓が納められる筒があった。刀の方はそのまま飾られているが、弓の方は抜き取られたように何もなかった。
具足の右横には矢筒も配されているが、そこには一本の矢も残されていなかった。具足自体は戦国期の鎧のようで、鉄兜、鉄板を組み合わせて鉄砲の弾を弾き返す工夫がされていた。
中岡編集が傍に近づいてきた。そして寝巻きとして宛がわれた自分の浴衣の裾を使い、鉄板を重ねて紐で繋いだ垂を捲り上げる。指紋が残らないように注意しているだろう。すると胴の中が見えてきた。その胴の中には木で出来た歯車が所狭しと詰まっている。
「なんと、こ、これには…… 中にからくりが…… も、もしや弓曳き童子の機巧が組み込まれているとでも云うのか……」
中岡編集は唖然としたまま小さく呟いた。




