9 歩み寄り
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ハサウェイ伯爵は部下から女の自白の報告を受けた。記憶のないセドリックの罪は女を冷酷に排除出来なかったことだった。
女の始末は済んだ。
残るはセドリックをどうするかだけだった。
「ルイ、近くで見ていたお前はどう思う?」
「記憶が無くなってから、空虚な感じでした。自分が何者か分からないというのは酷く頼りないものなのかもしれません。その隙に付け入られてしまったのかと思います。鬱陶しそうでしたから浮気をしたというわけではないと思います。
戦い方も危なかったです。良く生きて帰れたと思います。
それなのに人が足りないという理由で帰しても貰えなかったのです。戦争というものは惨いものです。
誰か悪意を持った者がこちらに報告を紛れ込ませたのだとすると、お嬢様がお気の毒すぎます」
「もうお嬢様ではないぞ。それにしても随分優しいじゃないか」
「セドリック様は甘いとは思いますが不当な評価は許せません」
「参考にしよう」
そう言って手元の書類に目をやった主を見て、ルイは静かに部屋を出た。
☆★☆
「お父さまお呼びでしょうか」
「女が自白した。近寄ったが無下にされたのが悔しくて執着したと言っていた。薬を飲ませたから真実だ。どうする、会ってみるか?」
「それが真実なら会いたいです。でも報告では女が出来たと・・・匿名の手紙が何通も送られて来ましたし」
「断られ余計に意地になったというのが事実だと白状した。女は文字は読めても書くのは苦手だったらしい。悪意のある者の仕業と考えるべきだろう。
誰かが後釜を狙ってセドリックを嵌めようとしたか、それともセドリックを遠ざけて我が家を混乱に陥れようとしたのか見極めなくてはならない。女の数いた相手の中にいたかも知れない。
いつかの事故も関係があるのかもしれん。調べるのは私に任せてくれ。兄にも相談しよう。敵を見つけて潰す」
「そんな娼婦のような女性だったのですか?」
「最初は若い貴族に良いように騙されたようだが、思い上がったようだ」
「人間って罪深いですわね」
「その問題は父が預かるから、アレクシアが会いたければセドリックに会うと良い」
「あんなに怒っておられたのに良いのですか?わたくし一度はセドリック様を諦めました。次期伯爵ですから、自分のことより立場を取ろうと思っておりましたの。話をしてみますわ。記憶も戻らないようですしこれからのことはじっくり考えさせていただきます」
「ああ、そうすると良い。話はこれで終わりだ」
アレクシアは執務室の扉を閉めると大きく息をした。
一度は諦めてしまった関係をもとに戻せるものだろうかと悩みながら。
それには気まずいがセドリックに会わなければいけない。
通りかかったメイドにセドリックを応接間に案内してもらうように頼むと、今までのことを振り返る心は何故か幾分軽くなっていた。
応接間に行くとセドリックがかしこまって座っていたが、アレクシアが入ってくるのを見ると慌てて立ち上がった。
「おかえりなさいませ、セドリック様。どうぞお座りになってください。
お勤めご苦労さまでございました。私は良くない噂を信じて毎日泣き暮らしていた愚か者です。貴方様の記憶がない以上これからは自由の身ですわ」
「愚かなどと言わないでください。責められるべきは隙を作った私です。
自由になれなどと仰らないでください。いきなり放り出されても寄る辺のない子供のような気がします。実家でも私は要らないでしょうし。
記憶がないので何もかもが頼りないですが、貴女を裏切っていないことだけは誓って言えます。ですが嫌気が差しているのなら一目でも息子に会わせては貰えないでしょうか。潔く出て行きますので。
それともし出来れば出会った頃の話とか聞かせてもらえたらと思います。思い出す手がかりになるのではないかと。
図々しいでしょうか?自分のことを少しでも知りたいのです」
「私達がどうなるか分かりませんが息子には会っていただこうかと思います。そうですわね、私たちは普通の政略結婚ですわ・・・」
アレクシアの長い話を聞いたセドリックは、俯いて唇を固く噛み締めていた。
「全て私の甘さが招いたことです。貴女になんと言って謝ったらいいのでしょう」
「犯人は父が必ず見つけると言ってくださいました。ああいうときの父はとても頼りになるのですよ。これから貴方はどうしたいとお思いですか?」
「よろしければ執務をやらせていただければと思っているのですが、どうでしょう。勿論部屋は執務室でなくて構いません。屋敷の隅にでも置いていただければ文句はありません。それと貴女を泣かせた敵を見つけたいと思います」
「自分の為ではなく私の為ですか。お互いの部屋には鍵が付いております。元のように暮らした方が記憶が戻りやすいかもしれませんので、どうぞお使いください。部屋は出ていかれた時のままにしてあります」
「噂を聞かれても部屋をそのままにしていただいているなんて、とても優しい方なのですね。綺麗で思いやりがある最高の女性を妻にできていた私は幸運な男だったのに情けないです。これから少しでも前を向くために頑張ろうと思います」
「何もかも初めましてなので、気負わないでください。貴方の侍従にはルイが付きます。父の侍従で一番信用できますので」
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セドリックはウイリアムを遠くで見た。あまりに小さな頃の自分にそっくりだったので、誠実に一からやり直したいと思った。ここからアレクシアといい関係を築いてこの腕に息子を抱いてみたい、その思いが沸き上がってきた。
ウイリアムを抱いているアレクシアの姿は聖母のようで、空っぽの心にピースが一つはまったような気がした。セドリックに希望が灯った日だった。




