12 不安との戦い
ウイリアムを産みセドリックの悪い噂が届いた頃のアレクシアのお話です
セドリックは敵を見つけたもののアレクシアとハサウェイ伯爵が許してくれるのか自信がなかった。なので唯の執務補助という形で屋敷の隅にでも置いて貰えるか頼んでみることにした。
すると以外にもアレクシアから元の部屋に戻って良いと言われ天にも昇る気持ちになった。誠実にやり直せばもしかしたら家族を取り戻せるのではないかと思った。
仕事をきちんとやり屋敷の皆の信頼を取り戻し、アレクシアにもう一度愛を告げて腕の中に取り戻したい。これからの生きる希望が見つかった気がした。
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出征した夫の無事を祈りながらウイリアムを授かったアレクシアは心配もあり、母乳の出が良くなかった。貴族女性は胸の形が崩れるのを嫌がり乳母に授乳を任せてしまう女性の方が多かったが、アレクシアは自分で子育てがしたかった。両親が側にいて妹のメロディも可愛がってくれるという良い条件も揃っていたせいでもある。
しかし母乳が出なければ赤子の命に関わるし、母体の安全の為にも当然伯爵家は乳母のアンナを手配していた。
「ウイリアムのなんて可愛らしいこと。乳飲み子の香りって良いものですわね。お姉さま」
「そうなの、癒されるわよね。セドリックが帰って来るまで病気させないように育てなくてはならないわ」
「大丈夫よきっと無事に帰って来られるわ。ウイリアムは屋敷のアイドルですもの、いるだけで明るくなるわね。私も将来アンソニー様の子供を産むのね。きゃあ恥ずかしい。はしたなかったかしら、お姉さま。でも随分痛かったのでしょうね。怖いですわ」
「はしたなくはないわ、後継を産むのは貴族の妻の務めでもあるのだから。私も産むまでは怖かったけれど、ウイリアムの顔を見たら忘れるくらい嬉しかったの。
セドリックがいないから余計に癒しになるの。でもねこればかりは神様の思し召しだから思い詰めては駄目よ」
「そのような話はまだしたことが無いのですが、式が近くになったら話し合った方が良いですわよね。
このまま戦争が終わらなかったら学生のアンソニー様も行かなくてはいけないのかしら」
「多分もうすぐ終わるわ。そしてウイリアムの父さまも帰ってくるわ」
アレクシアは祈るように呟いた。
子供部屋に近づいてきた乳母が
「御三方のお姿を見ると絵画のようでございますね。大奥様がお茶にお呼びでございますよ。坊ちゃまのことは見ておりますのでごゆっくりなさってくださいませ」
「お母様とお茶の約束をしていたのだったわ。ウイリアムに夢中で遅れるるところだったわ。ありがとうアンナ」
「とんでもないことでございます」
母娘三人でお茶を楽しみ、部屋に帰ったアレクシアに戦地のルイから手紙が届いた。
セドリックが頭に怪我をして記憶を無くしたと。
ショックでアレクシアは倒れてしまった。
心配で良く眠れなくなったアレクシアの耳に入ってきたのは使用人たちの噂話だった。
「若旦那様に近づいている女性の治癒師がいるそうよ。記憶をなくされているからって付け込むつもりかしら」
「以前の若旦那様なら相手にされないと思うけど、記憶がないってどんな感じなのかしら。坊ちゃまがお出来になったのに若奥様がお可哀想だわ」
「伯爵家の騎士もいつも見ている訳にはいかないものね」
そこへ通りかかったメアリーが
「くだらないことを喋ってないで仕事に戻りなさい」
と注意したのでメイド達は蜘蛛の子を散らすように自分の仕事に戻った。
アレクシアの部屋に戻った二人は出来るだけ小さな声で話をした。防音用の壁にしてあるのだが念の為だ。
「若奥様、メイドの躾が行き届かず申し訳ありません。噂を流したのが誰なのか突き止めますので今しばらくお待ちくださいませ。きっと政敵の手の者が入り込んでいるに違いありません」
「ありがとう、あながち間違いでもないかも知れないわ。匿名の手紙も何通か机の上に置いてあったの。覚悟を決めないといけないのかもしれないと思っていたの」
「そんなことを仰らないでくださいませ。こんなに優しい若奥様に、嫌がらせをするなんて恥知らずなこと人として許せません。
敵の間者が屋敷に入り込んでいるということでございますね。
旦那様に報告はなさったのですか?ここで負けては向こうの思う壺です。断固として立ち向かうべきです。メアリーは悔しいです。あんなに仲が宜しかったのに」
「お父様はご存じよ。記憶喪失がどんなものか分からないし、側に付いていることもできない。確かめようがなくて悔しいわ。おまけに女性の噂なんて神様はどれだけ試練をお与えになるのかしら」
「病気なのですから帰してくださればいいものを、殿下も酷いことをなさるものです」
「人が足りないそうよ。きっと上に立つ者は何があっても役目を果たすようにとのお考えなのよ」
「偉い方のお考えはこのメアリーには理解ができませんが、取り敢えず裏切り者を探すことを最優先いたします」
「お願いするわ」
その言葉を聞いて頷くとメアリーは急い出て行った。
アレクシアの心の中は不安で荒れに荒れていた。
自分だけに向いていたと思っていた愛情が、他の女に向いているのかも知れないと思った時の、胸の奥から勝手に湧き出るドロっとしたような感情と、嘘だと思いたい気持ちがせめぎ合って苦しくて仕方がなかった。
アレクシアはセドリックを心から愛していた。
貴族には夫が愛人を囲っている者も多い。意に沿わぬ結婚をした時に外に癒しを求めるらしい。けれどセドリックとは愛し合っていた。
両親も健在でアレクシアを溺愛してくれている。娘婿の愛人の存在を許すはずもない。記憶がないといえ事実であれば多分切り捨てられるだろう。
アレクシアは悲しみに枕を濡らし食欲がなくなっていたが、ウイリアムの顔を見て、これではいけない頑張らなくてはと心を振るい立たせるという試練の日々が続いていた。
セドリックの本当のことが分からないまま、アレクシアは悶々とした日々を帰って来るまで過ごすことになった。
ある日メアリーが胸を張って
「若奥様、噂を流していた元凶を捕まえました。メイドたちに根気よく聞いて回り若旦那様の悪口を言っていた所を捕まえました。
下級貴族の娘でこのお屋敷で立場の悪くなった若旦那様を追い出すことに成功すれば、報酬が貰えるという言葉に踊らされたようでございます。手付としてかなりのお金を貰っていたようです。
残りは成功したらと言われていたと白状しております。ただ依頼主は覆面をしローブを着ていて正体は分からないとのことでございました。処分は旦那様がされるそうでございます」
「そう、良くやってくれたわ、報酬は弾むわ。これからも私の味方でいてね」
「もちろんでございます。そんなものいただかなくてもメアリーは一生若奥様の味方でございます」
報告を聞いたアレクシアは泣いてばかりいられないと、辛い別れも選択肢の一つに入れることにした。多分後ろで糸を引いているのは政敵の貴族だろう。
セドリックがその罠に嵌っていれば離縁もやむを得ないだろうと覚悟をした。
これは家を守るための戦いなのだから。
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