テラスで見た夢
アル視点
今年初めての雪が降った日、グレース公爵家のオリヴィアが高熱で死にかけていると聞いた。その時は正直「ふーん」としか思わなかった。だってオリヴィアとは幼馴染みって言ったって上っ面だけの挨拶と世間話しかしたことなかったし、あの完璧すぎる見た目も相まって何を考えているのかわからない人形みたいな雰囲気がなんとなく苦手だった。
だから僕にとって今大事なのはオリヴィアよりもお母様の体調だった。お母様はとても体の弱い方で、最近は特にベッドに居ることが多い。稽古や勉強の合間をぬってお母様の様子を見に行くと、お母様はよく縫い物をしていた。
「何を縫っているのですか?」
「貴方が部屋で羽織れるローブよ。今のでは寒いでしょう」
「お母様、そういう事は針子に任せればよいのです」
お母様は時々このような貴族のご婦人方がしたがらないことをする。僕の服を縫ったり料理をしたり掃除をしたり。なぜわざわざそんな面倒なことをするのか理解出来なかったけれど、平民の家では当たり前のことらしい。
今では誰よりも淑女らしく、貴族を含め国民達から尊敬されるお母様だが、実はお母様は貴族の出身ではない。お母様のお父様、つまり僕のお祖父様は一代で船大工から国一番の造船業社の経営者となった人物だった。だからお母様の家は裕福ではあったけれど一般市民の生活が根強く残っていたらしい。そんなお母様が国王と結婚するときは色々と大変だったらしいけど、お母様は沢山努力をされて今では皆に認められている。僕はそんなお母様を本当に尊敬していた。僕も結婚するならわがままな貴族のご令嬢より常識を持った平民の女性が良いと思うほどに。
二日後、オリヴィアが回復したとの報告を受けた。またしても僕の心境は「ふーん」の一言だった。誰かに知られたら絶対に「王子として国民一人一人に配慮を」とかまた長い説教をされそうなのでいかにも安心したように見せた。手紙の一枚くらいなら書いてやる。そう思っていたらお見舞いに行けと言われた。げぇ。公爵家の娘ではあるが、たかが令嬢一人の為に王子が見舞いに行くものだろうか。なんだかまわりは僕とオリヴィアを必要以上に仲良くさせようとしている気がする。
そのせいかオリヴィアは年々偉そうになっている。彼女のご両親も過保護で有名だからオリヴィアは自分が特別な人間だと思っているのではないだろうか。正直、彼女と会うのは全く乗り気ではなかった。
「ごきげんよう王子様。まあきれいなお花!」
そう言って無邪気に笑うオリヴィアに目を疑った。いつもの彼女なら花も見ずに「どうもありがとう」と作り物めいた笑みを浮かべてさっさとメイドに花を預けそうなものだが、今の彼女は本当に嬉しそうに笑って花の香りを嗅いでいた。人を気遣う演技が上手くなったのか?そう思っていたけど僕の話を聞かずに勝手にお礼をしようとする姿はさすがに演技ではなさそうだ。
そして無理矢理部屋にいたメイドを追い出し二人きりになるとオリヴィアはまさかの行動に出た。薄着のまま雪の積もるテラスに飛び出したのだ。一瞬何が起きたのかわからなかったけど、我に返って急いで後を追う。テラスには積もっていた雪の代わりにやけにリアルな雪像が並んでいた。しかも羽の生えた僕に似た雪像も居て彼女が何を考えているのか本当にわからなくて困惑した。とりあえずこんなところ見られたら止めなかった僕が怒られてしまうだろうから部屋に戻るようにお願いしたけど彼女は全く言うことを聞かない。
「おねがいだから戻って下さい。ぼくが怒られてしまう」
「あら、王子様を怒る人なんていませんわ」
無邪気にそう言う彼女に苛立った。何も知らないくせに。そんな言葉が頭を占める。よく勘違いされるけど、王子様ならなんでも出来てなんでも許されるわけじゃない。むしろ他の子供達よりも厳しい稽古や勉強を積んできた。いっぱい怒られた。褒められる方が少ない。馬鹿みたいにいつもニコニコ笑っているのだって、人前でボロが出ないようにそういう教育をされてきたからだ。
「ぼくだって怒られるんです。いいから戻って下さい。せめて何かはおって」
「ちょっとまって…あ、王子様はさみ!はさみをとって下さい。私のつくえの一番上の引き出しです」
本当に人の話を聞かないやつだ。しかも自分の国の王子にはさみを取って来させるなんて。それでも言われたとうり引き出しを漁っていたらなんだかどうでも良くなってきた。彼女には繕うだけ無駄だ。
はさみを渡すとオリヴィアは何かを切ってサッと部屋に戻ってきた。寒さのせいか興奮してるせいか赤くなった頬でにっこりと笑う。その顔はやっぱり普段のオリヴィアからは想像出来ない無邪気さだった。
「なんか、性格変わりましたね。前はもっとおしとやかだった」
「そうですか?でも、これが本当の私ですから。一度死にかけてこれからは素直に生きることにしたんです」
そういうものだろうか。死にかけたことがないのでとりあえず納得してしまう。するとオリヴィアは僕の胸ポケットに白いバラの花を入れた。この小春日和の暖かさに季節を勘違いして咲いたのだろうか。というか、もしかしてこれがお礼?
「季節はずれに咲く花はえんぎが良いって言うでしょ」
初めて聞いた。プレゼントでたったの花一輪を貰ったのも初めてだ。それなのになんだかやけに特別な花に見えた。帰り道の間もずっとその花をいじったり眺めたりしていた。城に着いて真っ先に向かったのはお母様の部屋。お母様はベッドの上で本を読んでいた。
「お母様、ご機嫌いかがですか?」
「とてもいいわ。あら、可愛らしいお花ね」
「オリヴィアのお見舞いに行ってきました。そうしたらお礼にと頂きました。信じられますか?彼女、ベッドで寝ていたのに突然テラスに飛び出したんですよ」
今日起きたことのあらましをお母様に話す。テラスに薄着で飛び出す少女や、僕によく似た天使の雪像。思い出しても夢みたいな光景だった。僕がいかに彼女に振り回されたかを必死に話すと、なぜかお母様は楽しそうに笑った。
「オリヴィアは素敵な女の子なのね。お母様も仲良くなりたいわ」
「素敵なんかじゃありませんよ。あんな無茶苦茶なご令嬢初めて見ました」
そう言いながら手に持っていたバラをサイドテーブルに置かれた水の張ったコップに入れる。
「あら、くれるの?」
「はい。季節外れの花はえんぎが良いんだそうです。お母様、早く元気になって」
お母様のお腹に頭をすり寄せると頭に温かい手が乗る。どうかこの手がずっとありますように。そう願って目を閉じた。
大きく揺さぶられて目を開けた。寒い。顔を上げると目の前に人形のように整った顔の少女が大きな瞳で僕を見ていた。
「こんなところで寝ては凍死してしまいますよ!」
……。
そうだ。ここは真冬のテラスだった。そして僕は、オリヴィアの前で、泣いてしまった。
「わああああ!」
「な、なんですか急に」
急激に襲いかかる後悔と羞恥心。泣いた上に赤ん坊のように腕に抱かれて寝ただなんて一生の不覚だ!堪らずオリヴィアを突き飛ばしてしまった。
「い、いいか、絶対に誰にも言うなよ!言ったらお前の家を没落させてやる!」
「言いませんよ。なんて物騒なことを」
横暴だなんて知らない。どうでも良い。とにかく絶対にこの秘密がバレるわけにはいかない。バレたら今まで築いてきた王子としての威厳が崩れ去ってしまう。オリヴィアはどう見ても口が軽そうだ。こいつの口を一生塞ぐには…。
「よし、お前を僕の婚約者にしてやる」
「は?え、え、どうしてそうなるんです?」
「どうしてって、女性は皆王妃になるのが夢なんだろう?だから王妃にしてあげる代わりに秘密を守ってもらうんだ。それに婚約者になれば君を一生見張っていられるし」
とてもいいアイディアだと思うのに、オリヴィアは大きなため息を吐いた。というより、僕たちはいつまでこの寒空の下で話し合っているんだろう。
「 あの、王妃になんてならなくても本当に言いませんよ。私こう見えて口は堅いんです」
「嘘だ。信用出来ない」
「はいはい。でしたら今後もしも王子様が赤ん坊のようにお泣きになった上に泣き疲れてお眠りになったことが世間に知られることがありましたら私の家を没落していただいて結構ですよ」
「悪意のある言い方だな」
しかしそこまで言われてしまうとこれ以上何も言えない。王妃にしてやると言って喜ばない女がいるとは思わなかった。やっぱりオリヴィアには普通の女性の常識は通じないようだ。
「王子様、もう部屋に入りましょう。私すっかり冷えてしまいました」
「名前でいい」
「え?」
「アルでいい。約束を忘れるなよ、オリヴィア」
誰かに名前を呼ばせる許可をしたのは初めてだった。別に特に理由はない。それか約束を破らなせない為に印象付けたかったのかもしれない。
オリヴィアにまた何か言われるのが面倒で逃げるように先に部屋へと戻る。少しだけ振り返ると、扉の締まり際、オリヴィアの口が「アルさま」と動くのを見た。




