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見舞客

 眠っている間、パズルのピースを埋めていくように記憶が一つ一つよみがえって、一人の女性が浮かび上がってきた。

「タカナシ ユミ」会社員のお父さんと専業主婦のお母さんがいて、4つ下に妹がいる。大学を卒業してからデザイン事務所にアシスタントとして就職。26歳の11月に4年間付き合ってた彼にプロポーズされて、その1ヶ月後に妹と乗っていた車に雪でスリップした対向車が突っ込んできたんだ。

 ということは、私、死んじゃったのかな。


「…ヴィア、オリヴィア」


 誰かが頭を撫でている。その手のひらも、私の名前を呼ぶ声も優しかった。ゆっくりと目を開くと綺麗な女の人が私を見つめていた。目を開けた私に安心したように微笑む姿は、娘ながらドキドキしてしまうほど綺麗な人だった。


「お母様」


「ああ、オリヴィア。目が覚めてくれて良かった」


 お母様のハグとキスの嵐を受けながらさっきの夢を思い出す。私はユミじゃない。この美しすぎるお母様と、グレース公爵家の当主であるお父様達の愛を一身に受けて育ったオリヴィアだ。ちなみに今年6才になる。

 でもあれを夢と一言で終わらすには無理がある。だって私の中にはユミの記憶や感情がしっかり残っていて、下手したらこの世界が夢で、ユミは事故にあって長い夢を見ているのではないかとさえ思えるのだ。


「オリヴィア、大丈夫?まだ具合が悪いの?」


「んーん。ずっと寝てたから、頭がぼーっとするの」


 考えてもキリがないな。とりあえず、あれは前世の記憶ということにしとこう。記憶喪失ってわけでもないし、オリヴィアの精神年齢がちょっと上がったくらいで特に問題はない。まあ人に言えば頭がおかしいと思われるだろうけど。


「よく眠っていたものね。おかげで熱もだいぶ下がったみたい」


「じゃあもう起きていい?雪がつもってるでしょ。門の前にね、大きな雪だるまを作りたいの」


 精神年齢が上がったと言っても子供の好奇心には勝てない。だって窓の外は銀世界。しかも都会のべちゃべちゃした雪じゃなくてよくテレビで見るさらさらな上質な雪なんだもん。あれなら思いっきり雪合戦しても痛くないわ。わくわくしながらお母様を見ると、お母様は驚いた顔で私を見ていた。


「外に出るなんて絶対に駄目よ!それに女の子が雪で遊ぶだなんて品がないわ。どうしたの?普段はそんなこと言わないのに」


 なんかすごい心配されてる。そっか、今までのオリヴィアはやりたくても我慢してたんだ。でもまだ6才なんだから外で遊びたいのは普通なことだし、我慢ばかりさせるのは子供の情操教育にも良くないだろうし。て言っても教育評論家じゃないからよくわかんないけど、いいじゃん、子供の可愛い我が儘くらい。


「ちょっとだけだから、だめ?」


 毛布を鼻までひっぱり目で訴える。これでもかと言うくらい眉を下げるのがポイント。そうするとお母様も困ったように眉を下げた。


「…そうねぇ。ちょっとなら遊んでもいいけど、やっぱり熱が完全に下がってからにして頂戴。大丈夫、雪ならこれからも降るわ」


 手強いな。まあ仕方ないか。昨日まで生死をさまよってたらしいし。そう納得したが、私はお母様の過保護を舐めていたと後に知る。





 目を覚ましてから5日がたった。体調はすっかり回復したにも関わらず、私は未だに部屋を出られないでいる。

 お母様は私が思っていた以上に過保護で心配性だった。メイドが部屋の換気の為に窓を開けようならすぐさま部屋を移される。なのでここ数日外の空気にも触れていない状態なのだ。それもそれで健康上どうかと思うけど。

 さらにお父様もなかなか厄介だった。親バカとはこの人のことを言うのだと言うくらい私にメロメロなお父様は毎日のように私に贈り物をしてくる。一回お父様にも「外で雪だるまが作りたい」と言ったら何故かプロの彫刻家が来て私のテラスにリアルな雪像を作って行った。テーマは女神の誕生。裸体の神様やら天使達がいっぱい居てどういうつもりでこれを子供部屋のテラスに作ったのか聞きたい。そんな雪像達も本日の小春日和の日差しに若干溶けつつあった。


「暇だわ…」


 何度呟いたかわからない言葉が口から溢れる。読み飽きた本を閉じてベッド脇に投げるように置くとカミーラの眉がピクリと動いた。だってこのベッド無駄に広いんだもの。カミーラの厳しい視線を感じながらゴロゴロしていると、慌ただしく一人のメイドが入ってきた。またしてもカミーラの眉がつり上がる。


「なんです騒々しい」


「申し訳ありません。お嬢様、アルフォンス王子がお見舞いにいらっしゃいました」


「まあ!」


 久しぶりの来客に私が呑気に喜んでいるとカミーラが慌てて私の身なりとベッドを整えた。最後に「くれぐれも失礼のないように」と一言くぎを刺されるとメイドがドアを開ける。


「こんにちは、オリヴィア」


 メイドに連れられにこやかな表情で入ってきたのは私の幼なじみで我が国の第一王子、アルフォンス様だった。幼なじみと言っても親に連れられて行ったお茶会で何度か喋っただけだし、相手はこの国の王子なので私のことを幼なじみと思っているのかも謎だが、それでもあまりに暇だった私は年の近い友人の来訪が素直に嬉しかった。


「ごきげんよう王子様。まあきれいなお花!」


 キラキラの笑顔で花束を渡す姿は王子様の鏡だ。見た目だってサラサラのプラチナブロンドにグレーの瞳は今まさにテラスで溶けかかっている天使様のよう。ふと彫刻家が実際に王子をモデルにして作った可能性が過ったが今は深く考えないことにしておく。


「あぶない状況だったと聞きましたが、思ったより元気そうですね。いえ、そのままで、すぐに帰りますから」


ベッドから出ようとする私に気を使ってくださる王子様。6才児でこの気遣い。一体どんな王子様教育を受けているのだろうか。


「いいえ!せっかく来ていただいたんだもの、何かお礼しなきゃ!」


「いや、少し寄っただけなのですぐに帰りますよ」


「なにがいいかしら」


「あの、話聞いてます?」


 ああ、王子様が来てくれるとわかっていたら尚更門の前に雪だるまを作ってお出迎えしたのに。でも作れなかったものは仕方ない。とりあえずせっかく来てくれた王子様へのお返しを考えていると、手元の花束が目に映った。そうだわ!


「ねえカミーラ、このお花束をお水に入れてきてくれる?」


「今お茶を淹れに行っているメイドが戻ってきてからにしましょう」


「ダメよ!せっかく王子様にもらったお花が枯れてしまうわ!」


「……かしこまりました。私が戻るまでくれぐれも失礼のないように」


 最後までチラチラと不安気に私を見ながらカミーラは出て行った。私ってそんなに信用ないのかしら。でもやっとお目付け役が居なくなって王子と二人きりだ。


「よし!王子様、少し待っていてくださいね」


「え、ちょっと、どこに?」


 カミーラが戻る前に終わらせなければ。私は急いでベッドから下りてテラスへと向かった。両開きの扉を開けると数日ぶりの外気が体を冷んやりと包む。その後ろを焦った様子で王子様が追いかけて来た。


「かってに外に出てはダメですよ!」


「大丈夫です。すぐに戻りますから」


 テラスに出て初めて間近に見た雪像は思いの外大きかった。そして天使はやはり王子様そっくりだった。雪像を見て何か言いたげな王子のことは無視する。私が今必要としているのは雪像ではないのだ。


「おねがいだから戻って下さい。ぼくが怒られてしまう」


「あら、王子様を怒る人なんていませんわ」


 怒られるとしたら私だろう。カミーラにこっぴどく。そしてお母様に泣かれる。


「…ぼくだって怒られるんです。いいから戻って下さい。せめて何かはおって」


「ちょっとまって…あ、王子様はさみ!はさみをとって下さい。私のつくえの一番上の引き出しです」


「……はぁ」


 目的のものを見つけ王子から受け取ったはさみで切ると、急いで室内に戻って扉を閉めた。


「ほら、すぐだったでしょ」


 にっこりと微笑んでそう言うと王子は眉を寄せて私を見ていた。


「なんか、性格変わりましたね。前はもっとおしとやかだった」


「そうですか?でも、これが本当の私ですから。一度死にかけてこれからは素直に生きることにしたんです。それよりもこれ、今日来てくれたお礼に」


 そう言って王子の胸ポケットに白色の小さなバラを入れる。今朝テラスに出たメイドが一輪だけ咲いていたのを見つけたのだ。


「バラですか?」


「はい。季節はずれに咲く花はえんぎが良いって言うでしょ」


「それは初めて聞いたけど、でもまあ、ありがとうございます」


 いつも笑顔の王子には珍しいぶっきらぼうなお礼だった。そしてカミーラが花を活けた花瓶を持って戻ってくると、王子は本当にお茶も飲まずにさっさと帰ってしまった。


「気に入らなかったのかしら…」


「それよりもお嬢様、どうして私が花を活けている間にこんなにも室内の温度が下がっているのでしょうね」


「……さて、もう少し寝るとしますか」


「お嬢様」


 そしてその日はカミーラの長々とした説教と、お母様の泣きながらの説教を両方聞くはめになったのだった。

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