47.退屈
「奥様、お茶のお代わりはいかがですか?」
「いただくわ。ありがとう、ナージャ」
オパールとナージャがパスマの港に移送されて五日。
何の変化もなく、オパールは暇をもてあましていた。
だがそれもオパールたちだけで、コールたち反国王派は苛々しながら落ち着きなく動いている。
王都で反乱軍が蜂起してからもうすでに八日になるのだが、何の経過報告もないのだ。
「王都近くの港からここまでは船なら三日で到着するのに、何の連絡もないなんてねえ。陸路はもっとかかるから、コナリーなんてあの大切な真珠宮の中を歩き回っているんじゃないかしら」
「いったいどうなっているのでしょうか? それに旦那様はご無事でしょうか?」
「クロードなら大丈夫よ。だけど、せっかくナージャが作ってくれたズボンを穿いていたのに、クロードと逃げることはできなかったわね」
「まだ希望は捨てていません。きっと旦那様が颯爽と奥様を攫いに現れますよ!」
「じゃあ、そのときはナージャも一緒に逃げないとね」
オパールはナージャに悪戯っぽく片目をつぶってみせた。
それだけ余裕があると思わせるためだ。
実際、現状についてオパールは楽観していた。
窓の外にも扉の外にも昼夜を問わず常に見張りがいるため、この部屋が二階でも木を伝って逃げることはできない。
だが、その必要はないとオパールは判断したのだ。
ここで待っていればいいと。
ジュリアンが言っていた反乱軍の計画では、もし一斉蜂起が失敗しても兵たちはやはり港から船でこのパスマ港へと逃れ、ボッツェリ公爵領に立てこもって戦うらしい。
前回の内乱では公爵領の境界になる山岳地帯が自然の要塞と化し、港を封鎖するだけで上手くいった。
そのため、今回も同様の手を使うつもりなのだろう。
当時、反アレッサンドロ派を一掃できなかったのも深追いは危険だと判断されたためだ。
だがアレッサンドロが二度も同じ手でやられるわけがない。
今になってわかるのは、この四年の間で領地改革に着手しようと見せかけて、その裏で多くの人材をボッツェリ公爵領に送り込んでいたのだろう。
(ほんと、上手く使われたわね……)
オパールは資産だけでなく実績があるだけに、領地改革のために動き始めていた。
要するに鉱山へ視察に行く前から――ボッツェリ公爵領に入ったときから、陽動の役目を果たしていたのだ。
しかし、それも危険がないと――かなり安全を保証できる状態になったからだと考えられる。
『――なぜだ! なぜ蜂起に失敗したなら、兵たちは港に着かんのだ!?』
「あらあら、あんなに大声を出すなんて、そうとう苛立っているわね」
「奥様、コールさんは蜂起に失敗したって言ってますね?」
隣の部屋から聞こえてくるコールの怒鳴り声に、オパールとナージャは顔を見合わせた。
オパールは微笑み、ナージャは嬉しそうに顔をほころばせる。
「クロードが襲撃を逃れてリード鉱山に現れたように、おそらくあちらこちらで反乱軍の計画は失敗していると思うわ。だけど上手くいっているように情報が操作されていたのよ。この報せは陸路を通ってようやくここに届いたのね。今頃、コナリーもカッカしているでしょう」
「じゃ、じゃあ、パスマ港に反乱軍はやってこないってことですか?」
「まず間違いなくね。そもそも王都近くの港に、兵が乗り込めるような船を待機させられるわけがないわ。たとえ商船か何かに偽装していたとしても、国王陛下ならすぐに気付くでしょう。そして……そうね、私なら乗組員を拘束するか何かして味方を潜り込ませて船の動力を壊し、残党兵が乗り込んでくるのを待つわね」
「一網打尽ってやつですね!」
「ええ」
ナージャは物語でも聞いているように、目をキラキラさせて答えた。
オパールは肯定するように頷く。
「おそらく海上は――パスマ港もそうと知られないように封鎖されているはずよ。だからコールたちはすぐに海へ逃げることもできないわね。もちろん――」
オパールはさらに言いかけたが、部屋の扉が急に開いたことで口を閉ざした。
食事の盆を持って入ってきたジュリアンの頬は腫れている。
「殴られたの?」
「ご主人様はご機嫌ななめらしい」
「そんな……すぐに冷やしたほうがいいんじゃない?」
「放っておけよ」
ハンカチを濡らそうとして立ち上がったオパールに向かって、ジュリアンは右手をぞんざいに振った。
盆を受け取ろうとしたナージャがその態度に腹を立てる。
「ジュリアン。あなたねえ、奥様が心配してくださっているのに、その態度は失礼よ」
「心配してもらって腹の足しになるのか?」
「馬鹿なことを言ってないで、とにかく冷やしましょう」
オパールは濡らして絞ったハンカチをジュリアンの頬へ当てようとした。
その手をジュリアンは掴む。
「ずいぶん余裕だな。人の心配をしている場合か?」
「ずいぶん余裕がないのね。そろそろ降参したら?」
「もうすぐ内部崩壊が始まるさ」
「もうすでに始まっているのではなくて?」
ジュリアンは押しのけるようにオパールの手を離すと、ふんっと鼻を鳴らした。
よろけるオパールを慌ててナージャが支える。
「ちょっと、ジュリアン!」
「お前はご主人様のその生意気な口を閉じさせておけよ。人を苛々させるからな」
ナージャの抗議にジュリアンは答えて、部屋から出ていった。
ハンカチは使われないまま、オパールの手の中にある。
「もう! 本当に腹が立つ! 奥様、大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、ナージャ」
体勢を整えてまっすぐに立ったオパールは、濡れたハンカチを洗面器の縁にかけた。
その後片付けをしようとしたナージャを止める。
「先にご飯にしましょう? 冷めては美味しくないわ」
「……はい」
今はナージャも暇すぎて、楽しみといえばご飯くらいしかない。
そのため素直に従って、テーブルに食事を並べてからオパールの向かいに座った。
本来なら主人と同じ席に着くなど許されないが、状況からナージャはオパールの誘いを受けることにしたのだ。
「ようやくコールたちは海上が封鎖されていることに気付いたのでしょうね。それでジュリアンを殴らずにはいられないくらいに苛立っているんだわ」
「それでは、奥様は初めからわかっていらっしゃったのですか?」
「陸路にしろ海路にしろ、補給路を絶つのは戦の基本だわ。逆に言えば、何があっても補給路は確保しておかなければいけないのよ。それができていないってことは、反乱軍の指揮官はよほど戦に慣れていないか、情報戦にすでに負けているかってことね」
「情報戦……」
ナージャはオパールの言葉を呑み込むように呟いた。
口の中のパンも一緒に呑み込んだようだ。
その姿にオパールは微笑み、果実酒を口に含む。
夕食のときだけジュリアンは果実酒を持ってきてくれる。
お茶にしてもそうだが、何だかんだとジュリアンはよく気を遣ってくれていた。
「八年前、疫病のせいで混乱していた大変なときに、この国は王位継承争いで内乱に発展してしまったわ。私からしてもなんて馬鹿なことをと腹が立ったけれど、この国の人たちは――この国の民を想う人たちは特にそう思ったでしょうね。だけどあのときには民のためになんて耳に心地よいことを言う王子殿下が――真偽は別として王子殿下が旗印になっていたわ。その後見にボッツェリ公爵という強大な力を持った人物がいた。でも今は?」
「え? あ、そういえば誰が反乱軍の中で一番偉いんでしょう? コナリーさんやコールさんじゃないですよね?」
「ええ、彼らでは反乱軍を率いることはできないわ。そして私たちが知らないように、反乱軍の大半が自分たちの将を知らない」
「それって、私ならやる気が出ません。私は奥様のためだから仕事が楽しいんです」
「ありがとう、ナージャ」
ナージャの言葉にオパールはお礼を言って、パンをちぎって口に入れた。
結局、そういうことなのだ。
それぞれの反乱軍の指揮官はさすがに誰が首謀者かを知っているだろうが、兵たちにしてみればよくわからないまま国王に剣を向けることになる。
それで士気が上がるわけがない。
反乱軍としてはできるだけアレッサンドロ派に気取られないようにと動いたことが裏目に出たのだろう。
「それでは、国王陛下はご存じなんでしょうか? 旦那様は?」
「間違いなくご存じでしょうね。おそらくクロードが私と一緒にソシーユ王国に戻ったときに確信を得たはずよ」
「ソシーユ王国で?」
「ええ。だからこそ、クロードは私と一緒にこの公爵領に来ることはできず、亡くなったことになってリード鉱山に現れたの」
そう言ってオパールは嬉しそうに微笑んだ。
それはまるで悪戯が成功したときの子供のような笑顔で、わけがわからないナージャまでも嬉しくなったのだった。




