45.嘘
「やあやあ。お元気そうで何よりですな、公爵夫人」
「元気そうに見えたのなら嬉しいわ」
「おや、ご機嫌はよろしくないようですな」
「こんな場所に閉じ込められて、機嫌よくしていられるかしら?」
「確かに公爵夫人にこのような場所は手狭でしょうが、今しばらく我慢してください」
屋根裏部屋に顔を覗かせたコールの挨拶に、オパールは不快極まりないといった様子で答えた。
その返答を得たコールはご機嫌そのもので、背後に立つジュリアンも笑顔だ。
オパールが閉じ込められてからすでに十日余りが過ぎており、そろそろ何か動きがあるだろうと思っていたところだった。
「朗報ですぞ。いや、公爵夫人にとっては悲報ですかな」
コールは大きな体を揺らして今にも踊りだしそうなほど喜んでいる。
その姿をオパールはにこりともせずに見つめて待った。
しかし、コールは気にした様子もない。
「我が儘な公爵夫人は鄙びたボッツェリ公爵領に耐え切れず、刺激を求めて男と逃げた、と国中で噂になっておりますよ。ただ皆、それほど驚いてはいないようですなあ」
「そんな噂は今さらだわ。クロードだって……公爵様だって信じないに決まってるもの」
オパールはつんと顎を上げて答えた。
強がってみせるオパールに、コールだけでなくジュリアンまでにやにや笑う。
ナージャは心配そうにオパールを見ていた。
「その公爵ですがね、恐ろしいことに行方不明なのですよ」
「嘘よ!」
今までの態度とは違って、オパールは驚き立ち上がってコールの言葉を強く否定した。
その顔は青ざめ、手は震えている。
コールはまるで同情しているかのように表情を曇らせて首を横に振った。
「いいえ、残念ながら本当です。公爵夫人の不貞に耐えかねて行方をくらませた、とか、捜しにソシーユ王国に向かった、など様々ですが、確かな情報筋によると王都に戻る途中で野盗に襲われ命を落としたとか……」
そこで言葉を切り、コールはちらりとオパールに視線を向けた。
オパールは両手で口を覆い、悲鳴を抑えているかのように見える。
「もちろん、この情報は伏せられております。アレッサンドロにとって、ルーセルを失うのはかなりの痛手だ。もしこのことが貴族たちに知られでもしたら、アレッサンドロは中立派の者たちまで敵に回してしまうのですからなあ」
「何を……何を言っているの? 中立派とか、今はもう関係ないはずよ」
「夫人はルーセルにそのように言いくるめられてこの国へ嫁いでこられたのですかな? 何せ夫人の資産は莫大だ。アレッサンドロとしては、我々に対抗するためにも資金は多いほうがいい」
オパールは信じたくないとでもいうように何度も首を振って、力尽きたようにベッドに腰を下ろした。
するとナージャがオパールの足元に膝をついて慰めるかのようにその手を握る。
「ありがとう、ナージャ」
「おやおや、公爵夫人にこの話は酷でしたかな。このような場所で過ごすなど心労も大きいでしょう。条件次第ではこの部屋から出してさしあげてもかまいませんよ」
「……条件?」
「大したことはありません。手紙を書いてほしいだけです」
「またなの? 今度は誰に?」
「もちろんルーセルではありませんよ。天国に宛てても仕方ない。書いてほしいのはお父君であるホロウェイ伯爵と元ご夫君のマクラウド公爵ですよ」
「クロードは――ボッツェリ公爵は生きているわ。それに資金が必要なら私の管財人に連絡すればいいのよ。共同経営者である二人に手紙を書く必要はないわ」
オパールはどうにか気を取り直し、気丈に振舞っているように見せた。
それはコールには強がりに映っただろう。
実際、クロードが十日ほど前に屋根裏部屋に現れなければ、心配のあまり演技ではなく本気で取り乱したかもしれない。
だからこそ、クロードは無茶をして姿を見せてくれたのだ。
「確かに資金も必要ですが、それよりも今はソシーユ王国から横やりが入らないようにする必要があるのですよ。最近ではソシーユ王宮内でマクラウド公爵の発言権は大きくなっているようですからな。またホロウェイ伯爵の影響力は言わずともご存じでしょう?」
「……それで、私に何を書かせたいの?」
「お二人は――特にマクラウド公爵はアレッサンドロに恩がある。四年前のマンテスト開発の件を持ち出されては、マクラウド公爵はアレッサンドロに有利なようにソシーユ王国内で動くことになるでしょう。ですから、アレッサンドロの要請を無視するように、と書いてほしいのですよ」
「マクラウド公爵が私の頼みを聞いてくれるかしら? 共同経営者ではあっても、今はすでに他人なのよ?」
馬鹿馬鹿しいというように、オパールは肩を竦めた。
すると今まで黙っていたジュリアンが口を開く。
「命乞いをすればいいのさ。マクラウドはまだお前に未練があるとの噂だったぞ。だからルフォン伯爵令嬢との再婚話も潰れたとか。きっと喜んで金も出してくれるさ」
「……そんな馬鹿げた話があるかしら? 私はあなたと駆け落ちしているのでしょう? それでマクラウド公爵が動いてくれるとでも? そもそもあの父が――ホロウェイ伯爵が儲けにもならないのに、たかが娘のために動いてくれるかしらね?」
オパールはジュリアンを睨みつけながら問いかけた。
そんな視線をものともせず、ジュリアンはオパールを真似るように肩を竦めた。
「残念ながら俺との逃避行は失敗に終わったんだよ。そうだな、パスマ港あたりで反国王派に捕まったことにすればいい」
「それで、身代金を――いいえ、ソシーユ王国の動きを阻止することができたら、私は用なしね」
「相変わらず小賢しいやつだな。だが心配しなくても、お前からはまだ金を引き出さなければならないからな。命の心配はするなよ」
「命ね……」
オパールとジュリアンの口論のような会話に、コールは口を挟めないようだった。
しかし、がははと大声で笑って遮る。
「いやはや、さすがジュリアンはコナリー殿が目をかけているだけはある。度胸も頭もよいようだ。――さて、今日の夕方までには先ほど申した手紙をご準備いただけますかな?」
「書かなければ?」
「我々が握っているのはあなたの命だけではありませんよ」
嫌らしい笑いを浮かべて、コールはナージャをちらりと見た。
ナージャはキッと睨み返す。
「やはり主人の気が強いと、侍女まで似るのですかな」
独り言のように呟いて、コールは再び大声で笑い屋根裏部屋から出ていく。
その後ろに続きながら、ジュリアンは扉に手をかけ一度足を止めた。
「急げよ。明日には王都で反国王派の兵が蜂起するぞ。その報せより先にマクラウドたちにはお前の嘆願書を届けなければならないんだからな」
ジュリアンの言葉にナージャは小さく悲鳴を上げた。
だがオパールはじっとジュリアンを見つめ、ふっと笑みを浮かべたのだった。




