39.資料
「上手くいったようですね」
「ありがとう、ジュリアン。それで、どうしてまだあなたがいるのかしら?」
オパールは到着した農機の荷揚げを見届けると、派遣されたオマーの個人的な部下二人と打ち合わせをすることもできた。
そしてまず鉛鉱山への視察に出発したのだが、なぜかジュリアンも同行しているのだ。
そんな疑問を口にすれば、ジュリアンはにっこり笑う。
「コナリーさんは奥様のことを心配なさっていましたから。パスマ港に何度か訪れたことのある私をお供につければ安心だと思われたのでしょう」
「ええ、それはありがたいわね。でも今は鉱山に向かっているのよ。あなたはコナリーの許へ戻るべきじゃない?」
「ですが、鉱夫たちは荒くれ者が多く、鉱山もまた危険が多いですから心配されているのです」
「コナリーが? だとしても、あなたが対処するのは難しいんじゃないかしら」
「奥様は私をそのようにお思いですか?」
「ええ。私はジュリアンが今まで何をしていたか、さっぱりわからないもの」
移動途中の宿屋で夕食の給仕をしながら、ジュリアンは片手で胸を押さえて嘆く。
オパールの言葉に傷ついたふりはあまりに白々しい。
今回の道中、オパールとジュリアンは常にこんな感じでやり取りをしているせいか、ナージャまでもが二人は仲がいいと勘違いしていた。
そのため、ナージャはジュリアンに言いくるめられ、今は隣室でオパールが明日着るドレスの用意をしている。
「やっぱりもう一人連れてくるべきだったわね……」
今回の視察に他の女性使用人は連れてきていないので、ナージャ一人に負担をかけていた。
賊が出るとの報告は受けていないが、鉱山までの道程は危険もあるだろうと護衛を増やし、足手まといになる女性はできるだけ少ないほうがいいと判断したのだ。
オパールの荷物も貴族女性としては驚くほど少なく、ドレスも数枚しか持ってきていない。
そのため、オパールとしては毎日同じドレスでもいいと思うのだが、ナージャが許してくれなかった。
あれやこれやと工夫して毎日違った服装にしてくれる。
「とてもよい侍女だ……」
「自慢の侍女だもの。――彼女に手を出すことは許さないわよ」
オパールにつられて隣室に目を向けたジュリアンは、思わずといったように呟いた。
それを聞いたオパールは当然だとばかりに答えたが、はっとしてすぐにきつい口調で忠告する。
この旅でナージャとジュリアンはかなり親しくなっているのだ。
「ご安心を。己の立場は十分に弁えております」
「――そう。それならいいわ」
深く頭を下げるジュリアンの顔に小ばかにしたような笑みが浮かんでいるのをオパールは見逃さなかった。
以前からジュリアンはこの笑みをよく見せる。
だがオパールは何も言わずに食事を続けた。
明日には鉱山の麓の町に到着する。
そうすればボッツェリ公爵家所有の屋敷があるらしいので、そこにはもっとちゃんとした従僕がいるはずだ。
それまでの我慢だとオパールは自分に言い聞かせた。
そして翌日。
町に入ったオパールはマンテストとの違いに愕然とした。
もちろんマンテストがかなり働きやすい場所だということは理解している。
そのように経営者として努力もしてきたのだ。
「なんだか怖いですね……」
オパールと一緒に車窓から町の様子を見ていたナージャが呟いた。
男性たちは働きに出ているのだろう。
町には女性と子供、老人しかいないのだが、彼らはオパールが乗った馬車を恨めしそうに見ていた。
その体は皆やせ細っている。
「これはかなり手強そうね」
オパールは冗談めかして言いながらも、本当は少し怖かった。
しかし、初めてマクラウド公爵家に足を踏み入れた時の気持ちを思い出す。
あの時だって本当はすぐにでも逃げ帰りたかった。
それでも意地っ張りで頑固な性格がオパールの邪魔をしたのだ。
今は意地など関係なく戦わなければならない。
負けるものかと決意したオパールは、公爵家の屋敷らしい建物を見て眩暈がした。
「わあ……」
脱力するような声を上げたナージャの気持ちもよくわかる。
貧しい町を悠々と見下ろす小高い場所に立つ屋敷は王都にある貴族の邸宅のようだった。
そして到着したオパールを迎えたのはでっぷりと太った男性。
「ようこそいらっしゃいました、ボッツェリ公爵夫人。私はリード鉱山を含むこの町の管理を任されております、コールと申します」
「コール、これからしばらく滞在するからよろしくお願いね」
仕立てのいい衣服を身にまとってコールは恭しくお辞儀をした。
その背後に控える屋敷の使用人たちも皆、町の人たちとは違い血色がよく身なりも整っている。
これだけ間近で格差を見せつけられては、公爵家の者たちが恨まれても仕方ないだろう。
屋敷に足を踏み入れたオパールに、コールはあれこれと話し始めた。
その内容は自分がいかにこの土地を上手く治めているか、少ない採掘量でもどうにか赤字を出さずに運営している自分の才覚――要するに自慢話だった。
「――このお屋敷で働く人たちは、皆さんこの土地の人たちではないみたいです。十年ほど前にこのお屋敷が建てられて、それでこの土地に移ってきたらしいですよ」
「やっぱりそうなのね」
夕食の間も同席したコールに自慢話を聞かされてうんざりしていたオパールに、ナージャがさっそく仕入れてきてくれた情報を教えてくれた。
そんな予想通りの内容にオパールからため息が漏れる。
近い将来、町の人たちの暮らしが楽になっても、今まで満たされた生活をしていた屋敷の者たちと上手くいくわけがない。
この問題も解決しなければと考えたが、疲れていたオパールはベッドに入るとすぐに眠りについた。
――翌朝。
鉱山への案内を頼むと、あれほど愛想のよかったコールからは拒絶の言葉が返ってきた。
「申し訳ございませんが、山へ奥様をご案内することはできません」
「どうして?」
「もちろん危険だからです」
「あら、心配はいらないわ。坑道に入ることは過去に何度も経験があるから慣れているもの。とにかく私は視察に行くわよ。今日が無理なら明日にでも。あなたが無理なら他の者を案内につけてね」
余裕を持って微笑みながらも有無は言わせなかった。
そしてさらに続ける。
「あとは、そうね。鉱山の採掘量や輸出先についての資料を見たいから用意してくれるかしら? あとで書斎に行くわ」
「し、資料ですか?」
「そうよ。きちんと管理していたなら記録があるでしょう? あなたも忙しいでしょうから、同席してくれなくても大丈夫よ。後で質問はするかもしれないけれど」
「――かしこまりました」
渋々ではあったが了承したコールに満足したオパールは席を立った。
一度部屋に戻り軽く身だしなみを整えてから、書斎に向かう。
書斎に入るとコールはすでにいくつかの資料を机の上に積み上げていた。
「これらがここ五年の資料です。鉱山へのご視察を手配してまいりますので、私はしばらく留守にします。ですので、もしわからないことがございましたら、後でご質問ください」
「ありがとう、コール。助かるわ」
オパールが感謝の笑みを浮かべると、コールは頭を下げてから書斎を出ていった。
それからのオパールは資料を読むことに没頭した。
コールが自画自賛していたように、資料はしっかりと整えられている。
しかし、なぜかオパールは違和感を覚えた。
言葉にするなら数字が綺麗すぎるのだ。
何か別の資料はないかとオパールが立ち上がって書架を調べているとき、ノックの音が響いた。
「お茶をお持ちいたしました」
「ありがとう。そこに置いてくれる?」
オパールが目を通していた資料から顔も上げずに答えると、しばらくして急に背後に人の気配を感じた。
驚き振り向こうとした瞬間、肩に強い衝撃を受ける。
オパールは声を上げることもできず、そのまま意識を失ったのだった。




