32.公爵領
オパールは沿道に並ぶ人たちに手を振りながら、小さくため息を吐いた。
皆、頭を下げているのでオパールのことは見えていないだろう。
公爵領を訪れることは前もって知らせてはいなかったが、やはり伝わったらしい。
それは予想していても、こうした出迎えは予想していなかった。
(領館に到着したら、まずはこういう出迎えは必要ないことを伝えないとダメね)
出迎えはできても領地の現状を隠すことはできなかったらしく、ありのままの領地の様子を見ることができたので、この突然の訪問も成功と言える。
この土地を管理している者が不正をしていると疑っているわけではないが、たいていの者は土地管理が上手くいっていない場合、それを隠そうとするものだ。
この土地に関しては、事前報告から貧しさは管理人のせいではないとわかっている。
だからこそ、オパールはそれらを是正するために来たのだ。
もちろん全てが解決できるとは思ってはいないが、始めなければ何もできない。
(ただ……みんなの表情に怯えが見えるのが気になるわね……)
貧しさからの疲労や無気力さではなく、明らかにオパールに対して――領主の妻である公爵夫人に対して怯えている。
だが中には反発を隠している者もおり、これからの計画が容易く進められるわけではないことを示唆していた。
やがてボッツェリ公爵家の敷地内に入ったオパールは、遠くに見える領館の姿を目にして驚いていた。
ナージャにいたっては口が開いたままである。
「こんなにすごいお城は初めて見ました!」
「そうね。〝北の王宮〟とはよく言ったものだわ」
話には聞いていたが、これほどに荘厳で美しいとはさすがに想像していなかった。
ボッツェリ公爵家の領館は北の王宮、そして〝真珠城〟とも呼ばれている。
それは何世代か前の公爵家が国家を二分するほどの権力を握り、王家を脅かしていたからだ。
その時代に建てられたこの領館は権力を誇示するかのように、この地方では採掘できない乳白色の石材が大量に使用されていた。
真珠城と呼ばれるのはその色だけでなく、石材を運搬するために海路を利用したからだろう。
(これだけの石材を運ぶには、産地からだと陸路を利用するのは大変だものね)
オパールは頭の中に石材の産地を思い浮かべて考えた。
このボッツェリ公爵領を含む北部は山岳地帯も多く、他の地域から石材を運ぶとなるとかなりの重労働になり、資金も時間もかかったはずだ。
そのため公爵領にある鉱山から産出される鉱石は海路を利用して諸外国――ソシーユ王国などに多く輸出されている。
逆に諸外国から輸入されることも多い。
(石材はおそらく、ソシーユ王国から運ばれたんだわ……)
オパールたちが所有しているマンテストよりも北部に大きな採石場があるのだ。
あの地域には大きな港もあり、輸出入が盛んに行われている。
公爵領の銀鉱山から採掘される銀もほとんどが輸出され、その港に運ばれていた。
それが八年前の反王弟派の資金源として大きく占めていたのだろう。
ボッツェリ公爵領は王都より離れ、間に山岳地帯を挟み、独自に貿易ルートを確保していたのだから、今までも王家にとっては脅威だったはずだ。
それが八年前のことで如実に表れたのである。
それなのにアレッサンドロ国王がこの地を直轄地としなかったのは、クロードがそれだけ信頼されているからか、王家に管理するだけの力がまだ備わっていないからか。
(まあ、後者のほうが大きいでしょうね)
抜け目のないアレッサンドロ国王のことを思い出し、オパールはため息を吐いた。
まだ若い王子たちが治めるにはこの地は難しすぎる。
ここ数年は代理の者が管理していたようだが、改革を断行することはできなかったようだ。
先に聞いていた前任者からの報告では、この土地の者はかなり閉鎖的で新参者を受け入れないとあった。
そこでクロードに丸投げすることにしたのだろう。
しかもタイミングがよすぎることから、マクラウド公爵領を立て直したオパールの力量と資金力を知ったうえでの判断だったはずだ。
(攫ってでも戻ってこい、ね……)
アレッサンドロの何気ない一言までにも様々な思惑が隠れているような気がする。
そもそも今回オパールが一人で来ることになったのも、アレッサンドロからクロードへの突然の呼び出しが始まりだった。
(酷いわよね、陛下も。新婚の夫をあんなに働かせるんだもの。だから絶対この土地を豊かにして返上してみせるわ!)
オパールはむかむかとアレッサンドロに腹を立てていた。
この土地は重要拠点であるため、将来的にはどこか無難な王家の土地と交換することになるだろう。
それは当然の処置なので気にならない。
だからといって、手を抜くつもりもまったくない。
やる気に満ちたオパールは両手を固めて、決意を固めた。
そこにナージャの声がかかる。
「奥様、お顔がとっても怖いです。みんな震えてしまいますよ」
「あら、失礼」
どうやら眉間にしわを寄せて顔つきまで固まっていたらしい。
オパールがわざとらしく高飛車に答えると、向かいに座っていた侍女とメイドがくすくす笑った。
二人ともルーセル侯爵邸から一緒に来てもらったのだ。
気がつけば遠くに見えていた領館が今は目の前にそびえ立っている。
正面玄関では大きく開けられた扉の前で使用人たちが並んでいた。
「上手くやっていけるかしら……」
「やっていけるに決まっているじゃない! 奥様がいらっしゃるんだもの」
不安そうに呟いたメイドの言葉に、ナージャが自信満々で励ました。
オパールも笑顔で頷いて応えると、メイドだけでなくもう一人の侍女もほっとしたようだ。
八年前のマクラウド公爵家では、オパールは一人で戦った。
だが一人だったからこそ自由でもあったのだ。
(私にみんなを守れるかしら……)
そこまで考えて、オパールは自分の弱気を否定した。
ナージャはオパールの力になるために、侍女としての礼儀作法を学んでくれたのだ。
他の二人も進んでこの旅に同行してオパールの世話をしてくれている。
みんな間違いなくオパールの味方なのだ。
(まあ、ここの使用人たちに敵意があるとはまだ決まっていないけれど、油断は禁物よね)
今はオパールが領主夫人とはいえ、元は敵地である。
オパールは一度大きく深呼吸をしてからにっこり微笑んだ。
「さて、行きましょうか」
「はい!」
静かなオパールのかけ声に、三人は元気よく答えた。
そして馬車の扉が開かれ、オパールはボッツェリ公爵家の本拠地にゆっくりと降り立ったのだった。




