28.視察
「ルーセル侯爵夫人、また帰っていらっしゃるんですよね!?」
「侯爵夫人、ありがとうございます!」
「また必ず帰ってきてください!」
「侯爵、あなたの故郷はここですからね!」
大勢集まったマンテストの民衆の中、オパールはクロードとともに笑顔で手を振りながら馬車に乗り込んだ。
ここから少し離れた鉄道駅まで向かい、そこから機関車に乗り換えて港に出る。
いよいよタイセイ王国に戻るのだ。
クロードと並んで座席に座ったオパールは、馬車が走り出すとほっと息を吐いた。
あの新聞記事が出てからずっと、オパールとクロードはどこへ行っても歓迎される。
その期待に応えて振る舞ってはいたが、皆を騙しているようでオパールは居心地が悪かった。
「やっぱり人手不足が問題のようね」
「逆に言えば、人手不足以外はまあ順調だけどな」
王都で無事にベスを施設へと送り届けたオパールは、翌朝になってヒューバートの訪問を受けた。
一連の報道からベスについての謝罪と感謝を伝えにきたのだ。
そしてヒューバートはマリエンヌ嬢とその両親であるルフォン伯爵夫妻と話をした結果、婚約を見送ることにしたと報告してくれた。
またステラもこれを機会に王都からかなり離れた土地で暮らすことにしたらしい。
言いたいことはあったが、オパールが口を出すことではないと話を聞くだけにとどめ、それからはマンテストについて三人で話し合った。
そして今、オパールとクロードはマンテストの視察を終えたところだった。
以前から鉱石の埋蔵量も問題なく土地は順調に発展しているのだが、需要に供給が追い付かない――人手不足に悩まされているとの報告を受けていたのだ。
もちろん細々とした問題は他にもあるが、それらも含めて一つ一つ片付けていかなければならない。
しかし人手不足の打開策としては、オパールにはすでに一つの案があった。
「手配はすんだのか?」
「ええ。そのためにわざわざアランに同行してもらったんですもの。アランは嘘の記事は書きたくないんですって」
「嘘の記事か……」
「私の名前に関しては、嘘を書いたのではなく真実を書かなかっただけだなんてねえ」
「物は言いようだな」
オパールはルーセル侯爵夫人でもあるが、元マクラウド公爵夫人でもある。
どちらも間違いではないので、位の高いほうだけを名乗る場合もあれば、両方常に名乗ることもあった。
ただやはりヒューバートの爵位を名乗る気にはなれず、クロードのものだけにしているのだ。
「草稿は見なくていいのか?」
「ええ、大丈夫。アランの記事は少々大げさな時もあるけれど、とても読みやすくてわかりやすいわ。もしアランがマンテストでの仕事のことを悪く書くなら、その通りの印象を受けたってことよね。それって私たちが気付かなかったことだし、私はそれが読みたいの」
「だけど、それで肝心の労働者が集まらなかったらどうするんだ?」
「それなら集まるように努力すればいいのよ。それまでは生産量を抑えるしかないでしょうね。……って、これは私の考えであって、クロードやお父様、マクラウド公爵が反対するなら私は従うわよ?」
「その言葉のわりにはケンカ腰だな」
そう言ってクロードは笑った。
マンテストの人手不足解消のために、今一番民衆に読まれている新聞に人員募集の広告を出すことにしたのだ。
しかし、ただ広告を出すだけよりも実際に記者に取材してもらったほうがいいと案を出したのはオパールだった。
普通の広告ではありきたりだが、取材記事があればどんな仕事かわかりやすく、読者も興味をもってくれる、と。
鉱夫たちへの取材も仕事の邪魔にならないようにやってくれていいと、アランには伝えていた。
もちろんオパールやクロードたちも鉱夫だけでなく、マンテストで働く人たちから不満を直接聞いて改善するよう努力すると約束したのだった。
「クロードが後ろ向きなことばかり言うから、昨日までの意見を変えて反対しているのかと思うわ」
「賛成はしているよ。この件に関しては、ホロウェイ伯爵もマクラウドも委任してくれているしな。ただ世の中には色々な人がいる。だから今回のことでも悪く捉える人はいるだろうから、それが今後の足枷にならないとは限らないぞ」
「わかっているわ。今まで、人の悪意は嫌というほど受けてきたもの。だからこそ、悪意に立ち向かうこともできるし、世の中が悪意ばかりじゃないって知っているのよ」
「だが今回、オパールが表に出てきたことで、何かあった時の矢面に立たされるのもオパールだぞ」
マンテストに来てから何となくクロードの機嫌が悪いなと思っていたオパールは、その原因がわかって思わず微笑んだ。
どうせ有名になったのだからと、オパールがマンテスト土地開発の経営者の一人であることを大々的に宣伝し、自ら広告塔となることにしたのだが、それを心配してくれているらしい。
だが反対しなかったのは、その効果とオパール自身の意見を認めてくれたからだ。
「……もし、私が表に出ていなくてマンテストに何か問題が起こった時、矢面に立たされるのはクロードかもしれない。お父様かもしれないし、公爵様かもしれない。いずれにしろ、皆で問題解決のために動くことには違いないわ」
「だけど俺たちとオパールとじゃ――」
言いかけたクロードはオパールを見て、しまったという顔をした。
クロードはオパールを認めていないのではなく、世間が認めていないのだ。
傷ついた表情になってしまったことをオパールは後悔しつつ、笑顔を作った。
「これだから女は――って言葉は、これからたくさん聞くようになると思うわ。それを聞いた私は怒るし、悔しくて泣くと思うし、それでも立ち向かっていくわ。だからその時にクロードに傍にいてほしいの。大丈夫だっていつものように言ってくれたら、本当に大丈夫になるから」
「それなら任せてくれ。俺の得意分野だ」
クロードは笑いながら答えたが、その瞳はとても真剣だった。
オパールは熱くなる胸を押さえ、逸らすことなくその瞳を覗き込んだ。
「ありがとう、クロード」
「俺は何もしていないよ」
「何もかもしてくれているわよ」
クロードはオパールをじっと見つめ返し、その柔らかな頬に手を添えた。
――キスされる。
そう感じてオパールが目を閉じようとした瞬間、頬を摘ままれた。
「ひょっちょ!」
「相変わらず、摘まみやすい頬だな」
「っ、意味がわからないわよ! 摘まみやすくなんてないもの!」
ぱしっと手を払って抗議しても、クロードはにやりと笑うだけ。
昔からクロードはなぜか急に頬を摘まんでくるのだ。
「ほらほら。笑わないと、ルーセル侯爵夫人の評判は台無しだぞ」
「ルーセル侯爵夫人は評判なんて気にしないのよ」
そう言って、オパールはクロードの足を思いっきり踏みつけた。
痛みに呻いて前かがみになったクロードに向けて、オパールが澄ました声で言う。
「ほらほら。笑わないと、ルーセル侯爵の評判が台無しよ」
「オパール――」
クロードは文句を言いかけて馬車の扉をノックする音に遮られた。
にこやかな声でオパールが答え、扉が開かれる。
「ルーセル侯爵夫妻の評判を確かなものにしましょう」
「意地っ張りな負けず嫌いだと?」
「私はそれでもかまわないわよ」
「冗談だよ」
二人は軽く言い合いながら、笑顔を浮かべて馬車から降りた。
そして駅に集まった人々に手を振りながら、特別客車へと乗り込む。
ここから港まではあっという間なので、夕方にはタイセイ王国に到着するだろう。
「さて、タイセイ王国に戻る覚悟はできた?」
「覚悟なんて必要ないわ」
「では、出発だ」
頼もしいオパールの返事に頷いて、クロードは外で待つ駅長に合図した。
すると汽笛が高らかに鳴り響き、座席が大きく揺れて動き始める。
オパールはクロードとともに窓から外へと笑顔を向け、見送る人々に手を振った。




