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屋根裏部屋の公爵夫人  作者: もり
タイセイ王国編
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15.事情

 

「あ、あなたはっ、ほんとうに……酷い、悪魔のような人だわ!」

「ええ~? 奥様はとってもお優しい方だけど? まあ、ちょっと意地っ張りで、厳しくて、融通が利かないところもあるけれど、情に脆くて困ってる人がいたらほっとけないんだから! わざわざ野次馬しに海を渡ってくるわけないじゃん」

「ナージャ……」


 しゃくり上げながら訴えるベスの言葉に、それまでずっと黙っていたナージャは我慢できなかったようだ。

 突然割り込んで反論したのはいいのだが、その内容は微妙でオパールは何と言えばいいのかわからず苦笑した。

 しかし、ベスは新たな人物の登場に驚き涙を止める。


「だ、誰?」

「あたしは奥様の侍女よ。奥様のことは昔からよく知ってるの」


 ベスが怯えつつも問いかければ、ナージャは誇らしげに答える。

 それが気に入らなかったのか、ベスはむっとしてナージャを睨みつけた。


「わ、私だって侍女だったわ。だけど、この人はすごく冷たくて――」

「はあ!? そんなわけないじゃん! 奥様ほど天使のような方はいないわよ!」

「あの、ナージャ? その言葉はとても嬉しいけれど、このままじゃあちょっと……。ベス、部屋の中へ入れてくれないかしら?」


 ナージャの参入で話が逸れていくどころか、置いてけぼりになりそうなオパールは慌て口を挟んだ。

 とりあえずいつまでも玄関先で言い合っていても目立つ上に、お互い疲れる。

 そこでベスに部屋に入れるよう促せば、ナージャの出現で気を取られたのか素直に通してくれた。


 外観と同じように老朽化が進んだ室内は予想できていたが、ほとんど家具がないことにオパールは驚いた。

 すり切れた絨毯の上に小さな丸テーブルと椅子が一脚。

 暖炉もなくソファどころか長椅子もチェストもない。

 裕福な生まれのオパールが庶民の暮らしを知っているかといえば嘘にはなるが、この部屋ではさすがに暮らしが困窮しているとわかる。

 だが、もう一歩足を踏み入れると一枚の扉が目に入り、オパールはなぜかほっと息を吐いた。


「あの奥にまだ部屋があるの?」

「ベッドを置いたらいっぱいの寝室があるだけです」

「じゃあ、お料理はどこでするの? 浴室や洗面場所は?」

「どれも共同です。他に質問は?」


 何か文句があるなら言ってみろとばかりに、ベスは今にも産まれそうなほど大きくなったお腹を突き出し、腰に手を当てて立っている。

 同情するべきかもしれないが、それでもオパールは今までと変わらない強気な態度でにっこり笑った。


「それじゃあ、遠慮なく質問するわ。その子の父親は誰なの?」


 遠慮も配慮もない真っ直ぐな質問に、ベスははっと息を呑んだ。

 その顔色はかすかに悪いが、恐怖や嫌悪は浮かんでいない。

 オパールはさらに追及したい気持ちを抑え、奥にある扉を勝手に開けた。


「何をするんですか!?」

「歓迎されない客は礼儀知らずなのよ」


 そう言うと、オパールはマットレスもない小さなベッドに腰かけた。

 上掛けの上に座っているにもかかわらず堅い床の上のような感触ではあったが、オパールは表情には出さずベスを手招きする。


「いつまでも立っていてはつらいでしょう? 座って話をしましょうよ」

「私はもうあなたの侍女じゃないわ!」

「ええ、そうね。今の私には有能な侍女がいるから、反抗的な侍女はいらないもの」


 内心ではこれ以上ベスが意地を張りませんようにと祈りながら、オパールは再び微笑んだ。

 そんなオパールの偽悪的な態度を見て、ナージャはにんまり笑う。

 いきなり押しかけてきて居座る二人の厚かましさに、ベスは怒りを通り越して諦めに至ったようだ。

 はあっと大きく息を吐いて、オパールの隣に座る。


「……どうしていらっしゃったんですか?」

「あなたの話を聞いて、腹が立ったからよ」

「私にですか?」

「あなたを含めて、あなたの周囲の人たち全員に」


 容赦ないオパールの言葉でベスは泣きそうになったが、今度はぐっと堪えたようだ。

 オパールは狭い寝室の入口に立つナージャから籠を受け取ると、ベスへと差し出した。


「遅くなったけれど、差し入れよ」

「差し入れ?」

「そう。あなたが何を好きなのかわからなかったから、適当に日持ちのするものを詰めてもらったの」


 オパールが籠に被せてあった布巾を取ると、ベスの顔が輝いた。

 どうやら食事も切り詰めていたらしい。


「お腹の子の父親から援助はないの?」

「それは……」

「ずいぶん無責任なのね」

「キーモント様は無責任なんかじゃありません! 必ず迎えに行くとおっしゃってくださいました!」


 ベスは父親の名前を口にしたがそのことには気付いていないようだ。

 オパールを睨みつけてはいるが、その瞳には不安が浮かんでいる。

 今の言葉はオパールよりも自分に言い聞かせているのだろう。


 キーモントはオパールが独身時代に何度か言い寄ってきたのでよく覚えていた。

 そしてクロードが用意してくれた調書を読んで、変わっていないなと呆れた人物だ。

 無理強いをされたわけではなさそうだと安堵しつつ、騙されているベスが気の毒にもなった。


「……今もまだ連絡を取っているの?」

「今は……ほとぼりが冷めるまで待っているんです。あまり騒ぎになっては、キーモント様は伯爵様に勘当されてしまうかもしれませんもの。そうなると遺産相続人からも外されてしまって二人での生活も苦しくなるからと……。ですから伯爵様がお認めくださるよう、時機を見てお話しくださるそうです」

「そう……」


 オパールは静かに答えながらも、内心では腹を立てていた。

 クロードの調査書によると、伯爵家の次男であるジェフ・キーモントはすでに多くの財産を受け継いでいる。

 それなのにベスに甘い夢を見させるだけ見させて、何の援助もせずに放置しているのだ。

 そして、今もかなり軽薄で堕落した生活を送っているらしい。


「さてと、ではもう帰るわ。いきなりお邪魔して悪かったわね」


 そう言ってオパールは立ち上がると、立ち上がろうとするベスに手を貸した。

 ベスは驚いてオパールを見る。


「本当は見送りはいいって言いたいんだけど、戸締りはしないとダメですものね」


 オパールとベスが寝室から出ると、ナージャが慌てて椅子から立ち上がった。

 休んでいたことを怒られるという心配よりも、家主であるベスの許可を得ず一脚しかない椅子に座っていたことが後ろめたいらしい。

 だがベスはそんなことにまでは気が回らないようで、気まずそうにオパールの後に従っている。

 オパールは外へと繋がる扉の前に立つと、振り返ってベスをじっと見つめた。


「――人生には何度かとても苦しくて悲しいことがあるけれど、楽しくて幸せなことだって何度も何度もあるわ。だから、どうか体を大事にして無理をしないでね」

「……はい」


 ベスの声は小さく頼りなかったが、その顔に悲壮感はなかった。

 オパールは励ますように優しく微笑むと、ナージャとともに古くて狭い部屋から出ていったのだった。




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