7.舞踏会
「ソシーユ王国の〝魔性の女〟だなんて、いったいどんな女性かと思っていれば、はっきり言って拍子抜けだわ」
「きっと魔女の間違いだったのよ。殿方を惑わす魔法か何かが使えるんだわ」
オパールを囲んだ女性たちはそう言って意地悪く笑う。
しかしオパールは傷つくどころか、初めて耳にする呼び名に楽しくなっていた。
ざっと見回したところ、オパールがわかるだけで侯爵夫人が一人、伯爵夫人と令嬢、もう一人の伯爵夫人と子爵夫人がいる。
数の利なのか地の利なのか、オパールのことをほとんど知らないはずの女性たちが、ここまで強気に出られることを不思議に思いながら、オパールはひとまず反論せず遠慮がちに微笑んでいた。
そこに男性の声が割り込む。
「お話し中のところを申し訳ありませんが、そちらのホロウェイ嬢にダンスを踊っていただきたくて、申し込みに参りました」
「ま、まあ! プラドー男爵……この方とお知り合いでしたの?」
「はい。先日、ルーセル侯爵から紹介していただきました。そうでしょう?」
「――ええ」
「それで、踊っていただけますか?」
「喜んで。――では、皆様、失礼いたします」
オパールはエリクから差し出された手を取り、女性たちに軽く挨拶をしてフロアへと進み出た。
女性たちはひそひそと何かを囁き合っている。
どうやらプラドー男爵をさっそく落としたなどと言われているらしい。
結局、どこの社交界も同じなのだ。
悪口や駆け引きにうんざりしながら、オパールは目の前の男性に意識を向けた。
「ずいぶんおとなしいんだな?」
「はい?」
「あんなふうに言われて、反論もしないなんて」
「……まだ力関係もわかりませんので、下手なことは言えません」
「なるほど。貴女は相手の力を見て態度を変えるのか」
助けてくれたのかと思ったが、違うらしい。
エリクの独自解釈にオパールは思わず笑いそうになって、どうにか耐えた。
そのため俯いたオパールに、エリクは勘違いしたようで、さらに言い募る。
「そのように傷ついたふりをして同情を引こうとしても無駄だ。私は貴女の本性を知っている。他の者たちだってそうだ。貴女をダンスに誘おうともしないのだからな。それなのにクロードだけが騙されているのが信じられない。いつもは驚くほど明晰な頭脳の持ち主なのに」
オパールが他の男性からダンスに誘われないのは、クロードが断っていたからだ。
そしてクロードが離れてからは、すぐに女性たちに囲まれたため、その障害を乗り越えてまで誘いにくる男性がエリクしかいなかった。
エリクは先にオパールの悪い噂を聞きつけ、後は自分の見たいようにしか見ない。
本当に昔のヒューバートにそっくりだと思いつつ、オパールは何気なくアレッサンドロをちらりと見た。
途端にばっちり目が合ってしまう。
アレッサンドロは王女以外とは踊ることなく座って会場を見ているのだが、いつものことらしく皆も気にしていない。
ただその顔に浮かぶ笑みが、色々なことを楽しんでいるのだと思わせた。
特に今はオパールの状況を楽しんでいるらしい。
(やっぱり意地の悪い人だわ。まるで皆が陛下の盤上で踊らされているみたい……)
例えどおりの現状がおかしくて、気を逸らそうとクロードを捜せばすぐに見つかった。
クロードは目が合うと、まるでオパールの考えを読み取ったかのように大げさに踊ってみせる。
「――クロードはとても楽しそうだ。先ほど貴女と踊った時よりも」
「そうかしら?」
「認めたくないのかもしれないが――」
「とても楽しい時間でしたわ。ありがとうございます」
ちょうど曲が終わり、オパールはエリクの言葉を遮って挨拶をした。
エリクはこの嫌味には気付いたようで、顔を赤くする。
パートナーを不快な気分にさせるなど、ダンスの技術以前の問題だと思い出したらしい。
「よければ飲み物を持ってくるが、何がいいだろうか?」
「でしたら、軽くお食事できる場所まで案内していただけません? 珍しいものもあるかもしれませんから、自分で選びたいんです」
「……では、どうぞ」
「ありがとう」
クロードにはしばらく離れていてほしいとお願いしていたので、当分は戻ってこないだろう。
その様子を見てか、エリクも一応は紳士としてオパールに接しようと思ったらしい。
少々偉そうではあるが飲み物を訊いてくれたので、オパールは一緒に軽食などが用意された別室に向かうことにした。
差し出された腕に手を添え、皆の注目を集めながら歩く。
「私、角か何か生えているのかしら?」
「何だって?」
「誰も話しかけて来ようとしないから。それとも男爵が嫌われているとか?」
オパールのような話題性のある人物なら、たいていは紹介されることを求めて多くの人がやって来るものだが、先ほどと違って皆は遠巻きに見ているだけだった。
そのため冗談を言ったのだが、エリクには通じなかったようだ。
エリクは訝しげに眉を寄せたが何も言わず、目的の部屋へと到着した。
そこでオパールは軽めのお酒と数種類のカナッペを頼んだ。
食事は盛り付け方に違いがあったが、内容的にはソシーユ王国のそれと変わらない。
「そんなに食べるのか?」
「……そんなに?」
オパールは椅子に座ると、エリクの視線を追って自分のお皿を見下ろした。
部屋にはテーブルと椅子が用意され、座って食事ができるようになっている。
だが時間もまだ早いせいか給仕の者が数人いるだけで先客はおらず、たった今新たに男性が一人で入ってきたところだった。
そしてお皿には数枚のカナッペだけ。
「――空腹でお酒を飲むと、酔いやすくなりますから」
「普通は舞踏会に出席する前に何か食べてくるものだろう? 晩餐会ならともかく」
「普通?」
「ああ。だからここには貴女以外に女性はいない。貴女はそのあたりの自己管理ができないから、今まで酔って醜態をさらしていたんじゃないか?」
「……酔って醜態? たとえば、どんなことでしょう?」
オパールは込み上げてきた怒りを抑え、優雅にカナッペを口に運んでエリクの答えを待った。
八年前、夫となったヒューバートに〝ふしだら〟と罵られた時もこれほどに腹は立たなかった。
当時は噂を否定しなかったオパールにも非はあり、何よりヒューバートは夫であったのだから、責めるだけの権利はあったのだ。――話を聞こうともしなかったヒューバートにも問題はあったが。
その後のオパールは社交界から姿を消し、マンテストの土地開発の際に公の場に出ることはあっても、静かに過ごしていた。
失った信用は簡単には取り戻せないと言うが、今はそんな問題ではない。
なぜカナッペを数枚取っただけで、ここまで言われなければならないのだろう。
その怒りから、オパールはクロードの言うように、笑みが深まっていた。
「それは……酔っていたからこそ、男と気安く……」
「気安く何でしょう?」
「そ、そもそも、このようなことを言わせるなど、恥ずかしいと思わないのか!?」
「いいえ、まったく。私は男爵が何をおっしゃろうとしているのかわかりませんので、質問しているのです。私は今まで一度もお酒を過ごして酔ったことはありません。そして、世間で醜聞と言われるようなことはたった一度だけ。夜会途中で愚かにも一人で庭に出たために、持参金目当ての男性に襲われ、大声で助けを呼んだ時の一度だけです。それがどういう結果になるかは、社交界にデビューしたばかりの十六歳の私にはわかりませんでした。ですが、たとえ知っていたとしても私は抵抗したでしょう」
「だが、噂では――」
「そう、全て噂です。その後の醜聞を誰も実際には見ていないのに、噂だけが一人歩きしてしまったのです。私はたった一度の醜聞に負けたくなかった。ただそれだけ。ですから常に堂々としていました。それが皆の気に障ったのでしょう。普通は、女性とは男性に庇護され、自分の権利を主張せず生きるべきだとされていますから。きっと舞踏会場で数枚のカナッペを食べることも女性は控えるべきなのでしょうね。なぜなら、それが普通だから」
「いや、しかし……」
オパールが怒りながらも淡々と告げると、エリクは言葉を詰まらせ、一歩二歩とオパールから退いた。
その表情は驚愕に満ちている。
それでもどうにか気を取り直したらしい。
オパールを睨みつけ、再び口を開いた。
「ならばなぜマクラウド公爵は貴女と離縁したのだ?」
「さあ、なぜでしょう?」
「もちろん、貴女が遊び惚けて跡継ぎを生むことさえしないからだ。しかも財産まで分け与えなければならなかっ――!?」
我に返った時には遅かった。
オパールは持っていたグラスの中身をエリクへ浴びせていたのだ。
だが冷静になると特に後悔することでもないと――むしろ自分を称賛するべきだと思った。
そしてゆっくりグラスを置くと、オパールは嫣然と微笑んだのだった。




