1.婚約期間
タイセイ王国の王都にあるクロードの屋敷に到着して三日目。
オパールやクロードの家族もようやく落ち着き、オパールはクロードと午後のお茶を楽しんでいた。
結婚式を数日後に控えていることもあり、屋敷内では二人きりで過ごすことも許されている。
クロードとならオパールは話が尽きることはないのだが、なぜかふと沈黙が落ち、それからクロードが静かに呼びかけた。
「……オパール」
「何かしら、クロード」
こういう時のクロードは大切な話をするのがわかっていたので、オパールは手に持っていたカップをテーブルに戻した。
すると、クロードは言いにくそうに続ける。
「プロポーズを受けてもらって、この国に連れてきておいて今さら言うのは卑怯かもしれないんだが……」
「――これから先、過去の恋人だか愛人と出会ってしまう可能性があるとか?」
「まさか! そんな不誠実なことはしないに決まっているだろ!」
「それなら何の問題なの?」
オパールは微笑んで問いかけながらも、内心では安堵していた。
自分は一年ほど前まで結婚しておきながら、やはりクロードの過去の女性とは顔を合せたくなかったのだ。
それに比べれば何があっても平気である。――いや、「やはり結婚できない」と言われればおそらく絶望してしまうだろうが。
「実は……って、どうして過去の恋人や愛人ってなるかな……。現在進行形でいるとは思わないのか?」
「現在進行形でいるとすれば、クロードは絶対に私にプロポーズしたりしないわ。ちなみに浮気も心配していないから」
「……信頼してくれて嬉しいよ」
「ええ。だってクロードなら浮気じゃなくて本気でしょう? そうなれば、きちんと私に打ち明けてくれるはずだもの。別に好きな人ができたって」
「そういうことを笑いながら言われると、喜んでいいのか悲しめばいいのかわからないな」
「あら、私は負担をかけたくないから言わなかっただけで、本音を言えば、そうなると絶望するわよ。だからクロードに見捨てられないように努力を続けるの。でもこういう強情なところが可愛くないのかもしれない」
オパールにとって気の強さは長所だと思っているが、たまにか弱い女性というものに憧れるときもある。
最後はため息交じりの愚痴のようになってしまったオパールを、クロードが驚いたように見つめた。
「……そんなに変なことを言ったかしら?」
「いや……。オパールがそんなふうに自分のことを考えているなんて――可愛くないなんて考えているとは、思いもしなかったから」
「ええ? 普通は自分のことを可愛いなんて思わないでしょう?」
「そうでもないよ。女性では結構多いと思うけどな」
「それなら男性でも多いわよ。でもそれは自惚れの強い人で、そういう人を普通とは言わないわ」
「相変わらず厳しいな」
つんと澄まして答えたオパールは、また可愛げない言い方になってしまったことを反省した。
だがこれも、クロードがそれなりに女性と付き合ったことがあるらしいとわかったからだ。
考えてみれば、寄宿学校に入ってからのクロードを、オパールはよく知らない。
さらには会わなかった八年もの間――この国でどんなことをしてきたのか、ほとんど噂でしか知らないことに気付いてしまった。
「……まさか、何か事情ができて結婚できなくなったとか?」
「違うよ! 例えそんな事情ができたとしても、俺はオパールと結婚する。訳のわからないものに振り回されるのはご免だ」
「そう……。それなら、何なの?」
ここまでクロードに言われて、本当なら嬉しいと一言でも口にするべきなのだろうが、今さら照れくさくてオパールには言えなかった。
今まで気にならなかったはずなのに、クロードには可愛いと思われたいと気にしてしまっている自分に、オパールは慣れないのだ。
ただクロードを見ていると、そんなことは全てお見通しなのではないかとも思う。
それがまた悔しくて意地を張ってしまうのだから、悪循環である。
「実は俺のことなんだけど、このタイセイ王国の社交界ではあまり受け入れられていないんだ」
「あら、奇遇ね。私も祖国のソシーユ王国ではそうよ」
「笑い事じゃないよ」
「でも、クロードは笑っているじゃない」
クロードの告白は拍子抜けするほどオパールにとっては大したことがなかった。
そのままの気持ちを返せば、クロードは笑いながら文句を言う。
「仕方ないだろ。オパールが笑わすんだから。やっぱりオパールはオパールだな」
「当たり前よ。それで、クロードは侯爵様なのに、しかももうすぐ公爵位に陞爵されるのに受け入れられないなんて、おかしな話ね。確か、三代前のルーセル伯爵はボッツェリ公爵家のご令嬢と結婚されたのでしょう? 血筋的にもクロードが元ボッツェリ公爵領を賜ることはおかしなことではないと思うけど?」
「まあ、ルーセル家は由緒正しい家柄で、ボッツェリ公爵家とも血縁関係にはあるよ。ただ俺の出自を馬鹿にする者もいる。外国人だと。そりゃ、面と向かって言ってくる者はいないし、その場では皆が礼儀正しく接してくれるが、陰では色々言われているんだ」
「まあ、奇遇だわ。私も陰では色々言われているのよ」
オパールが先ほどと同じように答えると、クロードは今度こそ声を上げて笑った。
そんなクロードをオパールはわざとらしく睨みつけたが、すぐにつられて笑い始める。
ひと通り二人で笑って落ち着くと、クロードが嬉しそうに口を開いた。
「やっぱり俺にはオパールしかいないよ」
「な、何を……そんなことを言っても何も出ないわよ」
「だけど、結婚はしてくれるんだよな?」
「それは当然よ。約束だもの」
「社交界で苦労するかもしれないのに?」
「苦労なんてしないわよ。クロードには何も恥ずべきものはないもの。それどころか英雄じゃない。誇ることよ」
「……ありがとう、オパール」
柔らかく微笑んでお礼を言うクロードがかっこよくて、オパールはまたついっと顔を逸らした。
それでも口からは照れ隠しに言葉が飛び出してくる。
「この国は鉄道網が発達していて、色々な技術も最先端なのに、考え方はとても古いのね。予想外だわ」
「古臭い考えなのは、社交界の――いわゆる上流階級の人間たちだよ。新しい考えを持った平民出身の者たちがどんどん裕福になっているのが気に入らないんだ。そもそも八年前の内乱も、誰もが暮らしやすい国にしようという陛下のお考えに賛同できないボッツェリ公爵家を筆頭とした保守派の貴族たちが企てたものだからね。今は俺のような改革派が重職を任されているけれど、日和見を決め込んでいた者たち――いわゆる穏健派の中には、実際には保守派である者も多い。俺が英雄だなんて言われているのは、ただ単に国民の人気取りだよ。わかりやすい正義の象徴がいたほうが国民を扇動しやすいだろう?」
「……その言い方だと、まるで利用されているみたいだけど、クロードはそれでいいの?」
「俺はそれでいいと思ってた。だけど、もしオパールが嫌なら、領地に引っ込んで領地経営に専念するよ」
冗談っぽく言ってはいるが、クロードが本気なのはオパールにもわかった。
民を見捨てるつもりはなくても、王城の権力争いはどうでもいいのだろう。
ただ本当の理想を目指すのなら、権力は必要だ。
そのことはクロードも十分にわかっているだろうに、オパールの気持ちを汲んでくれる。
それなら、オパールだってその気持ちに応えたい。
「クロード、私が一番に嫌いなのは、逃げることよ。戦略的撤退は仕方ないとしても、戦いもせずに逃げるのは嫌。だから、私は戦うわ。クロードと一緒にね」
「……」
「……クロード?」
ちょっと臭かったかなとは思いつつ、それでも正直な気持ちを伝えたつもりだったのに、クロードは無言のまま。
恥ずかしいながらも声をかけると、クロードははっとして慌ててたようだった。
「え? あ、ああ、ごめん。あまりにオパールがかっこよくて見惚れてたんだ」
「……からかってるの?」
「本気だよ。ただちょっと……いや、すごく安心した」
ほっと息を吐くクロードの表情は、本当に心から安堵しているようだ。
オパールは離婚歴のある自分のせいでクロードの評判を下げるだろうと心配しているのだが、クロードはあくまでもオパールの心配をしてくれる。
だから、クロードのためなら戦う覚悟はできていたつもりだったのに、次にクロードから告げられた内容には怯んでしまっていた。
「じゃあ、申し訳ないんだけど、明日一緒に戦ってくれないか?」
「明日?」
「実は明日、結婚の報告のために王城に上がる予定なんだ。だから一緒に陛下にご報告しよう」
「あ、明日って、陛下にって……どうしてそれを先に言ってくれないの!?」
「先に言えば、オパールは必ず一緒に行くって言ってくれるだろ? だけど、無理はしてほしくなかったんだ。陛下は細かいことにこだわる方ではないから、オパールが表に出てこなくても気にはされない。煩わしい社交なんてしなくてもいいんだ」
やはりクロードはオパールのために気を遣ってくれている。
確かに社交界は面倒でオパールは大嫌いだったが、クロードのためならいくらでも頑張れるのだ。
だが、その気持ちさえクロードの負担にはしたくなくて、オパールはまたつんと澄ました顔をしてはっきり告げた。
「今のは、私に対する挑戦と受け取るわ。クロードと結婚したら、私は煩わしい社交を楽しいものにするのよ。そして、タイセイ王国の社交界を牛耳ってみせるんだから」
「さすがオパール。頼もしいな」
オパールらしい強気な宣言に、クロードは一瞬目を丸くしたものの、すぐに笑って答えた。
こうしてオパールの新たな戦いは幕を開けたのだった。




