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25.式典

 

「……正式に結婚と申されましても……旦那様と私はすでに結婚しておりますが?」


 どうにか声を出すことができたオパールの言葉はもっともなことだった。

 すると、ヒューバートはさらに顔を赤くして言い募る。


「だ、だがそれは、名目上だけだ。私は……結婚当初、本当にあなたに酷い態度を取ってばかりいた。言い訳にもならないが、あの頃は借金のこととステラのことで頭がいっぱいで、どうかしていたとしか思えない。それでも、十年前に初めてあなたと踊った時から、私はあなたに惹かれていたんだ。それがあのような形で結婚することになってプライドを傷つけられ、愚かにもあなたに当たってしまった。本当にすまなかった」

「それはもう……いいのです。私も旦那様を騙して土地を奪うなどと、最低のことをしたのですから」

「いや、それはかまわないんだ。あれで私は目が覚めたのだから。もちろん、初めはあなたを恨んだが、そのうちなぜあなたがあのような行動に出たのかがわかった。私の世界は今まであまりにも狭かった。そのことに気付いた時、あなたがどれほどに素晴らしい人か、初めて踊った時に惹かれたのは間違いではなかったとわかったんだ。しかし、今さら私にはあなたに告白する資格などなかった。だから領地を全て買い戻した時、改めてあなたに結婚を申し込もうと決意した」


 ヒューバートの告白を聞いたオパールは、それでマンテストの土地をあれほどに焦って購入したのかと、理解すると同時に後悔した。

 傲慢にもヒューバートを試したりなどせず、最初から素直に応援していれば、あのような危ない橋を渡ることもなかったのだ。

 あの時、ヒューバートはステラと住むとかどうとか言っていたので、勝手にステラに関係しているのだろうとオパールは結論付けていた。

 そういえば、あれは失敗した時のことだったなと考え、今さらステラのことを思い出す。


「私はてっきり……旦那様はステラさんのことがお好きなのかと……」

「ステラを? まさか! 私にとってステラは妹も同然だ!」


 驚くオパールを目にして、ヒューバートはまた顔を赤くして慌てた様子で説明する。


「もちろんステラに愛情は抱いている。だがそれは家族に対するもので、あなたに対するものとは全然違うんだ。ただ……一時期は、ステラのことであなたが嫉妬してくれないかと、馬鹿なことは考えていた」

「そう、だったんですか……」

「ああ。私はあなたが――オパールが好きだ。どうか、改めて私と結婚してくれないか?」


 ヒューバートからの初めてのプロポーズに、呆然としていたオパールは足元で跪く彼をまじまじと見つめた。

 この場面を夢見たのは遠い昔。

 そして今はもう、全てが遅かった。

 七年前のあの日から、オパールの決意は変わらないまま。


「申し訳ありません、旦那様。私にはお受けすることができません」


 オパールの断りの言葉を聞いて、ヒューバートは信じられないといった表情になった。

 それでもオパールは淡々と続ける。


「私は七年前、旦那様を騙して領地や屋敷を私のものにした時、決めていたのです。旦那様が奪われた財産の半分を買い戻されたら全てを返還しようと。そして、離縁してもらおうと」

「そ、そんな必要はないんだ。私はあなたからきちんと買い取る。だから――」

「離縁してください、旦那様。どうか私を自由にしてください」

「自由……? なぜだ? なぜ……」

「――正直に申せば、私も旦那様と初めて踊った時、とても心惹かれました。もしあの時に旦那様からプロポーズされていれば、飛び上がって喜んだでしょう。ですがあの後、私は醜聞に巻き込まれてしまいました。本当は何もなかったのに、世間は私を許してくれない。それで意地になった私はどんなに噓を流されようと、陰口を叩かれようと、社交の場では楽しんでいるふりをしていました」


 今度はヒューバートがオパールの告白に驚いているようだった。

 あの頃の自分は愚かだったと、オパールも思う。

 結局、二人とも若く愚かだったのだ。


「二十歳になれば、父から独立して祖母の遺産が自由に使えるようになる。それまでの我慢だと、もうすぐ田舎で平和に暮らせると考えていた時に、旦那様と結婚するように命じられました。それで腹を立てた私は、結婚後もずいぶん生意気で反抗的だったと思います」

「それは違う。あれは、あの時は私がもっと年上として振る舞うべきだったんだ。あなたにも、あなたの父上にも大恩がありながら、私は――私たちはあまりにもあなたに対して非道だった」


 許しを乞うヒューバートに、オパールは悲しげな笑みを向けてから立ちあがった。


「オパール?」

「旦那様、どうかお掛けになってください。それから少々お待ちいただけますか?」


 そう言って、オパールは一度自分に割り振られた部屋に入り、また居間へと戻ってきた。

 そして手に持っていた書類をテーブルに置く。

 ヒューバートは訝しげに書類に視線を落とし、次いで目を見開いた。


「今日の式典が終わったら、お渡しするつもりでした。また土地の買い戻しに支払っていただいた代金は投資に――このマンテストの投資に回しておりますので、先ほども申しました通り、そちらも全てお返しすると約束します。ですからどうか、この離縁状にご署名ください」


 騙して名義変更した書類の隣に置かれた離縁状を、ヒューバートは唖然として見つめていた。

 そんな彼に苦笑しながらオパールは付け加える。


「もちろん、今度はご署名前にしっかり目を通してください。ただの離縁状だとおわかりになるはずですから」

「もう……やり直すことはできないのか?」

「……旦那様はステラさんのことを妹同然だとおっしゃいましたね? 私も、もうずっと旦那様のことは……家族のようにしか思えないのです。ですからこの先、旦那様を異性として見るのは無理です。ただ、離縁の決定権は旦那様にあります。もし旦那様が拒まれるのなら仕方ありません。後継者も必要でしょうから、私は――」

「もういい! ……頼むから、それ以上は言わないでくれ」


 すっかり憔悴した様子で、ヒューバートはオパールの言葉を遮った。

 オパールは言葉を濁したものの、ずいぶん前から――財産を騙し取る頃から、ヒューバートのことは年上でありながら、手のかかる弟のようにしか思えなかったのだ。

 そしてこの癇癪持ちの弟を公爵として立派にしなければと、変な使命感に燃えていた。

 四年前にはがっかりさせられつつも見捨てることができなかったが、さすがに今度こそ大丈夫だろうと離縁を申し出たのだ。

 最悪の場合を考えて、オパールの代理人には、今後公爵領の動向を見守ってほしいと依頼もしてある。


 しかし、ヒューバートに世継ぎが必要なことは当然で、もしどうしてもと望むのなら受け入れるしかないと覚悟はしていた。

 ただ恨まれこそすれ、まさかヒューバートが自分に恋愛感情を抱いているとは考えてもいなかったので、子供についてもまた最悪を想定した場合だった。

 ――子供が望めないステラに代わって、跡継ぎを作るよう強制されるという。


「すまない、オパール。今日はもう疲れていて、書類に目を通すのは難しい。だから、返事は明日でもかまわないだろうか?」

「――はい、もちろんです」


 ヒューバートの苦しげな問いかけに、オパールははっきり答えると、そっと立ちあがった。

 それから俯いたままのヒューバートを残し、居間から部屋へと戻る。

 何も声はかけなかったが、そのほうがよいと思ったのだ。


 メイドを呼んで化粧を落とすと、本当はお風呂に入りたかったが、我慢して夜衣に着替えてベッドに入る。

 目を閉じてしまえばすぐに眠れそうなほど疲れていたのに、居間から聞こえてくるかすかな音が気になって眠れない。


 それでもオパールはいつの間にか眠っていたようだ。

 翌朝、陽の光で目覚めた時には朝も遅い時間で、メイドからヒューバートがすでにホテルを発ったと聞かされた。

 しかもヒューバートは、メイドに預け物をして出ていったらしい。

 差し出された大きめの封筒を受け取ったオパールがその場で中身を確かめれば、それは署名された離縁状だった。

 ただ、他には何もない。

 領地を奪った時の書類も、ヒューバートからの手紙も。


 オパールは深く息を吐くと支度に取りかかり、朝食をしっかり食べてからホテルを発った。

 行き先は王都の公爵邸。

 最後のけじめをつけるべく、オパールは鉄道ではなく馬車に揺られながら気合を入れた。

 正直に言えば、ヒューバートと顔を合わせるのは気まずかったが、離縁状を正式に提出する前にやらなければならないことがある。


 数日後に覚悟を決めて公爵邸に到着したオパールは、ヒューバートがまだ戻っていないと聞いて安堵するとともに、わずかに心配になった。

 だがもう、ヒューバートは立派な大人なのだ。

 オパールは自分が心配することではないと言い聞かせ、突然戻ってきた女主人に驚く執事に使用人全員を集めるようにと言いつけた。

 そこへ、ベスに車椅子を押されながらステラがノーサム夫人とロミットまで連れて現れ、オパールを睨みつける。


「どうして急に戻ってきたの?」

「こんにちは、ステラさん。ずいぶん久しぶりね。それにずいぶん元気そうに見えるわ」

「残念ながら、ヒューバートはここにいないわよ」

「薬が効いているみたいね。よかったわ」


 まったく噛み合わない会話を続けているオパールとステラを、ベスもロミットも唖然として見ている。

 おそらく、こんなきつい態度のステラを見るのは初めてなのだろう。


「ステラ、やめなさい! 無礼ですよ!」

「あら、かまわないわよ。だけど皆さんお揃いで、どうなさったの?」

「あ、あの、今はステラをお医者様に診ていただくために、こちらに滞在させていただいているのです。月に一度の検診で……」

「ああ、そうだったのね。別に好きなだけ滞在すればいいと思うわ」


 立場を弁えないステラの態度に、ノーサム夫人が慌ててステラを叱る。

 ステラは相変わらず甘やかされているようだったが、オパールにとっては憐れみしかなかった。

 彼女はこの先も一生、ヒューバートにすがって生きていかなければならないのだ。

 そこに、執事が使用人たちを連れて戻ってきた。


「奥様、屋敷に今いる者たち全員を集めましたが……?」

「ありがとう」


 訝しむ執事に、オパールは笑顔でお礼を言うと、ゆっくりと使用人たちを見回した。

 御者のケイブに会えないのは残念だったが、またいつか出会う機会もあるかもしれない。


「わざわざ集まってくれてありがとう。皆に挨拶できないのは残念だけれど仕方ないわね。今日は、お別れを言いにきたの」


 オパールの言葉に、その場の者たちがはっと息を呑んだ。

 なかでも怯えて見えるのは、古くからいる者たちで、どうやら自分たちが解雇されると誤解しているらしい。


「実は――」

「やめて! どうしてそんな酷いことをするの!?」

「……酷いこと?」

「みんな昔からこのお屋敷に仕えてくれているのよ! それなのに解雇するなんて酷いわ!」

「ステラ様……」


 感動的なステラの言葉に、ロミットたちは涙ぐんだ。

 まったく懲りていないなと思ったオパールだったが、車椅子に座った天使に昔の儚げさはない。

 年月は平等にどんな人間にも訪れるようだ。

 オパールは深くため息を吐いて、口を開いた。


「どうやら誤解しているようだけど、出ていくのは私よ」

「……え?」

「私は旦那様と離縁することになったの。ずっと我慢していたけれど、ようやく私は自由になれるわ。だからどうか、祝ってちょうだいね」


 この公爵邸では見せたことがないほど、オパールは輝く笑顔で、驚く使用人たちに告げた。

 ある程度の事情を知らせていた新しい執事だけが、微笑んで受け止めている。

 オパールはぽかんと口を開けたロミットやベスを見て、ステラをじっと見つめてから、再び使用人たち――古くからいる使用人たちに向き直る。


「旦那様は――いえ、マクラウド公爵はそう遠くないうちに再婚されるでしょうから、今度はみんなも新しい奥様に敬意をもって優しく接してあげてね。ひょっとして新しい奥様はとても若く、女主人としては不慣れかもしれないもの」


 意地が悪いとは思ったが、最後にこれくらいの嫌みは許されるだろうと、オパールは吐き出した。

 すると、たったこれだけなのに、長年溜まっていたものがすっきりしたような気がする。


「それでは、七年間ありがとう。なかなか楽しかったわ。さようなら!」


 未だショックを受けて言葉を失っているステラやロミットたちに明るく別れを告げ、オパールは踵を返して玄関を出た。

 天気も良好で、オパールの気分も良好である。

 もちろん、この屋敷に荷物はまったく置いていない。


 オパールは待ってくれていた自分専用の馬車まで階段を下りると、最後に屋敷を振り返った。

 大きく顔を上げれば、短い間だったがオパールが意地を張って籠った屋根裏部屋の汚れて曇った小さな窓が見える。

 あの頃は若かったなと、少し感慨深いものが込み上げてきたが、さっと気持ちを切り替えて馬車に乗り込んだ。


 向かうは祖母の遺してくれた小さな屋敷。

 だがその前に公爵領にも寄って、挨拶をするつもりだった。

 この屋敷よりもずっと我が家と呼べる場所だったので、別れはつらいものになるだろう。

 それでも今のオパールは晴れ晴れとした気持ちで、新しい人生へ向けて出発したのだった。





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