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24.式典

 

「オパール、起きていて大丈夫なのか?」

「……旦那様、私はもうすっかり元気になっております。ただ念のためにと、こちらに滞在しているだけですので、近々領館に戻るつもりでおりました。ですから、このようにご足労いただき申し訳ございません」

「いや……」


 オパールは酷い流感にかかってしまい、十日ほどは熱が下がらず苦しんだ。

 疲れがたまっていたのが悪かったらしく、抵抗力がすっかり落ちてしまっていたために、なかなか回復しなかったのだ。

 ベッドから出られるようになっても、屋敷の者たちに心配され、結局はひと月以上伯爵邸に滞在することになっていた。

 その間、ヒューバートには父から手紙で知らせてもらっており、寝込んでいる時に見舞いの手紙と花は送られてきた。

 直接の見舞いは感染するかもしれないのでと断っていたのだ。


「あなたがすっかり良くなったと伯爵から聞いて、会いに来たんだ。それに、素晴らしい知らせを持ってきた」

「――ありがとうございます。それで、素晴らしい知らせとは?」


 ヒューバートはにっこり笑って、持っていた花束をオパールに差し出した。

 このような笑顔を向けられたのは、ステラのことで感謝されて以来だ。

 そのため、オパールは戸惑いながらも花束を受け取ってお礼を言うと、何があったのか問いかけた。


「それがなんと、出資者が現れたんだ!」

「……マンテストの土地開発の?」

「そうなんだ。実はこのひと月弱、私はタイセイ王国を訪問していたんだよ」

「旦那様がタイセイ王国に?」

「ああ。私だって何も考えていなかったわけではない。この国へ技術者に来てもらえないか、王国に渡って直接交渉するつもりだった。それで伯爵がある方を紹介してくださり、その方が――ルーセル侯爵とおっしゃるのだが、侯爵が色々と手を尽くしてくださったんだ。お陰で国王陛下とも謁見することができた。しかも、侯爵が陛下を説得してくださって、王国の技術者を派遣してくださることになったんだよ! さらに侯爵は出資もしてくださるんだ!」

「それは……すごいですね」

「だろう? オパール、心配かけて悪かった。これで君のお父上も投資してくれると約束してくれたし、これからはきっと全てが上手くいく」


 予想外の知らせに、オパールの心もようやく軽くなっていた。

 同時に、なぜヒューバートがこれほど積極的に動くのか――他国に渡るほどに焦っていたのかが気になった。

 だが、その疑問を口にすることはなく、向かいに座るヒューバートの話に真剣に耳を傾ける。

 

 ヒューバートはとても機嫌がよく、これからの展望を話す姿はやる気に満ちていた。

 もちろん利益はすぐには上げられないが、タイセイ王国の技術力をもってすれば、父の計算よりずっと早く回収できるようになるだろう。

 利益を上げられるのは、鉱山だけではない。

 鉄道建設のためには人もお金も動き、街ができる。

 さらに鉄道が完成すれば、鉱山で働く者だけでなく、多くの人々が集まり、さらに土地は発展するだろう。


 またマンテストはタイセイ王国とも貿易しやすい位置にあり、ルーセル侯爵はそこに目をつけたようだ。

 国内情勢に落ち着きを取り戻した王国は、次に諸外国との関係を再構築する必要があった。

 侯爵は三年前の継承争いにおいて、資金面でも物質面でも新国王を支え、勝利に大きく貢献した人物らしい。

 その手柄で伯爵から侯爵へと陞爵されたらしいが、今もまた復興に大きく力を注ぎ、そのうち公爵位もいただくのではないかと噂されている。


 そのルーセル侯爵が父の知人だったのが幸いした。

 ヒューバートはここひと月、この国でも出資者を求めていたが、やはり義父であるホロウェイ伯爵が手を出さないことで、敬遠されていたのだ。

 しかし、父からの紹介状を見た侯爵は、マンテストの宝の山を見逃さず、その可能性に賭けることにしたらしい。

 お陰で父も多くを出資することに決めたようで、この先は投資家たちが押し寄せるだろうと、ヒューバートは語った。


「……ですが、そのルーセル侯爵と父がそこまで出資してくださるのに、まだ他の出資者が必要なのですか?」

「それが正確に言うと、侯爵は土地の購入資金をかなり低い利息で融資してくれることになったんだ。当面は利息分だけの返済でもかまわないと。しかもその利率なら私の所領地の収入だけでどうにか賄える。開発資金の大半は伯爵が投資してくれるのだが、やはり全てというわけにはいかないからな」

「ずいぶん美味しい話に思えますが、侯爵は信用できる方なのですか?」

「ああ、確かにそう思うだろう。しかし、伯爵も契約書を先ほど確認してくださり、大丈夫だと請け負ってくださった。あとは私が署名するだけだ」

「そうですか……。では、残りは私が出資します。その約束だったでしょう?」


 話があまりにも上手くいきすぎていて、またヒューバートは騙されてしまうのではと心配したが、父が確認したのなら大丈夫なのだろう。

 ほっと息を吐いて、オパールが投資者に名乗りを上げると、ヒューバートは気まずそうに首を横に振った。


「それは……忘れてくれないか? あの時の私はどうかしていたんだ。マンテストの土地が安くなったことで他の者に先を越されまいと焦り、勝手にあなたの土地を担保にし、あなたに酷い言葉を投げつけてしまった。もちろんすぐに、土地を担保にした融資の契約解除手続きは行うが――」

「旦那様、あの時のことは別として、これは私にとって純粋な投資です。もちろん投資者を選ばれるのは旦那様ですから、ダメだとおっしゃるのなら諦めます」

「選ぶも何も、あなたが投資してくれるなら大歓迎だ。しかし、私が言うのもおかしいが、どうか無茶はしないでくれ。いくらマンテストが宝の山だとしても、必ず成功するという保証はないのだから」

「……ご忠告、ありがとうございます。ですが、大丈夫です。ご存じのように私にはそれなりの財産がありますので」


 ようやくヒューバートが冷静になったことで、安堵したオパールは微笑んで答えた。

 まだまだ難題はこれからだが、きっと上手くいく。

 今度はオパールもそう信じることができ、穏やかな気持ちで伯爵邸を去っていくヒューバートを見送った。



   * * *



 ――四年後。

 無事に鉱山から都市部に繫がる鉄道と新たにできた港への鉄道が開通し、その式典にオパールは出席していた。

 資金の回収はまだまだこれからではあるが、今まで表面上は大きな問題もなく開発が進められたのは幸いだったと言えるだろう。

 途中、何度か暴走しそうになるヒューバートを止めるには苦労したが、オパールの言葉は聞かなくても、父やルーセル侯爵の言葉は素直に受け入れていたので、どうにか事なきを得ていた。

 

(どうしてほとんどの男性は、女性には仕事のことなんてわからないって思うのかしら。私はちゃんと結果を出しているんだから、せめて旦那様くらいは私を認めてもいいはずなのに……)


 一度そのことをぼやくと、父は苦笑しながら「お前だからこそだろう」と答えたのだ。

 やはり夫としては、妻に間違っていると指摘されるとプライドが傷つくのだと。

 くだらないとは思いつつ、やはり世間では女性は男性を頼るものとされているのだから仕方ないのだろう。

 実際は、そのか弱さを利用して強かに生きている女性も多い。

 オパールは女性たちに囲まれているヒューバートをちらりと見て、ため息を吐いた。

 マンテストの地価は予想以上にぐんぐん上がり、ホロウェイ伯爵はもちろん、ヒューバートも今や莫大な資産家の仲間入りをしたことで、結婚していようとかまわないとばかりに女性たちからかなり人気があるのだ。


 当然、オパールへの注目も再び集まり、老若男女を問わず何かと理由をつけて近づいてこようとする。

 特に若い男性が昔の噂を思い出したかのようにやって来ては誘いをかけてくるのだから、鬱陶しくて我慢できなかった。

 現状にうんざりしていたオパールは、この式典が終わったらまた田舎に引きこもるつもりである。

 そもそも乗り気でないこの式典に参加したのも、ルーセル侯爵にお礼を言いたかったからなのだが、残念ながら侯爵は欠席らしい。

 オパールは今までに何度か侯爵に連絡を取りたいと父やヒューバートに申し出たのだが、結局は二人のどちらかを介してしか話を通すことはできなかった。


(ルーセル侯爵も、女性には仕事なんてできないって考えなのかしらね……)


 この計画が成功したのも侯爵のお陰であり、今日こそ直接会って話ができるとオパールは思っていたのだがそれも叶わなかったのだ。

 どうやら侯爵はあまり人前に出ることを望まず、今回も用事ができたことをこれ幸いと喜んでいるようだと父は笑ってオパールに話した。


(会いたい人には会えない運命なのかしらね……)


 四年経った今も、クロードの行方は知れないままだった。

 先日、伯爵領に里帰りした時に男爵夫人にも会ったのだが、クロードのことには触れてほしくないようで、オパールもすぐに話題を変えたのだ。

 ぼんやりとその時のことを思い出していたオパールは、楽隊の鳴らした大きな音ではっと我に返った。


(もうすぐ……もうすぐ終わるわ……)


 輝かしい姿のヒューバートを見つめながら、オパールは式典が終わるのを待っていた。

 本当は賑やかな場所は苦手なのだ。

 十年前のオパールは社交界にデビューしたばかりで、その華やかさに浮かれていた。

 だが、田舎で静かに暮らすことのほうがずっと幸せだと気付いた時には遅かった。

 負けん気の強いオパールは意地になって社交界で楽しんでいるふりをしていたのだが、それも今なら愚かだったと思う。

 また結婚生活は夢見ていたものとまったく違ってしまったが、それでもやりがいはあった。

 予定していた場所とは違っても、田舎で生活しながら領地を立て直し、領民の喜ぶ顔を見るのは本当に楽しかったのだ。


(でも、田舎暮らしがこれで終わるわけじゃないわ)


 たとえどんなにもてやはされようと、もうオパールは社交の場に必要以上に出るつもりはなかった。

 いっそのこと、犬を飼うのもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、式典が終わった後のパーティーに出席していたオパールは、頃合いを見計らって抜け出した。


 会場は土地開発とともにできた新しいホテルで、オパールはそのホテルの最高級の部屋に泊まっていた。

 当然だが、ヒューバートも同じ部屋である。

 夫婦なので仕方ないが、部屋には寝室が二つあるのでそこまで気にするものでもないかと、オパールは素直に受け入れていた。


 そして部屋に入るとメイドを呼び、髪をほどいてドレスを脱いでいく。

 締め付けられていた頭や体が解放され、オパールはほっと息を吐いた。

 そこにノックの音が聞こえ、ヒューバートの声がする。


「オパール、大丈夫なのか?」

「え、ええ。もちろんです。なぜですか?」

「いや……会場を早く抜け出しただろう? どこか具合でも悪いのかと思ったんだが……」

「それは、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。ですが、私は本当に大丈夫ですから、どうか旦那様は会場にお戻りください」

「……今さら戻るつもりはないよ。それよりもオパール、話があるので出てきてくれないか?」


 扉越しの会話は驚くことばかりで、ついてきていたメイドとオパールは思わず顔を見合わせた。

 だが、今の姿で出るわけにはいかず、ひとまずヒューバートに声をかける。


「すぐにそちらに参りますので、少しだけお待ちいただけますか?」

「わかった」


 居間へと戻ったらしいヒューバートを待たせないようにと、オパールは慌てて普段用のドレスに着替えた。

 髪の毛は下ろしたままでいいとメイドに指示し、ドレスを着つけてくれている間に自分で髪を梳かす。

 それから、どうにか支度を整え、オパールは居間へと入っていった。


「お待たせして申し訳ありません」

「いや……こちらこそ、急にすまない」


 いつもらしからぬそわそわした態度のヒューバートに訝りながら、オパールはソファに腰を下ろした。

 飲み物を訊ねられたが断ると、ヒューバートは自分用にブランデーを注いで向かいに座る。


「その……このたびのことで、ようやくあなたから全ての土地を買い戻せるだけの資金を手に入れることができたんだ」

「それは……おめでとうございます。ですが、これからまだまだ資金は必要となるでしょう? それに私は――」

「いや、別に資産がなくなるわけではない。だから私は、元公爵領地の全てを買い戻したい」

「――わかりました。では、今回は特に売買契約書を交わす必要はないと思います。すぐにでもあの時の書類をお渡ししますので、どうぞ廃棄してください」


 オパールがあの詐欺まがいの書類でヒューバートの土地を奪った時から決めていたこと。

 本当は領地の――公爵家の資産の半分をヒューバートが買い戻したら、全てを返還するつもりだったのだ。

 これまでの買い戻しに支払われた代金――投資に回して増やしているものを含めた全てを。

 あの時、ヒューバートがマンテストの土地を購入しなければ、もっと早くに片付いた問題だった。

 四年を無駄にしたとも言えるが、名目だけの夫がいるだけで、当初の予定通り田舎で暮らせたオパールにとっては関係ない。

 ヒューバートにとっても国内で有数の資産家になれたのだから、これでよかったのだろう。


 オパールは今現在増えている資産を計算して、譲渡する手続きについて頭の中ですでに始めていた。

 そこに緊張したヒューバートの声が聞こえ、現実に意識を戻す。

 すると、ヒューバートはいつの間にかオパールの足元に片膝をついて、真っ赤になった顔で見上げていた。


「……すみません。何とおっしゃいましたか?」

「だからその……。オパール、私と正式に結婚してくれないか?」


 驚くべき言葉が耳に入り、オパールの頭の中で鐘の音が大きく鳴り響く。

 頭痛がするほどに。

 そしてオパールは、これが青天の霹靂というやつねと、的外れなことを考えていた。




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