22.投資
いよいよヒューバートがやって来る日。
領館は前もって準備していたにもかかわらず、朝からばたばたしていた。
公爵領のほとんどが今はオパールのものだと知っているのはオマーとリンドだけであり、十七年ぶりの領主の到着に、皆が浮ついているのだ。
その中で一人、オパールは自室に閉じ籠り、ぼんやりと外を眺めていた。
(いったいどういう心境の変化かしら……。ひょっとして、この領館も買い取れるほどになったとか?)
たった十二歳の少年が、二日も両親たちの遺体と馬車に閉じ込められていたと聞いて、オパールのヒューバートに対する見方はかなり変わっていた。
周囲の人間がヒューバートに対して必要以上に過保護になっていたのも頷ける。
両親が亡くなってからノーサム夫妻やステラと一緒に暮らし始めたのなら、病弱なステラに対してヒューバートが特別大切に扱うのも仕方ないのだろう。
大切な人を失うのはつらく苦しく悲しい。
オパールも母を亡くした時には酷く悲しんだ。
今では穏やかな気持ちで思い出せるようになっているが、それも支えてくれた人たちがいたからだった。
だが、その一人であるクロードが今はいない。
領館に移ってからしばらくして、オパールはクロードに手紙を書いたのだ。
ヒューバートから土地を奪い取ったことを記して。
まるで懺悔のような内容に、オパールは後になって悔やんだ。
誰かに話を聞いてほしくて書いてしまったが、さすがにクロードも呆れてしまったのではないかと。
そして返事が来るまではらはらしながら待っていたオパールの許に届いたのは、クロードの母である男爵夫人からの手紙だった。
どうやらクロードは大学卒業後に家を出て以来所在がわからないらしい。
男爵夫人は酷く心配していながらも、所在がわかり次第転送すると約束してくれていた。
しかし、三年経った今も何の音沙汰もない。
まさか何かあったのではないかと、伯爵家の領館に何度か手紙を書いてみても、執事のオルトンからは未だにクロードは行方がわからないらしいと同様に心配する返事があるだけだった。
こんなことならあの時――最後にクロードと会った時にもっと話をすればよかったと思う。
やはり卒業後にどうするのか訊くべきだったのだ。
それなのに自分のことばかりに気を取られていて――クロードが好きだと自覚したことと、ヒューバートとの結婚生活について頭の中がいっぱいで後回しにしてしまった。
何度もあの時のクロードを思い出すのだが、ぎこちない笑顔しか浮かばない。
(どうか、元気でいますように……)
二度と会えなくてもかまわない。
嫌われてもいい。
ただ元気で幸せにいてくれたら、それだけでいい。
今も好きなのかどうなのかはよくわからないが、大切な存在であることに変わりはないのだ。
(旦那様も、ステラに対してこんな気持ちなのかも……)
投資が上手くいき、王都の屋敷を買い戻すよりも先に、ステラのために新しい家を買ったくらいなのだから、きっとそうなのだろう。
想いを伝えることができなくても、ステラを少しでも幸せにすることで、ヒューバートも幸せなのかもしれない。
だとすれば、あと少しのはずなのだ。
オパールは公爵家の家紋が入った立派な馬車がやって来るのを見つめながら大きく息を吐き、迎えるために玄関へと向かった。
「お久しぶりです、旦那様。ここまでの旅はいかがでしたか?」
「あ、ああ。久しぶりだな、オパール。幸い、天候にも恵まれてよかったよ」
「それはよろしゅうございました」
オパールは領館に入ってきたヒューバートを、穏やかに微笑んで温かく迎えた。
できる限り嫌な思い出を忘れられるようにと、皆で前もって決めていたのだ。
だがオパールよりも、ヒューバートとの久しぶりの再会に喜ぶ者たちは多い。
そのため、オパールはすぐに一歩下がり、執事のリンドや家政婦のデビーに場所を譲った。
それからは十七年ぶりの再会に、領館内が沸いた。
リンドとヒューバートはがっちり握手を交わしている。
皆が笑顔で溢れる光景を眺めながら、オパールまで幸せな気持ちになっていた。
久しぶりに伯爵家の領館に帰りたいと思うほどに。
ヒューバートもどうやら過去の忌まわしい思い出を今は忘れていられるようだ。
その夜は料理人が腕をふるったご馳走が食卓に並び、初めてと言っていいほど、オパールとヒューバートは和やかな雰囲気の中で食事を楽しんだ。
しかし、翌日。
書斎でヒューバートから打ち明けられた話に、オパールは愕然とした。
目の前がくらくらしながらも、とにかく詳しく話を聞かなければと口を開く。
「……旦那様、もう一度おっしゃってくださいませんか?」
「だからマンテストの土地を買ったんだ。あそこを手に入れないのは間違っている」
「その……資金はどうやって調達されたのですか? 前回、領地を買い戻されてからそれほどに時間は経っておりませんが……」
「心配しなくても大丈夫だ。あそこは確かに今は不毛地帯ではあるが、鉱山があるのは確かなのだから。鉄道だって途中までは引かれている。あとは都市部まで鉄道を引くことができればしっかり稼げる」
「ですから、あの土地の購入資金です! あそこは莫大な売値だったはずです! それをどうやって調達されたのですか!?」
ヒューバートの説明は、投資に興味がある者なら誰でも知っていることだった。
答えを先延ばしにするヒューバートに、オパールは苛立って問い詰める。
「それはもちろん、手持ちの資金全てと、王都の屋敷と領地を担保に金を借りたんだ」
「旦那様……。なぜ、あそこが――あの土地が開発途中で放置されているのか、ご存じですよね? 確かにあの土地には鉱山が眠っております。ただし、掘り出した鉱石を運ぶためには莫大な費用と技術が必要だからです。以前の所有者はそのために破産しました。なぜなら、あの鉱山と都市部との間に広がる荒野には深い谷が横たわっているからです。あの谷に鉄道を通すなど、我が国の技術ではまだ無理なのです。もし可能だとしてもどれだけの費用がかかるか……。その費用をどうやって捻出するのです? そこまでしても、投資した資金の回収にはかなりの年月がかかるでしょう」
もし、タイセイ王国で王位争いが勃発しなければ、マンテストの土地開発も上手くいったかもしれない。
あの国の技術者と技術なら、渓谷でさえも鉄道を通せただろう。
しかし、結局は都市部と鉱山を鉄道で繋ぐという計画は頓挫したのだ。
そのまま三年放置された土地は投資の対象としてはあまりにリスクが大きすぎて、誰も手を出せないでいた。
オパールの父でさえ惜しいとは言いつつ、今はそれだけの見返りが得られないと判断した物件である。
「開発資金は投資家を募るつもりだ。どうかあなたにも協力してほしい」
「……父はどう申しておりましたか?」
オパールの問いに、ヒューバートはわずかに顔を赤くした。
それだけで答えはわかる。
「伯爵は……技術者が確保できたら考えると……。もちろん、全額出資するわけにはいかないので、他にも出資者を募る必要があると言っていた。だが伯爵が出資してくれれば、皆が喜んで出資してくれるだろう。だから大丈夫だ」
何が大丈夫なのか、オパールはヒューバートを詰りたかった。
その肝心の技術者を確保することが、今は不可能に近いというのに。
そもそも技術者がここまで貴重な存在になったのも、タイセイ王国で広がった疫病と、それに続く内戦で何人もが命を落としたからだ。
そして今は、新国王に保護され国外へ出ることは難しくなっている。
そこでふとオパールは、マンテストの土地――手つかずの宝の山の値段がヒューバートの財産とあまりに釣り合わないことに気付いた。
「……旦那様、マンテストの土地を購入するために、本当に旦那様の財産だけで足りたのですか? それともマンテストの全てを購入されたわけではないのでしょうか?」
「それは……公爵領全てを担保にした」
「公爵領全て……?」
ヒューバートの答えを理解するのに、オパールはしばらく時間がかかった。
本音を言うならば、理解したくなかったのだ。
「まさか……まさか、この領館も私名義の土地も全てですか?」
「それらは全て、あなたが私から奪い取ったものだ。それに、この開発が上手くいけば、あなたは満足するものが手に入れられる。それでいいではないか」
「ですが、それは犯罪です! 私名義のものを勝手に担保にするなど!」
「あなただって、犯罪まがいのことをしたではないか!」
「それとこれとはわけが違います!」
「だとしても、あなたが黙っていれば問題にはならない」
「そんな……」
ヒューバートの断固とした言葉に、オパールは再び眩暈に襲われていた。
この三年でヒューバートは変わったと思っていた。
こうして領館にやって来ることができたのも、心の傷を克服したのだろうと。
だが、ヒューバートは父の指導の下で投資の才能を開花させはしたようだが、傲慢さは変わりないようだ。
どんな天才でも失敗することはある。
オパールが知っているだけでも、父だって何度か投資に失敗したことがあった。
それでも今まで成功の道を歩んできたのは、常に最悪を想定していたからだ。
オパールも評判を落としてしまった手痛い失敗から学び、あれ以来常に最悪を想定して生きてきた。
そのうえで、最良を目指して努力するのだ。
「旦那様、もし……もし、この投資が失敗に終わったらどうされるのです?」
「失敗させるつもりはない。だが……万が一上手くいかなかったら、郊外の農地にステラたちと一緒に住めばいい。それからステラのために預けてある財産でまた投資を始めて増やすしかないだろう」
「そうですか……」
そう言って、ヒューバートはじっとオパールを見つめた。
確かに公爵領はオパールが騙し取ったものであり、世間では当然ヒューバートのものとされているからこそ、名義書類が必要なくても担保にすることができたのだ。
しかし、そんなことはもうどうでもよかった。
大切なことはいかに領地を――領民を守るかだ。
オパールは一度大きく息を吐き出すと、ゆっくり立ち上がって書斎を出ていったのだった。




