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21.投資

 

 オパールの宣告から二日後、ヒューバートは屋根裏部屋へと訪れた。

 しかし、きょろきょろと周囲を物珍しそうに見回すだけで、用件を口にしない。

 どうやら天井が低くて狭い一室に、古びたベッドと机と椅子が押し込められているだけの粗末さに驚いているようだ。


「……旦那様、ご用件は何でしょうか?」

「いや、その……一昨日の晩にあなたから言われたことを、よく考えてみたんだ」

「では、結論が出たのですね?」

「ああ」


 オパールは黙って待っているのも時間の無駄とばかりに、わかりきったことを訊ねた。

 すると、ヒューバートはためらいながらも答える。

 この様子では悪くはない反応だなと思いながらオパールが続きを促すと、ヒューバートは真剣な表情で頷いた。

 

「今回のことで……私は自分がどれほどに傲慢で愚かだったかを痛感した。本来なら、あなたの寛大な申し出を受ける資格は私にはないだろう。しかし、これからは心を入れ替え、あなたの援助を得て伯爵に教えを乞い、尽力していこうと思う。そして、できるだけ早くあなたから土地を買い戻すことを誓おう」

「……わかりました」


 少々偉ぶってはいるが、これがヒューバートなのだろう。

 それよりも重要なのはヒューバートの決意であり、淡々と答えながらも、オパールは内心でかなり安堵していた。

 もしヒューバートが心を改めるつもりがなかったのなら、働かざるを得ない状況にさらに追い詰める予定だったのだ。

 もちろん、この誓いがいつまで続くのかは疑わしかったが、それでもオパールはひとまず信じることにした。


「それでは、さっそく手続きを進めたいので、もうよろしいでしょうか?」

「――ああ。では……よろしく、お願いする」

「また詳細は後ほどお伝えします」


 ヒューバートはまだ何か言いたげではあったが、オパールは事務的に対応して話を終わらせた。

 そして、ヒューバートが出ていくとほっと息を吐き、いそいそと父に手紙を書く。

 ヒューバートを押し付けた父に、今度は押しつけ返せることが嬉しい。

 だが、ちょっとした解放感に包まれていたオパールはこの後、使用人たちが次から次へと反省の言葉を口にし、新たな忠誠を誓うための訪問に煩わされることになった。


 ただし、ロミットとベスについては違う。

 オパールはすでに新しい執事と数人の使用人を雇っており、ロミットが辞めるならそれでよし、残るのなら新しい執事の補佐という立場に置くつもりだった。

 ベスの処遇についても、オパール付きの侍女は必要なく、留まるのなら上級メイドに降格するつもりだったのだ。

 そして、いよいよそのことを告げた時、ロミットもベスも屈辱に満ちた表情になりはしたが、辞めるとは言わなかった。


(なんだ、こんなものなのね……)


 もっと反抗してくるかと思っていたオパールは、拍子抜けしていた。

 結局は二人とも、ヒューバートの庇護下にあってこその態度だったのだ。

 こうして細々とした手続きを屋根裏部屋で済ませ、きっちり五日後、オパールはついに公爵邸を後にした。

 

「あー、すっきりした!」


 ヒューバートをはじめ、新しい執事や使用人たちに見送られて出発したオパールは、馬車の中で一人小さく叫んだ。

 公爵領の領館まで送ってくれるのはケイブで、彼の賃金は今までの倍に上げている。

 ケイブはすっかり恐縮して辞退しようとしたが、実際は今までが少なすぎたのだ。

 また、新しく雇った執事は叔父のお墨付きであり、これからは公爵邸も変わるだろう。

 他の使用人についての査定は彼に一任している。


 ノーサム夫人とステラについては、屋根裏部屋にこもっている五日の間に会うことはなかったが、正直どうでもよかった。

 あの親子についてはヒューバートの問題で、オパールには関係ない。

 そんなことよりも、オパールには広大な領地の改革というやりがいのある仕事が待っているのだ。

 まずはオマーの改革だと思いながら、オパールは馬車に揺られて元マクラウド公爵領を一路目指したのだった。



   * * *



 ――三年後。

 オパールは持っていた数枚のカードをテーブルの上に置き、深くため息を吐いた。


「負けたわ。私の負け……」

「どうやら、そのようですね。では、今月の帳簿付けは奥様がなさってくださるということで、お願いいたします」

「信じられない……。何のために私はあなたに高い賃金を払って雇っているのかしら」

「それは私たち使用人のやりがいを引き出すためですね」

「その割には、手加減なしだったじゃない」

「勝負に手加減は必要ないでしょう?」


 嘆くオパールを慰めているのか、からかっているのか、オマーがテーブルの上のカードを集めながら答えた。

 カードゲームは、オパールが領館に移った当初からの習慣である。

 管理人に復帰したオマーの悪癖から気持ちを逸らすため、執事のリンドなどと一緒に、毎晩カードゲームなどをして遊んだのだ。

 賭けるものは家事労働など。


 初めはかなり物足りなかったらしく、そわそわしていたオマーだったが、監視の目も厳しくてノボリの街へ行くこともできず、次第に大金を賭ける興奮は引いていったようだった。

 そのため、今は本当の遊びとしてカードゲームなどを楽しんでいる。

 オマーはやはり真面目にやれば優秀な管理人であり、オパールも教えてもらうことが多い。

 もちろん高い賃金から、オパールが貸したお金は少しずつ返してもらっていた。


「おや、誰か来たようですね?」

「……手紙かしら?」


 そろそろ午後の仕事に移ろうかとオパールが書斎から出ようとした時、館への道を馬車がやって来る音が聞こえた。

 車輪の音からして、配達用の馬車か何かだろう。

 ただ、食料などの配達は裏口へ回るはずなので、手紙を届けにきたのではないかと、オパールは見当をつけて書斎で待つことにした。


 この三年、オパールはほとんど領地から出ていない。

 当然、シーズンが始まっても社交界に顔を出すこともなかったので、様々な噂が流れているようだ。

 ヒューバートの広大な領地を維持するには大変なのだろうと推測され、やはりこれは財産目当ての結婚だったのだ、と。

 そして、ふしだらな妻を領地に閉じ込めているのだといったものや、逆にオパールの手管に引っかかったヒューバートが、嫉妬のあまり領地から出さないのだ、など。


(結局、閉じ込められていることに変わりはないんじゃない……)


 噂を聞いたオパールは気にすることなく笑った。

 実際は、ヒューバートからシーズン中には何度も王都へ出てこないかと誘われ、シーズンオフには友人の領地へ遊びに行かないかと誘われていたのだ。

 それをオパールは全て断っていた。


 別に領地から離れられないわけではない。

 領地はこの三年間、オパールの投資によって設備を整え、オマーがきちんと管理することで順調に発展を遂げている。

 天候にも恵まれたお陰で、このままだとオパールが投資した分は近いうちに取り戻せるだろう。

 ただオパールにとって社交界での付き合いは煩わしいものでしかなく、公爵夫人として何と思われようと、もうどうでもよかった。


 そんなオパールではあったが、ヒューバートについては少し見直していた。

 ヒューバートは驚くべきことに、この三年で王都の屋敷と領地の三割近くを、すでにオパールから買い戻しているのだ。

 次の手を使わずにすんで幸いだったとオパールが安堵したのは言うまでもない。

 しかも、ヒューバートはわずか一年余りで最初に王都の屋敷と少しばかりの土地を買い戻したのだった。

 そして、オパールが手続きのために久しぶりに王都の公爵邸に訪れると、温かく歓迎されたばかりか、用意されていたのは女主人の部屋。


「ステラは空気のいい場所で療養したほうがいいと言われていただろう? それで王都近くにある農村地帯で、比較的小さな土地と屋敷が売りに出されていたから購入したんだ。そこにノーサム夫人とステラは移ったよ。ロミットやベスなどの慣れた使用人を何人か連れてね」

「そう……」

「本当に、あなたには感謝している。あの時、ステラを違う医者に診せるように言ってくれなかったら、今頃ステラは……。いや、とにかく特効薬が見つかってよかった。本当にありがとう、オパール」

「……いいえ。旦那様の大切な方のことですもの。当然のことをしたまでです」


 本当のところ、特効薬は見つかったのではなく、かなり前からあったのだ。

 それを主治医だったハリソン医師は知らず、昔ながらの薬を高額で処方していただけ。

 どうやらハリソン医師は貧しい人たちには無料で診察して薬を処方していたらしく、その分をお金持ちから――実際は違ったが、ヒューバートから高額の医療費を請求することで補っていたらしい。

 そのことにようやく気付いたヒューバートは、ハリソン医師を解雇し、オパールに感謝の手紙をつらつらと書いて送ってきたのだ。 

 ハリソン医師の志は素晴らしいがやり方に問題があったのは確かで、オパールも口出しはせず、ありきたりな返事を書いて終わらせた。


「いや、それでもやはり、お礼は言わせてくれ」

「え、ええ……」


 そう言ってヒューバートはオパールの手を握ってにっこり微笑んだ。

 ロミットやベスはいなくても、以前から仕えている他の使用人といいヒューバートといい、この手のひら返しとでも言える態度にオパールは戸惑った。

 しかし、言いたいこと全てを呑み込んで、オパールはこの日一日、愛想笑いを浮かべてやり過ごしたのだ。

 そして翌朝には、引き止めるヒューバートを残し、領地が心配だからと早々に屋敷を発ったのだった。


 その後も、定期的にヒューバートは領地を買い戻していった。

 これにはオパールの父であるホロウェイ伯爵も驚いていたほどだ。

 当初、父からの手紙では、何度も「あの愚か者を放り出してもよいだろうか?」と書かれていたのだが、次第に内容はしぶしぶ認めるものへと変わっていった。

 どうやらヒューバートは誓い通り、必死に努力していたらしい。

 今ではオパールからの手当を必要としなくなったどころか、約一年間支払った手当に相当する金額も返してもらっていた。


 またヒューバートが投資に成功しているとの噂も最近になって社交界に広がり、女性たちの人気を集めているようだ。

 たまに出席する夜会にも妻どころか女性を同伴することはなく、ずっと男性たちと話しているヒューバートに、女性たちはどうにか近づけないかと画策してるらしい。

 しかも、妻を一度も同伴することはないのに、その父親とは親しく話している姿を夜会だけでなく、紳士クラブなどでも目撃されているのだから、さらに様々な憶測がされていた。


 玄関で執事のリンドが応対している声を聞きながら、オパールはぼんやり考えながら待っていた。

 オマーはぼうっとしているオパールのことは気にせず、早々に仕事を再開している。

 ヒューバートが買い戻した領地は引き続きオマーが管理しながらも、時々王都に出向いて報告と詳しい経営の仕方を教えているので、今後も心配はいらないだろう。

 この調子だと、上手くいけばヒューバートは今年中には領地の半分を取り戻すのではないかというほどの勢いだった。


(要するに、やればできたのよ。ずっと甘やかされていたために、義務を放棄していただけで……)


 ただ、ヒューバートの成功には運も味方していた。

 三年前に叔父から話を聞いていた話――タイセイ王国の内戦は半年ほどで治まったらしい。

 そして今は、戦後処理のために色々な物資供給が行われているため、この国の景気もいいのだ。


(戦で景気がよくなるのは腹立たしいけれど、今回はほとんど王宮内での争いで、民衆に血が流れることはなかったっていうし、それは勝利を得た王弟殿下派の功績よね)


 本来、タイセイ王国は資源も豊富で技術力が非常に高い国だった。

 残念ながら内戦とそれ以前の疫病で失われてしまったものも多いが、勝利を収めた王弟殿下――新王の指導下で再び復興しつつあるようだ。

 タイセイ王国のことにまでオパールの思考が飛んでいた時、リンドがノックの後に手紙をトレイに載せて入ってきた。


「奥様にお手紙でございます」

「ありがとう、リンド」


 予想通り、先ほどの馬車は手紙を届けに来たらしい。

 オパールはトレイから手紙を取り上げると、封筒を裏返して差出人を確認した。

 途端に落胆してしまう。


 そんなオパールを見ても、オマーもリンドも何も言わなかった。

 オパールがこの三年近く、誰かからの手紙を待っていることは領館の皆が知っている。

 だが領館の者たちは、いったい誰なのだろうと疑問を持ちながらも、話題にすることはなかった。

 オマーも含めて皆が、敬愛するオパールの個人的なことを詮索するのではなく、ただ幸せになってもらえるようにと願っているのだ。


「まあ……」


 オパールはさっと文面に目を通して、思わず声を上げた。

 差出人はヒューバートだったので、またどこかの領地を買い取るつもりなのだろうと思っていたのだが、予想は外れた。


「いかがされたのですか?」


 リンドが心配して問いかけたのは、差出人を知っているからだ。

 同様に心配して仕事の手を止めたオマーに、リンドはちらりと視線を向けて、ヒューバートからだと伝えた。

 オパールが領館に領主としてやって来た頃は、リンドとオマーの間にはぎこちない空気が漂っていたが、今では再び友情が戻っている。


 リンドは先代公爵夫妻が亡くなってからのオマーの不正に、ずっと気付かなかった自分を責めていた。

 たまに出かけるのは土地管理のためで、あの大干ばつ以来大変なのだろうと信じていたところに、オパールがやって来てオマーの不正を暴いたのだ。

 それから、再び管理人として復帰したオマーにかなりの怒りを募らせていたのだが、今度こそ真面目に仕事に取り組む姿を監視しているうちに、その怒りも収まっていた。


「旦那様が、近々ここへ――この領館へやって来るそうよ」

「まさか……」


 思わず呟いたリンドに、オパールが振り返った。

 いつもは冷静沈着な執事のらしからぬ態度に驚いたようだ。

 その様子を見ていたオマーが説明のために口を開いた。


「旦那様はもう……十七年もこの領地へ戻られてはおりません。先代公爵様が――ご両親が亡くなられた事故よりずっと……。その後もノーサム卿がここで亡くなられたからか、旦那様はこの地を忌み嫌われているようでした。ですから……」


 そこまで言って、オマーは顔を赤くして口ごもった。

 オマーが不正を働くことができたのは、ヒューバートが成人してからも領地を任せきりにしていたからなのだ。


「その……先代公爵様たちが事故に遭われた時、旦那様はまだたったの十二歳でいらっしゃいました。それなのに、私どもが旦那様たちの乗った馬車を発見するまでに二日もかかってしまい……その間、旦那様はずっとご両親のご遺体と一緒に車内に閉じ込められたままだったのです」

「そんな……」


 リンドの話を聞いて、オパールは青ざめた。

 ヒューバートが両親を亡くしてからこの地に訪れなくなったことは聞いていたが、そこまで悲惨な体験をしていたとは思ってもいなかったのだ。

 何も知らず無責任だと責めたことを思い出す。


「で、ですが、旦那様がこの地にいらっしゃるということは、お心の整理をなされたということでしょう。私たちは旦那様に過去を忘れていただけるよう、精一杯務めさせていただきます」

「……そうね。よろしくお願いするわ。じゃあ、デビーにも伝えてこなくちゃ」


 ショックを受けたオパールを目にして慌てて言い添えたリンドの言葉に、オパールも笑って答えた。

 そして書斎を出ると、家政婦のデビーの許へ向かう。

 だがオパールは幼い頃の傷ついたヒューバートを思い、何も知ろうとしなかった自分に今さらながら後悔していたのだった。




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