28.彼の言う「すぐ」は本当に「すぐ」だった
アストリアは、初めてのデートに向けて浮足立っていた。
当日はどんな装いをして行こうか。どこに行こうか。考えるだけで、気持ちがワクワクしてくる。
皇都の復興にはしばらく時間がかかるだろうから、それまでじっくり考えればいい。三ヶ月くらいはかかるだろうか。いや、もしかしたら半年くらいはかかるかもしれない。
そう思っていたのだが、皇都の復興が完了したのはデートの約束をしてから一週間後のことだった。
『すぐに終わらせるから、少しだけ待ってて』
ルカの言う「すぐ」は、本当に「すぐ」だったのだ。
彼はこの一週間、傷ついた皇城の城壁や倒壊した家屋、破損した道路などを、手早く魔法で直して回ったそうだ。さらには、各診療所に収容されていた怪我人の治療まで終えてきたらしい。
決して彼の実力を侮っていたわけではないのだが、正直早すぎて驚いた。
そして、昨晩ルカから「明日デートに行こう!」と言われたアストリアは、今朝からデートに向けての身支度をしているのだ。
ロイヤルブルーと白を基調としたドレスには、ところどころ花の刺繍が施されており、品の良さの中に可愛らしさを忍ばせているデザインだ。
首飾りと耳飾りは、どちらも大粒のダイヤモンドがあしらわれた一点もの。
これらは全て、ルカがデート用に新しく用意してくれたものだ。アストリアの顔立ちや骨格にとてもよく似合う品々で、身につけた途端すぐに気に入った。
皇都の復興で忙しかっただろうに、こんな素敵なものを用意してくれるだなんて、感謝の念しかない。アストリアは、ルカから愛されている実感をひしひしと感じていた。
「お綺麗です、アストリア様!」
「ありがとう。テレサのおかげよ。この髪型、すごく素敵だわ」
髪はゆるく巻いたあと、編み込みつつハーフアップに仕上げられている。髪の結び目のところには、ドレスと同じ色のリボンが結ばれていた。
身支度が終わったのを見計らったように、トントンと扉を叩く音が聞こえてくる。
「アストリア。準備はどうかな?」
「ちょうど今終わりました。お入りいただいて大丈夫です」
その返事を聞いて入室してきたルカは、部屋に入るなりアストリアを凝視したまま固まった。
しばらく無言でじっと見つめられ、アストリアは思わずその場で身じろぎする。そんなに見つめられると流石に恥ずかしい。
ルカがあまりにも黙っているので、アストリアはついに沈黙に耐えられなくなり、恐る恐る声をかけた。
「あの……いかがでしょうか?」
アストリアの声で、ルカはハッと我に返ったようだった。そして、すぐに微笑んで称賛の言葉を返してくる。
「ごめん、どこの女神様だろうと思って見惚れちゃってた。すごく似合ってる。とても綺麗だよ、アストリア」
ルカはそう言いながらアストリアの目の前まで歩み寄ると、またじっと見つめて黙り込んだ。彼の茜色の瞳が間近にあるせいで、アストリアの頬は自然と薄紅色に染まる。
今度は一体どうしたのだろうと不思議に思っていると、彼は大きく吐息を漏らしながら両手で顔を覆った。
「ルカ様? どうされたのですか?」
「……僕の奥さんが可愛すぎてつらい……ああ、ほんとに大好きだ……」
急にそんなことを言われ、アストリアの顔は薄紅色から一瞬で真っ赤になってしまった。テレサが微笑ましそうにこちらを見ているのが、また何ともいたたまれない。
「ルカ様……そういうことはせめて二人きりの時に……」
あまりの恥ずかしさに、アストリアまで顔を手で覆う。
想いが通じ合ってからというもの、彼はとてもストレートに気持ちを伝えてくれる。それも、かなり頻繁に。
非常に嬉しいことではあるのだが、いかんせんまだ慣れないのだ。
すると、テレサがにこりと微笑みながら声をかけてくる。
「私はお邪魔なようなので、退室いたしますね。ぜひ楽しんでいらしてください」
「あっ、テレサ。素敵に仕上げてくれて、本当にありがとう!」
アストリアが慌てて礼を言うと、彼女はにこりと笑って一礼し、部屋を出ていった。
二人きりになった部屋にはわずかな沈黙が流れ、気恥ずかしさがまた込み上げてくる。初めてのデートということで、少しばかり緊張もしていた。
ゆっくりと顔を上げると、ちょうどルカと視線がぶつかる。彼の茜色の瞳は、愛おしそうにアストリアを見つめていた。
そんな彼が、にこりと笑いかけてくる。
「じゃあ、行こうか。皇都で行ってみたい場所、ある?」
「大通りをゆっくり歩いてみたいです。気になるお店があったら入ってみたいのですが、それでもよろしいですか?」
「もちろんだよ。すごく楽しそうだ」
ルカはそう言って微笑むと、アストリアの腰に腕を回した。そして、「しっかり掴まってて」と言って、いつものように転移魔法を使う。
すると、次にまぶたを開けたときには、眩しい日の光の下にいた。
今日は雲一つない晴天で、何とも気持ちが良い。
「うわぁ、とても賑わっていますね。街並みも素敵です」
大通りにはたくさんの人々が行き交っていて、その誰もが洗練した装いをしている。軒を連ねる店も、どれも非常におしゃれな外観をしていた。
周囲を見渡すと、壊れた建物はひとつも見当たらず、先日の大瘴気騒動が嘘のようだ。
「都会って感じがするよね。ベルンシュタイン領にはない風景だ。アストリアはこういう先進的な方が好み?」
「これはこれで素敵ですが、わたくしはベルンシュタイン領のあの雰囲気がとても好きですよ」
ベルンシュタイン領は、良い意味で古い街並みが広がっている。決して建物が老朽化し古びているというわけではなく、古き良き伝統や文化を守っている、趣深い街並みだ。
あの街にいると、時間の流れがゆっくりに感じられ、とても心が落ち着く。かつて多忙で目が回るような日々を送っていたアストリアにとって、ベルンシュタイン領は非常に居心地の良い場所だった。
「それは嬉しいな。じゃあ皇都には、こうしてたまにデートで来よう。連れていきたい美味しい店もたくさんあるんだ」
「いいですね。楽しみにしておきます」
「さて、じゃあ早速見て回ろうか」
そう言って、ルカがスッと腕を出す。アストリアは自然とその腕を取り、共に歩き出した。
それから二人は、しばらくショッピングを楽しんだ。文具店や雑貨屋、紅茶の茶葉の専門店など、気になるお店に入って買い物をしては、また大通りに戻ってゆっくりと街並みを味わう。
そんなことを繰り返し、両手に荷物が溜まってきた頃。
不意にルカが方向転換をした。そして、人通りのほとんどない小道に入ったところで歩みを止める。
「アストリア、ごめんね。ここでちょっと止まって」
「どうなさいましたか?」
彼はその問いかけには答えず、後ろを振り向いて右腕を真っ直ぐに伸ばした。そして何やら掴むような仕草をしたかと思うと、そのまま手をぐいっと引っ張る。
すると、見えない手にズルズル引きずられるようにして、ローブをまとった一人の男がルカの目の前に現れた。
男はその場から逃げようとバタバタ手足を動かしているが、ルカが魔法をかけたのか一向に立ち上がれる気配がない。
地面に仰向けに倒れ込んだ男を見下ろして、ルカは冷たい笑みを浮かべた。
「ねえ、君。見てわからない? 今デート中なんだけど」




