26.未来の約束
テレサが部屋を出ていって数分後。
アストリアがぼんやりと外を眺めながら紅茶を飲んでいると、突然ルカが姿を現した。
「アストリア!!」
あまりの勢いに、アストリアはビクリと肩を跳ね上げて目を丸くした。反射的にソファから立ち上がり、そのまま彼の方へ歩み寄る。
「ルカ様、お仕事はどうされたのですか? 確か今日は、マルクス陛下と会談があったのでは……?」
「緊急事態だったから、急いで帰ってきたんだ」
「緊急事態!? 何か領内で問題が?」
また子供たちが行方不明になったのだろうか。いや、もしかしたら他国でも大瘴気が発生したのかもしれない。
一体何事かと身構えると、ルカが唐突にぎゅっと抱きしめてきた。
「ごめん。ごめんよ、不安にさせて」
「ルカ様……?」
耳元で聞こえた声はわずかに震えていて、何かに怯えている様子だった。いつもは自信に満ち溢れ威風堂々としているのに、彼らしくない。
「アストリア。僕は心から君を愛しているよ。光の巫女姫じゃなく、君自身のことを愛しているんだ」
「…………っ!」
そこでアストリアはようやく気づいた。テレサが慌てて退室したのは、ルカにアストリアの悩みを伝えるためだったのだと。
だから彼は、自分の気持ちを伝えに、こうして急いで帰ってきてくれたのだ。
「最初のきっかけは、僕の遺伝子に組み込まれた巫女姫を求める本能だったかもしれない。でも今ははっきりと言える。君が好きだよ、アストリア。君だからこんなにも愛しているんだ」
彼は懸命だった。自分の気持ちを何とか相手に伝えようと、必死に言葉を紡いでいた。
「ルカ様………」
「だから離縁だなんて言わないで……」
ルカはそう言うと、抱きしめる力を強めた。
ずっと怯えている様子だったのは、アストリアが離縁を切り出すのではないかと不安になっていたからのようだ。
しかし、そんなのは全くの杞憂だ。
「離縁だなんて、言うはずがございません」
アストリアもルカを抱きしめ返した。
彼の言葉を頭の中で反芻し、噛み締める。彼の想いを理解するにつれ、ゆっくりと、だが確実に心が満たされていった。
彼に捨てられるだなんて、それこそ杞憂だった。
彼はとっくに、自分自身を見てくれていたのだ。そして、自分を愛してくれていた。
それが嬉しくて嬉しくて、アストリアは言いようもない多幸感に包まれる。
「わたくしも、心からお慕いしております、ルカ様」
「……ほんと? 離縁したいとか言わない?」
「本当です。離縁などわたくしからは絶対に申しません」
「よかったあ……!」
ルカは安堵の吐息を漏らすと、一度アストリアを離した。そして、眉を下げながら再び謝ってくる。
「ごめんね、アストリア。君の不安に気づけないなんて、夫として失格だよ」
シュンとする彼を見て、アストリアは申し訳なくなった。
自分がもっと素直になれていたら、もっと早く悩みを打ち明けていたら、彼の仕事の邪魔をせずに済んだのだ。
彼のことを信じて、怖がらずに正面からぶつかれば良かった。
「いいえ。謝るのはわたくしの方です。わたくしが自分の気持ちを隠していたせいで、ルカ様にご迷惑をかけてしまいました。マルクス陛下との大事な会談でしたのに」
「迷惑だなんて全く! 鈍感な僕が悪いんだ。ほんと、夫失格だね……」
「そんなことはございません。ルカ様はわたくしがつらい時、何度も救ってくださったではありませんか。むしろ、わたくしの妻としての覚悟が足りなかったせいで……」
両者全く引かず、しばらく謝罪合戦になってしまった。
ああ言えばこう謝罪をし、こう言えばああ謝罪をする。
何往復か続いたところで収集がつかないと悟った二人は、お互い顔を見合わせてプッと吹き出した。
「このくらいにしておきましょうか」
「そうだね」
クスクスと笑いあうと、なんとも幸せな気持ちが溢れてきた。想いが通じ合ったからだろうか。今までの景色が、どこか違って見える。
「ねえ、アストリア。何かお詫びをさせて」
「お詫びだなんて、そんな」
「ううん。そうでもしないと、僕の気が収まらないんだ。君のお願い、何でも聞くよ」
「お願い、ですか?」
急な提案に、アストリアは悩んでしまった。
ルカにはこれ以上ないくらいに良くしてもらっている。彼にお願いしたいことなど、すぐには思いつかなかった。
しばらくじっくりと考え込んだ後、アストリアはふと頭に浮かんだことを口に出す。
「では……ルカ様と、デートというものをしてみたいです」
アストリアは恋人と遊びに出かけたことが一度もない。もちろん元婚約者のジェフリーとも。
幼い頃は淑女教育で忙しく、光の巫女として覚醒してからは瘴気の浄化で忙しく、妹のシェリルが覚醒してからはジェフリーや両親から仕事を押し付けられ忙しかった。
だから、恋人と遊びに出かけるということに、ほのかな憧れを抱いていたのだ。
アストリアのお願いに、ルカはパアッと表情を明るくした。
「デート! いいね、うん、ぜひしよう! どこか行きたいところはある?」
「そうですね……行ったことがないので、ぜひ皇都に」
「わかった。じゃあ、復興が終わったら皇都を案内するよ。すぐに終わらせるから、少しだけ待ってて!」
「はい。楽しみにしています」
興奮気味に張り切るルカを見て、アストリアは思わず笑顔になった。
母国で長年虐げられてきたアストリアにとって、未来は不安と憂鬱の塊だった。
でもきっと、これからは違う。
未来がこんなに楽しみなのは、生まれて初めてだ。




