25.使用人の奔走
あれから三日後の午後。
本日分の執務を終えたアストリアは、ベルンシュタイン邸の自室でぼんやりと外を眺めていた。
ルカは今日は皇城へ出ている。大瘴気の騒動で壊れた街を直すべく、復興作業について皇帝マルクスと協議するそうだ。
「ふぅ……」
とても小さな溜息だったのだが、テレサは耳ざとく拾ったらしい。彼女はアストリアに紅茶を差し出しながら、心配そうに尋ねてくる。
「どうされたのですか、アストリア様。何かお悩みでも?」
「あ、ええと……」
今悩んでいるのは、非常に個人的なことだ。
だから他人に相談することでもないと思ったのだが、アストリア自身、悩みのせいでいまいち日々の執務に集中できず困っていた。
(テレサなら、同性として良い助言をくれるかもしれないわ)
そう思い、アストリアは思い切って自分の悩みを打ち明けることにした。
「……最近、随分と欲張りになってしまって」
「欲張り、ですか?」
首を傾げながら問い返してくるテレサに、アストリアは「ええ」と頷く。
「ルカ様に必要としてもらえているのは、わたくしが光の巫女姫だからというのは十分わかっているのだけれど」
「ん?」
テレサは思いっきり首を傾げた。
しかしアストリアは彼女の反応がおかしいことに気づかず、そのまま続ける。
「最近、わたくし自身を見て欲しいと思うようになってしまって。欲張りよね。この家に置いてもらえるだけ感謝しなければならない立場なのに」
「んん??」
「それにね、大瘴気を全て浄化し終えて世継ぎも生み終えたら、用済みで捨てられるんじゃないかって。そう思うと、怖くて」
「んんん???」
テレサは思いっきり眉根を寄せ訝しげな表情をしていたのだが、やはりアストリアはそれに気づかず、ふぅと溜息を漏らす。
すると、テレサが恐る恐るといった様子で尋ねてきた。
「ええと……アストリア様。光の巫女姫だから必要としている、というのは、ルカ様が仰ったのですか?」
「いえ、そうではないけれど……」
アストリアは続きを言葉にするのが恥ずかしく、少しばかり言い淀んだ。しかし、テレサが根気強く待ってくれているので、恥ずかしさを押し殺して続きを話し出す。
「その……す、好きとか、愛しているとか言われたことがないから、ルカ様がわたくし自身をどう思っているのかわからなくて」
「……………………まじか」
アストリアに聞こえないほど小さな声でポツリとこぼしたテレサは、渋い顔をしながら眉間を揉んでいた。
「ええと……テレサ?」
「アストリア様。ちょーっとこちらでお待ちいただいてよろしいでしょうか? すぐ戻りますので」
「え、ええ。構わないわ」
テレサの様子に困惑しつつ、アストリアは彼女が部屋を出ていくのを見送った。
* * *
「旦那様!!」
テレサは通信用の魔道具に向かって叫んでいた。相手はもちろん、我がご主人様だ。
「どうしたんだい、テレサ。そんな怖い顔して。一応、今仕事中なんだけど」
通信に出てくれたは良いものの、ルカはひどく迷惑そうな顔をしていた。
本来であれば、主人の仕事の邪魔など絶対にしない。
しかし、今は緊急時であり主人の一大事だ。
ようやく現れた念願のお相手だと言うのに、最悪の場合、離縁を言い渡されてしまうかもしれない。そんな状況を、ベルンシュタイン家に代々仕える者として放置しておくわけにはいかなかった。
「旦那様。アストリア様に、ご自分のお気持ちをお伝えになられたことはございますか?」
「え? 何言ってるの? そんなの毎日伝えてるよ」
「なんとお伝えになっているので?」
「ええと……一生大切にする、とか、君は本当に綺麗だ、とか、ずっと抱きしめていたい、とか……って、言わせないでよ、恥ずかしい」
デレデレと照れ笑いを浮かべる主人に、テレサは軽い頭痛を感じた。どうやら肝心なことを言っていないのは確からしい。
テレサは額に手を当てながら、主人に重大な事実を告げる。
「アストリア様が先ほど仰っていました。ルカ様から愛していると言われたことが一度もないと」
「ええっ!? まさか!? そんなわけ……」
反論しかけたルカだったが、何かに気づいたようにハッとした表情になると、すぐさまサーッと血の気が引いていく。
「先生、まさか本当なのですか?」
皇帝マルクスのドン引いた声が聞こえてきた。通信機に姿は映っていないが、姿を見ずとも彼の表情がありありと浮かぶ。
「先生とアストリア様は非常に仲睦まじいご様子だったので、てっきりうまくいっているものとばかり思っていましたが……流石にそれは……」
テレサもマルクスと全くの同意見だった。
いくら行動で愛を示していたところで、肝心の言葉がなければ不安になるのも当然だ。
しかし、ルカがそんな失態を犯したのも、ある意味仕方がないことなのかもしれない。
ルカは二百年以上もの間生きているが、誰かに本気で想いを寄せたことは一度もなかった。本能的に惹かれる女性がいなかったのだろう。
そんな彼がアストリアと出会い、生まれて初めて人を愛したのだ。恋愛に関しては全くの素人だというのに、最初から全てがうまくいくはずはない。
「ごめん、マルクス。すぐ帰らないと」
「ええ、ぜひそうしてください。離縁なんてことになったら一大事ですから」
「離縁……え、僕、離縁されるのかな?」
「それは先生次第ですね。アストリア様としっかり対話することです」
悠長にそんな会話を繰り広げているのがじれったくて、テレサは我慢できずに叫んだ。
「ああ、もう! いいからさっさと帰ってきてください! 旦那様!!」




