24.温もりに包まれて
「あれ、本当ですね……って、だからと言って、く……口づけしなくとも!!」
危うく流されかけたが、アストリアはハッと我に返って再び抗議した。顔を赤くするアストリアを見て、ルカは楽しそうにクスクスと笑っている。
「これが一番効率良いんだよね。てなわけで、もう少しだけ」
「んっ! んんっ、んっ」
ルカはまた懲りずにアストリアの唇を塞いだ。先程よりも長く、深く。
こんなに長い口づけは初めてだったので、アストリアは最後の方は涙目になっていた。そして、満足げなルカをジトリと見ながら、怒ったように言う。
「もう大丈夫ですっ!」
「ハハッ、わかったよ。ごめん、ごめん」
反省している様子は全くなかったが、アストリアは諦めてひとまず現状を確認するところから始めた。
「皇都の被害状況は? 魔物の討伐は終わったのですか?」
「うん、終わったよ。流石に多少の負傷者は出てるけど、被害は最小限に抑えられたんじゃないかな。全部アストリアのおかげだよ」
「そうですか……よかった……!」
アストリアは大きく胸を撫で下ろした。
大瘴気の浄化は初めてのことだったので不安も大きかったが、そんな大仕事を成し遂げられたのはルカがいてくれたからこそだ。
そして今回の仕事は、今まで無能と蔑まれてきたアストリアにとって、自信と存在意義を与えてくれるものだった。誰かの役に立てたという喜びと達成感が、ジワジワと胸の内に込み上げてくる。
すると、ルカが不意にこんな話を始めた。
「大瘴気が発生する理由はまだ解明されてないんだけど、ベルンシュタイン家では、人間の負の感情が生み出しているのではないかと言い伝えられているんだ」
「人の、負の感情?」
アストリアは大瘴気について知るために、ベルンシュタイン邸の図書室にある本をあらかた読み漁っていた。しかし、そんな話はどこにも載っていなかったように思う。代々、当主が語り継いでいる話なのかもしれない。
「うん。大瘴気の発生周期は約二百年から五百年くらいなんだけど、戦争や流行り病があったりして大勢の人間が亡くなると、大瘴気が発生する期間が短くなる傾向にあるんだ。だから、僕はこの説をそれなりに信じてる」
「なるほど……」
そう言われてみれば、ここ二百年ほどの間は、それ以前よりも比べて多くの戦争が各国の間で起きていた。
アストリアの母国であるランドル王国も、隣国と三度の戦争を経験している。そのせいで民は疲弊し、国力が随分と落ちてしまった。
年々貧しくなる国に対して、貴族にも平民にも不満や鬱憤が溜まっていったため、アストリアがその憂さ晴らしの対象になった、というわけである。
「だからね、光の巫女姫の性格に問題がある場合、大瘴気の浄化は結構苦戦するらしいんだ」
「そうなのですね」
過去にそういう記録があったのだろうか。もし大瘴気が人の負の感情で発生するなら、確かに巫女姫の人柄で浄化の難易度がかなり変わってきそうだ。
そんなことを考えていると、ルカが目を眇めていたずらっぽく笑った。
「何が言いたいかっていうと、大瘴気をたった一日で浄化したアストリアは、性格も完璧な素晴らしい奥さんだってこと」
ルカに面と向かって褒められ、嬉しさと恥ずかしさで思わず赤面してしまった。それに、「奥さん」と言われることにまだ慣れておらず、なんともむず痒い気持ちになる。
しかし、今のルカの発言にふと違和感を抱いた。
「ん……? 一日……? 今は何時ですか? わたくしは一体、何時間浄化作業をしていたのでしょうか?」
「一日。丸一日」
「丸一日……!?」
想像以上に長い時間が経っていたことに、アストリアは目を丸くした。
言われてみれば、全身の疲労感がいつもの比ではないし、立ちっぱなしだったせいで足もパンパンだ。おまけに激しい睡魔も襲ってきた。
「うん。だから、早く帰って休もう。僕も流石に眠たいや」
そう言ってルカが小さくあくびをした。
気が緩んだ彼を見て、アストリアは思わず微笑む。すべて終わったんだと、そこでようやく実感することができた。
「はい。帰りましょう、ルカ様」
* * *
ルカが転移した先は、ベルンシュタイン邸にある夫婦用の寝室だった。この部屋は以前ちらりと案内されただけで、実際に使ったことはまだない。
横抱きにされたままのアストリアは、ソファにゆっくり下ろされると、ルカの魔法で一瞬にして身綺麗になった。服も寝衣に変わっている。
「湯浴みするのも面倒でしょう? これなら、そのまま眠れるよ」
「ありがとうございます。ルカ様の魔法は、本当に見たことがないものばかりですね」
この魔法があれば野宿で湯浴みができない時でも大丈夫だな、などと感心していると、ルカが思わぬ提案をしてくる。
「ねえ、アストリア。今日は一緒に眠っても良いかな? 君の隣で眠りたいんだ」
「ええと……それは……」
一緒に寝ること自体、夫婦だから何も問題ない。
世継ぎの話は、全ての大瘴気を払ってからなので、彼も手を出す気はないのだろう。
しかし、彼の隣では緊張して眠れる気がしなかった。
「だめかな……?」
ルカは子犬のように瞳をうるませ、上目遣いにお願いしてくる。そんな可愛らしくお願いされたら、断るに断れない。
「わかりました」
(ああっ、了承してしまったわ……!)
返事をしたはいいものの、すぐに後悔が襲ってきた。
男性と一緒に眠るなんて、もちろん初めてだ。それも、好きな人の隣で眠るだなんて。
これからの展開を想像して思わず両手で顔を覆うと、ルカがアストリアをヒョイと抱え上げた。
「ひゃっ」
「フフッ。嬉しい」
満面の笑みを浮かべたルカは、くるくると上機嫌に回りながら寝台へと近づいていく。そして気がつけば、ぽすんと寝台に下ろされていた。
ルカはアストリアの隣に横たわり上掛けをかけると、ニコニコと嬉しそうに笑った。
「緊張してる?」
「するに決まってます……」
恥ずかしさを隠すように、上掛けで顔を半分覆う。するとルカは、愛おしそうにアストリアの頭を撫でた。
「大丈夫。何もしないから、安心して眠って」
ルカはそのまま、何度も何度も頭を撫でた。本当にそれ以上は何もしないようだ。
彼の手の温もりが心地よく、アストリアの緊張もすぐに和らいでいく。気づけばまぶたが閉じかかっていた。
(誰かと一緒に眠るって、こんなにポカポカした気持ちになるのね……)
母国で虐げられていた頃は、これほど幸せな日々が訪れるなど想像もしていなかった。あのまま一生、国に飼い殺されるだけの人生を送るのだと思っていたのだ。
そんな暗く冷たい未来を、彼が明るく温かなものに変えてくれた。
(ああ……やっぱりわたくしは、ルカ様が好き。日に日に気持ちが募るばかりで苦しいわ)
光の巫女姫として大切にされていればそれで良いと思っていた。それなのに、最近は欲張りになってきている自分がいる。
ルカに、アストリア自身として愛してもらいたいと思うようになってしまったのだ。
彼がアストリアを大切にするのは、自分が光の巫女姫だからだ。それなのに自分自身を愛してほしいだなんて、やはり欲張りだろう。
でも、彼への愛が募るにつれて、愛されたいという欲望も増していく。自分でも抑えきれないほどに。
(ルカ様の隣にいられるだけでも、十分ありがたいことなのに……)
そんなことを考えているうちに、とうとうまぶたが閉じてしまった。重たくて重たくて、もう開けられそうにない。
「フフッ。おやすみ、アストリア」
愛おしそうに名前を呼ぶ彼の声で、また心が温かくなる。
(おやすみなさい……ルカ様……)
言葉にしたつもりだったが、音にならなかった。眠気が限界だったのだ。段々と意識も遠のいていく。
ルカの温もりに包まれ、アストリアは言いようもなく幸せな気持ちで眠りについた。




