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六話 小学生のやり直し


 やばい緊張してきた。


 春、ついに復学する時期がきた。

 体力的には通学は問題ないし、腕や手先の動きも生活に支障が無い。内臓を痛めた影響で食が細くなってはいるが、なんとか身体に肉もついてきた。


 鏡の前で、自分の姿を見る。

 色素が少し薄い髪は肩あたりまで、大きな垂れ目と小さな鼻と口。潔も周囲からはよく褒められる容姿だったが、彼女とよく似ている顔立ちの俺も、中々良いのではないだろうか? 


「自分の顔だと、鏡越しだしなんとも言えないなぁ」


 骨かと見紛うくらいガリガリだった体も、まだ同年代と比べても細いだろうが大分見れるくらいにはなった。

 母や潔はもともと女性にしては色んな意味で『大きい』人達だったので、遺伝子的には成長が遅れているのだろうが……少なくとも潔とは一つ上とは思えないくらい、色々と差がついてしまった。


 潔はよく太らない様に気をつけていたなぁ、とぼんやり『兄』の記憶を思い出す。


 斉藤カズオキに対する怒りに目が眩んで暴走してしまったあの時から、春にかけてようやく俺はとても落ち着いた気持ちで『兄』の記憶と向き合える様になっていた。

 それは、死にかけて後々に影響を及ぼすほどの大失敗を犯した事で冷静になったというのもあるし、なにより『ここ』ではまだ潔も生きている。父も死んでいないし、母も狂っていない。

 そんな、当たり前だった日常を再び過ごしているうちに頭に登っていた血が引いていった。


 とはいえ、大事なことを忘れたわけではない。

 潔を、確実に守る。その為に……俺は現実を知り、向き合わないといけないのだと。でもあそこで暴走したからこそ救えた命もあったわけで、あの時斉藤カズオキと対決したことが全て間違っていたとは……何とも思えないのだが。


「真守、行くよー」


 考え事をしながら着替えていると、下から潔の呼ぶ声がする。通っている小学校は同じなので、当然の様に一緒に登校するのだ。


 さて……この『男の記憶』を持った俺は、女子小学生に上手く溶け込めるのか……。



 *



 やはりというべきか、どこか遠巻きにされていた。


 教室で孤立した俺はポツンと席に座りながら休憩時間が過ぎるのを待つ。今日は始業式のため体育館で長ーい校長の話を聞いていたのだが、その途中でなんだか気分が悪くなってしまい吐き気を催した俺は中座、その後保健室でしばし過ごして教室に戻ったのだが、皆新クラスになった自己紹介を終えた後だったので……まるで転校生の様に教壇に立って大注目の中自己紹介するハメになった。


 まぁ、周りからすれば俺は事件に巻き込まれて去年の夏休みから休んでいた様な訳アリ少女だ。注目度はどのみち変わらなかったかもしれないが。


 とはいえ、この誰も話しかけてくれないとは……『(マモル)』の記憶を思い出す前の『(マモリ)』はどうだっただろうと頭をひねる。ぼやけた記憶にはなるのだが、その時も仲良い友達は少なかった気がする。

 香澄ちゃんはなぜ別クラスなのか……。『兄』の記憶を思い出す前も、あまり友好的な子供では無かったらしい自分に少し絶望する。

 小学校や中学校の女子といえば、上手くグループに溶け込めなければこう……いじめ的な、そういう対象になってしまうのではないだろうか。


(うぅ……そうしたら、一体俺はどうすれば……)


『兄』の記憶が濃すぎて、すっかり自意識が男───しかも成人男性のものとなった今、小学生との付き合い方がまるでわからなくなってしまった。


「おい、モヤシ。お前、変態に襲われたんだろ?」


 しかしついに俺に話しかける子が現れた。引っかかる物言いをしてきたのは、何だか生意気そうなツラした男の子だった。

 頭を捻り、名前を思い出す。過去に同じクラスになったことも、あるはず。


「えーと、高田くん」

「? なんだ、頭おかしくなったわけじゃねぇんだ」


 あまりの言いように、周囲が少しざわめく。女子達が誰か止めなよ、と言うが皆どうすれば良いのか分からないと言った顔だった。


「大丈夫、ちょっと怪我しただけだから」

「はぁ? そんなこと聞いてないし、てか変態にへんなことされたんだろ?」


 ……小学生ってこんなもんだっけ? ああ〜いや、家で親とかがそういう会話してるとか……? いや兄が居て、俺の事件を聞いて邪推してるとか? 

 それにしてもそんなこと普通言うかぁ? 


「あの、どこで誰が言ったか知らないけど、えっちなことはされてないから」


 一応、俺の尊厳のためにもそう言っておく。すると高田くんは顔をいやらしくにやけさせた。


「エッチって、なんだよー! おい! やっぱされたんだ!」


 俺の話、聞いてた? 中々オマセなクソガキだなこいつ。斉藤カズオキは性的暴行より自傷させることに興奮してたんだよ! とはややこしいし子供には通じないだろうから言えないが、まぁ成人男性に襲われたって事件を聞けば、いかがわしいイメージを持つ人はいるよなぁ。

 とはいえこんなガキンチョにそれを吹き込むなよ……。俺は呆れてため息を吐いた。


 するとその様子を見ていた高田くんが、怒りに顔を真っ赤にさせて俺の胸ぐらを掴んでくる。


「ちょっ!」


 突然の凶行に、俺は心底焦る。

 小学生男児のキレ所がわからん! 


「お前バカにしてんのか!」


 し、してるけどぉ〜。

 そう答えるわけにもいかず、どうすれば良いのかわからなくなってオロオロとしながら周囲に目を配るが、他のみんなも高田くんが怖いのか揉め事に関わりたくないのか助けようとはしてくれない。


 仕方ない……ここでしおらしくしていれば、こういうクソガキはつけあがるだけだろう。ここはいっちょ気丈な様を見せないとな。


「被害にあった女の子に、そんな失礼なこと言う高田くんが悪くない?」

「なんだとォ!」


 あ、全然ダメだ。相手が大人じゃないのだから理屈とか通じないことを俺は失念していたらしい。

 殴られは……しないよな? 

 せめてもの抵抗と、あと服が伸びそうで嫌なので掴まれた手を解こうとする。びくともしなかった。


(非力すぎて悲しくなるな)

「クソ女! このモヤシ女が! ブス! バカにすんな!」


 泣けばいいのかな? 

 俺は諦めモードに入った。頼むから顔は殴らないでほしいなぁ、と思いながら……なんか罵声を浴びせてくる高田くんの言葉を右から左に受け流す。

 こいつ短気すぎるよぉ。家庭環境悪いのかなぁ。誰か助けてぇ……。


「何してんだ高田ァ!」


 理不尽すぎて泣きそうになっていると、怒声と共に先生が入ってきた。どうやらクラスメイトの誰かが呼びにいってくれていたらしい。

 事件の被害者として、色々と学校側としても気を使う生徒である俺に対しての暴力行為は大層重罪らしく、高田くんは相当怒られながら職員室に連れて行かれた。


 あーあー。服伸びたかなぁ。


 新しく買ってもらった服だったのだが……と悲しくなりながら胸元を見る。うーん、子供の力だしなんとか大丈夫そう……。


「大丈夫?」


 すると、俺にそう心配の声をかけてくれる子がいた。顔を上げると、そこには長くて綺麗な黒髪を腰まで伸ばした可愛い少女が立っている。


 (ミサキ) 花苗(カナエ)。学年一の美少女と名高い子だ。スッと通った鼻筋と化粧無しでくっきりとした目は将来美人を約束されているだろう。


「あ、ありがとう、大丈夫……」


 見た目の良さに少し気圧されながらも答えると、落ち着いた笑顔で「良かった」と言ってきた。

 優しい子だなぁ。どこへ行っても、いわゆるグループカースト上位みたいな子なので、『兄』の記憶を持つ前から逸れもの気味の俺とは纏うオーラに雲泥の差がある。


 まぁこれをきっかけに、この子の様な女の子と仲良くなって女の子社会に馴染めると、いいなぁ……。そう思いながら、不安の新学期はあまり良いとは言えないスタートを切った。



 *



 一ヶ月後。


「おいマモリィ!! 早く取れ! 早く取れ!!」

「あーもう、待ってよぉ」


 放課後に俺は高田くんと他クラスの男子と、汚い水路の様なところでザリガニを取っていた。

 童心に返ってすごく楽しい。臭い泥の中から外来種のザリガニを掴み取り掲げると、ハサミを回されて俺の指を挟んでくる。


「あぁっ! いたたた!」

「こら! テメェ!」


 ぷらんとぶら下がったザリガニを高田くんが無理やり引っ張る。すると、ハサミが千切れて俺の指を挟んだままザリガニ本体は高田くんの手の中にあった。


「ギャハハハ! 高田ァ! ザリガニ取れちゃったよー!」

「マモリの指挟まれたままだ!」


 クラスの男子二人が腹を押さえて笑い出す。高田くんも「あちゃー」とザリガニをバケツに放り投げてから、じわじわきたのか笑い出す。


「マモリ痛くねぇのか!?」

「痛いよ……なんなら引っ張られた時が一番痛かった……」

「ギャハハ! ごめんごめん」


 泣き真似なんかをしてみせるが、もちろん泣いてなどいない。むしろ俺の口角はニヤけてすらいた。


『兄』の時、潔を失うまではそれなりに交友関係を持っていたのだが、それ以降は中学からの『親友』以外とまともに交流は無くなっていた。それは俺が、端から見ればおかしくなってしまったからで。

 それはともかく小学生の頃の『(マモル)』は友達こそいるものの、こういう遊びはしてこなかった。


 童心に帰るとはいうが、本当に童に帰ってしまった今───。


 むしろ当時の『兄』よりも小学生らしい生活を満喫している気がするのであった。


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