五十話 世界から逸れた者
一番最初の記憶。
空を流星が瞬き、雲を裂いて落ちてきた。
外を歩いていた私と父の真上に降り注ぎ───
原因不明の事故。そう処理され、父は身体の破片と私を残して世界から消えてしまったのだ。
母は、抜け殻のようになった。しかし、時が経つにつれて次第に明るさを取り戻していく。時は偉大だと思った。でもそれだけじゃなかった。
新しい、父親ができた。私の母とは逆に、妻を亡くしたらしい。互いに傷を埋め合って、やがて一緒になった。
新しい父には、子供がいた。私よりも年上の男の子。兄ができた。彼は新しくできた家族に戸惑っていたけれど、それでもすぐ私には優しくしてくれた。兄に、なれたのだと喜んでいた。
両親が事故で死んだ。
今回は、私の父の時のような原因不明なんかではなく、交通事故だった。
兄は泣いていた。しかし私は、涙が出なかった。父が死んだ時に、とうに枯れてしまったらしい。でも、その時に世界は色を失った。
「人形みたい」
「目が死んでる」
「暗い」
周囲からはそう言われながら、なんとなく生きていた。両親の保険金で学資金はなんとかなるらしい、しかし兄は自分も働くからお前は好きな大学に行けというので、出来る限り勉強を頑張って……しかし、兄とは離れることのない近所で一番学力の高い大学へ行った。
将来の展望なんて、何もなかった。ただ、最後に残った家族である兄を、お嫁さんでも見つけて送り出せればいいな、と。
家族がいて幸せそうだった母や父、新しい父のことを思い出しながら。それだけが生きる目的だった。それ以外に、何をすればいいのか、自分の未来は何も思いつかなかったのだ。
「綺麗な目、してるね」
『彼』に会ったのは、その大学での新歓コンパと呼ばれる催しだった。兄が一度は参加してみてはどうだ? というので、適当に選んだサークルのそれに参加したのだ。
これは、ナンパというやつだろうか。そう思ったことをよく覚えている。きっと、死ぬまで忘れない。そんなことを言われたのは初めてだったから、その時の目を見開いて驚いた自分の感情を鮮明に思い出せる。
随分と、身体の大きな男性だった。兄と同い年で、成人の平均的な身長を優に越した体格の人。
「うわ、ごめんな。すごく、軟派な言葉だった」
遅れて照れたように頭を掻く彼の瞳が、本心から私の目を綺麗だと言ってくれていたらしいことを語ってくれていた。
初めて言われたのだ、そんな言葉は。私は親を3人も亡くしてから、死にながら生きているような実感だった。だから、周囲の人は私を不気味がる。
私の虚無の内面が、外へ滲み出ているのだ。
「ナンパ、だと思いました。そんなこと初めて言われたので」
私がそう答えると、彼はキョトンとした顔をして少し微笑んだ。
「そうか? なんだ、見る目のない奴らばかりだったんだな」
これが彼、周防真守との出会いだ。
その後、私は彼の所属するサークルに入会したものの、私はどうも可愛げがないらしく中々打ち解けられない。
そのおかげで必然と真守さんと共に過ごす事が多くなり、すると不思議なことに他の人とも話をできるようになってきた。
「■■さんて、周防くんの近くだと雰囲気が柔らかくなるんだよ」
そう言っていたのは、誰だったか。『遠い昔』のことなので、流石に思い出すことは出来なかった。
そして時は流れ、彼が卒業する年が来た。
「俺は心配だよ。■■、お前俺がいなくてもやっていけるか?」
軽い口調で揶揄い半分でそう言ってくる彼に、少しムッとして私はこう言った。
「やっていけませんよ」
目を丸くして、彼は私を見た。
ふっと微笑んで、私の頭をガシガシと鷲掴みにして揺さぶる。彼の手は大きく力も強いので、それだけで脳が揺れそうになる。
「俺と、付き合うか?」
「はい」
即答。脳で考えるよりも早く、私の口から言葉が吐き出された。いつの間にか、世界に色は戻っていた。
涙は枯れたままだったけれど、私はいつの間にか人に戻れていた。
それから数年。
私が大学を卒業すると同時に入籍した。真守さんの両親に妹さん、そして私の唯一の家族だった兄も、みんな祝福してくれた。
その後すぐに妊娠が分かり、もう二度とないであろう幸せの日々が過ぎていく。私も、きっと真守さんもその先の未来に光しか見ていなかった。
私の枯れた涙が戻った時、それが私が世界から『逸れた』瞬間だった。
───おぎゃぁ! おぎゃあ! おぎゃああっ!
ずっと側に居てくれた真守さんのおかげで乗り越えられた痛み。私と、真守さんの間に生まれてくれた祝福の子。痛みと疲労で、どこかふわりとした感覚の中、『あの子』の泣き声が聞こえて胸が温かくなった。そう、覚えている。
「よく頑張ったな!」
真守さんは、涙を流して私の手を強く握った。私はその時、笑ったと思う。彼と出会って取り戻したのは世界の色だけじゃない。自然な笑顔を彼が生み出してくれる。
「どうぞお母さん、可愛い女の子ですよ」
産院の人が、私の腕に赤子を抱かせた。腕の中で泣き続ける、我が子を見下ろして───気付けば涙を流していた。
失って、しかし新しく得た『家族』。そこにある幸せ。それを実感して今……父が死んで枯れた涙が、私に還ってきた。
ぽたりと、私の涙が赤子の頬に落ちる。その様子を、真守さんを含めた周囲の人達が皆、暖かい眼差しで見つめていた。
───そして、《龍血》が発動した。
*
幼き頃、父を殺して私を殺すことのなかった流星こそが、『龍』だったのだろう。不可思議な、この世界のものではないエネルギーそのもの。それが龍の正体であり、龍血とは『世界から逸れる』力だ。
私達の生きるこの世界とは別の所にある力。物理法則では説明のできない、きっと『この世界』では説明できない力。
結果として、私と真守さんの子は『龍血』に適応せず、死んだ。その時に周囲を……私以外を破壊して、元々病院のあった所に私だけが取り残された。
事態を聞き駆けつけた潔さんや兄の光の顔を思い出すことはない。なぜなら私はすぐにその後を追ったからだ。
彼とあの子のいない世界に、どうして私が生きられるだろう。
*
死ねなかった。
いや、正確には死なせてもらえなかった。
記憶だけが力の奔流に乗り、私はかつて流星を見た日に戻ってきた。父の破片を見て、ぼんやりとそれを理解した。
そして世界が、少し逸れた
*
何度も、試した。しかし私は死ねなかった。
だから私は、私を殺すための力を生み出す必要があった。
何度も死に、何度も同じ時間に戻る度に感覚として分かったものがある。
私が死ぬ度に、世界は少し逸れていく。世界から逸れた人間は、この世界のルールを無視した力を行使していた。
それに気づいたのは、もう既に私が彼らを何人も生み出した後だった。
私と同じように、世界から逸れた者達。だから私はその力を『逸れし力』と呼び、それを操る者を『逸れし者』と呼んだ。
初めて私が死んだ時に生まれた能力者は『龍眼』だ。私がそう名付けたのは、かの能力は予知などではなくただの『記録』だからである。
私と同じ時間を生き、私が死ねば同じ時に戻ってくる。そうして蓄えた『記録』は、基本的に同じ時を繰り返すこの世界において『予知』となる。
しかし何百回も繰り返すことで、いずれはわずかな情報から未来予知に近しい『予測』が可能になるだろう。どうか、そこまで達する前に私の目的を達成したいものだ。
能力者達の存在を知った私は、彼らを探す旅に出た。彼らを見つけ、能力を知る。
私の望む能力がなければ、私は再び死を選び、世界を逸れさせる。
私が■■という名前を失ったのも能力者の力だ。
残念ながらその程度の効果しか、発揮しなかった。
*
ずっと、望む力が見つからない旅を繰り返した。
どこかのタイミングで、自分自身の力を思い出す。
龍血ならば、能力者を人為的に作ることができる。
*
適合する者としない者、その差は未だ分からずじまいだ。世界をまた繰り返せば、以前はダメでも今度は適合したりする。きっと、世界から逸れるのに順番があるのだ。それは神の気まぐれなのかもしれないが。
*
何度か繰り返して、『混沌』と呼ばれる能力者に出会った。宜保という男だ。
彼は、『何かと何かを混ぜ合わせて一つにする』能力を持つ。私は『龍血』を他の能力と混ぜ合わせることを思いついた。
より、効率的に龍血を広め、能力者を増やす為に。何度も何度も、いろんな力を試した。
*
混ぜ合わせることそのものに労力が割かれる。だから『陶芸師』を見つけた時、便利だと思った。
だが彼は非常に困った人間性を持っている。なんとも扱い難く、力で無理やり従わせることが多かった。
ふとした時、宜保の友人である『札木』という男と知り合った。彼は言った。
「君なら、人を生き返らせることができるか?」
私は答えた。
「私も、それを為すことができる能力者を探している」
*
札木は、金と宗教団体を持っていた。そして彼自身の性質が、様々な人間を惹きつけ、内側に取り込むことを可能にした。便利な男だった。だから次第に、時が戻るたびに彼を見つけ出し利用するようになった。
彼ならば、あの陶芸師ですら言うことを聞く。陶芸師のしでかした面倒事すら、自分の手のものに処理をさせることができる。
札木の目的は、自身の妻を生き返らせることだった。
私が戻ってくる時点では既に故人となっているその妻を……。
そのことを知る私ならば、何度繰り返してもその度に札木のことはすぐに味方にできた。
*
『龍血』を効率的に多くの人間に使う。
その為には物理的に必要なことが多かった。だから私は、そのいずれをも解決できる能力者を集める事にした。
荒波や兎城は、より遠くに龍血を飛ばす為に。
陶芸師は宜保の混沌をより効果的に使う為に。
サトウや空上は、その他の面倒事をなくすことができる。
それが、《ネクスト》だ。表向きは札木が持っていた宗教団体を発展させた新人類を作り新時代を築くなんて謳い文句だが、私と札木の目的は……案外俗っぽい。
世界を繰り返しているうちに、兄もいつの間にか能力者になっていた。
その後も私が時を遡る日々を過ごしていると、ふと彼はこう言った。
「俺も、記憶を《保存》してここにきた」
それには素直に驚いた。要は、龍眼と同じだ。龍血と共に時を遡る私に、『保存』の能力は付いてくることができる。
私は初めて他人に、一度目の人生のことを、自分のことを話した。───兄はいつか見た表情をした。妹のことは、兄が守る。お前のためならなんだってやってやる。そう言ってくれた。
私は、兄すら利用することを決めた。
龍血は私自身の体液を使用する為、物理的な限界量がある。それを解決する手段はなかなか見つからなかった。
周防潔。よりにもよって真守さんの妹が世界から逸れて得た力が、その最後のピースとなるものだった。
彼女は強力で、とてもではないが御せる存在ではなかった。潔さんは《対魔》と呼ばれる『龍眼』の作った組織に所属しており、私たちと敵対していたのだ。
なぜなら、龍眼には私が何百周も世界を繰り返し、やってきた所業が記録されている。龍眼にとって私は、物語の魔王のような存在だった。そして、我ながらその通りであると思っている。私は、自分の目的のために何度でも世界を滅ぼす。
それを抜きにしても、陶芸師や荒波に兎城といったメンバーは平気で犯罪を犯す。《対魔》が正義の味方をするのも納得な面子なのだ《ネクスト》は。
潔さんは強いが、彼女に対抗できる能力者はこちらにもいる。
保存の力。兄の力だけは、周防潔の再生能力を止めることができた。
陶芸師に切らせ保存した彼女の首を抱え、兄は憔悴しきった顔で口を開く。
「……お前に言われて、俺は周防真守を見に行ったんだ。気が合ったよ、今では───親友とまで思ってる。だから、潔ちゃんとも、何度も話したことがある」
「やめておけばよかった? 今からでも能力を解けば、彼女はすぐに元に戻る。私はそれでも構わない」
本当に、構わないと思っていた。
やり方なんて、いくらでもある。時間だって。
ただ、私は早く済ませたいだけなのだ。
身体を黒に染め、私はずっと喪に服している。
「やるさ、だが……ここにおいていたら陶芸師達に何をされるか分からない。だからこれは……真守に届けてくるよ」
このことを彼はずっと後悔している。私も、今を思えば止めておけばよかったと考えている。私も兄も、彼を傷つけたいなんて思っていない。ただ少し、疲れていたのだと思う。
残った潔さんの首から下。それと私を陶芸師と混沌の力で融合させる。
龍血は、私の体液でのみ作用する。
故に、周防潔の再生能力と私の龍血が混ざり合い、無限に近い供給量を得た。
それを、荒波の力で空へ運び、兎城の力で遠くまで飛ばす。
『変革の時』
龍血の雨。それは多くの人間に触れて、世界から逸れさせる。適合できなかった者は死ぬが、それは仕方のない犠牲だと割り切る。もし望んだ能力者を見つけさえすれば、私がもう一度やり直せば良い。次はその者だけを能力者に変えれば良いのだから。
唯一、一人だけ龍血の雨が触れないようにした人が居た。
私の最愛の一人であり、彼だけは……もう二度と、この手で殺すようなことがあってはならない。
*
ずっと、ずっと探している。
それを為すことのできる能力者を。
*
その記憶は、たった一度きりの、初めての人生の記録だ。
それ以降はずっと、彼女にとっては意味のないものだから。
周防真守とのまともな接点も、最初の一回目のものだけだ。それ以降は、■■は俺に直接関わることがなかった。
だから、俺が知らないのも無理はない。なぜなら周防真守に宿る真守の記憶は彼女が何百も繰り返した時の中、そのたった一つ前のものなのだから。
そう、何百も前の記憶なんて俺の中には存在すらしていない。この世界ではなかったことになっている。だからきっと覚えているのは彼女だけだ。
*
世界の因果そのものへ干渉するほど強力な能力がある。
私が■■という名前を失ったのも、存在そのものを消滅させる能力者によるものだ。だが龍血に負けて、消えたのは彼だった。それ以降は、彼はこの世界に生まれてすらいない。
兄の姿を女の子に変えた能力もその類のものだったのだろう。時を遡ってもなお作用する効果、その巻き添えに真守さんまで女の子になったと知った時、私はどこかホッとした。
これで、私と真守さんが交差する未来は完全に無くなったからだ。女同士では、子供は出来ない。結ばれることは、ない。
「綺麗な目」
なのに、あの時と変わらないその瞳で、あの時と同じことを言われて───
私は、早く───早く、終わらせなければいけない。そう強く思った。
*
俺を見下ろす■■の瞳から、一粒の涙が落ちた。
俺はもう、死ぬ寸前だ。どうやら光の『保存』によって意識を保っているらしいが、さすがに即死に近い人間を『保存』したところで焼石に水らしい。どこを保存したのかは知らないが、こうして思考していられる時点で、俺のどこかは生きていて、死に向かっている。傷口を《保存》したのだろうか。咄嗟のことだ、それに俺そのものを『保存』したところで、解凍すれば死ぬだけだ。だからきっと治療の為に───考えても仕方のないことがぐるぐると、巡る。
その涙が俺に触れた時、俺は彼女の記憶を見た。
そして、彼女がなんのために、何を為そうとしているのかを知った。
俺は、彼女の味方にはなれない。
何故なら『私』は■■の知る周防真守ではない。光の保存によって持ち越した記憶も、彼女の知る俺のものではない。
それでも私は、彼女の元へ行こうと思った。
そうするしか、終わらせることはできないから。
*
スタスタ、と。散歩のような気軽さで歩く男。陶芸師は腹の傷を治癒させ、何故か光や潔の元へ戻ってきた。
雨宮正弦による傷の治癒が遅れ、力無く項垂れる潔に光が一生懸命何事かを伝えている。それを見て、ニヤニヤとしながら陶芸師は近付いていく。
やがて、光が陶芸師の気配に気付いた。バッと振り返り、顔を青褪めさせる。
「な、なにしにきた!」
「なにって、血棘がやっと諦めてくれたからさ。光ちゃんを殺しにきたんだよ。あと周防潔も今ならやれそうだし」
ペロリと唇を舐めてそう言った陶芸師に、光は顔を引き攣らせて潔を庇うように立つ。
「もうさ、俺……長くないんだよね。だから最後にパーっと殺したいなって。そしたらやり損ねた光ちゃんのことがどうしても忘れられなくってさぁ」
「く、クソ野郎が……!」
光の悪態など、もはや陶芸師を喜ばせる効果しかない。陶芸師はチラリと周防潔の様子を見て、未だ茫然自失の様子に口角を上げる。
おそらく、周防潔の能力は精神力によって効果が左右される。その強靭な精神力が折れた今こそ……。
陶芸師は震えた。あの荒波を一方的に嬲る周防潔を、自分が好きに嬲れるチャンスなのだ。
陶芸師の能力は今が過去最高潮に極まっている。彼は知る由もないことだが、それは龍血の少女が幾度も繰り返してきた時の中で比べて、最もだ。だからこそ■■も陶芸師の凶行を止めることができなかったのだ。
「光ちゃんの力はさ、『保存』……状態を変化させる能力である俺と、対極にある状態を固定する力だ。その力と、戦わずして死ねると思うかい?」
そして、これが戻ってきた最たる理由。
陶芸師にとって自身の力は、何事も流されるがまま生きている彼の唯一と言って良いほど執着の強いものだ。
その力を好きに使いたいからこそ、社会の法にいくらでも反してきた。
彼は、その力を『自由』だと捉えている。
その自由だけが───
「さっきは止められた。俺の負け? あり得ない! 俺の『自由』は止められない! その証明こそが……っ! 俺の人生だ!」
やりたいと思ったことを、やりたい時にやる。
だから……『保存』の能力を、真っ向から打ち破り、辰蔵光を殺したい───!
空間を捻じ曲げ、一瞬で光の目の前に現れた陶芸師。しかしその瞬間移動を既に一度見ていた光には予測できている。
同時に両者が手を伸ばし、ぶつかる。両者の力に音はない。だから、何も、なんの現象もそこには起きない。
ただ、両者の力が拮抗する。それは二人だけが分かることだ。その拮抗は一瞬で、すぐに光の顔が歪んだ。
「俺の───勝ちだ!」
陶芸師が勝ちを確信し、光は負けを確信した。元の出力なら、光の能力の方が相性的に優っていただろう。
だが、その相性差を圧倒的な出力で陶芸師は上回った。その結果は、光の負けで……ただ破壊する変化だけを込めた陶芸師の力は、彼女の身体を一瞬でチリも残さず消し飛ばすだろう。
だが、そうはならなかった。
『再景』
芯の通った、その声。
「麻痺」
ぴたりと時を止めたように、陶芸師の動きが止まる。同時に光を襲うはずだった暴力的な力もその発動を止められていた。
「な、は?」
動かない身体で、しかし眼球と口は僅かに動くため、陶芸師は自身を強く睨む『左目』を見返した。
そこに立っているのは、信じられない人物だった。その人物は光の肩に手を置いて、優しく後ろに下がらせる。
周防真守。
死んだはずの彼女が、五体満足で陶芸師の前に立っている。
「うそ、だろ?」
確実に、半身を吹き飛ばした。
その吹き飛ばしたはずの腹部は、古傷らしい酷いアザは残るものの綺麗に形を取り戻していた。
あり得ない。あそこから生還するなんて、それこそ周防潔の再生能力でもなければ───
グッと、周防真守は拳を握った。そして『麻痺』の効果が切れるより早く、その拳を陶芸師の顔面に叩き込む。
「っぶえ!」
細い真守の腕から想像もできない力強さで、その拳は大の男である陶芸師の身体を吹き飛ばした。
少し地面を滑って、すぐに体勢を整えた陶芸師は身体と能力が動くことをすぐに確認し、獰猛に笑う。
「は、ははっ! どうやって? 周防潔か? ははは、へへ……もっかい、殺すしかないなっ!」
殴られた頬は相当痛い。そもそも女性警官に撃たれた腹部の傷もうまく治せたとは言い難い。龍血の影響で頭は少しハイになっているし、なぜか体の節々が酷く痛む。
だが陶芸師は、心の底から笑っていた。彼にとって、自分が死にそうな状態であっても……この状況は、遊びと変わらず、好きに自由に楽しむものなのだ。
「ま、真守ちゃん?」
潔の信じられないとでも言いたげな声を耳に入れながらも、今はそれどころではないと周防真守は楽しげに笑う陶芸師を睨みつけた。
心底から、腹が立った。コイツが気まぐれにどれほどの人間を傷つけ、踏み躙ってきたのか……周防真守は前生でも今生でもよく思い知っている。
だから、使うのは『彼』の力だ。
『再景』
それは、自分で名付けた《力》の名だ。自然と、脳裏に浮かんだそれを口にする。
「斉藤カズオキ」
真守が発動したい効果の条件は満たした。
触れること。一度触れれば……斉藤カズオキの能力は、対象の触覚を完全に支配する。
そうなれば可能になる。その対象に、最大限の『痛み』を与えることが。
「ガッ」
息が詰まるような、音。
陶芸師から漏れたのは、声ですらない叫びだった。
「アガッ! カァッ! ガァァァァァッ!」
「この『痛み』は、逃れることができない……こんな形でしか……わかりやすく『痛み』でしかお前に思い知らせることができないがっ!」
それでも、と。真守は強く拳を握った。
「お前は知るべきだ! 人の痛みを、お前が傷つけたものたちの怒りを!」
陶芸師はもう、放っておけば死ぬらしい。だが……周防真守はそれを許さない。彼の魂に、彼の罪を、その報いを刻み込むべきだ。
「私が、それをお前に教えてやる! ほんの僅かだけど……お前の奪った命に少しでも報いるために!」
これは正義などではないだろう。真守の勝手な言い分だ。それでも彼女はやる。
何より、陶芸師は前生において潔の首を切った張本人だ。記憶を取り戻した時の、自身へ課した誓いを、周防真守の無念を、今ここで晴らす。
もう一度言う。
これは正義などではないだろう。真守の、勝手な復讐だ。
自分だけではない。陶芸師に傷付けられた全ての人達の無念を、怒りを、陶芸師自身にぶつけなければ───いや、真守がそうしたいだけだ。子供の癇癪でもいい、大人の偽善でもいい。
「私がお前を殺す」
周防真守が言いたいのは、この言葉。それだけだ。そしてそれを為す。




