四十九話 一目で見て分かる死
「驚いた」
■■と呼ばれた少女が、目を丸くさせてそう呟いた。その横にいた札木と血棘も、目を見開き言葉を失っている。
視線の先にあるものは、空中から重力に引かれてそのまま地面に落ちる。ボトリとドスン。小さなものと大きなもの。
空気の流れを操る能力者であり、《ネクスト》に所属する能力者の中でも、最強格に相応しい力を持った男だ。
そんな彼が、首と胴体が別れて地面に転がっていた。その光景を見て唖然としている《ネクスト》の面々に凄まじい勢いで接近する影がある。
周防潔だ。荒波が死んだ今、最も危険と考えられる相手は棘の能力者である血棘という少年。
潔は、彼が晒した大きな隙を見逃さず全力で地面を蹴って弾丸のように飛び出した。一拍遅れて気付いた血棘だが、今から棘を生成しようにも潔の攻撃には間に合わない。
(殺った───ッ!)
勝利を確信した潔。拳を振りかぶり、原型も残らないだろう程の力を込めて思い切り頭部を殴りつける。
だが次の瞬間、潔の目の前が滲んで見えなくなった。ゴポリと、目の前を気泡のようなものが遮る。いや、見えてはいる。見えにくい、眼球に何かが……?
息を吸おうとして水を大量に吸ってしまう。むせて、しかし手足がどこにも……気付く、ここは水の中だ。
「なんだ……っ?」
その頃、橋の上では大吾郎が困惑の最中であった。空中にいる荒波を地面から斬り殺した正弦は、刀を振り切った姿勢で気絶しているのか動きがないし、敵に襲いかかった潔は一瞬で『消えてしまった』。
「先生、これは一体───? あれは、荒波ですか?」
もう一人増えていた。今までいなかったはずの人間……高校生くらいの若い男が、眉を顰めて札木の横に立っている。
「空上くん、助かったよ。荒波くんがやられてしまってね……危うく、血棘も殺されるところだった」
「あの荒波を? 誰が」
空上と呼ばれた男は、札木の指差した方を見て眉を顰める。そこには変な姿勢で固まった正弦の姿がある。
「荒波が溢した『龍血』を舐めて、能力を発現したみたい。けど今は負荷で気を失っている」
「……なんてやつだ」
■■が無表情のまま事情を説明する。その顔には、仲間が殺されたという悲しみは一切見えず、彼らがどのような仲間意識の集団だったのかが窺える。
彼らが悠長に話をしているのは、既にこの場に自分達の命を脅かしてくる存在がいないからだ。
正弦は気を失い、潔はこの場から消えた。大吾郎も、自分の限界を超えて能力を使ったせいで負荷が大きく膝が笑っている。
残った大観は大した能力じゃないし、そもそも宜保を守る為にその場を離れるわけにもいかない。
「周防潔はどこへ?」
「海中です。普通なら上がって来れないと思いますが……」
「彼女なら、時間の問題だろうね。■■、どうする?」
潔の所在について尋ねる札木に、空上は淡々と答えた。彼らは油断することなく、周防潔ならば上がってくると理解している。
「……宜保の、『混沌』はもういらない」
「───!?」
■■の答えに、札木は驚きを隠せない。
「そうか、一体何故?」
「空上、貴方がここに来た理由もそうでしょう? サトウと兎城が死んだ……陶芸師も、虫の息ってところか」
■■が特に思い入れもなさそうに並べた名前の彼らは皆、『龍血』を摂取している。故に大元の■■には、彼らの様子が分かってしまう。
「そう、僕が見た時には既にサトウは喉を裂かれて死んでいたし、兎城なんて陶芸師にやられて肉片としか呼べなくなってる」
呆れたような口調で空上はそう言って、「そもそも陶芸師のやつ平気で仲間を巻き込みやがって」と悪態をついた。
札木はため息を吐き、少し悲しげに目を伏せて困った表情を浮かべる。
「ならば、そうか……やり直し、か」
「別件の話があるんだ。『黒花』が派手に動き出した、もしかしたらそっちが使えるかも」
空上のその言葉に、大きく反応したのは■■だった。少し口角を上げ、何事かを考える。そして、意を決したのか普段と同じ平坦ながらもどこか挑戦的に聞こえる声色で……しかし顔色は一切変えずこう告げた。
「ならば、そちらに行こう。元々、宜保の『混沌』は幾度か試している。新しい『手段』があるのなら───それを試すのも悪くない」
「じゃあ、早速移動しよう」
外見から想像される印象とは異なる口調。どこか大人びた雰囲気で言った■■の言葉に、それを聞いた《ネクスト》の面々は無言で従う。
彼らが話している間もずっと警戒していた大吾郎や大観に宜保を置き去りに、《ネクスト》は方針を変えて行動し始める。
空上の能力は瞬間移動というよりは空間転移だ。条件型としては間壁のものと似ている。
座標、物体指定、空間指定、いくつかの条件下において発動が可能で、移動させる為の条件が複雑であればあるほど必要とする『貯め』が大きくなる。
今回、空上は数年かけて『貯め』ていた力を解放している。とはいえ使う力はできる限り抑えたい。
なので彼は地面を抜きにした自分と触れているもの、更に触れているものに触れているものとまで条件を設定した。
距離が大きい為、そこの条件を変に細かく設定しないことで負荷を軽くしたのだ。空上の移動に重量はさして影響がない。
空間転移の発動。
その動作は一瞬であるが故に、ずっとその時を待っていた者がいた。
先程まで微動だにもしなかった雨宮正弦が、突如として動き出す。彼の『能力』は移動を必要としない。『射線』が通っていれば───彼が斬れると確信すれば、その刃は必ずそこに届く。
正弦が狙ったのは、空間転移の能力者である空上……ではなく、彼が対峙した中でもこの先最も厄介になるだろうと感じる……血棘だった。
棘の能力者である血棘を殺せば、自分の知る《ネクスト》の戦闘力はがくりと落ちる。
「えっ」
素っ頓狂な声が珍しく正弦の口から出た。
何故なら、正弦が刀を振るった直後に地面から飛び出してきた人物が彼の斬撃に当たってしまったからだ。
胴体を真っ二つにされ、戸惑う彼女は空中を舞いながら《ネクスト》の面々にぶつかっていく。
そして、転移した。
「い、一体なんだったんだよ〜っ! 札木は、一体なにがしてぇんだよ!」
しばらく沈黙が場を支配して、安全を悟った宜保が半泣きになりながら車から出てくる。その後を困った表情で大観が追って、途中うずくまる大吾郎の肩を掴み様子を確認している。
「……っち。俺が邪魔をしなければ」
潔が一人くらい殺せたか?
まさかあのタイミングで射線に潔が入ってくるとは思わなかった。おそらく海中に転移させられて、全力で上に上がってきては地面ごとぶち抜いたのだろう。流石にそこまで読むことはできなかった。
「しかし、これで俺たちは戦線離脱か……一体、奴らはどこで何をするのか」
完全に陸路が絶たれ、空中を移動する能力者のいない正弦達はここで救助が来るまで孤立する。
それは、これから始まる《ネクスト》との最後の戦いに彼らは参加できないということだ。
*
「起きろ! 真守! 起きろ───真守!」
ハッとして、肩に乗っていた何かを下に落とす。「グエッ」と変な声が足元からして、今しがた自分が落としたのは『親友』だったのだと気付く。
「お前の『花』を『保存』した、どうだ? 正気に戻ったか?」
光が心配そうに顔を覗きこんできて、まだうまく回らない頭で先程まで彼女と話していた内容を思い出す。
そうだ、そして途中……頭の中に声のような、何かの意志のようなものが……ここはどこだ?
キョロキョロと周りを見渡すと、何やら見たことのある景色だと気付く。ここは───正弦の大学だ。
何故、ここに? そう思ってすぐ、ギョッとする。視界に映る大勢の人間の背中から這い出るように首元に咲く黒い花、虚な目をして同じ方向へ向かう彼らの姿。その生気の無さはまるでゾンビ映画のゾンビだ。
向かう先、大学の校舎……なんとなく見上げて、思わず口が開いて閉じなくなる。
巨大な黒い花。あれは、黒木深紅の能力だ。だが彼女は死んだ。黒猫に意識を移した彼女は、確かなんと言っていた?
「真守ちゃん! やっと知り合いを見つけた」
タタッ、と。首元にカラーのように花を咲かせた黒猫が足元に寄ってきた。人語を普通に喋り、俺を見上げてくる。
「え? えっ、猫が喋ってる」
光の戸惑う声が聞こえてくるが、俺はクロキを抱え上げ、顔の位置まで持ってくる。
「これは、一体どういうこと?」
「佳奈が動き出したわ。私の能力、譲渡は成功していた……でも、これほどの人間に『種』を植えて、一体何をする気なのか……」
なるべく光には聞こえにくい声量で会話をする。驚く光を無視したままなので、光は不安そうな顔で、しかし喋る猫に興味津々だ。
「ところで真守ちゃんも開花しているようね、どうして無事なの?」
「……彼女の能力で、一時的に」
チラリと光に視線を送り、多くは語らない。クロキは俺の手から降りて、少し進んでこちらを見る。
「私は、少し佳奈の様子を見てくるわ。あ、そうそう───サトウは殺したから」
その言葉には、俺も光の二人とも目を丸くした。「「サトウを?」」二人してハモリ、詳細を聞きたいのだがクロキはさっさとどこかへ走り去ってしまう。
「サトウって、あのサトウ?」
「多分、そんな嘘をつくとは思えないし。え? 何故、そんなことに?」
光は少し考え込み、ポツリと漏らす。
「まさか『毒婦』に?」
ガッ! と、咄嗟に光の胸倉を掴んでしまう。怒りに顔が歪む。俺には、その言葉だけで察してしまう『記憶』がある。
「サトウは、花……岬はるかの家に!?」
「……っ! そ、そうだ。彼女の力が必要だった……」
「おまえ───ッ!」
ぶるる、と。ポケットでスマホが震えた。慌てて画面を見ると、そこには『岬花苗』の文字が。すぐに電話に出る。
「花苗! 大丈夫!?」
『えっ! 何が? むしろ真守ちゃん学校は?』
声色的に、全然平気そうだ。ホッとするが、しかしサトウのことは聞かなければいけない。
「あの、変なおじさんが家にこなかった?」
『……へぇ、知ってるんだ。まぁ、なんとかなったよ。詳しくはまた、今度話すよ。本当に、大丈夫だよ』
声から感じるのは何かを、隠していそうな雰囲気。だが、言葉は真実だ。サトウは来た、だが……何も、彼女は、彼女達家族は無事だった。それは真実だろう。口振り的に花苗はもう学校にいるらしい。
一体何が、それを考える暇はどうやらないらしい。いつのまにか背中から花を咲かせた人間達が俺と光を囲んでいる。
「これは、一体……?」
光がその顔を僅かに恐怖に染めて身を縮こませる。狙いは彼女だろう。何故なら花に意識を奪われた俺がそうだったのだから。電話を切り、囲む人間達の中に俺と同じ中学校で見かけた顔が大勢いる事に気付く。
「多分、お前の能力が狙いだ。この花の能力者は、お前の能力で何かをしようと考えてる」
「私の? 大したことなんて、できないのに」
朧げながら思い出してきた記憶。黒花に意識を奪われる前、その向こうにある意志はとある言葉に反応していた。
現在の能力の持ち主と、元の能力者との関係はあまり詳しくない。だが───推測として、『彼女』が望むものは、なんとなく分かってきた。
「光、お前の能力は……人を生き返らせることができるのか?」
一人、花に操られた人間が光に向けて飛び出してきた。俺はその人間の伸ばされた腕を絡め取り、力を受け流し地面に押さえつける。
「っく!」
だが、膂力が足りない。俺が与えられた黒花の力は『保存』によって効力を失い、今の俺は相変わらずの非力さだ。打撃と違い拘束技はもろにその差が出る。
すぐに振り解かれ、体勢を崩していると更に大勢の花に操られた人間が群れとなし、光の身体の掴めるところを掴んで持ち上げる。
「まて! まって! 光! 答えろ! お前の力に、人を───ッ!」
「できない! そんなこと、できない! もし肉体を用意できても、そこに入れる『モノ』がなければ、『魂』が『保存』されていなければどうしようもない!」
魂があるなら、可能なのか?
脳裏に、首に花を咲かせた黒猫の姿が過ぎる。だが、あの猫に宿るのは黒木深紅なのか? ただ、記憶を転写された猫なのか。果たして、魂の行方は……。
その言葉を聞いて、ピタリと操られた人間達の動きが止まった。どうやら少し考えているらしい。
「……美南、佳奈さんだろ? お願いだ、少し話をしよう。これほどの人間全てから花を抜き出す気なのか? その力には後遺症が、あるかもしれないんだ」
ゆっくりと、俺は彼女に伝わると信じて語りかけた。
「深紅さんも、こんなことをさせる為にあなたに渡したわけじゃないはずだ。そもそも、こんなに目立ってはいけない。深紅さんを殺した奴らに見つかって───」
「残念。もう来ているんだ」
横合いから声が聞こえてきた。
落ち着いた、大人の男の声だ。驚いて振り返ると、まるで今この瞬間にこの場に現れたかのように、いつの間にか《ネクスト》の連中が立っていた。
首から見覚えのある棘を生やした棘の能力者に、外見からして『瞬間移動』、そしておそらく札木と呼ばれる……どこかで見たことがあるような気がする男に……京都で見かけた、全身を黒に染めた少女。
「■■……」
光のつぶやく小さな声が耳に入る。そうか……あの子が、『龍血』……だったのか。 光の、妹。
「真守ちゃん!」
急に潔の声がした。よく見ると物理的に二つに分かれた潔が《ネクスト》の近くにいて、今まさに再生しながらこちらに向かって叫んでいた。
棘の能力者がすかさず潔に向けて棘を向け、しかし潔はそれを一蹴する。そのままその場で戦闘を仕掛けるが、『瞬間移動』が能力を発動して潔を置き去りに俺と光を挟んで校舎側に飛ぶ。
「先生、そろそろ限界です」
「ありがとう空上くん」
能力限界か。俺はもうしばらくこれ以上の『瞬間移動』はないと推測する。ならばすぐに逃げられることはない。
その瞬間、光が投げ捨てられた。「うぎゃっ」という声を聞こえたと同時、彼女を捕まえていた人間達は一糸乱れぬ動きで《ネクスト》に襲いかかる。
「まてっ! やめろ!」
一瞬だった。
いくら黒花によって強化された人間でも───棘の能力者には全く意味がない。
「なんてことを」
愕然と、そう声が漏れる。光も、顔を青ざめさせていた。両手の指でも数えきれない人数が、一瞬で串刺しになり絶命した。
まるでゴミを捨てるように棘の能力者はその人間達を放り投げる。まるで興味がなさそうに、自分達が殺した人間を一瞥もせずに《ネクスト》は校舎に向かおうとしていた。
「お前ら……ッ!」
「おおーい! みんな〜」
俺が怒りに身体を震わせ、一歩足を進めたところでそんな間抜けな声がどこからか聞こえてきた。
陶芸師だ。どこからか腹から血を垂れ流した陶芸師が走ってきていた。
流石にこの場にいる面々はギョッとして、硬直してしまう。《ネクスト》の奴らも声のした方へ振り返っていた。状況が分からなかった。潔が俺の側に来ていて、凄まじい殺気を飛ばす勢いで警戒している。
光は、地面に尻餅をついたままポカンとしていた。
「陶芸師……」
札木はポツリとそう呟くと、黒い少女の方をチラリと見る。そして、黒い少女■■は無表情のまま……その視線を切るように、踵を返して校舎の方へ足を進めた。
その様子を見て、他の《ネクスト》のメンバーは何かを察したような顔をする。それは───陶芸師も同じだ。
「ついて来るなら勝手にしろってさ」
棘の能力者がぶっきらぼうにそう言って、彼もまたどうでも良さそうに踵を返す。「なんだよ、つれないなぁ」と陶芸師は言いながら、腹の傷は深いのか押さえながら少し足をふらつかせている……何故治さないのかは分からないが、何やら様子がおかしい。目も酷く充血し、どこか……狂気を宿しているような。
フラフラと俺達の近くを歩いていく。嫌な感じがするので、俺は動けずにいた。横の潔も同じ感覚があるのか、警戒はするが襲い掛かるような真似はしなかった。
そして陶芸師は仲間である光をチラリと見て、まるで卓上に置いてある調味料に手を伸ばすような……なんて事のない、手を伸ばすその動作に……俺は、凄まじく悪寒を覚えた。
距離がある。完全に陶芸師の間合いの外だ。だからこそ、俺達も───《ネクスト》のメンバーですら、陶芸師の気まぐれに、出遅れた。
いつの間にか光の目の前に陶芸師が立っていた。それはまるで、『瞬間移動』だ。見たことがない挙動、充血した瞳に既視感があった、暴走した大吾郎だ。陶芸師の能力は今、かつてない極致にたどり着いていたのだ。
真っ先に動けたのは、何故か潔ではなく俺だった。それはおそらく、潔にとって光はどうでもいい存在で、俺にとっては……どうしても、そうは思えなかった人だから。
光の身体を押し除けて、その後すぐに俺は陶芸師が何をしたのかを『理解した』。
触れたものを『変形』させる能力。『龍血』により増幅した陶芸師のその能力は、その発動条件を『空間』にすら適用させている。
そうして、陶芸師は空間を捻じ曲げ瞬間移動したのだ。めちゃくちゃだ。『龍血』は、彼に適応しなかった。故に───命を削り、『能力』を暴走させている。
陶芸師の命はもう長くないだろう。増幅された能力そのものに自身を食われ、勝手に死ぬ。それを自分自身も分かっているから、なんとなく光を殺そうとした。
本当に、なんとなく。だから光は反応できなかったし、《ネクスト》のメンバーもまさかいきなり仲間に向けてそんなことを───状況的にそんな無駄な事をするなんて思っていなかったのだろう。
俺だけは、陶芸師の何もかもを信じていなかった。コイツは、ただ能力を使って人を殺した後にその処理をしてくれる《ネクスト》が便利だから所属しているだけ。仲間意識なんてない、能力による殺しを楽しんで、ただただ気まぐれに人に悪意を向けているのだと、知っていたから。
口から溢れ出す血は、俺に死に際の言葉さえ吐かせてくれなかった。言葉を出すための喉はあっても、必要な空気は肺ごと消滅している。
視界の端に、俺の両足が見えた。太ももくらいから先しかない。腕はかろうじて繋がっている。胴体のほとんどは、粉々に消し飛んでもうない。
潔の目が、飛び出してしまうのではないかと心配になるくらい見開かれていた。光も、何が起きたのか分からないといった顔だ。
もう、考えることすら難しくなってきた。
異変に気付いて振り返った■■が、俺の方を見ていた。ずっと能面のようだったが、潔と同じくらい目を見開き、しかし光と同じくらい……何が起きたのか分からないと、その瞳が語っていた。
この身体で一番最初に戦って、今までに最も死にかけたのが斎藤カズオキだった。でもなんとか生きていた。その後、ずっと苦しめられる後遺症も残ったけど。
次に神楽アツキと戦った。奴が手加減をしていなければ、後遺症もなしに戦いを終える事はなかっただろう。
その後陶芸師を逃し、大吾郎と出会い、《ネクスト》との戦いが始まった。荒波や兎城には辛酸を舐めさせられ、潔が能力者だったと知る。
何度も死にかけた。
でもなんとか生きてこれたのは、やはり運が良かったのだろう。
無能力の俺が、能力者相手にここまで戦えたのは、運が良かった。少し触れられただけで、『こうなった』のだから。
ごめんな、潔。
最後に浮かんだのはその言葉だった。
身内が死ぬ悲しみを、充分と言っていいほど、俺は知っている。それを、潔に───。
*
「あ」
周防潔は、一目見てもうダメだと悟った。
自身の血を真守に与えて治癒するあの方法は、真守が潔の妹だから可能なインチキのようなものだった。
血の繋がりが最も近い実の妹である真守だからこそ……周防潔の再生能力は真守を潔と誤認して能力を発揮した。
だが、これはダメだ。
腹部の全損。心臓と脳は無事でも、その他の重要器官はどう見ても粉々に吹き飛んでいた。見る限りでも周防真守の体積の半分以上───それほどの『量』を潔の能力で再生すれば、真守はもう『潔』になってしまう。
再生した『潔の肉体』が、本来の真守の肉体を喰らい尽くすだろう。再生箇所が少ないうちは真守本来の肉体が回復するにつれて自然と解消される問題だが、これは……もう、ダメだ。
ドロリと、周防潔の口から血が溢れ出した。雨宮正弦に斬られた傷が、開く。彼が握っていたのは能力を無効化する土谷大吾郎の刀だ。それは周防潔の治癒能力を大きく阻害していたが、彼女はそれを能力の出力で大きく凌駕することで強引に再生していた。
何事もなければ、時間さえかければ完治した傷だ。
だが、潔の心は、折れた。
「潔ちゃん! 気を強く持て! 能力を───!」
「光ちゃぁん! 寝返ったのかなぁ!?」
未だ健在の陶芸師が辰蔵光に向けて必殺の手を振るう。咄嗟に光は、正面からその手を受け止め、しかし何も起きない。
「っなに!? 『保存』で……っ!?」
「陶芸師! お前はもう用済みだ!」
そんな叫びと同時に血棘の棘が陶芸師に襲いかかるが、陶芸師は再び空間を捻じ曲げ瞬間的に移動した。
そのまま全員に背を向けて、校舎に向けて走っていく。それを血棘が追うも、空間を捻じ曲げることによる不規則な移動は人間の読み切れる動きではない。
「っち!」
血棘が陶芸師の追跡を諦め振り返ると、■■がどう見ても死亡している周防真守の側に立っている。
札木はそれを何を考えているのか分からない表情で見つめ、姉の光は周防真守の横で膝をつき茫然としている。
くるりと、■■が踵を返して歩き始めた。
札木はそれに続き、血棘の側まで来る。
「行くよ。黒花の能力者の元へ」
黒い少女は、人としての感情を表に出すことがない。少なくとも血棘はそう思っていた。無表情以外の顔を見た事がなかったからだ。『龍血』という特別な能力を持つ彼女は、本当に同じ人間なのかとすら、疑っていた。
だが、すれ違い様に見えたその頬に、一筋の涙の跡が見えた。
(知り合い、だったのか……?)
血棘の《ネクスト》への参入は、他メンバーたちに比べると比較的最近ではあるが、それでも■■と周防真守に接点があったようには思えない。
だが、どちらにせよ血棘にとってそれはどうでもいい事だった。
血棘の目的は、自身を救ってくれた札木への恩返し。その為に、彼の願いを叶える事だ。
それ以外に対して、特に興味も持てなかった。




