五話 回復期間
斉藤カズオキは、脳出血で意識が混濁しているらしい。目覚めてはいるが麻痺がひどくてまともに話が聞けないとか。
しかし、目撃者の証言と俺の衣服や身体に残った痕跡から、少なくとも俺への加害は確定している。
腹を自ら切り開いた女の子は、かなりの重体だったがなんとか命を繋いだらしい。色々と跡に残るものはあるだろうが、それでも命をなんとか救えたことに俺は少し目元が潤んだ。
目撃者とは、俺が意識を失う直前に斉藤カズオキを殴りつけた人のことだった。
その人は、『兄』の記憶では二番目の被害者を発見した人物であり、あの山の所有者である老人だ。
記憶なら、次の日に偶然山に入ったところで死体を発見していたのだが、今回は必死な形相で山に入る小さな女の子……つまり俺を偶然見かけて追いかけてきたらしい。
その偶然がなければ、俺もあの女の子も助からなかっただろう。あの後すぐに救急車を呼んでくれたそうだ。
「良かった……」
そう漏らした時、紅子は複雑そうな瞳で俺を見つめていた。
ちなみにだが、斉藤カズオキの脳出血は頭部に強い衝撃を受けたことが原因らしい。今のところ老人が殴ったせいだと考えられているらしいが、おそらく俺の初撃が原因としては大きいと思われる。
「不可解だと、我々の間でも言われていたんだ。お前の話だと、斉藤カズオキは未解決のあの『自傷事件』の犯人なのだろう?」
自傷事件とは、俺が斉藤カズオキのことを思い出すきっかけとなった事件のことだ。俺は間に合わなかったが、あれも今回と同じく被害者自らの手で……自身の身体を傷つけている、それも普通ならありえない状態にまで、だ。
そのせいで犯人の痕跡がなく、自殺としか処理できない不可解な事件として『兄』の時も処理されていた。二件目も、それ以降もそうだ。
しかし今回は同じ様に自ら傷をつけた被害者が現れ、その横で男が少女に酷い加害を行なっている。
同じ『能力者』である紅子からすれば、斉藤カズオキが『能力者』だという結論が一番しっくりくる。
「しかし、条件を満たすと人間を完全に支配できる能力か……私とはまるで毛色が違うな」
「紅子さんの能力は、外的な力がない、タイプですからね……」
嘘を見抜く能力は社会的にはかなり強力だが、あくまでも個人レベルで完結してしまう。斉藤カズオキの様な効果が多岐に渡る能力者の存在は紅子にとって反則的だろう。
「目が合えば、視覚を。声を聞けば、聴覚を。触れれば、触覚を。嗅げば、嗅覚。舐めれば、味覚。その条件を全て満たせば、いいの、ですが……それぞれ、確か、三日くらい、空けても、能力が」
「あぁ、無理しなくていい。また身体が良くなったら教えてくれ。これから長い付き合いになる気がする」
コンコン、と扉が叩かれる。
俺の体調はまだまだ芳しくない。どうやらタイムリミットらしい。紅子は優しげな笑みを浮かべて俺の髪を僅かに撫でた。
「これから何度も君に言うことになるだろうがな、無理はするな」
紅子に話した内容はまだまだ少ない。だが、俺が事件に巻き込まれたのではなく首を突っ込んだのだと察しているのだろう。
どこか咎める様な口調に、しかし俺は答えを返さなかった。
*
パンツ一丁で鏡の前に立つ。怪我から目覚めた直後よりふっくらした身体は、しかしまだ同年代と比べてだいぶ細くて薄っぺらい。
胸の下あたりから脇腹にかけて、赤や紫がまだらに散った大きなアザが残っている。皮膚もどこか歪で、医者は時間が経てばアザが小さくなっていくが完全に無くなることはないかもしれないと言っていた。
腕は案外綺麗に繋がったらしく、見た目に違和感はない。しかし左手が少し動きが悪いため、これから長くリハビリしていかなければならないだろう。
歩く事は問題ない、走ることも可能だが……傷付いた肺や内臓の影響で一般的な同年代より『相当』運動能力が劣る。
「ハァ……」
気が重くなり、思わず深いため息が出る。どれもこれも身から出た錆なのだが、あまりにも幸先が悪い。
身支度をして、妹……今は姉の潔の帰りを待つ。これから日課の散歩に行く予定なのだ。リハビリの一環で、俺としては体力を戻す為にさっさと行きたいのだが、事件のことと体のこともあって一人での外出を固く禁じられている為に潔が小学校から帰ってくるのを待っている。
小学校といえば、こんな平日の昼間に何故俺が家にいるかと言うと、俺の小学校への復学は新学期……小学四年生の春になっているからだ。
その理由は、言うまでもなく事件と怪我の影響である。精神的なところへの配慮もあるが、大きいのは学校へ通うための体力が戻っていないと判断されたからだ。
もちろんリハビリの進捗次第ではという……まだ考慮という段階で、しかし目標があった方が何かとリハビリも進みやすいだろうとそういう形になった。
俺としては今すぐでもいいのだが、突然体力が切れてぶっ倒れて家族や周囲に迷惑をかけるのは本意ではない。
まぁ小学生女児の中に、今の『記憶』が混ざった状態で上手く輪に入れるのかという不安はあるのだが……春までに、それに対しても覚悟を決めていくしかないだろう。
「気が早いわねぇ。潔ももうすぐ帰ってくるから、少しゆっくりしてなさいな」
リビングでウロウロと落ち着きのない俺に母がそう声をかけてきたので、食卓に座ったところ母からお茶を出されたので無言で飲む。
母の、まともな姿にもだいぶ慣れてきた。しかし、ふとした瞬間に『記憶』の中の姿が過ぎるたび、心の奥から炎の様な情動が湧き出してくる。
───落ちつけ。
胸の辺りを押さえて呼吸を整える。
怒りに任せて行動し、派手に失敗したのは誰だ? 一番重要な事はなんだ? そのためには……もう失敗は許されない。
記憶の限り、この時期はまだ能力者達の活動は活発ではない。表沙汰になっていない事が多くあるのかもしれないが、『兄』の時にわからなかったものはどうしようもない。
なので、次にどうにか考えないといけないのは『炎の能力者』だ。鈴木紅子を殺す能力者であり、記憶の中でもとびきり『攻撃性能』の高い能力者……。
(奴が動き出すのは、二年後だ。それまでに体調を万全に持っていきたい)
目下目標としては、炎の能力者を止める事だ。願わくば、鈴木紅子の死を回避したい。
「あら? 潔が帰ってきたんじゃない? 真守、無理しちゃ、ダメよ……?」
「ただいま! 真守ちゃんまだ居る!!?」
ガチャっと玄関の扉が開くと同時に大きな声。潔が帰ってきた。母は心配そうに俺を見つめており、すっかり心が落ち着いた俺は安心させる様に優しく笑みを浮かべた。
「大丈夫、焦らず、ゆっくり頑張るから」
俺の言葉を聞いて、それでもやはり心配そうに母は眉を下げた。
*
「真守ちゃん?」
ヒューヒューと、虫の息で家を出て一キロもしないところで公園のベンチに座り込んでいると突然話しかけられた。
伏せていた顔を上げると、そこには俺と同じくらいの歳の子が立っていた。いや、というか小学校の同級生だ。そこそこ話をしていた、ような……?
「お友達?」
横で俺を見守っていた潔がニコニコとそう聞いてくるので、息も絶え絶えに「うん……」と答えた。
「久しぶり……あの、大変だったらしいね……」
「うん……心配してくれて、ありがとう。香澄ちゃん」
精一杯の笑顔を浮かべてそう言うと、香澄ちゃんは少し戸惑った顔で笑みを返してきた。
散歩中も周囲からジロジロとみられた。俺の事は、悲劇の少女としてそれなりに広まっているらしい。皆が、同情的な視線だった。
香澄ちゃんも当然知っているのだろう。しかしその瞳には他の人のように好奇が混ざっているものとは違う、純粋に心配する心が見えて俺はどこかほっこりとした気持ちになった。
でも、ごめんな……自業自得なんだ……。
「学校には、来るの?」
「来年度、新学期になったら行くよ。また仲良くしてくれる?」
「うん! 当たり前だよ……何かあったらすぐ言ってね?」
物凄く心配そうな顔だ。
すでに半年近く学校を休んでいるし、今のガリガリで疲労し切っている姿を見ればそうなってしまうか。
情けない姿を見せてしまったな。春までには、もう少し元気になれれば良いが。
「香澄ちゃん、で良いかな? 真守ちゃんが無茶したら止めてあげて! この子すぐ無理するから!」
「任せてください!」
潔と香澄ちゃんがそんなふうに盛り上がる中、俺はベンチに背を預けて空を見上げる。
小学校かぁ……。
噂は広まってるだろうし、上手く馴染めるのかなぁ……。
我ながら、珍しく年相応の悩みが出てきたなと苦笑した。




