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四十三話 知らない『記憶』


 荒波の周囲に歪んだ空気の塊がいくつか浮いている。周防(スオウ)真守(マモリ)いわく、視認できるほどの圧縮空気ならば、人の体など容易く破壊する、と。

 肌で感じる、生まれて初めての死の気配を前に黒木(クロキ)深紅(ミク)は未だかつてないほどの集中力を発揮し、本人は気付いていないが荒波の背後から能力で妨害しようとしていたサトウの干渉を一切気に介さないほどだった。

 サトウの能力は自身へ意識を向けられていないと効力を発揮しない。黒木深紅は殺し合いや戦いなどとは無縁だったがゆえに、周囲への警戒や不意打ちへの警戒などと意識が散漫せず荒波相手にしかその注意を向けていなかったのだ。


 しかし、勝負は一瞬で決した。


 バッ! 

 と、何かが爆ぜる音が響く。飛び散る赤は、黒木深紅の肩から脇腹にかけて裂けた肉の隙間から弾け飛ぶ。

 彼女は自身が生み出した大蛇の如き黒い蔦ごと、その肉体を切り裂かれ……それは致命傷となった。

 何もできず、床に倒れ伏せ黒木深紅は死を直感する。もって、数分。指先一つ動かせず、眼球を僅かに動かすのが精一杯だ。


 霞む視界に、サトウと荒波に対して威嚇するクロの姿が写った。



 一か八かの賭け。




 猫の脳では足りないものは『思考力の加速』『コミュニケーション能力』『傾聴力』『記憶力』それらの強化で補う。

 残った『無垢の種』に、黒木深紅は文字通り『全て』を込めた。更に願う。失われつつあるこの命、尽きる前にそれを代償に───『黒い花』を開花させる。


 そうして、人間としての黒木深紅は死んだ。



 *



「私は、『黒い花の能力』を佳奈に譲渡しているの」


 前を先導する黒猫の言葉に、俺と正弦と紅子は絶句する。


「どういうこと? クロキ……さん?」


 この黒猫は、自身のことを黒木深紅だと言った。首元のエリザベスカラーみたいな黒い花もそうだし、どことなく口調や雰囲気に彼女の雰囲気と同じものを感じるので、俺はすでにそれを信じている。

 にゃあ、と一鳴きしてクロキは答えた。


「私の『種』には色んなものが詰められるの。その応用で……記憶は捨ててしまったから、何故そうしたのかはっきりとは分からないけど、佳奈に能力を渡した……と思う」

「思う、か」

「それを私を殺した奴らが気付いたかどうかはわからない。でもあんた達の言う通り私を狙ってきた。もしそれなら、あいつらは……佳奈に……」


 殺された、割にはクロキからはそれに対する恨みというか、感情のようなものがあまりない。家族も殺されているのだが、それに対してもどこか……。黒木の能力である種に、人間の全てを込めることなんて可能なのだろうか……。


「真守、猫に対しては能力は発動しない。私の力は人間限定らしい」


 ふと気付いたらしく紅子が言う。検証しようもないことだったので俺達としても新発見ではあるが、それはすなわちこの黒猫は少なくとも『人間』ではないし、本当のことを言っているのかも分からない。

 黒木深紅、果たして本当に彼女なのかどうかも。


「佳奈の家はこっち」


 だが、言葉の節々から感じられる美南佳奈を思う気持ち。これは人間の時の彼女と会ったときに感じたものと一緒だ。俺は、少なくともそこは信じるに値すると考えた。


 やがて、美南佳奈の家らしきところに辿り着いた。彼女とは病院でお見舞いに行ったとき以来会っていない。

 あれからもずっと文字通り心ここに在らずの状態らしい。精神病院への入院などはせず自宅で療養しているとのことだったが……。



 インターホンを鳴らし、家から彼女の母親が出てきた。俺や正弦は見舞いの時に挨拶をしているし、紅子は警察として何度か面識がある。さらに正弦はたまに様子を伺っているらしく、そのおかげかすんなりと中に入れてもらえた。

 猫が入れるかどうかはわからないので、クロキには外で待っていてもらう。


「佳奈なんですけど、実は、今日は珍しく部屋の外に……でも……正弦くんは、もう知っているのかしら?」


 美南佳奈の母親が家の中に案内してくれたのは、もう一つ理由があったのだろう。戸惑ったような、困ったような顔をした美南佳奈の母親は、俺達をリビングに案内して……遠巻きに彼女の姿を俺達に見せた。


『遺体で発見されたのは───さん、そして大学生の黒木深紅さん───警察は殺人事件として捜査を───』


 流れるテレビのニュース。先程見かけた黒木家が遠巻きにマスコミのカメラに映っており、美南佳奈はテレビの前で齧り付くようにそれを見つめていた。


深紅(ミク)……」


 後で聞けば母親すら久しぶりに聞いたらしい彼女の声。酷く掠れた悲しげな呟きに、俺達も言葉を失いしばらく彼女の姿を見守ることしかできなかった。


 その後、美南佳奈とは意思疎通が図ることはできないまま俺達は彼女の家を後にした。話しかけても上の空で、病院に見舞いに行った時と変わらない。

 外に出た瞬間、黒猫が俺達の前に現れる。


「佳奈は、無事だった?」

「テレビでお前の死を知って、悲しそうにお前の名を呼んでいたぞ」


「そう」


 短く、どこかそっけなく彼女は答えた。猫の姿なので、いまいち感情が分からない。


「どうやらあいつらにはバレなかったようね」


 能力を渡した、だったか。それが本当に可能なのかどうか、確かめることすらできなかったが……少なくともクロキが懸念していたことにはなっていなかったらしい。


「もし、殺される寸前の私が佳奈のことに気付いていれば、サトウにその記憶を読み取られていたかもしれない」

「それなんですけど、クロキさんが殺された時の状況をまた詳しく教えてもらって良いですか?」


 ホッとしたようなクロキに、俺はそんな質問をした。少し気になっていることがあるのだ。


「場所を変えよう。俺の道場にいくぞ」


 正弦の案内に従い、俺達は彼の家に向かう。

 歩いている途中、クロキの話と俺の感じる違和感を明確にしようと頭を回転させる。


 そう、サトウだ。

 クロキの話を聞いていると、どうやらサトウに記憶を読まれることを酷く恐れている。確かに、奴の『洗脳能力』は過去の記憶を読むことができる。

 だが、それはあくまでも『洗脳』まで行き着けた時だ。俺は、アイツの能力は本来『意識への干渉』なのだと考えている。


 病院で不動の左目を荒波に奪われた時、俺達は不自然に周囲への警戒を怠りサトウに意識を集中していた。あれはサトウの話し声を聞いた俺たちが奴の能力の影響下に落ちたせいだ。

 あの距離ではあの程度の干渉しかできなかったと言える。


(マモル)』の記憶でもサトウはそのような能力の使い方をしていたが、『洗脳』をするときは必ずと言って良いほど対象に触れて、聞かせて、目を見て……斉藤カズオキの能力と似ているのかもしれない。

 サトウから対象への『干渉』が多いほど、サトウは対象の『意識への干渉』を深めることができる。


 だから俺を『洗脳』したとき、アイツは俺に触れ、耳元で言葉を聞かせた。一度ではなく、何度かに分けて徐々に俺の意識……記憶に干渉し、過去から今に至る意識を改竄してきた。


 つまり、サトウの能力は階段のように条件を積み重ねてようやく真価を発揮する。


 だが道中のクロキの口振りだと、そこに対して違和感があるのだ。俺の知るサトウの能力より、強力になっている。そんな印象を受けた。




 正弦の家に着き、流石に道場の方ではなく母屋のリビングに案内される。途中で紅子は警察から呼び戻され別行動になった。


「なんだその猫」


 家の中には大吾郎がいた。ラフな格好でまるでこの家の住人のような馴染み具合だ。


「おお〜可愛い子だなぁ」


 着流し姿の源三も現れてニコニコとしながらクロキを抱き上げようとするが、するりと猫らしい機敏な動きでそれを避ける。


「それで、話の続きなのだけど」


「うわぁァァ! 喋ったァァ!」

「……猫又ってやつか!?」


 クロキが声を発した瞬間、大吾郎は窓が割れるのではないかと錯覚するくらい馬鹿でかい声で叫び、源三は目が飛び出るのではないかと錯覚するくらい見開いて腰を抜かす。


「それで真守、なにが気になっているんだ?」


 そんな騒ぐ二人とは対照的にいつも通りの無表情で俺にそんなことを聞いてくる正弦。


「真守ィ! 猫が、猫が喋ったぞ!? 能力者(アウター)か!? 能力者(アウター)が近くにいるのか?!」

「可愛いねぇ〜」


 ファイティングポーズを取りながら周囲をキョロキョロし始める大吾郎と、それでもニコニコしながらもう一度抱っこに挑戦しようとする源三。またするりとクロキに逃げられて、悲しげな顔をしている。


「あの、まずはこの二人に説明しましょうか……」


 クロキも正弦も、事情を知らない二人がいる前で普通に話し始めようとするものだから俺は困り果てて、額を抑えながらそう言った。



 *



「荒波……ッ! あのやろうか!」


 クロキから話を聞いた大吾郎が怒りに体を震わせた。彼は病院の時に荒波と対峙している。

 一方、源三はというと能力者(アウター)の存在は俺たちから聞いているし大吾郎の能力を目にはしているが、やはり猫が喋るところまでは理解が追いつかないのか、ただ可愛いから触れたいのかやたらとクロキの事を触ろうとしては逃げられている。

 そして俺はというと……。


「で、なにが気になるんだ」


 正弦からそう問われて、俺はむむむと唸りながらも答える。


「やっぱり、私が知っているものより強くなっているんです。サトウの能力が。あいつに、目を合わせるだけで記憶を読むほどの能力の……出力はなかったはず」

「それは、『未来』でもそうだと?」

「うん。私の知る『未来』と今の差異と言えば」


 にゃあっ、と。クロキが喉を鳴らした。俺が言葉を途中で止めてそちらを見ると、ころりとした目をこちらに向けて首を傾げている。


「未来、とは? あなたも能力者なの?」

「えっ……と。そうではないんですけど、『未来の記憶』を少し持ってるんです。とは言ってもクロキさんのことを知らなかったりと、知らないことばかりですけど……」


 そう言えば彼女には伝えていない。しかし俺の記憶についてはどう話せばいいものかいつも悩む。ただ元男だったことは基本話さない、ややこしいので。


「実際に未来を見ることのできる能力者(アウター)もいるけどな」

龍眼(アレ)はあれで、なかなか制御できるものではないみたいですけど」


 ゴロゴロと不思議な音を鳴らしながらクロキは正弦の膝に乗る。毛繕いを始め、俺は一体彼女の意識と猫の意識はどこまで混ざっているのだろうと疑問に感じる。


「それで? 差異があるんだったか?」


 クロキのことを見つめていて、話が途中だったのを忘れていた。


「『龍血』……それで、病院の時にサトウは一度、能力を強化している。龍血は一般人を能力者(アウター)に変えることもできるほどの、力。もしかしたら、それ以降でサトウの能力は強化されたのかも」


 しかし、だとすれば。だとすれば、だ。


「ならば何故、お前の知る『未来』ではそうしなかったんだ」

「そこなんですよ、ね。必要がなかったのか……何か、リスクがあるのか」


 確実に能力を強化できるとは限らないのだろう。能力者に変えることもそうだ、もしお手軽にそれが可能ならサトウの力と合わせて奴らはもっと能力者(アウター)の仲間を───。


「そもそも、《ネクスト》の目的はなに?」


 クロキにそう言われて、俺は何も答えられなかった。あいつらの目的。『(マモル)』の時の記憶にも、構成員個人個人の目的は聞いたことがあっても、《ネクスト》そのものの目的と聞かれてピンとくるものがなかった。



『新しい時代、新しい秩序。変革。我々人類は新たなるステージへ。どれも、聞こえが良くてそれっぽいだろ?』


 (マモル)の記憶で、最後の戦い。《ネクスト》の首魁である『棘の能力者(アウター)』の言葉を『思い出す』。


 彼ら《ネクスト》の掲げる、キャッチコピーのようなものをどうでも良さそうに口から吐いて捨てる。


『僕達は失敗した、だから』


 記憶の終着点。どれだけ『進めよう』と、それより先は保存されていない。(マモル)の、最後のあの時。


『また、(ネクスト)だ』


 棘は俺の身体に容易く穴をいくつも開ける。死が、明確に目の前に現れて自身の輪郭が消えていく。




『───《ネクスト》が君達に課すルールはたった一つ』


 そして、《知らない記憶》。

 様々な事情から、あらゆる手段で、集められた能力者(アウター)達の集団を見下ろして、壇上の上からよく通る声。俺は自身のものではない視界の記憶に違和感を覚える。


能力者(アウター)は、その能力(アウト)を必ず確認すること』


 知らない男の声。横に立つのは『棘の能力者(アウター)』だ。俺が知る彼よりも、随分柔らかい表情を浮かべている。


『もう一つある』


 どこからか、その場に存在する全てのものが背筋を凍らせる声。誰かが「神」と、そう呟いた。




「真守? どうした」


 正弦の声でハッとして、俺は現実に帰ってきた。今のは、なんだろう。知らない記憶、俺のものではない。


「? 《ネクスト》の奴らはただ暴れるだけの奴らなの?」

「そういう奴もいた……サトウは、陶芸師(ポッター)のようにそのタイプ……だから多分、暴走を防ぐためにも『記憶』では強化されていなかった」


 ポッター? クロキが首を傾げるが、そんなことも気にせず俺は喋り続ける。


「あいつらも、一枚岩じゃないってことは、確かかも」


 先程の記憶で見た『ルール』なんて、陶芸師(ポッター)が守っているとは思えなかったし守るとも思えない。


「まぁ、しばらく気配の無かったあいつらが急に黒木の前に姿を見せたんだ。黒木の能力を考えると、一つの仮説が浮かんでくるがな」


 腕を組み鼻を鳴らす正弦に、俺もなんとなく頭に浮かんだ仮説を口にする。


「能力者を、生み出すこと?」


 変革の時。あれは『龍血』を雨として降らせることで多くの人間を能力者(アウター)に目覚めさせるもの。

 奴らには探している、能力がある……? 




周防(スオウ)真守(マモル)には手を出すな』



 ならば、あれはどういうことだったのだろう。



 知らない記憶の中、誰かから神と呼ばれた何者か。『彼女』の口から出た、俺の名前。


 俺はなんだ? 

 ただの、無力な無能力(ノーマル)だったはずだ。


「とりあえず私は、しばらく佳奈の近くにいるわ。私の力はどうなったのか……私自身、いまいち把握しきれてはいないから」


 シュタッと跳ねるようにクロキは窓枠に飛び乗り、器用に鍵を開ける。確か、彼女は能力を美南に譲渡したと言っていた。今日、確認しに行った時の彼女が一体どうなっていたのかはよく分からなかったままだし、いつあいつらがくるとも分からない。


「食い物はどうするんだ」

「金のスプーン。一番高いのね」


 有名な猫用のドライフードの名前を挙げて彼女は去っていった。


「猫の餌食うんだ……」


 大吾郎が呆然と言うが、まぁあの身体猫だし。でも抵抗とかないのだろうか。元々自分の飼い猫だったらしいが、その辺の情緒は少し気になる。


「さて、大吾郎さん。戦いは近いぞ、武器を作っておいてくれ」

「……そうみたいだな。練助(レンスケ)は、俺がやるからな」

「ふん、俺の前に立てば誰だろうと斬るのみ、相手は気にせん」



 そうして外に行く正弦と大吾郎の背を見送り、俺は結局一度もクロキに触れず残念そうにしている源三を横目に考えに耽る。



 先程の知らない記憶。誰かの記憶。


 誰かの目で見た映像、耳で聞いた声。


 何故か、何故だか懐かしくもあった。

 何故だか脳裏に一人の人物が浮かんでくる。


(ヒカル)……?」


 理由は分からない。

 見える景色から推測される身長、視界の端に映る手や足などのパーツ。


 それらが、何故か(かつて)の親友と被って見えた。


 だが、だが───あの記憶は、どう考えても《ネクスト》側のものだ。光は、対魔側じゃなかったのか? 少なくとも俺とは、俺の味方ではあった。はずだ。




 会わなくては。

 俺は、今までずっと、別に会えなくてもいいと思っていた。変わってしまったこの身体で、彼は俺のことなんて知らない。まだ世界は《変革の時》を迎えておらず、そもそも彼は能力者(アウター)を手当たり次第に追う俺を止めるために、《対魔》に入ったのだと言っていた。


 知らない記憶と、俺の直感が、彼に会いに行けと言っている。


 確かめなくては、いけない。



 もし、彼の記憶なのだとしたら何故、俺がそれを思い出すことができるのかを。


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