四十二話 黒猫
美南佳奈とは小学校からの付き合いだ。ずっと一緒で、四六時中とは言わないけれど、あまり積極性のない自分を連れ出してくれるのはいつだって佳奈だった。
佳奈が、ゼミの教授とフィールドワークに出かけた先で事件に巻き込まれたと聞いて、黒木深紅はすぐに彼女の入院している病院へ向かった。
そこには、傷一つないけれど……深紅の記憶にある佳奈の姿とは一切合致しない、まるで抜け殻のような彼女がいた。
生き残ったのは、雨宮正弦という大学内ではいろんな意味で有名な男と、佳奈の二人だけだった。彼のことは佳奈から、外見が好みなのだとよく話を聞かされていた。
彼に、詳しい状況を聞くが……何かを隠しているような、曖昧な答えしか帰ってこない。新聞や、現地に出向いて調べてみて気付く、何かこの事件はおかしい。
一体、佳奈は何に巻き込まれてしまったのか。彼女の見舞いと、事件についての調査の日々が過ぎる。
佳奈は、話しかけても何も答えない。
ずっと上の空で、やがて退院したけれど……酷く傷つき閉ざされた心が元に戻る気配はいつまで経ってもなかった。
そんな日々の中───なんとか自分に出来ることはないのかと模索する日々の中、突然深紅に『力』が目覚めた。
それは、上手く『育てれば』佳奈を救える可能性のある力だった。
だから、『蒔いた』。
能力の使い方は、まるで自分の手足のように自然と分かる。だがその結果起きる事までは、やってみないとわからない。
同じ大学の影響力の大きい人間数人の願いを叶えてみせ、更に自ら噂を広めてみると面白いくらい順調に話題になった。
とはいえ、実験として最初に選んだ数人の中で『開花』したのはたった二人だった。勉強不振で悩む女の『記憶力の強化』と、精神不安定な彼女に振り回される男の『傾聴力の強化』、二つとも回収し……自らに取り込んでいる。
彼らに目覚めたほどの『力』は発揮しないが、もし同系統の『力』を重ねることができれば……。
そしてこれは、他人にも与える事ができる。佳奈がああなった原因は分からないが、もしかすれば……。
「最近、『願いが叶う花』とやらが出回っているらしいんだが、何か知らないか?」
能力の実験を始めてしばらくしたある日、雨宮正弦がそのような質問を会う人会う人にぶつけまくっている姿を見つけた。
着流し姿という独特なファッションスタイルで大学構内を練り歩く彼は有名人なので、話しかけられた者は一瞬ギョッとしている。
「雨宮くん、『黒い花』を探しているの?」
今思えばだが、ここで深紅は失言をしている。雨宮正弦と佳奈が巻き込まれた事件……調べると感じる違和感、現地に行って見た……修繕中の道路や崖の、舗装されたコンクリートに残された異様な『痕跡』。
自身に宿る『異能』。深紅は自分一人が特別な存在だと思えるほど、思い上がってはいない。自分の他にもそのような存在が居るのだとその時点で確信していて、先程述べた『痕跡』……そこかしこに点在した巨大な円形に削られた傷跡。
あれこそまさしく、自身以外の『異能』の持ち主が残したものなのではないか。
そして雨宮正弦と佳奈は、その場にいてそれを見ているのではないか。佳奈は心因性によるものでああなったと聞いているが、果たして本当にそれだけなのだろうか。
「……黒木か。ああ、実はそうなんだがお前は何か知らないか? 知り合いがそのような噂を聞いたらしくてな」
深紅の能力は、コンクリートに大穴を開けるような類のものではない。故に『異能』にはさまざまな種類があり、それは簡単に想像できるようなものではないだろうと考える。
雨宮正弦はあの時何があったのか詳しくは語らない。メディアで調べても詳しい情報は載っていなかった。
「そうなんだ。実は私、急に人が変わったような子に心当たりがあってさ」
深紅は自分のばら撒いた『能力』がどこに広まっているか、すでに把握してはいなかった。だから『急に饒舌になった人』を見かけたのは本当に偶然だ。
「不思議には思ってたんだ。私もちょっと気になるし、一緒に話を聞きに行ってみない?」
これを口実に、雨宮正弦からあの日の情報を引き出す時間を得る。彼自身が何を考えているのか分からない。事件の真相を語らないのは、何かを恐れてなのか、誰かに口止めされているのか、はたまた……彼自身が、『そちら側』なのか。
もし佳奈の害になる存在なのだとしたら刺激することは逆効果になり得る。
「……いいだろう」
多少時間をかけてでも、少しずつ彼のことを調べなくては。そう覚悟した数日後、彼から呼び出された先であっさりとあの日の真相とやらを教えてもらった。
ホッとした気持ちと、雨宮正弦へ疑って申し訳ないという気持ちと同時に佳奈の命を守ってくれた事への感謝、そして……《ネクスト》と呼ばれるらしい集団への、怒り……恐れ。
できれば、関わり合いになりたくはない。だからそいつらについての情報もきちんと聞いたし、頭に叩き込んだ。
あの女の子、周防真守の懸念だが、深紅自身も確かに自らの『能力』は狙う価値がある部類だと思っている。
他者の『欲望を糧に』身体能力を上昇させる『種』を生み出す能力───他者にすら与えることが可能なのだから、悪用する方法なんていくらでもあるだろう。
「ただいま」
大学が終わってからバイトを数時間、それも終えた深紅はいつものように家に入って家族にそう声をかけた。
玄関で靴を脱いでいると、飼い猫の黒猫クロがススッと近寄ってきて頬を擦り付け、深紅が頭を撫でようとする前にするりとその場を去っていった。
家には夕食のいい匂いが立ち込めており、その匂いから献立を想像しながらリビングに入る。
「おーおかえり、先にいただいてるよ」
キッチンから食卓に母が料理を運ぶと、すでに着席していたサトウさんが朗らかな顔で深紅に振り返りそう言った。
この人はまたウチに飯をありつきにきたか。いつものことではあるが、良い歳のおじさんが何をしているのかと少し呆れる。
まだ父は帰ってきていないらしい。ソファーに寝転んでいた荒波さんがあくびをしながら立ち上がり、無言で席に座る。
「荒波くぅん、挨拶はちゃんと返さないと。マナーがなってないね、マナーが」
「……ちっ。おかえり」
見た目に反して素直だな。深紅は少し吹き出してしまった。自分も食事にしようと思い荷物を片付け、水を飲むためにコップを取りにキッチンへ向かう。
「お母さんありがとう、今日は早いね」
ついでに、母へ食事の準備に対するお礼を言った。
母も働いているのだが、この時間に食事が完成しているあたりいつもより早い時間に帰宅したらしいことがわかる。
「今日は残業もなくてねー、それにサトウさん達が迎えにきてくれたから」
「ふーん」
そういうことか、と思いながらコップに入れて食前に飲むことにしている薬を飲んだ。
「荒波くん」
サトウが、ニコニコとしたまま荒波に声をかける。深紅は飲み終わったコップを置き……スマホをポケットから取り出そうとして、とあることに気付いて母の肩を掴む。
「お母さん、しゃがんで」
ゴバッ!
異様な破裂音。慌ててしゃがませた母と自身の髪が置き去りにされ、そこを何かが通過していく。
「んにゃあっ!」と、どこからかクロの鳴き声がした。
ハラハラと切り裂かれた髪の毛が視界に落ちてきて、何が起きたのか理解できていない母を強く押さえつける。
「絶対、顔をあげないで」
鋭くそう言うと深紅は『思考力を加速』させて、現状の打開のために頭を巡らせる。
「そうか、君の能力は記憶すら保存できるんだね。まさかそれで僕の『能力』を突破するとは……二人目だよ、こんなに早く解かれたのはね」
シンクの陰に隠れながら、深紅はサトウのそんな声を聞く。側にいるのは荒波だ───周防真守の話に聞いた能力者だとしたら、このような遮蔽物は荒波にとってないようなものだ。
それなのに何故、仕掛けてこないのか……。おそらくこちらと交渉する気はあるのだろう。
深紅は、自ら物陰から身を出した。このままでは母を巻き込む。内心で、すでに諦めてはいるが。もちろん自身の命をも。
「おい、黒木深紅。悪いことは言わねぇ、無駄な抵抗はするな」
荒波が、ギロリと深紅の事を睨む。
ジッと、サトウが深紅の目を見つめていた。
「ダメだね、荒波くん。彼女……《能力を捨ててきてる》」
「……どういうことだよ」
そんなことまで、バレるのか。
これは完全に、深紅の読み違いであった。『能力を捨てた』事に対する記憶も『種』に移動していたはずなのに、つい先程二人相手との交戦を意識した際に『自身の内に力がない事』に気付き───自分が、何をどうしたのかすぐに『察して』しまったのだ。
『怪力』『思考力の加速』。自身に宿した内、特に二つの『力』を意識する。緊急時の予備として持っていた『無垢の種』を握り込み、深紅は構える。
「ほぉ……おもしれぇ。やる気か。お前……なかなかイイ女じゃねぇか」
「悪いけれど、口説かれても貴方の顔は好みじゃないわ」
一粒。床に落とした『無垢』は植物の性質を強く持つ。『怪力』を付与し、床から生えた蔦はグググと太く蛇のようにしなり、深紅を守るように伸びる。
荒波の周囲が僅かに歪み、サトウは巻き込まれないようにゆっくり距離をとった。
視界の端に、状況が理解できず困惑する母と、遠くから覗き込むクロの姿が写っている。
結論から言えば、黒木深紅は敗北した。
*
黒い花による『怪力』の付与。そしてそれを得た欲望の暴走による暴行事件。実行した彼は、被害者である四人のうち三人から日常的に暴行を受けており、今回はその報復だろう……という結論に至った。
しかし、一人無関係の女子も被害を受けていたり、そもそも報復にしても病院にて短くない入院期間を要する怪我をさせた事の責任の追及を免れることはできず、彼はあの日からずっと自宅謹慎になっていた。
他の三人に対しての暴行には同情できる点はあるものの……まぁ、とにかく俺も当事者として親を交えたり色々とややこしいことになった。
俺自身が大事にしないでくれと主張したことで、多少与えられる社会的な罰は軽減されたと思うのだが……。
面会した、彼の姿を思い出す。
いじめを受けていた時、あの時『怪力』で暴れていた時……どちらの印象とも合わない、別人なのではないかと思ってしまうくらい……『気力』を感じられなかった。
いじめをしていた彼らに対しての怒り、俺への贖罪の気持ち。謝罪は丁寧にされた、気持ちがこもっていなかったとは思わない。だがなんというか……悪意は感じられないし、現状の彼なりに真剣な態度なのだろうとは思ったが……『無気力』な、雰囲気があった。
感じたその違和感を、正弦に話してみる。近所のチェーンの喫茶店で飲み物を奢ってもらい、俺はうまく言葉にできないながらもそれを説明する。
「それについてだが、俺も『花の被害者』に会ってみたんだ。すると、お前がいうような状態だった」
それはつまり、俺と正弦は目を見あわせ、同じ結論に至る。
「『黒い花』の、力の源はなんなんだろうとは思ってたんですよね。黒木さんの話を聞いて、増幅する力の方向性を決める『欲望』そのものを糧にしているんじゃないかなって」
「それで当たりだろうな。人の『欲望』が尽きないとは言うが……あれは廃人と言っても差し支えないだろう」
人の《欲》は、あらゆる行動の源泉だと思う。それを奪い取られた人は、きっと人間としてはひどく歪なものになるだろう。
「あの状態から回復するのか、それとも一生ああなのか。死ぬほどの衝動もないだろうから、死んだように生きるだけだろうな」
……正弦が確認したのは二人だったか。口振り的にはその二人ともに出会っているだろう。そんなに、ひどい状態だったのだろうか。
俺のあった彼も、どこかぼうっと人形のようではあったけれど。
「黒木さんに能力を使わせるのは、やめさせた方がいいかもしれませんね」
「……便利だがな」
不服そうだ。
いや死ぬわけじゃないとはいえ、そのような人をみだりに増やすのはどうなのだろう。確かにかなり有用な能力だが。
「ますます、《ネクスト》のような集団の手に落ちたら困る能力ですよね。でも警察に保護してもらうにしても、漫画や映画じゃないんですからいつまでもそうするわけにはいかないし」
それに例えば《ネクスト》が欲しがるとも限らないし、一日中見張りをつけておくにしても、そんな人材が俺に用意できるわけでもないし俺ができるわけでもない。
俺の知る悪性能力者の特徴については教えたし、もし危険な状況になれば逃げてもらうくらいしか現実としては対処できない。
俺は、その判断を後悔することになる。
それからすぐに紅子から連絡があり、黒木深紅とその両親が自宅で殺されていると聞かされる。
事件現場に向かうも当然中に入れてもらうことなど叶わず、しかし現れた大観に現場の写真だけ見せられた。損壊した家具の写真だ。
「私の知る限り、このような破壊は荒波によるものです」
荒波は空気を圧縮し、物を切断したり爆弾のように吹き飛ばす戦い方を好む。その傷跡を俺は見慣れているため、おそらくとは前置きしつつもほぼ確信していた。
死体の状態は、それはもうひどいものだったらしい。
陶芸師よりはマシかもしれない、とは紅子が言うが……脳裏に、荒波と戦闘しバラバラになった潔の姿が浮かんで顔から血の気が引く。
「まさか、本当に狙われるとはな」
正弦がボソリと言う。俺も、正直同じ事は思っていた。はっきり言って日和っていたのだろう。最近動きのないアイツらに、平和な日常が続いて警戒心が薄れていた。
もし、もう少し注意を向けていれば助けられたかも───。
「俺達は超人ではない。それに個人の自由を全て侵害できる立場ではない」
だから、自宅で襲われた黒木のことを助ける事は難しかっただろうと、正弦は言いたいのだろう。
「事件現場はリビングだ。玄関からそこに至るまでは、特に争った形跡はなかった。それに残された痕跡から、その場には他にもう一人か二人いたことが推測される」
紅子の言葉を聞いて考える。おそらくだが……サトウの能力のせいで、家の中まで簡単に侵入を許したのだろう。
その後何があったのか、サトウがいたということは俺が恐れていた通り黒木のことを洗脳しに来たのではないか?
ならば何故───殺した? 黒木が抵抗した? サトウの侵入を許しているのだ、その時点ですでに能力の影響下にあっただろう。
いや、奴らが既に中にいる状態で黒木が帰宅し、交戦した?
「雨宮くん」
声がした。
事件現場の前で止められたままの俺と正弦、止める役目だった大観と紅子。ではない、なんだか聞き取りにくいような、不可思議な声色の音がどこからか聞こえる。
「雨宮くん、こっち」
呼ばれた正弦がキョロキョロとあたりを見渡し、やがてその声の主を見つけたのか一点を見つめる。その目がわずかに見開かれ、驚いていることがわかる。珍しい反応なのもそうだが、首が僅かに傾き見上げているのは……正弦よりも高い位置にいるということ。俺や紅子に大観がその視線の先を追い、その先にいたものを見て言葉を失う。
「説明は後できちんとするから、まず話を聞いて欲しいのだけど」
その口調は、耳にした記憶があった。だがその声は聞いたことがない。
「佳奈が危ないの」
黒木の家を囲むように建てられていたブロック塀、その上に立つ……首元にエリザベスカラーのようにあの『黒い花』の花弁を広げ、獣とは思えない理知的な光を瞳に宿した黒い猫。
「助けて欲しい、今の私では……何もできない」
まるで人間のように流暢に言葉を話す黒い猫に対して、俺は一切の面影がないにも関わらず黒木深紅の姿を錯覚した。
言い訳のような後書き
ギャンブルのために思考力を加速させた高校生は、なんで思考力なの?っていう答えとして裏カジノみたいなところで例えばポーカーとかブラックジャックとかインディアンポーカーのような、頭をフル回転させて相手を出し抜いたりとかするギャンブルバトル的なのを想像して書きましたが
その辺の描写少なくて、なんか深紅の戦闘用の為に強引に用意した設定みたいになったなと反省しています。
そもそも深紅に戦わせる予定もなかったのです。
結果的に今の展開に必要な要素となったのでこのまま行きますが…言い訳だけ…




