三十七話 記憶と反芻
「誰あの子? 一年のネクタイじゃん」
「可愛い」
「胸でか」
「なんで新入生がいるの?」
俺を見て三年生たちがそんなヒソヒソ話をしている。それにいちいち反応しても仕方ないので聞き流しつつ、俺は三年生の教室を一つずつ覗き込んで行った。
「ここにもいないな……」
最後の教室を覗いて、目当ての人物が居なかったためついついボソリと呟いてしまう。するとすぐ近くにいた少しチャラついた雰囲気の男が俺を見て笑いながら近づいてきた。
「どうしたの〜? 誰か探してる? 俺が探してきてあげようか?」
軽い口調で親しげに話しかけてくるが、チラチラと俺の胸元を見下ろしてきているしなんとなく下心を感じて俺は少し警戒心を上げる。
とはいえ、せっかくだから頼んでみようか? という気持ちも生まれた。しかし思い直す。何故なら今世において相手は俺のことを認識していないはずだ。
だから急に知らない奴が訪ねてきても『あいつ』が困るだけだろう。ここは、引いておくことにする。
「いえ、今日は大丈夫です」
「ほんとに? 別に気にしなくて良いよ〜?」
これ以上ここにいるとより絡まれそうだ。そそくさと退散し、一年生のクラスが固まる階に戻る。
ため息を吐き、少し考えた。衝動的に探しに行ってしまったが、仮に見つけたところで『あいつ』は俺のこと知らないし困るよなぁ。でも、一目会いたかったんだよな……。
「あれ、周防さんじゃん。何してるの?」
「ちょっと話しようよ」
階段のそばで立ち尽くしていたら、何やらデジャブを感じるチャラついた雰囲気の男子が二人ほど俺に絡んできた。
あんまり無碍に扱うのも後々怖いのだが、ここで丁寧な対応をしていても女子から妙な目のつけられ方をするかもしれないし、結局俺は困った顔で曖昧な返事をしながら早足でその場を去る。
なんか、中学に入ってから元々別の小学校だった奴らからすごい話しかけられる……。
最近の悩みであった。
*
『貴方、妹さんを殺されたらしいわね。分かるわ、気持ち。私も、よぉく分かる』
『能力者なんぞに分かってもらう必要はない』
その女は妖艶な手つきで小脇に抱えた男の口を無理やり開かせ、その上にもう片方の手をかざす。
かざした手から滲み出すように粘液が垂れ、やがてそれは抱えられた男の口の中に入る。すると男は、一瞬で顔色を紫に変色させ全身の血管を膨らませながら血反吐を吐いた。
その男は政府の高官ともいうべき立場だった。しかし、目の前の女……《毒婦》の色香に惑わされ、まんまとその手に落ちて……今、俺に見せつけるように殺された。
『これが私の能力。ところで、私の姿を見てどう思う?』
俺は眉を顰めて睨みつけた。《毒婦》の姿と言われても、確かにほとんどの男が魅力的に感じる外見だろうことは分かるが、だからなんだと言うのか。
彼女も自身の強みを理解しているのか、まるで夜会に出るかのようなドレス姿だ。片手に持つのが死んだ男の顎ではなくワイングラスならここをパーティ会場だと誤解していただろう。
『真守さん! ───その女は!? まさかっ!?』
『……松太郎か、そうだ。《毒婦》だ。目の前で能力を見た』
俺が《毒婦》の出方を窺っていると、松太郎が慌てた様子で俺の元へ来た。警戒を怠るなよと手で合図をする。
『……くっ、すいません真守さん』
『何が』
『奴はもう……事を終えてます』
だろうな。俺は答えない。
松太郎ら警察は政治家のパーティにて《ネクスト》が大量虐殺を画策しているという情報を手に入れて、それに対する警戒を行っていたのだが……今俺の目の前で、あの女が余裕綽々で立っている以上、それを阻止することは失敗したのだろうと考えていた。
俺は、あわよくばその場に乱入し能力者を殺そうと考えていたのだが……出遅れて途方に暮れていたところ、突然あの女が現れたので困惑していたところだった。
『見れば分かる。この女も、わざわざ自分の服装を見てみろだのほざいてきたがな』
『なんだ、状況をすっかり理解していたのねぇ。まぁいいわ。ここに来たのは個人的な、とても個人的な話をしに来ただけなの』
《毒婦》はそう言って、今しがた殺した男から手を離す。重力に引かれて男の身体が地に伏せると、俺と松太郎は《毒婦》の攻撃を警戒して身構える。
『……殺し合いにきたわけじゃない。周防真守くん、貴方と話がしたいの』
『俺には話すことなんてない、死ね』
『真守さん、聞いてみましょう』
いつのまにか《毒婦》の横には男が立っている。彼は『瞬間移動』の能力者だ。この時点ですでに、松太郎と俺では《毒婦》の逃亡を防げないことになる。
『ちっ……手短に言え。貴様ら能力者と話していると虫唾が走るんだ』
『貴方、とても大事な人が、妹さんが殺されたんでしょう?』
『そうだ、貴様ら能力者にな』
『私もなの』
そこで、《毒婦》は目を伏せた。俺は怒りに震える。歯が砕けるくらい噛み締め、絞り出すように声を出した。
『だったら、なぜ《ネクスト》に与している……! 能力者が増長するのも、お前らのせいだろうが……っ!』
能力者とて、善悪があることくらい俺も分かっている。だが、《ネクスト》は悪で、そして多くの能力者を悪に堕とす者達だ。奴らは自由に能力を欲望のままに行使する世界を望んでいる。
『私はもう、貴方と違って復讐を成したわ。それを助けてくれたのが、《ネクスト》。だからその義理を返しているの……でもね、貴方もその復讐の先に何があるか知りたくない?』
『知るか、殺してから考える』
ハァ、と《毒婦》はため息を吐いて、まるで哀れなモノを見るような視線を俺に向けてくる。
『何もないわ。大事な人は帰ってこない』
『そんなこと分かっている、だから許せないんだろうが』
そこで、《毒婦》の目が慈愛に満ちた。
『死者を、戻せるとしたら? 《ネクスト》の目指す、世界を知りたくない?』
───本気で、俺に対して同情している。共感もしている。そして、その瞳にはそれにしか縋るものがないのだという希望が宿っている。
『……馬鹿が。それを信じるというのか。その為に、何人殺す? その全てが戻るか? 陶芸師や荒波、兎城らを見ろ。奴らのようなゴミどもが存在していてそんな世界が成り立つか?』
悲しげに目を伏せて、《毒婦》は俺達に背を向けた。『瞬間移動』の肩に手を置いて、ずっと無言で成り行きを見ていた彼もようやく話が終わったとでも言いたげにため息を吐く。
『待て、お前が俺の妹を殺したのか』
『……貴方、本当に噂通りなのねぇ。残念だけど、私の能力ではあんなに綺麗に《保存》できないわ』
それは、どういう意味だ。まるで妹の死体を見たような口ぶりの《毒婦》を問い詰めようとするが、瞬きの間にその姿はこの場から消え去っていた。
『あれが、『瞬間移動』の能力……あんなのがある限り、どうやってあいつらを止められるっていうんだ』
俺は自身の胸から湧き出す怒りのあまり、松太郎の疲れたような声が遠くなっていく。やはり《ネクスト》は潔の死に関わっている。
しかしふと、気付く。
『……《保存》』
やけに引っ掛かる、妙な言い回しだった。
それはつまり、潔の首がまるで時を止めたような状態だったのは、それを為す能力があるということでいいのか。
潔を殺したのは、《保存》の能力者……? いや、どのような能力かは分からないが単独で行ったとは限らない。
だが、《保存》の能力者というべき存在が潔の死に大きく関わっていると考えて良さそうだ。
あの女がわざわざ俺にヒントを与えるような真似をする意味がわからないが、『大事な人』を失ったことに共感するという言葉は、おそらく本心だった。ならば、あれは同情心から来る……。
*
「《保存》……」
目を覚まし、先程夢に見た『記憶』を反芻し、俺は暗闇の中呟いた。時計を見るとまだ深夜だ、急に目覚めたのは……『記憶』のせいだろう。
「そうか……《保存》の能力……」
思い出した、《保存》という能力が存在することの示唆。《保存》がどのような能力なのかはまだ分からないが、もし『状態を維持する』ような力だと仮定したら……あの、不死身に思えるほどの再生能力を持つ潔をも、抑えることができるのかもしれない。
潔の能力を知ってからずっと疑問だった。荒波との戦闘時に見せたあの強力な肉体再生能力を、前世の時にも持っていたとしたらあんなのをどう殺せるのか。
潔の生首は、とても綺麗な状態だった。傷ひとつない、だからずっと不意を突かれて殺されたのだと思っていた。
だが、潔の能力は荒波にあそこまでバラバラにされても元に戻るようなものだ。不意を突かれたとしても……すぐに再生できるような気がする。
潔の能力にも例えば、認識している傷しか治せないとか、再生能力には使用限界があるとか条件があるのかもしれないが……不意を突いて首を切りとばし、その首に対して《保存》の能力を使ったと考えた方が……荒波との苛烈な戦闘を見た後の俺には納得ができる。
「……っうぷ」
潔と荒波の戦闘を思い出したら気分が悪くなってきた。いくら治るといっても、家族がバラバラになる姿は流石に心に堪える。
冷や汗が出て、身体の震えが止まらない。これは、まずい。俺は立ち上がり、とりあえずトイレに行く。生理が近いせいかなんだかとても不安定だ、気怠いし、妙に気分が落ち込んできた。最悪。
トイレで用を済ませた後、俺はコソッと潔の部屋を覗いた。
「生きてる」
小さく呟き、潔の布団に潜り込む。彼女は俺をすっぽりと覆い隠すことができるし、鍛えられた身体なのに女性特有の柔らかさを持っている。
潔の懐に潜り込み自分を抱かせる。すると暖かさも相まってなんだか落ち着いてきた。
兄の記憶があるせいか妙な気恥ずかしさもあるが、なんだか甘えたい気分なのだ。多分この体に引っ張られてる。うん、そうに違いない。
「あっ」
ふと油断した時脳裏に浮かんだ『兄』の記憶にある潔の生首が離れない、荒波との戦闘で内臓を撒き散らした潔の姿も鮮明に見える。
「うぅ……」
ギュッと、潔に強く抱きついた。たまにこうなるのだ。最近は我ながら明るい気持ちになることが多い、楽しく日常を過ごせることは多い。しかしまるで反動のように、急に全てが怖くなる。
世界は、まだ《変革の日》を迎えていない。
あの後、人が人を殺す世界に変わる。約一年もすれば随分と落ち着いてくるが、されど一年。あれは地獄の日々だ。その地獄をずっと引きずって生きる人間は多い。俺もそうだった。
ぐるぐると、「考えるな」とか「まだ平和なんだから」、「今は寝ておかないと」と自分に言い聞かせる。
どれほどの長い時間が過ぎたのかは分からないが、なんだかんだでいつの間にか意識が落ちていたようで、気付けば朝だった。
朝起きて布団に潜り込んできていた妹に気付いた潔の妙に生暖かい目に、すっかり正気に戻った俺は恥ずかしくて仕方がなかった。
「はぁ……」
「どうしたの?」
今朝を思い出してため息を吐いていると、花苗が微笑みながらそう聞いてきた。俺はなんと言うべきかと考えて、言葉に詰まる。恥ずかしいからあんまり詳しく言いたくないな……。
「いや、なんていうか……家族に甘えちゃうタイミングがあって、この歳にもなって恥ずかしいなぁって」
「……そんなことないと思うけど」
中学生だったら、まだセーフか?
しかし大人の『記憶』を持っている俺があまり幼児のように甘えるというのもなぁ……。
「そういえば、昨日探していた人は見つかったの?」
自身の尊厳について唸りながら考えていると、ふと思い出したように花苗が聞いてきた。昨日探していた人……。三年生の教室を彷徨いて『あいつ』を探し回っていた話のことだろう。
「見つけてないけど、まぁ別にいいよ」
「ふぅん。どんな関係の人?」
珍しくニタリといやらしい笑みを浮かべた花苗。正弦の話をした時と同じ顔をしている。妙な勘繰りしてるな……? いや、男とは言ってないんだけど……いや男だけどさ。
どんな関係、か。俺は懐かしい気持ちで彼のことを思い出す。簡単にいえば、『親友』だ。だが、それは兄の時の話で、妹になってからは一切の関わりがないため説明が難しい。
「うーん、知り合いというか……でも向こうは私のことを知らない可能性高いからさ、もう別に探さなくてもいいかなって」
「へぇ……? 私も気にかけるから、とりあえず名前だけ教えておいてよ」
名前かぁ。それぐらいなら、別にいいかな? 花苗が見つけて、まぁ元気にしてくれていたらそれでいいし。
漢字がそこそこややこしいと思ったので、ちょうど出してあったノートに彼の名前を書く。
「辰蔵光っていうんだけど、元気なのか知りたいだけだし、じゃあまた見かけたら教えて」
おまけ
真守(どう見ても二十代後半にしか見えなかったけど、今の年齢から計算するとアラフィフ……!?)




