三十三話 修行
「はぁっ……はぁ……っ!」
今日は散々な日だ。
フリーターの男、『見笠』は背後を気にしながら懸命に走る。
まさか、自分のことがバレるなんて。
今日も、いつもみたいにストレス発散として『能力』を使って遊んでいた。『霊体』のようなものを飛ばす彼の力は、言うなれば五感全てを肉体という縛りから抜けさせて遠くを観測できる。
なんとその力で映画館の映画を盗み見していたのだ、しかも二本。話題の映画だ……もしちゃんと金を払えば、何時間働いたら同じ金額になるか……。
しかし満足して自分の身体に戻ろうとすると、何故か見笠の身体を前に女一人と男一人が立っている。スーツを着込んだその二人組は、コソコソと何かを話しながら彼の身体をジロジロと見ている。
近くまで行って会話を聞く。
「どう見ても寝ているよな」
「だが聞く所によると、この男が能力者なんだろう? こんな道端で寝ていることを理由にとりあえず確保しておくか?」
能力者……っ!? ブワッと、見笠は霊体姿なので無いのだが全身の毛穴が開いたような錯覚をした。何故、自分に力があることを知っている!? 見笠はこの二人が何者かを見極めるために、とりあえず周囲をぐるりと回って観察する。
女の方は背が高めで、細い。立ち姿もしっかりとしていて、只者ではなさそうだ。
対して男も、スーツから覗く首から顔にかけては酷い火傷痕があり、そのしわがれた声と図体のゴツさもあり歴戦の戦士を思わせる。
──なんか怖い。
見笠は、とりあえず逃げることにした。
彼の能力『幽体離脱』は霊体を飛ばして肉体を超えた距離の観測を可能にするものだ。その霊体は基本的に物に触れる事はできないのだが、少しだけ力を込めれば──人間の身体に対してのみ、少しだけ影響を与える事が出来る。
「!?」
「なっ!?」
突然、身体に違和感を感じたのか女と男が同時に驚きの声を上げる。その隙を突いて、見笠は自身の身体に戻って即座に走り出す!
「あ、待てっ!」
「しまった!」
そして二人を振り切って尚、見笠は息を切らせながら逃げ続けていた。
流石に走るのが辛くなってき頃に歩き始め、呼吸が整うと一息つく。
(ふーっ。何だったんだあいつら……。なんか俺狙われちゃったりしてんのかな?)
今まで、見笠の力が他人にバレた事はない。口外したこともないからだ。便利な能力なので、自分の趣味の為に悪用はしていたが……もしかして、それがバレて捕まったりするのだろうか。
「帰ろ」
「最初からこうすれば良かったんだ」
もう流石に撒けただろうと、家に帰ろとした時のことだ。突然、横合いから伸びてきた手に自分の首を掴まれて彼の体は宙に浮く。
「……っ!? うぐっ!」
首が締まる苦しさから呻き声をあげて、足をバタつかせて首を掴んでいる相手をがむしゃらに蹴るが、まるで大木のようにびくともしない。
「暴れるな、別にこれ以上危害を加えるつもりはない」
「い、潔、それはあまりにも説得力がない」
若い女の声と、若い男の声。二つが耳に入って見笠は息苦しさから涙が滲み出した目で見下ろす。そこにいたのは、なんと随分と体格が良いグラマラスな女と、その女よりも少し背の低い少年がいた。
(この二人……! どこから!?)
見笠が今いる場所は見晴らしがよく、とてもではないがこの体格の女、更に加えてもう一人の少年が自分に気づかれずここまで接近出来るような遮蔽物がない。
まるで今この瞬間この場に現れたように、いつの間にか首を掴まれていた。
パッと、手を離されて重力に導かれるまま地面に尻餅をつく。
「げほっ、げほっ!」
「とりあえず、紅子さんと鏑木さんに連絡するわ」
尻の痛みをさることながら、喉を圧迫されていたことによる咳が止まらず見笠はしばらくむせ続けた。
それを冷たい目で見下ろしてくる大きな女……確か潔と呼ばれていた。
「な、なんなんだお前ら! 俺がなにをやったっていうんだよぉ!」
「うるさいな」
潔はため息を吐いて呆れたような顔を向けてくるが、突然首を絞められた身としては理不尽極まりない。
「あー、もうちょっと待てって。この人そんな悪い人じゃないんだから。あのー、すいませんね。少しだけ、少しだけ話がしたいんですよ」
そんな潔に責めるような視線を向けてから少年が人の良さそうな笑みを浮かべて丁寧な口調で話しかけてくる。
見笠は、潔は怖いし状況もわけわからないのでとりあえず少年の方を見て、隙あれば逃げようと考えながら耳を傾ける。
「俺達も、貴方と同じ能力者……『アウター』です。見笠さん、我々の仲間になりませんか?」
*
正座している。
俺の目の前にも、同じく正座をしている青年がいた。男にしては長い黒髪で、精悍な顔つきをした彼は静かに目を瞑り俺と向き合っている。彼の顔から下へ視線を向けると、袴から覗いている部分だけでもその肉体はしっかりと鍛え上げられていることが窺える。
綺麗に掃除されている木張りの床の上、普通に硬いのでさすがに足が痛くなってきた。しかし目の前の青年から修行だと、精神を鍛え直す為に耐えてみろと言われている為我慢するしかない。
「おい。動くな」
「で、でも……」
「でもじゃない」
指先が痺れてきたのでモゾモゾとついつい落ち着きなく指を動かしていると、うっすらと目を開けた目の前の男から厳しい声が飛んでくる。
彼の顔つきは整っており、その鋭い目つきすら多くの女性を魅了しそうだ。流し目とか、そういうのが似合う顔だ。
彼は俺と同じように正座して一時間。仏像かと疑うくらい動かない。森の中だったら鳥とか動物が止まるかもしれない。
「……お前には堪え性というものがないと聞く。確かに見える、お前の中の激情、その流れに逆らえぬ姿」
ぷるぷるとしている俺の事をジロリと睨みながら、目の前の男は口を開き始めた。
「感情は、力だ。そう、人間は時にそれを利用してきた。より、止水の如く己を律する者こそが高みに至る」
今日は大吾郎に連れられ、彼の旧友が開いているという剣術道場に赴いたのだ。今時、剣術なんて……剣道以外に存在するのか? という疑問を持ちながら来てみると、立派な日本家屋と大きな道場が出迎えてくれた。
そして大吾郎から何事かを聞いていたらしい、目の前の男が道場のど真ん中に俺を正座させて今に至る。
大吾郎はどこかへ行ってしまった。目の前の男は名を『雨宮正弦』。この雨宮道場の主人である『雨宮源三』の息子だ。
大吾郎は源三の方に会いに行ったのだろうか……年齢的にはおそらくそちらのはずだ。何故なら正弦はまだ二十代に見える……纏う雰囲気はまるで老練の戦士だが……。
「せ、正弦さん、それがこの正座と何が」
「お前は少々考え過ぎるところがあるのだろう? だからまずは、無心を覚える」
「は、はぃぃ」
こ、これは、俺の修行はもう始まっている感じなのか? いやそもそも修行とかそういうのしに来たわけじゃ……全く違うとは言えないけど、でもこんなことお願いしていないような……。
「おい、あれ止めてやってくれよ」
「正弦をワシに止められるかよ」
道場の入り口で、大吾郎ともう一人老人がコソコソと気の毒そうにこちらを見ている。その後もう一時間、足の感覚が完全に失われた頃にようやく解放された。
「情けない。お前は精神的に未熟だ。それでよく俺の剣を学びにこれたな」
「いや、この子もワシに習いに来たんじゃ……」
ぽろぽろと涙を流しながら床に寝そべる俺を冷たく見下ろして正弦は腕を組みため息を吐く。その横で老人……雨宮源三が呆れ顔で彼を見るが、正弦はまるで気にせずツンとした態度である。
大吾郎は、俺が正座地獄に落ちている間に源三の方から指南を受けていて、今は辛そうに床に座っている。
「これは二日後くらいに筋肉痛だな」
「基礎のトレーニングは怠るなよ〜」
大吾郎がやっていたことといえば、型稽古のようなものだけだが彼の体への負担は重かったらしく、疲労した身体は俺とは別の理由でぷるぷると震えていた。
源三の方は大吾郎に教えながら同じメニューをこなしていたはずだが、まるでピンピンとしている。大吾郎よりも年老いて見えるが、普段から鍛えているとこんなにも違いがあるのだろうか……。
ところで俺は何故、二時間近くもただ正座させられたのだろう。今も足の感覚がない。
「己の精神を律することもままならないお前に剣はまだ早い。肉体の脆弱さは関係ない。それを補うのが人間にとっての武器だが、それを操る精神は強くなければいけない」
「おいなんか語り出したぞ」
「いつものことだからほっとけ。しかしあんな幼子に大人気ない……」
「もう来年には中学生になるけど幼子と呼べるのか……?」
正弦はくどくどと俺に強く説教染みた言葉を振りかけてくるが、なんで答えればいいのかわからず寝そべったまま黙って聞く。
大吾郎と源三はやはり気の毒そうに俺を見ているが、正弦のことを止めることはできないらしい。
しかしこの人、俺とは初対面のはずだが何故ここまで言われなくてはいけないのか……。とはいえ耳が痛い事実もある。というか誰かこの人に要らぬことを吹き込んだか?
「ごめん真守、どんな奴かと聞かれたから俺が事前に教えてたんだわ」
大吾郎が申し訳なさそうに言ってくるが、お前との付き合いもさして長くはないのに一体どんな事を教えたというのか。
「紅子から聞いたお前の昔話もしちゃった⭐︎」
しちゃった、じゃない!
紅子からということは、もはや斉藤カズオキあたりの血迷いっぷりも伝わってる可能性がある! 流石にあの頃よりは冷静だ!
──多分。
「ふん。他人から聞いた話だけで、人となりは判断できん。大事なのは己の目で見ることだ。こいつの内に秘めた炎は見ればわかる。そしてそれを操る術を教えておかねば、いつかこいつ自身の身を滅ぼすことになるだろう」
「おい源三、こいつどんな育て方したんだよ」
「ええ……? 知らんよ。勝手にこうなった」
至極真面目に語る正弦に、茶化すような大吾郎と源三。それに少しイラッとした顔をしながら正弦はふと思い出したように口を開く。
「そういえば大吾郎さん。そろそろあんたの『力』とやらを見せてくれよ」
ところ変わって、雨宮家の庭。ようやく動けるようになった俺も一緒にそれを見守る。
そして大吾郎が地面の土に手を付いて日本刀を引っ張り出した。彼の能力行使だ。まるで地面から植物が芽を出すように、派手な演出は何もなくただそれが当然のように刀が生えてくる。
検証の結果、取り出された刀は土や石などといったものを作り変えて生成されたものらしく、しかも何故か鉄に似た物質に変わっていた。
なのにそれが、能力者の能力を斬ると元の土や石に戻るのだから不思議なものだ。
「ほう」
「これはすごい」
正弦と源三、二人から感嘆の声が漏れる。ずっと仏頂面だった正弦も、流石に表情を驚きに崩していた。
そして少し楽しげに大吾郎に近付いていく。
「本当にそんな力が存在するとは……他にも風を操ったり、触れたものの形を自在に変えることもできるらしいな……ちょっと貸してくれ」
饒舌に喋りながら、正弦は大吾郎から刀を受け取る。そして何回か振り回してから、何故か眉を顰めて大吾郎を見る。
「大吾郎さん、ちょっと重心が微妙だな。それと刃の形状も気になる。別に絶対こうだという答えがあるわけではないが、少なくとも俺はこうしたらいいのではないかという意見を持っている。あと握りを俺に合うように作れないか?」
「コイツめっちゃ注文してくるじゃん」
顔はクール系イケメンだが、喋り出すとすごい饒舌だなこの人……と俺は少し引いた目で正弦を見る。大吾郎も鬱陶しそうに顔を引き攣らせていて、その様子を見ていた源三は楽しそうにニヤついていた。
「しかし大吾郎、お前と同じ不思議な力であの練助が大量殺人鬼になっているんだって? お前の方こそどんな教育してきたんだ」
「いや、俺あいつの親じゃねぇからな。だが昔からあいつは……どこか、感性のズレたとこがあって兄貴が悩んでいたのは覚えている」
練助とは陶芸師のことだ。どうやら源三も面識があるらしい。確か、大吾郎の兄の子にあたるんだったか。
「お前の兄さんは、練助に?」
「多分な。心臓発作だと聞いたが……あまりにも急すぎた」
心臓発作か、陶芸師の能力なら簡単に偽装できるだろう。
俺達三人が難しい顔をして考え込んでいると、風切り音すら立てずに大吾郎の刀を振り回していた正弦が動きを止めて、口角をわずかに上げて口を開いた。
「任せておけ。次にそいつと会ったとき……俺が斬ってやる」
俺は源三を見上げた。視線に「この人、本当に現代人なの?」という視線を乗せて。大吾郎も「コイツだけ戦国時代から来た人間なのかな?」みたいな表情を浮かべている。
源三もため息を吐いて腕を組み、天を見上げた。それは諦めなのだろう。
「捕まっちゃうからバレないようにやれよ」
源三からの言葉に、不適な笑みを浮かべて正弦は道場に戻って行った。手には大吾郎の刀を握ったまま……。
「あれで大学生らしいぞ」
「え!? 大学でどんな感じなんだろ……」
ぼそっと言った大吾郎の言葉に俺は心底から驚く。確かに若く見えるが、もはや俺の中で毎日修行に明け暮れる武芸者みたいな印象になっていたからだ。
源三に大学名を聞くと割と頭のいいところだったのでさらに驚いた。




