三十二話 鈴木松太郎
鈴木松太郎は久しぶりに従姉妹の紅子から遊びに誘われて快諾した。松太郎にとって、警察官をやっている紅子は昔からカッコいい大人のお姉さんだ。彼女には幼い頃からよく面倒を見てもらいよく懐いていた。
まだ彼女が学生の頃に酷く消沈していた時期があった時は、幼いながらも自分が支えてあげるのだと意気込んだのを覚えている。今となっては恥ずかしい思い出だが、彼女への……家族としての好意はあの頃から変わりはない。
そんな彼女に、今日はアスレチック公園に行こうと誘われていた。昔から身体を動かすのが好きだった彼女とはよくそのようなところに遊びに行く。
警察で働き出してからも休みの日に歳の離れた松太郎とよく会っているあたり、友達はあまりいないのだろうか? と心配したことがある。
『おるわ! まぁ、今度会わせてやるよ』
そんなことを言っていたが、今まで会わせてもらったことはない。しかし──
『もうちょいで着く。突然だけど友達連れて行くわ』
と、そんなメッセージがスマホに届いて松太郎は驚く。居たんだ! という失礼な考えも浮かんだが、それよりもいきなり知らない人を連れてくるなんて! という憤りの方が強かった。
そもそも、すでに待ち合わせの時間は過ぎている。松太郎は昼ごはんも食べていない。紅子が何か買ってくれるだろうと期待していたのに。
「おっ、いたいた。松太郎! 遅くなってごめーん。飯食った?」
「紅子、遅いよ……」
振り返って松太郎は、一瞬硬直した。
背が高く細身の、見慣れた従姉妹である紅子の姿。その横に立つ小さな影。
日に当たると少し茶色い髪が風に靡き、大きな瞳をぱちくりとさせてからこちらを見つめている。小さな口がわずかに綻び、優しい微笑みを浮かべながらあまりにこちらをジッと見てくるので松太郎の頬が赤くなる。
それと言うのも、自分よりも下か同じくらいの歳に見える少女はとても可愛かったからだ。
ガーリーなワンピースの袖から覗く腕やスカートから伸びる細い足は白磁のような滑らかさで、垂れ目気味なせいか紅子とは対照的な可愛らしい雰囲気を纏った彼女は、松太郎にとって『可愛い』という言葉の具現化とも言えた。あと、見た目にそぐわず胸元を押し上げる膨らみをあまり見過ぎないよう気を付けねばいけない。
「本当に見惚れちゃった」
ぼそっと紅子のつぶやきが聞こえて、松太郎はハッとして慌ててお辞儀を数回する。
「は、初めまして、紅子の従兄弟の松太郎です……いやちょっと待って、紅子、友達って……この子?」
少女以外に紅子の近くに人影は見当たらない。友達と言うから、てっきり紅子の同年代くらいの女性が来ると思っていたのにこれは不意打ちが過ぎる。
「そうだよ」
「え〜……。松太郎くん、私は周防真守と言います。えっと……紅子さんから私のことを聞き及んでいるとは思いますが……」
柔らかく笑い、松太郎にそう言ってくる真守に対して、次に目をぱちくりとさせたのは松太郎の方だった。何故なら──
「えっ。な、なんの話?」
紅子から真守のことなど何も聞き及んでなんていないからである。ピシリと真守の笑みが固まり、すぐにキッと強く紅子を睨む。
「ちょっと! 紅子さん!」
「くくっ……。ごめんごめん、つい」
警察官という職業柄もあるのか、紅子は自分の事はあまり話さない。故に松太郎は彼女の口から友達はいると聞いてはいても、それがどのような人なのか全く知らないし、警察官になってから顕著ではあるが昔からそうだっので気にもしていなかった。
しかしどうやら、紅子は松太郎に対して真守のことを話している……という設定でここに来たらしい。しょうもない絡みだが、松太郎は紅子が本当に真守と仲が良いのだと感じて正直なところとても驚いていた。
「ちなみにいくつなの?」
「同い年だぞ」
でも、友人というには歳の差がありすぎないか? とは強く思う。
*
「はっはっは!」
山の中に作られたアスレチック施設のようなところで、丸太で作られた平均台をスイスイと走って行く紅子。その身体能力もさることながら、見慣れぬはしゃぐ姿に俺は戸惑っていた。
同じく平均台の上を歩きながら、後ろから付いてくる松太郎に聞いてみる。
「紅子さんって、いつもあんな感じなの?」
「え? うん。紅子こういうとこ結構好きなんだよ。でも大人になると、一人じゃこれないんだって」
実際は一人で来ても良いだろうが、周りを見てみると割と小さめの子供とその家族連れをよく見かける。
まぁ……大人一人だと、確かに目立つし浮くだろう。だから、ちょうど良い年齢の松太郎と一緒によくこういうところで遊ぶということか。
「一人じゃ楽しくないぞ。松太郎、お前が成長する姿を年々見ることでだなぁ、なんていうか我が子が育つ姿を見るような……」
「紅子も結婚したら良いじゃん」
真顔でズバッと言いのける松太郎に表情を固まらせる紅子、それを見た俺は慌てながら松太郎の口を塞ぐ。
「ま、松太郎……そういうことはあまり言わない方がいい……」
世の中には、口にして良い事と悪い事があるのだ。恐らく松太郎からすれば結婚=出産という連想が為されているのだろうが、あまりにもデリケートな話題すぎる。さすが小学生だ。
すると、松太郎は顔を赤くしてコクコクと頷いた。
「真守、お前もうちょっと思春期の男のことを気遣ってやれ」
紅子が呆れた顔でそう言ってくるので何のことだと首傾げるが、ふと松太郎と俺は今とても近い距離にいる事に気付く。口塞いでいるから当たり前なのだが、そのせいで松太郎と俺の身体が触れている部分は多く、さらに俺は同年代よりも少し胸が大きめなので……そしていつまでもこんなことを言っているのもおかしい話なのだが……それに慣れていないこともあって、その胸が松太郎に当たっていることに今ようやく気付く。
「あっごめん、胸か」
「それだけじゃないと思う」
パッと離れて、流石に俺も恥ずかしくなってきた。紅子の呆れ顔は戻らない。松太郎も、ブンブンと首を振って何かしらを否定してくる。
「僕は何も! 何もないから!」
「や、やめとけ松太郎。真守が悪いんだから……」
ちなみにだが今日の俺の服装は激しく動くことに支障はなかったものの、枝葉や泥や石も多い山の中に作られたこの施設のようなところで着るのに適しているとは言えなかった為、松太郎との集合場所の近くにあった服屋で紅子に買ってもらった運動用の服に着替えている。
別に俺は、このような場所でも元の服装で問題ないと言ったのだが……むしろ良い経験になるとまで思った。
『いや、服破ったりすることになったら流石に親御さんに頭が上がらん!』とのことで、まぁ急に誘った紅子が責任を持つという形で身軽な服を買ってもらった。
靴は、普段から動きやすいスニーカーを愛用しているので問題はない。
「でも実際、身体動かすのは好きなんですよね?」
「まぁな。でもこういうところによく来るのは、別の理由もあるぞ」
何本も突き立てられた丸太の上をひょいひょいと飛びながら、カラッとした声で紅子は続ける。
「初恋のお兄さん。あの人と何回かこういうところで遊んでたんだ」
「……あの、紅子さん」
そのお兄さんとやらは、陶芸師に殺されたという人ではないか? もしそうならそれを松太郎に聞かせて良いのか? そのような事を、俺は考えた。その意図は伝わったようで、顔だけ振り返った紅子は目で「いいのだ」と伝えてくる。
「ああ〜紅子がよく言ってた人?」
松太郎もその人のことは知っているのか、それとも話を聞いただけなのかは知らないが同じく丸太の上を飛びながら相槌を打つ。
「そう……私は、いまだに初恋を引きずる女なのだ。結婚できなくて悪かったな」
「ごめん! やめて紅子本当ごめん!」
先程の失言に重い言葉を返されてものすごく慌て出す松太郎。俺もそのやりとりに少しクスッときたものの内容が内容だけに笑えない。必死に表情を固める。
しかし、そうか……紅子は、その彼のことを引きずっているのか……いやそうだろうなとは思っていたが、そうなるとやはり陶芸師……あいつ……。
と、俺が考え始めたところで今度は紅子が慌て出した。
「うそうそ! そこまでじゃないから! 真守! まぁまぁ待て待て!」
「?」
どうやら俺の顔が暗いものになっていたらしい。紅子は周囲を指差して「ほら栗の木だぞー」とか言い出した。
俺も切り替えねばと頭を振る。危なかった、ここには松太郎も居る。妙に心配させるようなことをすれば……紅子が隠したいことまで詮索させることになるかもしれない。
「あ、そうだ真守。話を逸らそうとしてちょい戻すのは悪いんだけどさ、松太郎には能力のことそろそろ話しておこうと思って」
「えっ!?」
*
「《ネクスト》か。いいね、それでいこう」
とあるマンションの一室。集まったメンバーの前で、『先生』と呼ばれる男が落ち着いた声でそう決めた。
組織名を考えたのは、いつも髪を二つ結びにしている少女だ。腕を組み、難しい顔をしながらわずかに俯いている。
「聞けば聞くほど、しっくりとくるよ。光くんは、私のことをよく分かっているね」
「……それは、どーも」
ニコリと柔らかい笑みを浮かべる『先生』に、目線すら合わせずぶっきらぼうにそう答える少女。同じ場所にいる『黒い少女』はその会話にすら興味なさそうだ。
「空上くんは、どうだい? 能力は調子が戻ったかな?」
「そうですね。だいぶ無理をしたから、時間はかかったけど」
二つ結びの少女、黒い少女、そしてもう一人同じ空間にいた高校生くらいの男に、『先生』はそう話しかけた。
対して、彼はすぐに表情を変えずにそう答える。『先生』は小さく頷き、少し思案するような顔をした。
その時だった。ガヤガヤと部屋の外が騒がしくなったかとおもえば、扉を勢いよく開いて二人の男が入ってきた。
「先生〜聞いてくれよぉ。丸人のやつ、また暴走しちまったんだよ。てかサトウお前ー、もっとしっかり能力かけろよぉ」
「おいポッター、僕のせいにするなよ〜。あの子の力の源は、あの憎悪だ。難しいんだよそれを維持しながら『記憶』を弄るのはさぁ」
「だから目を取られるんだよ」
「あれはさぁ〜いや、完璧に決まってた能力をあんなに早く解くなんて思わないじゃん」
サトウと陶芸師だ。彼らは、丸人……兎城のことだが、『斥力』の能力者である彼の『調整』を行っていた。
「おかえり、それで丸人くんはどうしたんだい?」
「あんまりにもヤバいから、今荒波とおねんね中だよ」
陶芸師は疲れた顔でそう言って、椅子にどかりと座ってため息を吐く。説明があまりにも足りないが、恐らく彼の能力かサトウの能力を使って兎城を眠らせて、今尚怪我の療養で寝込む荒波の横に放置してきたらしい。
「ふふ、サトウくんには苦労をかけるね。丸人くんには悪いが、彼の力はあまりにも強力で……いずれ必要になる欠片の一つだからね」
穏やかな笑みを浮かべつつもどこか申し訳なさそうな顔で『先生』は一度瞠目する。すぐに目を開き、迷いのない目でもう一度前を向く。
「周防潔くんの方は、今の戦力じゃ厳しいかも知れないね」
「……でしょうね。たとえ兎城が使いものになるようになっても」
二つ結びの少女が確信を持って答えると、『先生』はまたしばし考え込む。
「周防潔は、焦らなくてもいい」
するとそれまで口を開かなかった『黒い少女』がそんなことを言い出した。目を丸くさせた『先生』は、納得したように頷き立ち上がる。
「そうか。しばらくは、休養といこう。そうだ、ポッター。今日のことを教えて欲しい」
「丸人の事いじめてた連中は、家族ごと殺したよー」
ひらひらと手を振りながら気軽そうな口調の陶芸師。その様子を見てサトウが少しプンスカと怒り始める。
「お前が余計な手間増やしたせいでどんだけ苦労したと!」
「いいじゃんかよちょっとくらいさぁ」
「お前の殺し方は警察にバレてんだから大人しくしてろよ!」
ギャーギャーと揉め始める二人を『先生』は苦笑いで見つめているが、二つ結びの少女……ヒカリは心底から軽蔑したような目で睨みつけていた。
だが、何か思うところがあるのか自分の腕を強く握り、堪えるように唇を噛む。いつの間にか、ヒカリのすぐ側に黒い少女が立っていた。
彼女の眼窩に収まる、その底の見えぬ二つの闇に見つめられ、ヒカリはわずかに表情を緩めると……彼女の身体を優しく抱いた。
「大丈夫、大丈夫だから……」
まるで自分に言い聞かせるようなその言葉に、黒い少女は慰めるようにヒカリの背中を何度かさすった。




