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二十七話 サトウと荒波



 鮮血が舞う。

 不動の身体が弾かれたように後ろへ倒れ、俺は咄嗟にその背中を支えるが重さに耐えれず共に崩れ落ちてしまう。

 大吾郎が、刀を構えて俺達の前に立った。刀をサトウとの視線の間に置き、サトウの能力を遮る……事ができているのかは分からないが、少なくとも大吾郎はその効果を狙っているらしい。


 不動はショックの為か身体をビクビクと痙攣させており、起き上がった俺は彼の傷を覗き込む。


「……ッ!」


 思わず言葉を失った。不動の左目は無惨に抉られており、慣れていない人は見るだけで吐き気を催すだろうほどの酷い有様だった。

 止血のためハンカチを取り出し傷口に押し込む、手触り的に肉以外何もない……では、どうやってこんなことを? 


 その時、ほおを風が撫でた。どこか既視感を感じ顔を上げると、大吾郎の構えていた刀がつちくれとなって床に落ちる。


「なにっ」


 大吾郎の驚く声、同時にサトウよりも後方から何かが飛び出した。それは人間だ。弾丸のように飛来し、爆風と共に大吾郎の側に降り立つ。

 あまりの風の強さに思わず顔を腕で覆い、俺は───突如として現れたその既知の能力者(アウター)に、絶望した。


「すげえな、能力を切る刀か」


 腕の一振り。その動きと共に空気の塊がハンマーのように大吾郎を叩く。ボグン、と嫌な音が響いて大吾郎は壁に叩きつけられた。その一撃で意識を刈り取られ、そのまま力無く床に落ちる。


 若い、男だ。鍛えられた体に髪をオールバックにして、革ジャンに傷んだジーンズを粗野に着込んだその男は、俺のよく知る───《ネクスト》の一人。


 荒波(アラナミ)

 兎城(トジョウ)と同じく、この騒ぎが始まった時に想定した、最悪の一人。


 風を操る能力者(アウター)


「おっ、ちゃんと眼ェぶち抜けたみたいだな。お手柄だぞサトウ!」

「いやぁ、『止められたら』どうしようかと」


 カタカタと、俺はこの状況に体が震えていた。ヘラヘラ笑いながらサトウがこちらに向かって歩いてきて、それに対してどこか横柄な態度の荒波。


 不動の力は、『左目で見た』ものを止める力だ。なぜこいつらが……そうか、荒波の力で俺たちを……いやサトウから聞いて、間壁と不動を『盗聴』していたのか。


「で」


 スッと目を細めた荒波は、俺を見下す。ポケットに手を突っ込み、肩と首を傾げながら威圧する。


「この生意気な目をしたガキは、一体なんなんだよ。ポッターのボケのことも知ってたしよぉ」


 歯を砕けそうな程噛み締めて、俺は怒りに身を震わせて荒波を睨み付ける。

 陶芸師(ポッター)との件を知っている……ということは、あの時の車には荒波(コイツ)が乗っていたのか……。こいつもこの頃から《ネクスト》と共に活動していたとはな。


「ふぅん。サトウ、お前が好きそうな感じだな」


 突然首を掴まれ、無理やり立たされる。持ち上げられる瞬間に抱えていた不動を地面にぶつけないよう手を離し、後は為されるがままだ。

 首が締まり息苦しくて顔を歪めると、パッとすぐに手を離される。


 ザッ。

 直後に鼻の頭を何かが掠めたかと思えば、首元から足元に向けて何かが通り、ギリギリ皮膚を切らない程度に俺の服を下着ごと切断した。


「───ッ!?」


 見えなかった。

 ハーフズボンやパンツが脱げて下に落ちそうになり慌てて掴む。羞恥心に負けてそんな反応をして手を塞いでしまったことをすぐに後悔した。


「遊んでいいんですか?」


 サトウの、下卑た視線が俺の身体を舐め回すように上下した。俺は気色の悪さから鳥肌が立ち、思わず後退ってしまう。


「いいぞ、生意気なガキは嫌いでな」


 もう一度、荒波が俺に向けて手を伸ばしてくる。これに捕まれば、俺はサトウの好きにされる? 好きにって、なんだ? あの視線から察するに……性的な、事か? 想像しただけで吐き気を催す。

 俺が身構えて身体を硬くするのと同時、荒波の指が何かにぶつかって止まった。


(room……!)


 僅かに後ろに視線を向けると、顔面を蒼白にさせた間壁が両手で四角を作りこちらに向けている。


「ッチ! これは……てかおい待てよ、このおっさん、土谷大吾郎じゃねぇか! ポッターあのボケ、死んだって言ってたろ!?」


 荒波が舌打ちをして間壁を睨んだかと思えば、思い出したように急に勢いよく振り返って白目を剥いて気絶する大吾郎を見て驚きの声を上げる。

 その間にサトウが俺の近くまで来て、コンコンと間壁の『room』を叩く。


「へぇ〜相変わらず能力も通さないや」

「おい! んなことより、土谷大吾郎が生きてて、しかも能力者(アウター)になってんだぞッ! 連れて帰るか?」

「うーん。その人は歳重ね過ぎなので、僕の能力だと時間かかるんですよねぇ」


 兎城の能力が生み出した、ボロボロに崩壊した病院、血を流して倒れる巾木や不動。そして壁に叩きつけられ意識を失う大吾郎。

 この凄惨な状況において、どうすればコイツらの隙を突くことができるか考えている俺と違い、道端で雑談をするような気安さで話す荒波とサトウに対して心底から理解ができないという声を上げる者がいた。


「なんだよ……なんなんだよ、アンタらはっ!」


 間壁が、泣きそうな顔で叫ぶ。それに対してサトウは興味すら抱かず、荒波は少しニヤついた顔を返すだけだ。


「こんな、こんなことっ! 人もっ! いっぱい死んで……ッ、そんなの間違ってる!」

「ウルセェぞガキ」


 パリィィン! 

 荒波が無造作に振るった一撃で、あっさりと俺を囲っていた結界が破壊される。その瞬間、俺はその場から逃げ出すために駆け出そうとして──視界がぐるりと回転した。


「ぎゃあっ!」


 回る視界の中、間壁の悲鳴が耳に入る。何事だ、と考えていると何か柔らかいものに受け止められてようやく身体は安定した。くらくらとする頭を押さえて、どうやら荒波の能力で宙を振り回されたのだと予想する。


「君と君の家族は、僕と親しき仲にあった」


 焦点の合わない視点が落ち着くと、目に入ってきたのは肩からお腹あたりまで切り裂かれて血を流す間壁の姿だった。


「間壁!」

「おっと、『僕が受け止めたから良かったけど、暴れてはいけないよ』」


 間壁はおそらく荒波の能力によって遠距離から攻撃を受けたのだろう。慌てて駆け寄ろうとしたが、俺のことを後ろからサトウが抱き締めているせいで動けなかった。


「あー、いい匂いする」

「相変わらずキモいな、サトウ〜」


 俺の頭に鼻を突っ込んで気色の悪いことを言い始めるサトウに嫌悪感が湧く、荒波も側から見ていて同じ事を感じたのか呆れたようにそう言った。俺は腕の中で解放しろと手足をバタバタ激しく暴れさせるが、流石に大人の男の膂力を振り払えそうにはない。


「はなせっ! 間壁がっ!」

「大丈夫、彼……荒波くんも『仲間だ。あの子も悪いようにはしない』」

「あいつの能力便利そうだもんな、あれくらいの歳なら楽勝か?」

「まぁ……見たところ中学生くらいですし、短時間で済むと思いますよ」


 仲間……? そうか、俺やサトウの仲間か……。サトウの言葉に俺は一瞬思考が停止する。


「じゃあ、連れて帰るか」

「というか早く治療しないと、やり過ぎですよいつも」


 荒波とサトウは何事かを話し合っている。視線の先には間壁が居て、どうやら彼の処遇についてらしい。


「そこの止める能力の子もそこまでしなくても良かったのに」

「ダメだ、このガキは厄介すぎる。お前の能力では上手くいかねぇかもしれないだろ」

「そうですが……」


「う、ぅぐぅぅ……」


 間壁の呻く声でハッとする。何を考えた? 荒波は《ネクスト》。『敵』だ! いつの間にか俯きがちだった顔を上げると、間壁は蹲って傷を押さえているのがみえる。


「おいおい、男の子だろぉ? そんな深くねぇはずだぞ」


 涙を流す間壁に荒波はバカにしたような声色で話しかけながら歩いていく。先程の会話から察するに、間壁のことを連れて帰って『洗脳』するつもりだ。


「サトウ! 間壁が、連れてかれる! 止め───いや、えっ?」

「……『何か勘違いしてますね、僕達は家族のようなものじゃないですか』」


 洗脳? 間壁をどうやって? それはもちろん、サトウの能力で。サトウ……何故か奴が、脳裏に過ぎる記憶の片隅に現れる。

 サトウは昔から近所に住んでいて、親とも仲が良く俺や潔もよく懐いていた。そんな奴が《ネクスト》に、いや違う、サトウは元々そうだ。

 これは、サトウの能力……? 


「中々ガードが硬いですねこの子」

「お前がキモいからだろぉ?」

「ひどい」


 ズキンズキンと、頭が酷く痛む。何故サトウは俺を裏切って《ネクスト》に……? いや違う、サトウの能力で妙な記憶を植え付けられている。あれだけ信頼していたのに……いや、(マモリ)は今日が初対面だ。


 これが、サトウの能力か。


 間壁に荒波が近付いていく。このまま抵抗できなければ、彼も俺と同じようにサトウの力で洗脳されてしまう? 


「くそっ、くそっ……『roo……」

「おっと」


 バシィ! 荒波に向けて能力を発動しようとした間壁が、見えない何かに顔を殴られて地面を滑る。荒波が空気の塊を飛ばした、奴は今の時点で人を簡単にどうにかできる力を有している。


「落ち着いて、そうだ『名前を教えてよ』。まだ聞いてなかったね」


 名前? サトウのやつ、まだ俺の名前を覚えていなかったのか。潔と俺、二人で早く覚えろと怒ったあの日を忘れたか? 


 そんな日はない。


真守(マモリ)……」

「真守ちゃん。落ち着いて、僕達は敵じゃない。仲間だよ。『そんなに警戒しないで』」


 間壁が捕まりそうだが、サトウがそう言うのなら、大丈夫なのかもしれない。俺は少し緊張を解いた。やはり大人がいると心強い。


 そいつらは、仲間なわけがない。


「間壁だけじゃない、大吾郎も、不動も、巾木さんも怪我してる……助けなきゃ……」

「うんうん。僕も後で手伝うからさ。絶対死なせないようにしないとね!」


 頭が痛い。サトウは義理堅い男だ、今は興奮していた俺を落ち着かせるために手を取られているが、俺に世話がかからなくなれば皆の手当てに向かってくれるだろう。


 こいつは敵だ。


 完全に俺が脱力したのを見て、サトウは腕を解いた。支えられていたものがなくなってバランスを崩した俺はふらりと前に一歩踏み出す。


 能力者(アウター)は殺す。


「俺は、お前らの仲間じゃない」

「えっ?」


 胸の内から業火(いかり)が噴き出した。(マモリ)が幼稚園児の頃、お遊戯会に見学に来た両親とサトウの記憶。サトウを焼き尽くす(マモル)真実(きおく)

 小学校の時、(マモリ)の誕生日にバーベキューをした時一緒に居たサトウや、キャンプに行った時、運動会、海水浴、ショッピング、さまざまな記憶に混じるサトウの面影が全て、『保存』されていた(マモル)によって真実の姿に『再生』される。


 ぐちゅり、と。指で何か柔らかいものを突き刺すと、俺はその中にあった何かを取り出した。そしてそのまま握りつぶす。気持ちの悪い肉の感触が手の中に残る。


「ギャァァァァァァ!!」


 左目を押さえて叫ぶサトウの声が耳障りだ。俺は衝動のまま首に手を伸ばし、力の限りその首を絞めた。


「なにっ!?」


 自らの力で骨が軋む。湧き出す怒りは俺の体から限界以上の力を引き出している。指がサトウの首にめり込み、大の大人がうめき声しか上げられない。このまま───! 


 メキリ。脇腹が軋む。激痛に自分の口から悲鳴が上がり、身体はその凄まじい力に晒されて地面を転がっていく。


 荒波だ。吹き飛ばされた先ですぐに体勢を戻して顔を上げるとサトウの側に少し焦った顔の荒波が立っている。

 蹴りか何かだろうか。肋が折れたような感覚がある、どこか懐かしいが、呼吸をするだけで痛みは広がり、足は震えて膝立ちのまま立ち上がれない。


「なっさけねぇ! 何してんだサトウ!」

「ァァァァァ……くそっ……! くそっ……!」


 荒波が、俺に向け掌を向けてくる。風が吹く。その手の先がわずかに歪み、凝縮された空気がそこにある。


「殺すか」


 俺の服や、間壁を軽く切り裂いた時のものとは比べ物にならない。凝縮された風の、刃。視認できるほどのそれは、無造作に俺に向けて振るわれた。


「真守っ!」


 間壁の叫び声。


 風の刃が一度何かにぶつかった。『room』だ。間壁が俺と荒波の間に張った結界は一瞬、荒波の風を止めるが───。


 パリィィン! 


 すぐに砕けて散ってしまう。だがその一瞬の隙に俺はその場を飛び退こうとした。


 しかし、足に力が入らずそのまま転けてしまう。ズキリと酷く痛んだ脇腹に顔を顰めて……俺は、悔し紛れに自分の死を悟って荒波の方を強く睨んだ。怒りと、無念と、悔しさ全てが滲んだ涙が視界を僅かに歪める。


 ここまでか。

 ひどくゆっくりとした思考が頭をよぎる。斉藤カズオキ、神楽アツキの時は被害を小さくできた。しかしその後調子に乗って、陶芸師(ポッター)の時に酷く失敗した。

 頑張った、と。自分のことを褒める気にはならなかった。結局、潔が死ぬその時まで共にいられなかった。潔を殺すはずの能力者(アウター)は未だ見当がついていない。

 何のために、(マモル)(マモリ)になったのだろう。無駄だったとは、言わない。斉藤カズオキや神楽アツキの時に、死んでいたはずの人は助かったのだから。


 ただ、『記憶』を思い出した時に誓ったはずの潔を護るという目的は果たせなかった。それだけが悔しくて、もっと上手くできなかったのかと自分を責めたくなる。

 この騒ぎにも、介入しなければ良かったのではないか? そんなことを考えてしまう自分自身に嫌気が差す。


 私にも、力があれば。



 そして、荒波の風が、俺の身体を───



 真っ二つにすることはなく、壁を吹き飛ばして中に入ってきた何かによって、風の刃は凄まじい轟音と共に霧散した。


「えっ」


 俺の喉から、素っ頓狂な声が出る。


 間壁が、荒波が、突然現れた『闖入者』に目を丸くさせる。サトウは俺に抉られた左目を押さえてそれどころではなさそうだ。

 そして、俺もその人物に目が釘付けになっていた。


 長い黒髪を後ろでポニーテールに結っており、風に揺れている。見慣れた中学校の制服、同年代より大人びた顔つき、男に引けを取らない大きな体格、それでいて女性的な部分はかなり豊かで、腰のくびれがそれを強調している。


「潔……?」


 周防(スオウ)(イサギ)。見間違えるはずがない。最愛の姉であり、俺が護ると誓った『妹』だ。


 潔はチラリと俺に振り返り、すぐに前を向いた。荒波は突然現れて自身の『風』を弾き飛ばした潔を警戒して身構えている、あの動きから見るにおそらく『空気の塊』を近くに補充しているのだろう。


「潔……っ?」

「真守ちゃん」


 潔が荒波から背中に隠すようにした右手は酷く損傷しており血だらけだが───まるで巻き戻し再生のように、元の姿に戻っていく。

 俺は、それを見て言葉を失った。


「そこで大人しく、してて」


 彼女の口から出たその言葉は、生まれて初めて聞くほど───冷たく、鋭い怒りが込められていた。



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