二十二話 後悔に苛まれる
一旦家に帰ってきた。
あの後、土谷大吾郎は病院に送られた。警察や超能力者対策部の大観や巾木が現場について、あの刀が生えた家と……そのすぐ側で死んでいた女性の身元確認、現場検証と慌ただしくなった。
今回の件が明らかに『能力者』案件であることから、あの辺りの未だ情報統制がなされていない現地警察と超能力者対策部で少し揉めていたが、そこは上層部の権力でなんとかなったらしい。
俺はと言うと、あの場において完全なる部外者である。だが、紅子の側にずっと居た事と……能力者対策部での特別扱いもあって多少の事情聴取はあったがすぐに解放された。
今回の件も紅子に諭される事は多く、帰りの車で説教を大人しく受け、家に帰りご飯を食べて風呂に入り、自室に籠った。
「……ぅぐっ」
枕に顔を押し付け、嗚咽をなんとか抑え込む。つもりだったが、全然抑えられない。じわりと湧き出す涙と共に、腕の中に収まる『あの感触』を思い出して胃がキリキリと痛む。
───俺のせいだ。
あの時、陶芸師を見つけて頭に血が昇った。奴の能力は手を起点とする。今の俺なら手に触れる事なく隠し持った刃物で奴に致命傷を与える自信が、あったのだろう。いや、無計画だ、無計画だったなんて自分がよく分かってる。
陶芸師が、遊び感覚で人の命を弄ぶ事なんてよく知っているはずだった。
『あっはっは。なんで、力を悪用するのかって?』
あれは確か、《対魔》と俺が奴を追い詰めた時の事だ。あいつは躊躇いもなく民間人を人質に取り、何故かその人質の顔を『のっぺらぼう』にして苦しめた。息をするように行われた凄惨な所業に、皆息を呑んだことをよく覚えている。
鼻も口も失ったその人は、呼吸することができず放っておけばすぐに窒息してしまうだろう。その時に共にいた《対魔》は正義感に溢れるメンバーで、隙を見て助けに行こうとしていたが……俺は、あんな状態にされた人質が助けられたとしてこの先何が出来るのかと冷めた考えを持っていた。
『どんな理由がいいかな』
あっけからんと答えた陶芸師に俺は怒り、《対魔》のメンバーと協力して奴と戦うも……俺の『記憶』の限り、何度衝突しても奴を殺す事は叶わなかった。
「……くそっ」
あれほど理不尽な陶芸師相手に犠牲無しはどのみち無理だった、という考えが生まれる。
そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。少なくとも、あの時、あの場にいたあの女の人は、俺が奴を呼び止めなければ標的にはならなかった。
偶然あそこを歩いていただけだ。陶芸師から距離が近かっただけだ。そのタイミングを選んだのは俺だ。
「真守ちゃん……?」
カチャリと、俺の部屋の扉が開かれた。潔の声だ。中に入ろうとするのが背中越しに分かる。
「来ないで」
だが、今はやめてほしい。そっとしておいて欲しかった。泣き言を吐きそうになるからだ。でも潔にはこんな話はできない。彼女には何も知らないまま、ずっと幸せに生きてほしいのだ。
「泣いてるの?」
背中からそっと、優しい声で抱きしめられた。ギュゥゥっと、胃が引き絞られるような感覚がある。やめてくれ、優しくするな。俺にそんな資格はない。
「嫌な事があった?」
そうじゃない。ただの自己嫌悪だ。いつもそうだ、もっと上手くやれたのかもしれない、そう考える。それでも今まではいい未来を掴んだと思って調子に乗っていた。だからあの悲劇を起こした。
「真守ちゃんは頑張ってるよ」
頑張っても、結果が伴わなければ意味がない。そもそも、俺は決めたはずなんだ。今度こそ潔を護ると、その為に何を犠牲にしても良いって思ってた。だったら、陶芸師に誰が殺されようとあの時足を止めるべきではなかった。知らない女の人の首なんて捨ててしまって、奴のあの致命的な隙を、初見だからこそ通じるあの隙を突くべきだった。
潔を殺した方法はまだよく分からない。だが、あの『首』の断面はひどく綺麗で、そして時を止めたように『保存』されていた。
考えられる方法として、『保存』はともかく切断については陶芸師の力の関与は十分あり得る。
一度問い詰めた事があるが、奴は知らないと言っていた。だがあんな奴の記憶の何が当てになる?
あの時、何があろうとも足を止めずに、奴を殺すべきだった。初見の俺に対して、わざわざ他人を殺してその一部を投げつけるくらい、陶芸師は俺に対して油断していた。
中途半端なんだ。
あの時は咄嗟に、せめて受け止めなければと考えた。可哀想だ、と。そしてなんでこんなことを? なんて今更な事が頭をよぎった。全てをかなぐり捨てて陶芸師を殺すべきだったのではないか?
「私は、何も、上手くできない。全てが、中途半端で、無駄で、なんの役にも立たない」
涙を堪えながら、ポツリと俺は漏らす。弱い。慰めてもらえると分かってる。
「……もう戦わなくていいんだよ」
…………? どういう、意味だ?
「真守ちゃんは、何かと戦ってる。そんなのお姉ちゃんだもん。分かるよ。でもね、いつも苦しんで、無茶をして、傷だらけになってさ……それで誰かを助けられたとしても、私は嬉しくない。お父さんやお母さんも、自分のことを大事にしてほしいって思ってる」
穏やかな口調だった。
なのに強く、俺の心に届けと想いが込もる。
「大丈夫、私は死なないよ」
死ぬんだよ。
潔の自信に溢れた言葉に、俺は唇を噛んで心中でそう返した。
俺を、俺達を置いてお前は死ぬんだ。俺はそれがどうしても許せなくて、戦うと決めたんだ。
手探りで闇の中をかき分けて、いつかきっとその未来に辿り着くんだと。それだけを目指せばいいだけのはずなのに……俺はふらふらと、自分の力の限界なんて分かってるはずなのに、届くかもしれないと要らぬところまで手を伸ばしている。
力が、欲しい。
俺は能力者じゃない。
無能力の俺では、能力者を相手に何もできない。
もしも力を得る方法があるのなら───俺はそれを、求めて縋るかもしれない。
そうすればきっと、今よりもっと上手くやれるはずだと思うから。
*
「はぁ……」
平日なので学校に来ている。
しかし落ち込んだ気分はなかなか戻らず、我ながら陰鬱とした空気を纏っている。いつまでもウジウジとしている自分にも腹が立つし、かといって開き直っていいものなのかと自責の念も湧く。
「真守ちゃん今日は元気ないね」
「うん、ちょっと自己嫌悪中、というか」
そう言って机に項垂れると、よしよしと頭を撫でられる。大人しくなすがままになっているが、俺の自意識にこれはいいのだろうか? と問いたくなる。だが、振り払うわけにもいかないし、結局なすがままになっていた。
「上手く人生を生きたい」
「まだ小学生だよ?」
それを同じ小学生に言われるのもどうなのか。
そんなやりとりをしていたら、少し元気が出てきた。クヨクヨしても、終わった事は取り返せない。罪は背負う。だが、俺は足を止めるわけにはいかない。
例え、何を犠牲にしても。とは、もう言わない。優先順位は決める。だが───この手で守れるものは、出来る限り守りたい。
顔を上げ、チラリと花苗の顔を見る。
年齢から逆算して、花苗が殺されるのは『変革の時』の後……あの混乱の期間だろう。
土谷大吾郎は、どう見ても錯乱していた。自我の消失、能力の暴走、そして自傷。能力者は自身の能力に対して耐性を持つ、もしくは影響を無くすことが可能なことが多い。
それはおそらく、本能的な自衛によるものだ。無能力だって、自ら進んで舌を噛み切れる人間は余程のことがない限り居ない。
彼が自身の足をあの日本刀を生み出す能力で貫いた時、彼は間違いなく正気を取り戻していた。
発動条件は、おそらく地面に触れること。偶然地面に触れた時に意図せず能力が発動したのだろう。
そんな事は、普通の能力者にはあり得ない。斉藤カズオキがあの複雑な発動条件を熟知していた様に、神楽アツキが最後以外は自らを焼くことがなかった様に。
そして、紅子が生まれた時から『嘘を見抜ける』力を持っていたと断言できる様に。能力者は自らの力を自覚している。
記憶を探る。『変革の時』の後、世界は荒れた。何故なら突然、能力者がその数を増したからだ。そして彼らのほとんどが、自らの能力に溺れて濫用した。俺はそれを、ずっと能力者は欲に弱いのだと思っていた。
能力者の資質とは《欲》の強さで、力を手に入れたことで付け上がり、本性を現すのだと。そう思っていた。
潔が死んで、少し後に迎えたのが『変革の時』。俺はその時既に父と同じく潔を殺した能力者を探していて、父の死を見て俺は『一線』を超えた。
何人もの、『暴走した能力者』と戦った。今思えば身体能力頼りの、めちゃくちゃな戦い方だったが……そのせいで今世はボロボロになるのだが……その時に戦った能力者と、この間の土谷大吾郎の姿が被って見えた。
(考えたくはないが……陶芸師が何をしにあの場に現れたのか、そして何故土谷大吾郎はああなったのか)
原種能力者と、次世代能力者。何故、『兄』の時の未来でそのような呼び方をしていた? 何故、《オリジン》とそれ以外を分ける必要があった?
『あんなのはあくまでも劣化品だよ』
記憶の中の親友の言葉を思い出す。
「また、なんか考えすぎてるでしょ」
花苗の言葉にハッとして、俺は現実に帰ってきた。そして彼女の顔を見て、もう一つずっと考えていたことを思い出す。
彼女の母、岬はるかはいつ能力者としての力を自覚する?
それとも
彼女が《ネクスト》に対して感じていた『恩』とは、まさか───。
「あれ、なんだろこれ」
昼休み、給食を食べ終えて花苗と暇つぶしに散歩している時の事だ。校舎裏のもう使われなくなった焼却炉、鉄製の扉は錆びて壊れてしまい開きっぱなしのそこに何かが落ちていた。
「何これ、キーホルダー?」
「魔法少女ピリティアだ」
覗き込んで見てみると、それはピンク髪のアニメキャラの小さなフィギュアにボールチェーンを付けた物だった。横に並んだ花苗が興味なさそうにそう言って、あぁ……日曜朝にやってる女児向けアニメかぁ、と俺は納得する。
「かわいそうに、なんで捨てられてるんだろ。結構綺麗だけど」
「……そうだねぇ」
何か含んでいそうな花苗の返事に、俺はキーホルダーを拾い上げて埃を払いながら横目で見る。この子、何か気付いてる?
「花苗、何か分かってるんだったら」
「嫌がらせじゃない?」
俺が勘付いたことに気付いたのか、ニコリとそう返してくる。なんだかこういうところがこの子は食えないな……俺は微妙な表情になりながら、彼女の言葉について考える。
嫌がらせ……いじめ?
「あ、ちょうどそれらしい人が来たよ」
花苗が指差した方を見ると、小太りの少年がキョロキョロとしながら不審な動きでこちらに向かっていた。
彼が顔を上げたため、目が合う。すると露骨に逸らされてしまった。その後も彼は辺りを見渡しながら、物陰を見に行ったり、物を除けたりと明らかに何かを探している。
手元のキーホルダーに俺は視線を送り、花苗の予測通り彼の物なのだとしたらどう返せば良いだろうかと考える。
日曜朝の女児向けアニメのキーホルダーだ。彼は身体の大きさ的に一つ下の学年だろう。同じ学年で見た事ないし。だとすればこのようなアニメグッズを女の子に見つかっては恥ずかしいと思うのではないだろうか。
そもそも、嫌がらせ……というのも、同じクラスの男子に揶揄われてキーホルダーを隠された……というあたりだろうか。
「ねぇ、探してるのこれ?」
いつまでも傍観していてもしょうがないし、俺は声をかけることにした。すると少年は顔を上げて、俺の指につままれたキーホルダーを見つけて顔を明るくさせる。
「そ、それ! 俺のなんだ! あ、いや! 妹のやつでさ、俺のではないんだけど」
……なるほど。そういう言い訳で来たか。俺は微笑ましく思い、少しニヤケてしまうのを自覚しながらも少年の手を取って開かせ、その上にキーホルダーを置く。
「はい。妹さんに返してあげて」
この年頃の男子からすれば、疑われるのも恥ずかしくてたまらないだろう。俺は出来る限り信じてあげるふりをして、ニコリと笑顔を浮かべる。
「ありがとう!」
少し顔を赤くさせた彼は、大事そうにキーホルダーを握って去っていった。その背中を見送っていると、横でずっと黙ってニコニコしていた花苗が少し耳元に顔を近付けてくる。
「あの子の物じゃなかったらどうするの?」
「……そんな意地悪な事言わないでよ」
あんな場面で嘘をつくようなことしないだろう……多分……。
その日の帰り際、偶然昼間の男の子を見かけた。彼よりも小さな女の子と一緒に歩いていて、鞄から取り出したあのキーホルダーを見せている。
すると女の子の方は遠目に見ても分かるくらい顔を輝かせた。奪い取る勢いで男の子の手からキーホルダーを掴み取り、そのぞんざいさを悪びれることもなくぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。
男の子の方は、雑な扱いをされたというのに一切気にすることなく、仕方がない奴を見るような目で女の子を見てから優しい笑みを浮かべていた。
俺は、その様子をいつの間にか立ち止まって見つめていた。女の子の歩幅は小さく、それに合わせた男の子の歩く速度はとてもゆっくりだ。
徐々に遠ざかっていく二人の背中を、ただ無心に見つめていた。
(今度、潔と遊びに行きたいな)
ふと、そんな事を思った。潔が中学に上がってから接する機会が減っている。これから数年もすれば『変革の時』が来る、平和な今のうちに……どこかに出掛けたい。
俺は習い事や、休みの日には紅子と行動したりと家族の時間を別のことに消費しがちだ。
すっかり、何でもない日常を家族と過ごす……そんな貴重なタイミングを逃し続けていることに、今更気付いた。
今も全くその時間が取れていないというわけではない。しかし、もっと、もっとその時間を作れるのではないか。ふと、そう思ったのだ。
潔だけじゃない、父や母とも最近あまり出掛けていないかもしれない。親孝行は出来るうちにしろ、とは言うが……俺の立場からすれば、笑える話ではない。
パン! と俺は自分の頬を叩いた。
自分で言うのもなんだが、俺は向こう見ずなところがある。反省だ。陶芸師のようなイかれた奴を相手にするのなら、いつまでもこんなことでは被害を広めるだけだ。
俺の目的は、潔を護ることだ。
その為ならなんだってやる覚悟だった。だから人を殺すことも厭わないし、クラスメイトに盗みだってさせた。
そんな俺が今更だけど。
出来ることなら、出来る限り最良の結果を掴みたい。犠牲が出ないなんて、無理だ。それを俺はよく知っている。
「周防真守ちゃんだね。落ち着いて聞いて欲しいんだけど」
突然、耳元からそんな声がした。だが、周りには誰もいない。いないはずだが、確実に声は届いている。
遠距離から、俺の耳に言葉を届けた? 可能な能力者は居る。しかしこれは違う。何故ならこの声に聞き覚えがある。
その『記憶』よりも、随分と若い……声変わり後ではあるだろうが、どこか幼さを感じる声に俺は妙な懐かしさを感じた。
『見えざる行進』
わざわざそんな能力名を付けていた事を思い出す。流石に今それを口にすればややこしい事になるので、グッと口を閉めて飲み込む。
「……全然驚かないね。やっぱ君、『普通』じゃないね?」
「……姿を見せられない理由は?」
「いや、小学校で君みたいな女の子に話しかけてるの見られたらヤバいでしょ」
あ、そういうことか。てかこのやりとりで確信したけど、もうアイツ確定だな。今年齢はいくつだったかな……。しかし随分と軽い口調だ。『記憶』のアイツは、もっと落ち着いていたというか……疲れていたというか。
「とりあえず僕は、いや僕達は《対魔》。君がよく縁を持つ『能力者』から、君を守りにきた。何故ならそれがい……あっ、ダメなんだっけ、ヤベ。いやなんでもないんだけど、とりあえず君は少し危ない状況なんだよ」
姿は見えないが誰かと電話をしているような素振りと共に彼はそう言った。守る……? 何故俺を? という疑問と共に、まず自分の名前を名乗るべきだろうと思った。客観的に見て不審すぎる。
対・悪性能力者集団が組織した───《対魔》。
何故このタイミングで接触してきたのかは分からないが、少なくとも『兄』にとって数少ない信用できる能力者の一人……それが彼、《対魔》のリーダーである『樹々透』だった。




