二十話 陶芸師《ポッター》
髪の毛を派手に銀色に染めた男が、足でボールをリフティングしている。お世辞にも上手いとは言えず、蹴り損じたボールは明後日の方向へ飛んでいってしまう。
コロコロと転がった先に、地面に座り込む女が居た。女は、目の前まで転がってきたボールと『目が合って』恐怖から自分の目を見開き、引き裂けんばかりに口を開いて悲鳴を上げた。
二人がいるのは地下にある一室だ。そのせいかよく響く。
「あー、うるさいうるさい」
銀髪の男はめんどくさそうに顔を歪めて、女の首に『触れた』。すると、先程まで部屋の中に響き渡っていた金切り声とも言える悲鳴が嘘の様にぴたりと止んだ。
女は声の出なくなった喉で必死に叫ぼうとするが何も音は出ず、ただ涙を目から溢れさせた。その様子を不思議そうに見ていた銀髪の男は、急に合点がいったと顔を明るくさせる。
「おーおー、気付いた? これ、中々良い感じだろ? あんたの旦那」
そういって銀髪の男に持ち上げられたボールは、球状に変形した人間の頭部だった。断面はなく、顔も生前の面影が失われるくらい湾曲しているが、自分の配偶者の顔だからこそ女には判別できてしまった。
「サッカーはさ、人間の生首を蹴ってたのが始まりなんだって、雑誌か何かで読んだんだよ。でも全然蹴りにくいの。やってみる?」
ニコニコと、あまりにも凄惨な元人間の頭を掴んでいるとは思えない軽快な口振りで男は言う。そしてすぐに、「ああ……ごめん」と片目を閉じて申し訳なさそうな顔をする。
「足ないから無理か」
女には膝上から数センチのところにつるりとした断面があるだけで、その先にあるはずの足がなかった。
足だけではなく、肩も同じ様につるりとした断面があるだけでその先がない。まるでそう作られた人形の様な異質な姿。
彼女の手足は、その辺に無造作に投げ捨ててあった。
「大丈夫! 大丈夫だよ、『保存』してもらってあるから! ちゃんと……俺達の望みどーりの結果を見せてくれれば、付けてやるからさ!」
「ポッター、その辺にしてくれる? もう充分でしょ」
底抜けに明るく、響く声が大きい銀髪の男『ポッター』に苛立った声をぶつけたのは中学生くらいの少女だ。うんざりとした様な顔でため息を吐く。
彼女の横には無表情に床に座り込んでいる少年もいるが、二人のやり取りにも全く興味がないのか一瞥すらしていなかった。
「そんなに怒らないでやって欲しい。ポッターは私を待っていてくれたんだろう」
ガチャリと、地下室の扉を開けて中に入ってきたのは壮年の男だ。柔和な笑みを浮かべて、幼い子供を一人連れ添っている。
「おお! 先生待ちくたびれたよ! では早速、やっていこうか」
ポッターがパァっと顔を明るくさせて大仰に両手を広げた。おもむろにポケットに手を突っ込むと、中から注射器のようなものを取り出して先端のキャップを外す。
そして、そのまま恐怖に顔を歪めて涙を流す両手足の無い女に近付いていく。躊躇いもなく、その首筋に注射器の針を突き立てた。中に満たされた赤い液体が、ポッターの手によって女の体内へ押し込まれていく。
「あんたの息子のアツキくんはさぁ、相当強力だったからあんたにも期待してんだぜぇ〜」
突然、ポッターの口から出た自身の息子の名前に女は驚愕するが、すぐに体調の異変が起きた。息が荒くなってそれどころではなくなってしまう。
「おっと」
ポッターが、うっかりしたと言いたげな声で再び喉に触れる。
「ァギャァッ! アアアアァァッ!」
途端に、苦悶に満ちた声が地下室に響く。常人であれば聞いているだけで精神的に負荷を感じるような断末魔の叫びを、室内にいる人間達は平然とした顔でそれを聞き流し、苦しむ女を観察するように眺めていた。
プツンと、何かが切れたように女は倒れた。白目を剥き、引き絞るように出していた声も一瞬で消え、本当に人形になってしまったように微動だにしない。
「あらら、神楽アツキほどの能力者の血縁なら、ちょっとでもその片鱗見せてくれるかと思ったのにな」
心底残念そうにポッターは言って、倒れ込んだ女の首根っこを掴み持ち上げる。
「死んでますね」
子供が興味を失ったおもちゃを投げ捨てるようなぞんざいさで、ポッターは女から手を離した。重力に引かれてベシャリと女の死体が床に落ち、その死よりも『成果』が出なかったことに室内の面々はため息を吐いた。
「もしくは、父親の方だったのかもしれないね」
「あー、確かもうとっくに死んでましたよねぇ」
先生と呼ばれた男が思案げな顔で言うと、ポッターはどうでも良さそうに答える。すると、今まで言葉を発せず部屋の隅で座り込んでいた少年が急に立ち上がり、女の死体に向かって歩き始める。
「ん? 今回は君か? あの『脳筋』よりかはスマートだから助かるね! 前回はさ、アイツめちゃくちゃするもんだから───」
「どいてポッター」
ペラペラと口がよく回るポッターにうんざりするように少年が言って、肩をすくめたポッターが体を退けるのを待ってから女の死体に手をかざす。
バシュン。
それは、不思議な音だった。気付けば、女の死体は消え去って元々あった場所には僅かなクレーターが残っただけだ。
「ヒュ〜っ! さすがの鮮やかっぷり! てかそろそろ渾名考えた? 名前で呼んだら怒るんだから早くカッコいいの考えてくれよ。てかさ、ごめんあとこんだけあるんだ」
ニコニコとポッターが女の手足と、その伴侶の丸くなった生首を抱えてくるのを見て、少年は嫌そうに顔を歪めてため息を吐く。
「そうだ、先生。俺の叔父さんが陶芸家やってんだけど、それってさ───俺の力と似てるだろ?」
少年に死体の一部を押し付けたポッターが機嫌よく近付いてきてから口に出した言葉に『先生』は「へぇ」と答えて顎に手を置き少し考えた。
「なるほど、ポッター。君は、自分の叔父ならば、『成功』すると?」
「いけると思うんだよね」
勘で話しているのだろうが、どこか確信めいたものをポッターから感じた『先生』は僅かに口角を上げて大きく頷く。
「いいんじゃないか、許可しよう」
*
昔ながらの街並みが観光地としてそれなりに有名な街。たまに着物を着た人が歩いているが、貸衣装屋などがあるのだろうか。
土谷大吾郎の工房は少し人通りから外れたところにあった。そこに尋ねてまず言われたのが……
「大吾郎は今こちらに居ませんよ?」
親しいのだろうか、年配の女性は彼のことを親しげにそう呼んで、ケラケラと続きを話す。
「今、あのおじさんったら刀作りにハマっちゃってねぇ……山籠りなんてしてるのよぉ〜」
俺と紅子は顔を合わせ、頷きあう。紅子が懐から警察手帳を出した。
「警察です。土谷大吾郎さんの居場所を教えてもらえませんか?」
ちなみに、と紅子は付け加える。
「あの、決して彼が何かの事件の容疑者だとか、そういうのではないので……ただ、こちらで調査している事件の参考人としてですね……」
というわけで、その日のうちに県を跨いで駅から降りても店すらないような田舎に来た。顔を上げればすぐに山が見えるような、そんな地域だ。
「教えてもらった住所によると、少し歩くな……土谷大吾郎は車で向かっているらしいから、少なくとも車道が整備されているような所だな」
見渡してみても住宅ならばよく目に入るため、人のいない辺境の地というわけではない。車通りもそれなりにあるが、タクシーをすぐに用意できるようなところではない。
「とりあえず行くか。真守、それなりに歩くが大丈夫か?」
「はい、出会った頃とは違いますから」
これでもランニングは欠かしていない、体力はかなりついてきた。身体に肉がついてきたら加速度的に余裕が生まれてきたのだ。
腕にちからこぶ……はあまりないけど。それを見せるようなポーズを俺がとっている時に、その声が俺の耳に届いた。
「悪い悪い! てかもうちょい近くまで来てくれよなぁ〜!」
バッ、と。俺は声のした方へ顔を向ける。視線の先に、エンジンのかかっている車に乗り込む銀色の髪の男がいた。
その容姿に、見覚えはない。だが、開いた扉にかける手、そして……声に覚えがあった。
「陶芸師ーッ!!」
ギョッと、横の紅子が目を見開いた。俺の視線の先を追って、そこに居た銀髪の男を見つけて身構えた。
「アイツが……っ!?」
陶芸師は、自分の名が呼ばれたことに気付いて車に乗り込もうとする姿勢のままこちらを見ていた。
思わず、叫んでしまったが───どうしよう。俺は冷や汗を垂らし、それを気取られないように強く奴を睨みつけた。
車の、運転席に乗った者が何事だとこちらへ振り返っている。俺の位置からは車の後ろ側を見ている形になるので、リアガラスが暗くてその人相まで分からない。
「おいおい! そこの嬢ちゃん! 今俺のことを───《ポッター》と呼んだか?」
陶芸家が、サングラスをかけたニヤケ面でこちらに向かって歩いてこようとした。
その時、車の中から話しかけられたのか動きを止めて、耳を車へ傾ける。すぐに残念そうにため息を吐いて、こちらに向かって手をブンブンと振ってきた。
「悪いね〜! 今忙しいんだ! また会おうな〜!」
「ふざけんなッ!」
「ま……おいっ! やめろ!」
ダッと走り出した俺の名前を呼びかけて、紅子は慌てて口を噤む。しかしその一瞬の躊躇いのせいで俺の初動に反応が遅れてしまう。
頭に血が昇った俺は走って車に向かうが、陶芸師が車に乗り込み走り出すまでにかかる時間を考えると間に合わない。
だというのに、陶芸師は車から離れた。
「……っ!?」
何故だ? その疑問は、すぐに解けた。
キョロキョロと周りを見渡した陶芸師は、少し歩いて見知らぬ通行人の女の首を『撫でた』。
ポロリ、と。まるでおもちゃのように女の首が取れた。力を失った胴体は地面に崩れて血を吹き出して、陶芸師の持つ首からは血が出ることもなく───まるでキャッチボールをするように俺に投げつけてきた。
足を止めて、飛んできた首を腹で受け止める。唖然とした。まだ生きているかのように、何が起きたのか分かっていないのか、まるで普通の顔をして俺の腕の中に収まるそれを見て
「ァァァァァアアッ!」
気付けば叫んでいた。あまりにも非現実な、しかし『記憶』では『見慣れた』その光景。
「はっはっは。嬢ちゃんやるよ! なんか知らんが俺のこと知ってんだろ!? 今度こそ、またな!」
自身の行いに全く悪びれることもなく、陶芸師は車に乗り込んだ。中にいた人から怒られているのか無邪気な声で頭を掻きながら謝っている。
俺は、その場にへたり込んで動けなくなってしまった。抱えた首は、全く知らない人だ。でもこの女の人にも人生があって、家族や愛する人が、この人のことを大事に思っている人もいるだろう。
そんな、よくある、しかし尊い日常を生きていたはずの命があっさりと奪われた。俺は調子に乗っていたのだろう。油断していたのだろう。
あの時、『記憶』を取り戻してから、斉藤カズオキの時も、神楽アツキの時も。
なんだかんだで、『記憶』よりも良い結果を、俺の無鉄砲な行動の末に得てきた。だからこそ俺は甘く見ていたのだ。
能力者の、その力を持つ者の中に邪悪が潜んでいると知っていたはずなのに。
「真守……!」
すぐ側に来た紅子の焦った声が遠くに聞こえる気がする。ダメだ、正気に戻れ私。陶芸師は何故ここにいた? 目的が俺達と同じなんじゃないのか!?
「紅子さん、土谷大吾郎が、危ないかもしれません……」
いきなりここに奴が現れた理由、それは俺達がここに来た理由と同じ、土谷大吾郎を目指してきたと考えるのが一番妥当だ。そして、あんな散歩感覚で人を殺せる奴が、迎えの車に対してまるで一仕事終えたような雰囲気で話しかけていた事を考えると───。
「──ッチ! ややこしいことになったな……!」
携帯電話を取り出し警察に連絡する紅子を横目に、俺は結局しばらく立ち上がれず、腕の中の首をギュッと抱え込んで唇を噛んだ。




