十七話 岬花苗
岬花苗がその病院を訪れたのも、ちょうどそのタイミングでリハビリ室へ祖母の様子を見に行ったのも全ては偶然だった。
高齢で足を折った祖母は骨が繋がった後も歩行が困難になってしまいリハビリが必要で、その日は付き添って励ましてやってほしいと医者から頼まれたのだ。
しかし、花苗は他のものに目を奪われてそれどころではなかった。
薄い色素の髪、垂れ目なのに強く引き締まった眼光。枯れ木のような手足で、産まれたての子鹿のように足を震わせながら歩行訓練をしている少女がいた。
両腕を包帯とギプスで覆われたその姿は、あまりにも痛々しい。
しかし、花苗は儚くも強いその姿を見て、美しいと感じた。触れれば塵となってしまいそうな可憐さに、金槌でも砕けないような強い瞳に。
問題はその後、無理をし過ぎたのか脂汗を垂らし顔を真っ青にさせたかと思えば、看護師にトイレへ連れて行ってもらうも間に合わず床に吐瀉物をぶち撒けた時、先程までの強気がどこかへ行って一転情けない顔で涙目になっている姿を見て───花苗は心臓が大きく跳ねた。
過呼吸になりかけるくらい呼吸が乱れ、花苗は自身の身に起きた現象がわからず困惑するが彼女から目を離せなかった。
その後何回か病院に通い、こっそりと離れたところから見ていた。しかし孫がこまめに来てくれたこともあって元気になった祖母があっさりと退院したことでその口実も無くなってしまう。
心のどこかに穴が空いた感覚……数ヶ月、その穴が塞がらなかったからこそ、花苗は新学期の春に彼女を見て、目を開き過ぎて瞼が引き裂けるのでは無いかと錯覚した。
彼女が乱暴な男子に絡まれている時、心のどこかで傷ついた彼女を想像した。
彼女が尿意を催しているのに意地悪な女子にトイレで捕まっている時も、扉の前で彼女の痴態を想像して動けなくなった。
彼女が再び花苗の前に姿を現してから、花苗は自身の奥底から何かが湧き出してきているのを自覚する。
それが、その《欲》がはっきりと『形』を為したのは、あの時だ。
体育終わりに、いつものように視線で追いかけていた彼女がまた意地悪な女子に絡まれて、そして服を脱がされた。
その下に隠れていたのは、酷く歪な痛々しい打撲痕。彼女が巻き込まれた事件の事は、この辺りでは結構有名な話だ。だからあの傷はその時のものだろう。
相当ひどい暴行をうけたことが一目で分かった。
花苗は、下腹部にズシンと何か重いものが落ちるのを感じた。思考が真っ白になり、プツンと何かが切れた音がする。
気付けば鼻血を垂らしていて、いつの間にか彼女に介抱されていた。その後の記憶は曖昧で、帰った時には既に自分の『能力』を操れるようになっていた。
人差し指と中指の先端から、骨が突き出て注射針のように細く鋭く変形する。その先から自分で『生成』した体液を……様々な『薬効』を作り出すことができる。
なんだろう、この力は。流石に花苗ほどの年齢にもなれば、それが異常であると分かる。常人とは違う力、一体何故自分が? と考えた。
しかし答えが分からないまま時間は過ぎて。あの事件が起きた。
偶然、深刻な顔で男の後ろを女の人に並んで歩く彼女を見かけた。ついつい後を追っていると、なんとその男は手から炎を生み出して自在に操っていた。
───同類。
直感で悟る。自分と同じ存在なのだと。
そんなことよりも、死力を尽くして立ち向かう彼女の姿を目に焼き付ける方が大事だったのだが、彼女が文字通り焼き付けられた時は───激しい嫉妬に襲われた。
だから男があの場から逃げ出した後を追いかけたし、自分の能力でもって制裁を加えた。
最後は彼女に見つかりそうになったので慌てて逃げたが、陰から様子を見ていた限り花苗に気付いた様子もなかったし、男も勝手に燃えたので安心した。
髪の毛の先が燃えてしまったので切る羽目になったのはしょうがないと思っていたが、彼女があまりにも残念そうな顔をするし、そもそも彼女の髪の毛も燃えてしまったせいか随分と短くなっており、しかもかなり傷んでいた。やはりあの男は自分の手で殺しておくべきだったと後悔した。
即死級の毒を生成することができなかったのが残念である。『今』の限界なのだろう。
とはいえ自分の力で同類と戦った経験は、花苗の心を安定させた。やはりどこか異常な自分に不安を抱いていたのだろう、そこから地に足がついたような感覚があった。
小学六年生になって、髪はまた肩甲骨くらいまで伸びた。彼女も肩先辺りまで伸びてきて、花苗が渡している特製のヘアケア用の『薬』の効果もあってしゃぶりつきたくなるような質感だ。
火傷の影響が残りそうだったお肌も、同じく渡していた『薬』が効いたのか見ているだけで吸い込まれそうな美しさに戻った。
地に足がついてから、生理が始まった。周りがホルモンバランスの乱れから情緒不安定になりやすい年齢になってきたが、花苗は驚くほど平静だった。
自覚したからだ。己の《欲》を。
彼女は私のものだ。
*
ついに潔が中学生になってしまった。
タイムリミットは近付いている。それなのに俺は未だ何一つ手掛かりを見つけられていない。
というのも、今この時代にはまだまだ能力者は少ない。潔が殺された……ちょうどその頃だろうか、急激に能力者はその数を増し、そして世界をめちゃくちゃにする。
つまりは、俺がこの年齢のタイミングで活動している能力者は少なくとも『兄』はあまり知らない。
その頃はまだ能力者を追っていなかったのもあるし、先程も言ったように数が少ないというのもある。
さて、なんやかんやで小学生最後の年だが、この年頃になると男女共に色々と変化が出てくる。
女の子の多くが第二次性徴期を終わり始め、男の子は今から始まるような子すら居る……つまりはまぁ、非常に多感な時期だ。
俺はというと実はつい最近、月のものが始まった。
大人の精神を持つ俺は、ホルモンバランスの乱れがあっても他の子程は情緒不安定になる事はないだろう。と思っていたが、お腹が痛い時期は普通にネガティブになって潔にずっと引っ付いていた。
六年生にまでなると、交友関係にも大きく変化があった。二年前は男とばかり遊んでいたが、男の子というやつはこの時期になると女の子と遊ぶことに抵抗を覚えてくる。
自然に俺とは距離を取るようになり、俺は俺で女子の世界に馴染んできたとは言い難いが、岬ちゃん……花苗との接点が徐々に増えてきて今や常に一緒にいると言っても過言ではない。
それと言うのも、俺はこの年頃の女子と波長が合わない。それは大人の記憶のせいであるし、その記憶が男として生きてきたものであるせいもある。
しかし花苗は他の同い年女子と比べて、とても『落ち着いて』いる。大人びている、という表現が正しいだろうか。
下手をすれば今の俺よりもよっぽど……。
「真守ちゃんは、中学受験するの?」
「私は、いさ……お姉ちゃんと同じ中学行きたいから、普通に公立だよ」
潔とは行き先が変わってしまった通学路、途中で出会う花苗と共に学校へ向かいながらそんな会話をする。
俺達の地域でも、中学受験を意識している子は多い。そういえば香澄ちゃんあたりは、中高一貫お嬢様校を目指すと言っていた気がする。
他には、あの万引き娘のスミレちゃんとか。いつか万引きがバレて大変なことにならなければ良いけど。あの子に手に入れてもらったおかげで役立ったものもあるので、犯罪行為とはいえ俺に責める権利はない。というか共犯者か……。
そういえばだが、バタフライナイフは神楽アツキにブッ刺しているところをしっかり紅子に見つかっており、没収された。
あれが同級生から拝借したものであることまでバレているので、めちゃくちゃ怒られたのは未だに覚えている。流石に返すには血濡れがすぎるので、良くはないが無かったことにした。
ライターオイルについては友達から貰ったものだと言って誤魔化した。流石に盗品だとバレてたら……うーん、紅子が居る以上、あまり悪い事は出来ないな……嘘を見抜く能力はその辺り物凄く厄介だ。
「花苗はどこか受験するの? 頭良かったよね」
「しないよ。真守ちゃんと一緒のところ行くから」
外見でも一番だが、勉強においても学年一位の花苗へ純粋に疑問に思ったので聞いてみると、ニコリと笑顔で即答される。
……たまに、なんか圧が強い気がする。
「ところでさ、真守ちゃんまた少し『大きく』なった?」
「うっ……。まぁ、母親とか姉程ではないんだけど……」
小学六年生にまでなると、女子の成長は著しい。目の前の花苗は二年前よりもぐんぐん縦に伸びて、今や160cmを超えていたはずだ。
身近にいる潔が170cmを超えているし、他にも全体的に『大きい』ので俺の感覚は少し麻痺しているが、それでもはっきりと分かるくらい花苗の身長は同年代に比べて高い方だった。
更に、胸は少し慎ましいものの小顔に長い足の脚線美とくびれてきた腰つきは……相変わらず反則的な美しさだ。
そんな花苗から、『大きく』なった? と聞かれたのがどこかといえば、まぁ胸である。
身長はまだ140cmにようやく達したくらいなのだが、ちなみにこれは母や潔と言った我が家の女性陣の遺伝子を考えるとあまりにも発育が悪い。
その理由は、あの怪我の影響による少食化によるものだと思われるが……その小さな身体に対して、アンバランスとまでは言わないがそこそこ大きいものがついているのだ、胸が。強いていうなら花苗よりは大きい。
「まだCだし、たいした事ないよ。潔、お姉ちゃんとかはもうこの頃には、あれ、凄かったから」
「それを私に言うんだ」
ジッと冷たい目を向けてくるが、花苗ほどの美人になればそれもまた様になっている。男の精神のせいで、胸の成長など複雑な気持ちでしかない。男だからこそ、大きければ視線を集める事を仕方ないとは思う。でもあまり良い気分ではない……男の精神があるからこそ、男との恋愛はまだ考えられそうにもないからだ。
身長もまだこれから伸びそうなので、必然そこも大きくなるのだろうが……それはそれとして身体が強くなっていくことに喜びは感じていた。
色々と武術を身につけて、今は警察の大観から紹介してもらった古武術なんかを習って、随分と動けるようになったと思う。
その技術に加えて筋力をはじめとした身体能力が上乗せされれば……今なら斉藤カズオキだって、容易になんとかできる気がする。
いややっぱキツイかな。アイツの能力触れた時点で回避不可の《痛み》がなぁ……あれを喰らうとやはりパフォーマンスは悪くなる気がする。
「花苗もさ、身体鍛えた方がいいよ」
彼女の母親は未来では『毒婦』と呼ばれ恐れられる強力な能力者になる。そのきっかけは花苗が暴漢に襲われて殺されてしまう……確か、そのはずなのだ。
俺がその時まで生きていれば、出来る限り気を付けるつもりではあるが、やはり本人にも自衛能力を身につけてもらわないと。
ヒョイっと。花苗は俺の脇を持って猫か何かを持ち上げるような気軽さで掲げた。完全に足は浮き、ぷらんとしながら俺は呆気に取られる。
花苗は確かに背は高い、そして俺がいくら小柄とは言え……腕を伸ばした状態で持ち上げられるなんて、尋常な筋力ではない。
「実はね、それなりに鍛えてるんだ。そうじゃないと真守ちゃんを守れないでしょ」
その細い体のどこからそんな力が? とか、女の子が鍛えて出来ることか? とか色々と思うところはあるが、なにより俺を守る前提なのか……俺の方が守るつもりなんだが。
「真守ちゃんのお姉さん……潔さんほどではないけど、格闘技もかじってるんだぁ」
「あぁ〜潔は、まぁねぇ……」
俺の習い事についてきていた潔は、それぞれの格闘技で才能を見せ、この辺では少し有名になっていた。
確かに女性的な丸みを帯びた身体ながら、なんというか全体的に大きくて男顔負けの体格は才能と言わざるを得ない。
それに加えて身体操作技術も非凡さを見せており、一緒に通っている俺なんてもはや忘れられるくらい注目の的だった。
「悪い男について行ったらダメだよ」
「……真守ちゃんに言われたくないなぁ」
未来の『毒婦』を生まないためでもあるし、友達になったいま普通に幸せに生きていてほしいのでそう言うと、苦笑いをしながらそう返された。何を言っているのか。あはは、ついて行くわけないじゃん。




